医者はどこだ
ノークロースは草原地帯の中にある、大きな町だ。
草原の外にある森林地帯からオークや樫の木材が豊富に手に入るため、建物のほとんどは木造建築でできている。
街の中央には大きな広場があり、そこには様々な店が立ち並んでいる。
今はちょうどお昼の時間のようで、キッシュを焼く匂いが通りに満ちて、食欲を刺激する。
ここまで、森の中を三日ほど歩いたが、ほとんどはサラマンダーに乗っていたため、それほど疲労はしていない。
センには栄養剤を飲ませながら歩かせたため、実質、ふたりとも健康的な状態での来訪となった。
「さて、お前の家はどこだ?」
「……え?」
センは驚いた顔で儂を見下ろす。
サラマンダーから降りてみると、彼は平均よりも長身であることが分かり、その不要な身長を儂に寄越せと苛立った。
「お前はまず勝手にいなくなったことを謝罪、報告する義務がある。そして、借金を全額返済することを家族に誓え」
「ええ……」
精神的にも軟弱そうなセンはもう少し縛りをきつくした方が良さそうだと判断したのだ。
「何だ? それとも奴らに引き渡した方がよかったか?」
「どっちにしろ……。いえ、何でもないです」
彼は文句を言いかけたが、いい加減儂がその手の言葉を聞かないことを理解したようで、渋々と石畳の街道を歩き始める。
それにしても、人の住んでいる町へ来るのは本当に久しぶりだ。
建築様式や、町民たちの服装も昔に比べればけっこう変わっている。
もっと色々と見て回りたいが、今は彼のことを済ませるのが先だ。
しばらく歩いて、やがて住宅街の中の一角に辿りついた。
木造建築の家屋は、まだ新しく、塗装の剥がれもない。
よくもまあ、これほど立派な家をこの男が持っているものだ。
尻込みするセンを蹴飛ばし、玄関を開けさせる。
すると音を聞きつけたのか、すぐに嫁らしき女性が走ってきた。
「あ、あなた! どこに行っていたの!?」
「……すまない」
彼女はうな垂れるセンと儂を見て、困惑の表情を浮かべる。
儂は簡潔に事の顛末を説明した。
最初は信じていなかったようだが、センが否定も肯定もしない様子だったため、どうやら信憑性を感じたらしく、最後はとうとう泣き出してしまった。
「なんとなく、そんな予感がしてた」
彼女は涙をハンカチで拭きとりながら、そう言った。
「賭博場の近くで見かけたって、言われたことがあるもの……」
「知っていたのか?」
「知っているうちに入らないわよ! あなたにだって、あなたのやり方があるでしょうし、余計なことは言うまいと思ったもの。あなたが、自分で伝えに来るまでは」
どうやら勘が悪いのはセンだけだったようだ。
彼はしばらくバツが悪そうに俯いていた。
「あー、だから、とにかく、こいつが自分の借金を返し終えるまでは、儂が面倒を見る。その間、ここへは返せない。しかし、確実に目的は達成させて無事に返す」
「……わかったわ。でも、あなたいったい、何者なの? 子供みたいだけど、とてもそんな雰囲気じゃないし……」
「深くは説明せん。面倒だ。ロアという名前だけ覚えておれば、それで良い。――そういえば、子供もいると聞いていたが、今日はどうした?」
「今、娘は学校に行ってるわ」
「ロアさん。俺、シーに会ってから行きたいんですが」
シー、というのは娘のことだろう。
「……シーはあなたの状況を見抜いていたわよ。借金して逃げ出したんだって、昨日から怒ってたから。あなたが無事だったことは伝えておくけど、本当にすごく怒っていたから、会わない方がいいかもしれないわ。もし、彼女が会いたいって言ったら、その時はお願いね」
「うむ。あとで拠点を構えたら、儂への連絡先を教える。では、日があるうちにやらねばならないことがあるのでな。そろそろ行くぞ」
机にすがりつこうとするセンを引き剥がして、センの嫁に見送られながら、家屋をあとにする。
「あの、どこに行くんですか?」
「この町で一番の医者はどこだ?」
「医者、ですか」
質問の意図をくみ取れなかったのか、彼は少し悩んで、指をさす。
「向こうに、この町の医療協会の本部があります。そこに行けばわかると思うんですけど、でも、いったいどうするんですか?」
「儂はこの町に詳しくないし、土地や住居のこともよくわからん。知っている人間に聞くのが一番手っ取り早いではないか」
「医療協会に知り合いがいらっしゃるのですか?」
「そんなもんはおらん。でも行けばなんとかなるはずだ」
「えっ……」
センは本日何度目かの表情を見せる。
まあ、なんとかなるというより、正確にはなんとかするだ。
町の中をひた歩いて、目的地へ向かう。
そろそろどこかに腰を下ろしたいとも思うのだが、やることをやってしまわねば、今晩泊るところもないのだ。
「――お前の娘、シーだったか。学校に行っていると言ったな」
「はい。あ、シーっていうのは、愛称です。シーリントルって言います」
「どういう名前だ。苗字か」
「いえ、名前です。長い名前、流行っているんですよ。娘は、学校で精霊術を習っています。ロアさんみたいに」
「ほう。それは会うのが楽しみだな」
「え、会うのですか?」
「会うぞ。お前は家族に会えないが、儂はあの家を訪ねることができるからな」
「ずるくないですか!? 俺も会いたいですよ!」
「お前は逃走癖があるから駄目だ」
「そんな……」
他愛ない話をしていると、やがて大きな教会の跡地に着いた。
何やら大きなオオカミの紋章や繊細な模様のステンドグラスがあるが、儂にはその意味はさっぱりわからない。
「協会とは、教会のことだったのか?」
「協会は協会ですよ。宗教施設も兼ねてますけど、医術の方が主です」
センには教会がわからないようであった。
もしかすると、教会自体が廃れてしまっているのだろうか。
宗教と医術には密接な関係があるはずだ。
医術が宗教の精神的な面を越えたのであれば、廃れることもあるのだろうか。
中へ入ると、確かに儂の知っている教会と似ているが、聖者の像は外され、台座には何も乗っていない。
まるで別の世界へ迷い込んだような気分になりながら、歩んでいく。
他に人は見当たらないが、受付のようなものはどこにあるのだろう。
奥には上に続く階段があるが、さて、行ってみるべきか。
「やめましょうよ……。絶対怒られますよ」
「医療従事者がこれくらいで怒るものか」
根拠のない自信を提示しながら、誰の気配もない階段を上がっていく。
違う建物と合併しているのか、奥へ続く廊下もあり、見た目以上に奥行きがあるようだ。
事務室のような部屋にはたくさんの机が並んでいるものの、やはり人の姿はない。
「……うん? 今日は休みなのか?」
人を探して彷徨っていると、奥にある扉が開かれて、たくさんの書類を抱えた眼鏡をかけた細身の男が現れた。
前が見えていないようで、ロアたちの隣を通り過ぎ、階段近くの机にどさっと置く。
「重いなあ、これ。あとでいらないものは倉庫にしまわないと」
「おい、聞きたいことがある」
「うわ!? 誰ですか!?」
男は大げさに驚いてずり落ちた眼鏡をかけ直す。
「あれ、子供……?」
「儂はロアだ。ここで一番偉い人間は誰だ?」
「え、僕、ですが。ロア……?」
「お前か。医術関係者なら、リゲルって名前を聞いたことはないか? 十年前くらいに業界で名を馳せた男だ」
「え、ええ。リゲル氏ならよく知っています。友人ですし。あの、どちらさまですか?」
「リゲルの師だ。わかるか? ロアという名の魔女に聞き覚えはないか?」
「ありますよ。稀代の天才の大魔女でしょう? 何でもあらゆる精霊を従えているとか……。でも、騙る人が多くて、実際にはどういう見た目をしているのか誰も知らないって聞きましたよ」
「儂がそのロアだ」
うーん、と彼は唸った。
どうやらまだ信じられないらしい。
「仮にあなたがロア氏だとして、何をしにここへ?」
「この町に出て来たばかりでな。住む場所がないのだ。その手伝いを頼みたい」
「はあ……」
「なんだ、その生返事は」
「ここの仕事じゃありませんよね。仮に、あなたが本物のロア氏だったとしても」
「何?」
彼は途端に面倒くさがり始めた。
そうやら医術関係の話でなければ、それほど興味がないらしい。
「せめて、リゲルに確認をとってもらえないか? 儂だと言えば伝わる。見ろ、この美しい銀髪を。やつならわかる」
「いや、それは構わないんですよ。問題は、あなたの目的に、この場所はそぐわないということなんです。ここは不動産屋じゃないんですよ。家探しならもっと相応しいところがあります」
「それがわからぬからここに来ているのだろうが」
「あの、あなた、もしかして、詐欺ですか?」
「誰が詐欺だ! もうよい! お前には頼まん!」
憤慨した儂は、踵を返して階段へ向かう。
随分と失礼なやつではないか。
「ああ、待ってください。リゲル氏に取り合ってみますよ。一応ね。仕事とは関係ありませんが」
「……できるのか?」
「ええ。だって、僕、ここの所長ですよ」
「ではさっそく文を……」
「魔法通話、ありますが」
聞いたことのない言葉を聞いて、儂は首を傾げた。
「魔法通話?」
「遠くの人と話す魔法道具ですよ」
センがそっと耳打ちする。
「なんと! そんなものがあるのか!?」
「結構前からあります」
「そうなのか!?」
驚いて声を張り上げてしまったが、実物を見るまでは信用できない。
文が必要なくなったということはあるまいが、遠くの人間と会話できるなど、夢のような話ではないか。
おそらく、魔力の線を引いて、何らかの方法でそれを維持し、声を音として乗せるのだろう。
八十年も経てば世間は大きく進歩するものなのだな。
彼について行くと、事務室の中にある小さな黒い機械の前に通された。
丸いボタンが十個ほどついており、複雑怪奇な印象を受ける。
どこをどうすれば話せるのだろう。
どうぞ、とばかりに立ったままの男へ、儂は苛立たし気に言う。
「使い方を教えろ」
「え? あ、ここを押せばいいんですよ」
「ここ……この白いやつか?」
「はい。あとは自動で繋いでくれます。便利でしょう? 僕の発明ではありませんけど」
「分かっておるわ! お前一言多いな」
白い出っ張りは、指で押すと少し沈んだ。
しばらく待つと、機械からガタガタと音が鳴り始めた。
「あ、あー、ジュイチ? 何? ちょっと今忙しいんだけど……」
その怠そうな声は、間違いなくリゲルのものだった。
儂の元を離れてそれほど経っていないのに、声は低く、老け込んでいた。
「おい、儂だ。わかるか?」
「……は? 詐欺?」
「詐欺じゃない! 儂だ、ロアだ。お前の大好きな天蓋の魔女さまだぞ」
「…………」
無言が数秒続いたあと、ぷつ、と音が鳴った。
「切りましたね」
「切った?」
「会話を終了させたんです」
言いながら、ジュイチは今度は自分で通話機を押す。
「……リゲル氏? この怪し気な女性の説明を求む。逃げないでください」
「……聞き覚えのある名前を聞いてびっくりしてしまっただけだ。よく考えたら、師匠にしては声が若すぎる。俺とは無関係な人間だ。それじゃいいか? さっきも言ったが忙し――」
「リゲル! お前、儂に不遜な態度をとれるだけの自信があるのか? そういう態度をとったあと、どうなったか覚えていないわけではあるまい」
「うるせえ! あんたにされるがままだったの最初だけだろ!」
「ほう、口が達者なようだ。今からそっちに行ってやろうか?」
「……いや、それはやめてくれ」
儂は半ば本気で言ったが、リゲルはあっさり拒否した。
しかし、今の会話で少し儂のことを信用したようで、ふーっと長い息を吐いて、真面目な声で言う。
「――あんた、本当に師匠なのか?」
「そうだと言っているだろう。薬を完成させたのでな。町へ降りて来たのだ」
「まるでクマだな」
「おい」
「で、何なんだ? 協会支部にまで入り込んで、どうせ変なこと要求してんだろ」
「実はな、借金塗れの人間を拾ったのでな。こいつに借金を返させるために、店をやりたい。そのための場所を手配してほしいのだ」
「何から何までわかんねえ。とにかく、住居がいるのか?」
「そういうことだ」
リゲルの大きなため息が聞こえる。
「ジュイチ、通りに空き家出来てたろ。あそこまだ空いてるのか?」
「ええ、たしかまだ入居者は決まっていなかったはずです。しかしリゲル氏の裁量で決めても?」
「こいつ帰さねえと、お前仕事できねえぞ」
「……それは確かに。すぐに手配しましょう」
ジュイチはいそいそと立ち上がって事務所から出て行く。
その様子を感じ取ったのか、リゲルがぼそっと呟く。
「師匠、マジで出て来たのか」
「まあな。朽ちることのない不死の肉体を手に入れて、若返ることもできた。会ってみるか? ナイスバディの美魔女だぞ?」
「誘い文句が化石のセンスだな」
「おおう? 貴様、顔が見えないとえらい強気だな」
こういう軽口すら懐かしく、儂の頬は無意識のうちにほころんでいた。
「まー、本当にいるならこっちから行く。師匠のこと野放しにしとくの、正直怖いからな。借金がどうとかで、しばらくノークロースにいるんだろ? 今の仕事片付いたら顔見に行くからよ」
「おう。待っていてやる。……これ、どうやって終わったらいいのだ?」
「あー、いい。こっちで切る」
音声は途切れた。
非常に便利な道具であることはわかった。
このようなものが普遍的に存在する世界に、俄然興味が沸く。
後ろで、センがぽかんと口を開いていた。
「何だ、そのアホ面は」
「ロアさんって、すごい人とお知り合いなんですね」
「リゲルか?」
「医療協会のリゲルって言ったら、知らない人のいない有名人ですよ。数々の難病を治す新薬を作ったってニュースは、とても盛り上がりましたし……。今でもこの国の医療事業のほとんどは彼の傘下です。褒章ももらっていたはずです」
「それくらいできて当然だ。儂の弟子だからな」
上機嫌に、儂は言った。
手塩にかけた弟子が大きく成長していてくれて、素直に嬉しいのだ。
「ロア氏、土地屋からひとまず許可が下りました。急ぎだということも承知だそうです」
ジュイチが入り口から顔を覗かせて声をかけた。
「なので、おかえりください。僕も自分の仕事がしたいので。これ、住所と地図です」
儂らは追い返されるようにして、二枚の紙切れと共に外へ出された。