精霊にそんな知能があるはずが
マリタは、三十半ばを過ぎたうだつの上がらない傭兵であった。
昔は王国の兵士として活躍したものの、酒がらみの乱闘を起こして解雇され、今となっては明日の飯にも困る放浪の身だ。
とにかく、マリタは金に困っていた。
生活のために仕方なく手をつけた借金だって、もはや返せる金額ではない。
死神の足音が、常に背後から聞こえているような生活を送っていた。
いつものように、王都の街角で昼間から安酒を浴びるように飲んで、仕事の依頼を話半分に聞いていた。
全身を枯草のような茶色のマントで覆い、素性を一切明かさなかった男は、ただ一言、子供ふたりを始末すれば、一生分の金を約束すると言った。
マリタはその仕事の詳細は聞かずに快諾した。
手付金として、一般的な収入の一年分ほどをもらい、仕事を遂行する気になったのだ。
子供を殺すことに抵抗がないことはない。
しかし、その子供が自分の金を生むわけではないのだ。
マリタはすぐに準備を整えた。
子供と言えど、それだけの報酬が出るということは、裏があることくらいバカだってわかる。
何か手を出せない理由か、それともとうてい子供とは思えない『ナニカ』なのか。
その答えは、マリタにとってどちらでも良かった。
プロの狩人はウサギを狩るのにも全力を尽くすものだ。
信頼できる傭兵の仲間をふたり呼び、報酬の山分けを持ちかけると、ふたりもまた簡単に承諾した。
彼らも同じく、金に困っていたのだ。
事情のわからない暗殺を請け負うのは、これが初めてではない。
だが、今まで失敗したことはない。
女であろうが、子供であろうが、請け負った任務は必ず遂行してきた。
仲間のふたり、ゴーシュとセロも、マリタと志は同じだ。
プロというものは、そういうものだと、自負していた。
たかが、子供と侮るなかれ。
三人ともが、その意識は共有していたはずだった。
森の中にある、古い洋館。
無警戒にも二階に灯りのついている部屋がある。
ここにいると報せているようなものだ。
マリタはふたりに合図をして、自分が突っ込むから援護を頼む、と指示した。
腰には短剣と杖を装備し、準備は万全のはずだった。
マリタが玄関に手をかけようとした時だ。
突如、遠くから周囲を見張っていたはずのゴーシュが、洋館の壁へと叩きつけられた。
「なっ……!!」
思わず声を漏らす。
視線を戻すと、水でできた美しい女性が、そこには佇んでいた。
精霊だと認識する間もなく、マリタの視界が歪む。
顔を水球で覆われたのだと察知して、杖をその水球に射し込んで、魔力を流して破裂させた。
セロは、と視線を動かす。
彼はすでに庭へ倒れ伏していた。
(声を出す暇すら与えないか……!!)
最後に残ったのが自分ひとりだと知り、マリタは短剣を抜く。
この短剣は、昔から使っている業物であり、刺突の威力を増すための魔法が付与されている。
手練れの精霊術師相手に立ち回った経験もある心強い相棒だ。
しかし、今はそんな経験などあまり役には立たない。
精霊はその姿が複雑であればあるほど、力を持っている。
その中でも特に人型のものは強力で、魔法の撃ち合いをしても勝ち目はない。
勝つためには懐に飛び込んで、その姿を保てないほどに切り刻むしかないのだ。
(ここで圧勝して、任務を遂行する……? 不可能だな)
マリタは軽くステップを踏み、呼吸を整える。
判断力や思考の速さで、精霊は人間には敵わない。
しかしその術者も、よほど自信があるのか、姿を見せていない。
侮られている、今が好機。
勝つための好機ではなく、ここから安全に撤退するための好機だ。
人型の精霊を使えるほどの子供、そのような獲物はもはや常識の範疇にない。
この情報を持ちかえるだけでも、次へ繋げられる。
ここは生き延びることこそ最善と考え、マリタは武器を構えながらも、一歩だけ後方へ下がった。
「ぐっ!?」
それを読んでいたかのように、地面から水の輪が浮かび上がり、見事にマリタの左足首を捕えて逆さづりにする。
(逃げることを読まれていた!? 精霊にそんな知能があるはずが……)
足に絡みついた水の縄を切り飛ばすため、体を丸める。
その真下から、網状になった粘り気のある水が、マリタの全身を包み込んだ。
(この体勢をとることすら、読んでいたのか!)
身体は団子のように完全に丸められ、腕一本すら動かせなくなって、マリタは速やかにこの作戦が失敗に終わったことを確信した。




