感動の再会、だね
夕暮れ時、橙色の光が顔に射し込んで、シーリントルは目を覚ました。
馬車の揺れに身を預けているうちに、眠ってしまっていたようだ。
視線を上げると、ロアがぼうっと外を眺めていた。
「あ、ごめん。寝てた」
声をかけると、ロアは視線だけをこちらに向けて「ん」とだけ短く返事をした。
「何か、考え事?」
「いや、昔のことを思い出していた。これから向かうシュナ魔法学校のシュナというのは、儂の旧友でな。まあ、数十年会っていないわけだから、向こうが覚えているかは知らんが……」
「感動の再会、だね」
「余計な修飾をつけるな。感動するというほどの仲でもない。学生のころのライバルでな、奴は魔法、儂は精霊術に秀でていた。しかしどちらも、学校屈指の問題児だった。とにかく方向性の違いで、よく喧嘩をしていた」
そう話す彼女は、口角が緩んでいた。
「問題児同士で、波長があったの?」
「そういうわけではない。初めは喧嘩ばかりだった。きっかけは、まあ、大きなトラブルに巻き込まれたことだな」
「でもそんなふたりだったら、どんなトラブルでも簡単に解決できちゃうね」
「内容によるがな」
ロアはため息にも似た笑いで誤魔化した。
「シュナさんって学校作ったんだよね? どうして一緒に勉強を続けなかったの? 仲良かったんだよね?」
「馬鹿を言うな。学校と儂の相性が良く思えるか?」
「……あー、たしかに」
「少しは否定しろ」
そうは言ったが、シーリントルから見てもロアは教師に向いているような気がする。
シーリントルのいた学校の教師よりも物知りであり、教える時も教科書的ではない。
それも生徒の数が増えると手に負えなくなるのだろうか。
「とにかく、儂は誰の面倒も見る気はないし、教える気もない。そもそも七十年ほど山にこもっていた儂の知識など、魔力石による技術が発達した世の中では役には立たん。儂はアレについてはほとんど知らんのだからな」
「そういえばそうだったね。魔力石のない生活って考えられないなぁ」
「実際、アレはどれくらい便利なんだ? 魔法にとって代わるくらいか?」
「そうだね……。魔力石が見つかってから、魔法を習う人はすごく減ったみたいだよ。学校でも魔法を勉強する人は変わり者だったし……」
「美術専攻とどっちが多い?」
「わからないけど、私の友達に魔法習ってる人いないよ。精霊術もだけど」
「必要でなくなればすぐに衰退するのはわかっていたが、これほどまでとは……」
ショックのあまり唸り始めたロアに、シーリントルは慰める言葉を探すも見つからない。
「でもでも、私は精霊術を勉強してるから! なくなることはないよ!」
「それだけが救いだ。ときにシーよ、ここで問題だ。精霊術が衰退するとどうなるかわかるか?」
「え?」
「学術から完全に排除された、という仮定で」
難しい質問だ。
精霊を操る人がいなくなって困ることが、現状において思いつかない。
なぜなら、シーリントルは精霊が好きで精霊術を勉強しているからだ。
「えっと、精霊たちが自由になる?」
「残念、不正解だ。精霊を扱える者がいなくなると、ごく一部の精霊を扱える者によって、この世界は支配されるだろう」
「そんな大げさな」
「精霊というものは、それくらい世界の法則と肉薄した存在なのだ。今のお前の状態を見てもわかるだろう。精霊は生命そのものになり得るほど巨大な力を持つ。勉強していけばわかることでもあるのだが、人間も広義では精霊だ」
「……え?」
「精霊とは魔力の塊が意思を持ったものだ。血肉の有無はあっても、定義としては間違っていない」
「じゃあ、精霊と人間の違いってあんまりないってこと?」
「さすが、賢いな。だからこそ、お前は精霊の力で生きながらえることができた。根本的なものが同じであれば、馴染まぬ理由もない。そして、精霊には意志が欠けている故、飲み込まれさえしなければ、いくらでも使役できる」
「ごめん、意志って、何?」
「精神的なものだ。目標であったり、恨みであったり、方向性を伴うもの。お前の場合は怒りだ。それが父に対する怒りなのか理不尽な現状に対する怒りなのか断定することはできないが、ともかく、お前は怒りによって内に秘める精霊を抑えつけることができている」
「でも私、何にも怒っていないよ」
「儂は怒りを封じたが、無くなったわけではない。感覚の鋭い人間ならお前からは凄まじい怒りの匂いを感じるはずだ」
「ふーん……?」
「まあ、理解はできずとも良い」
怒りを封じられた自覚は未だにない。
それと同時に治ったらどうなるのかわからなくて怖いとも思う。
夕闇の空のように、シーリントルの心は不安に染まっていく。
しかしそれも、一定のところまでいくと、途端に薄まっていった。
(怒りを感じないって、不安も感じないってことなのかな)
昔、母に言われたことがある。
感情とは複雑に繋がり合っていて、そのどれかひとつでも失えば、少しずつ他の感情も失われていく。
――母は、そういう病気だった。
『感情欠落症』と名付けられたその病気は、年数を重ねるにつれて、心が鈍感になっていく。
思い返せば、一年ほど前から、母は父に対する興味を失っていた。
表面上はぐうたらしていて家にも帰って来ない父を叱責しながら家事を行っていたが、その胸中は冬の湖岸のように凍てついていたのかもしれない。
母はそのことをあまり言葉には出さなかった。
シーリントルを不安がらせないようにするためか、もしくはそういうことに気持ちがさけないほど追い詰められていたか。
今となってはわからない。
それに、わからないことはそれだけじゃない。
冷静に考えてみると、父がその病気のことを知らなかったはずはないのだ。
他人を本気で咎める力を持たなかった母の精神から察するに、その間にあの事件を起こすに至った手筈を整えることはできただろう。
一体、どこから計画されていたことなのだろうか。
もしかしたら、シーリントルの生まれる前からかもしれない。
「ねえ、ロアちゃん」
「ん?」
「私、お父さんのことを知る前に、お母さんのことを知らないといけないかもしれない」
「理由を言ってみろ」
「お父さんのことって、たぶん、色んな人が探しているはずだよね」
「ああ、そうだな。医療協会、裏の連中、まあ、穏やかではない奴らに追われているのは間違いない」
「でも、その人たちってお母さんのことは、被害者だと思ってる……でしょ?」
「この事件における唯一の死人だしな」
「私はどうしてもお父さんの言っていた『契約』が気になってるの。だから、もしかすると、この事件の発端にお母さんも関係あるんじゃないかなって思う」
「なるほどな……」
「私にしかできないこと、だよね」
ロアはしばらく悩む様子を見せていたが、やがて小さく頷いた。
「正直な話、お前の母に関して、我々は何もわかっていない。知っているか知らんが、お前の両親は偽名を使っていた。経歴も住所も全てが詐称。一筋縄ではいかんぞ」
「拒否しないってことは、乗り気なんだね」
「乗り気というか、必要性は理解しているつもりだ。しかし、お前の母をわざわざ調べる必要はない。センを捕まえれば全て明らかになることだからな」
ロアはそう言って外を向く。
シーリントルは少しだけ落ち込む。
「……しかしまあ、お前の知りたい気持ちはわかる。機会があれば調べよう」
「――うん」
火照った心の冷えていく感覚が、じんわりと残っていた。