力をあげる
病院の中は恐ろしく静まりかえっていた。
慌ただしくしていることだろうと思った儂の予想とは外れていた。
儂は事態を飲み込めず、首を傾げる。
そうしていると、左の方にあるソファから、茶色の髪をした白衣の男が立ち上がった。
「師匠、久しぶり」
「…………」
その爛々としていながらも深みを感じる焦茶色の瞳、少しだけ生えた無精ひげ、無駄に大きな体。
見覚えがある。
しばらく考えると、もう少し幼くした顔が頭に浮かんだ。
「――あっ、お前、リゲルか」
「なんで時間かかるんだよ。あんた、自分の弟子の顔くらい覚えてろよ」
「それにしても、なんだこの静けさは。シーリントルはどこだ?」
「あんたが奇妙な運び入れ方するから、人払いしたんだよ」
リゲルは奥を指さす。
「あの娘はジュイチと一緒に奥の処置室にいる。ウンディーネの水球にいる限り、下手なことするより安全だろうから、そのままにしてある。それにしても、こういう人目に触れるようなやり方はやめてくれないか。俺が困るんだが」
「何を言う。見たいやつには見せていい」
「いいわけねえだろ。あんた自分のやってることが違法だってわかってんのか?」
「違法? 人の命を助けることの何が違法なんだ?」
「あー、今はもういい。後で説明してやる。よくもまあ、捕まらずに半月も過ごせたもんだ」
「失礼だな!」
「あとな、俺からだって聞きたいことは山ほどあるんだ。我慢してるんだぜ」
処置室と呼ばれた場所の扉を開くと、ベッドがいくつも端に寄せてある広間のようなところに出た。
「ジュイチ、お疲れ」
「リゲル氏、僕はここにいていいんですか?」
「これだけ見ておいて秘匿も何もないからな。それに、お前は見ておいた方がいい。師匠の古魔術による生物の修復はもうこの時代じゃ使える人間がいない」
水球の隣にある白いシーツのベッドに、母の遺体は寝かされていた。
右手のない、不完全な遺体だ。
「死因は絞殺。そのあと手を切り落とされたみたいだ。まあ、もう手口なんか関係ないだろうがな。師匠、一応説明しながらやってくれ。ジュイチの後学のためにも」
「お前がやれ。集中できんだろうが」
「俺の知識でどれだけ説明できるか……。わかるところだけな」
儂は早速、母の遺体に杖を振る。
魔力をそのままに、大きな手をイメージする。
「ほう、手の形をした力の塊、ですか」
「これが古の魔術だ。魔力を事象にするのではなく、そのまま力として使う。言ってみりゃ手足の延長だが、もうひとつの大きな特徴がある」
遺体をゆっくりと持ち上げ、魔力を流し込みながら、優しく包み込む。
粘土のように柔らかくなり、やがて白い塊となるまで、儂はゆっくりと揉み固めた。
「おお、すごい。人体がまるで、本質的な……」
「肉の塊というには少し違う。魔力を練り込み、魔力生命体とする。あの状態だと、すでに人間でもなく、精霊のような魔力構成体でもない。第三の生命とでも仮定しようか」
「こんなもの、公になったら大変なことになりますよ……」
「だから、お前だけに見せてるんじゃねえか。だいたい手順が特殊すぎて悪用しようがねえだろ、こんなもん」
「たしかに、魔力をそのまま力にするなんて普通は……」
やかましいなと思いつつも、儂は作業を進める。
粘土状になった母の遺体だったものを、四つに分割し、細くして手足の元を作る。
「リゲルとジュイチ、手足の接続準備をしてくれ」
「接続準備とは?」
「人体ならお前たちの方が詳しいだろう」
腕と脚の形を作り、水球の中に放り込む。
「まるで人形の修復をしているみたいですねえ」
「間違っていないな。これはホムンクルスの作り方の応用だ」
「ホムンクルスって、あの?」
「そうだ。六十年以上前に禁止になった、人造生命体。道徳に反しているって理由で厳罰化された、例のやつだ」
「え、じゃあ、これって、ヤバいことやってるんじゃ……」
「そうだよ。今更か?」
ふたりは会話をしながらも着々と手足を繋ぐ。
さすが医療に携わっているだけあり、手際は素晴らしい。
「師匠、これでいいか?」
「うむ。刃物はあるか?」
「メスなら」
リゲルに銀色の刃物を借りて、儂は指先に小さく傷をつける。
血が流れ出る前に水球に突っ込むと、そこから糸のような血の筋が現れて指先を繭のように包む。
その指で、今度は作った手足に模様を書いていく。
「魔力を込めた血で魔術式を書きこむんだ。これが本体と手足を繋ぐ。神経や筋肉を繋ぐのはこれだ」
「どうして外から書いた魔術式が中に作用を及ぼすのですか? 人体の表面に書いたとしても、そういうことが起こるとは聞いたこともありませんが」
「この腕や脚が魔力の練り込まれている魔力生命体だからだ。魔術式は浸透して、そこから繋がる全てに影響を及ぼす。この技術があれば、義手や義足の問題は一気に解決するだろう」
「……法の壁があることが悔しいですね。これができれば、たくさんの人が助かるのに」
「この技術が医療だけに用いられるのならな。師匠のような古魔術が使える人間が増えたら、それこそ世界の終わりだ。万が一にだって、この技術は外部に漏らされてはならない」
「ロア氏以外に古魔術を知っている方は、本当にいないのですか?」
「……外に漏れていなければ、いないのと同じことだ」
何やら余計なことを口走っているが、リゲルに任せよう。
手足にすっかり赤い呪文を書き終えて、儂は手を水球から引き抜く。
「仕上げだ」
儂は懐からラッセルから作り出した命の結晶を取り出す。
ルビーのように紅く輝いて、生命の力強さを感じさせる。
おそらく、彼のもうひとつの人格のおかげだろう。
「この娘は死にかけだ。この生命力の結晶を使う」
儂が言うと、リゲルは困ったように頭を掻きながら言った。
「あー、ジュイチ。『賢者の石』って聞いたことあるだろ」
「何にでも使える、万能の魔力媒体でしたっけ。実物を見たことはありませんが、まさかこれが?」
「生命ってものは万物に通ずる。これさえあれば、どんな資材、命でさえ作り出せる」
「そんなものがこの世にあるなんて……」
「もちろん、隠されていることだ。他言するなよ?」
結晶をシーリントルの胸の中心に貼りつけるようにして埋め込む。
淡く赤い光が体の内側を駆け、手足に達し、儂が書いた魔術式が呼応するように光り始めると、それはやがて薄くなって、魔術式は完全に皮膚の下へと沁み込んで、見えなくなった。
「――とりあえず、これで処置は終わりだ。失った血液の代わりにウンディーネの循環液を流している。死ぬことはなくとも動けるようになるにはもうしばらくかかるだろう」
ホムンクルスの要素を持つ人間を作るのは初めてだが、動物では上手くいったことがある。
何も問題はあるまい。
上も下もない空間に、シーリントルは漂っていた。
赤とも青とも判別できない風が漂っていて、色もわからない。
夢を見ているのか、それとも、さっきまで見ていたものが夢だったのか。
「お父さん……」
気を失う直前までのことをありありと思い出せる。
動かなくなった母と、いつもと少し違う様子の父と、動かなくなっていく手足。
どうしたら、あの悲劇を防げたのだろう。
父に何があったのか、今となってはもう知ることができない。
夢の中にいるせいか、涙も流れない。
ただただ、胸中を空ろな思いが支配している。
もっと、父のことを思いやればよかったのだろうか。
父と母の約束についてだって、何もわかっていない。
(私だけが、何も知らない)
別人のようになってしまった父が怖かった。
とても知っている人だとは思えなかった。
(私は、生きているのかな)
漠然と、ここが夢の中だと感じていたが、もしかしたら、死後の世界なのかもしれない。
人間は死ぬと精霊の世界に連れて行かれると聞いたことがある。
精霊の世界と言われてみれば、この幻想的な風景は、たしかにそんなふうにも見える。
どれだけの時間漂っただろうか。
赤くて小さな光が頭上から降り注ぎ始めた。
(雪みたい……)
触ろうと手を伸ばそうとするも、腕がないことに気がついて、ため息をつく。
光はとても美しく、力に満ち溢れているように感じる。
「――シー」
聞いたことのある声に名前を呼ばれ、視線を向けると、光の粒が集まって、叔父の姿を作り出していた。
「ラッセル叔父さん……」
「こんな形で会うことになんてね。でも、会えただけ良しとしよう」
光の微妙な凹凸の変化で、表情は読み取れた。
叔父は困ったように笑っていた。
「叔父さん、私……」
「わかっている。兄貴が、何かしたんだろう。僕には君の姿は見えないけど、声を聞けば不安がっているのはわかる。君が無事で本当によかった」
「無事、なんですか」
「ああ。僕は死ぬ前に、ロアちゃんに魔力結晶にしてもらった。命を再利用するつもりだったらしい。その役目は想像よりもかなり早く来たみたいだけど、知らない相手に使われるくらいなら、シーのところがいい」
「何言ってるのか、全然わからない……。叔父さん、ここはどこ? 私はどうなってるの?」
「僕にもわからないけど、ロアちゃんが君を生き残らせようとしている。彼女ならきっと君を完治させるだろう」
「ロアちゃんって、お父さんと一緒にいた女の子?」
「そうだよ。彼女は凄いんだ」
あの子と直接話したことはない。
店に行った時に見た、背の小さな銀髪の女の子だ。
宝石みたいな、紅い眼をした……。
「私、生き返っても、どうしたらいいかわからない。お母さんも死んじゃったし、ラッセル叔父さんだって、そうなんだよね? 私も、そっちに行きたい。ひとりはイヤ。ひとりは怖い……」
「それでも、君は生きなきゃならない。――兄貴を、止められるのは、もう生きている君だけなんだ。死んでいる人間にはできない」
「お父さんを、私が?」
「そうだ。止めてほしい。シーも、兄貴が殺されるのは嫌だろう?」
叔父はすがるように言う。
彼が父を慕っているのは知っている。
しかし、シーリントルはもう父に会いたくないのだ。
たとえ、生き返ったとしても。
「私にどうしろって言うの。どうしようもなかったんだよ。お父さんのやることを止めるなんて、できるわけない」
「僕の、力をあげる。僕には全く使えなかったけど、ロアちゃんが上手く使えるようにしてくれるはずだ」
「力って?」
叔父が手を差し出す。
そこには一枚の麻袋が握られていた。
シーリントルはわけもわからず、それを受け取る。
「あの、これ……」
「これは僕の持つ彼へのイメージだ。とにかく、被ってみて。彼は、とても強いから、シーが元の世界に戻る手助けをしてくれるだろう。少しだけ乱暴者だけど、きっと話せばわかってくれるはずだ。……僕にはできなかったけどね」
「相変わらず、面白くない冗談を言うよね」
シーリントルも、叔父のように苦笑いしながらそれを被る。
その瞬間、全てが暗闇に覆われる。
目も、耳も、意識でさえ、溶けて消える。
そんな中、最後に、叔父の声が聞こえた。
「さよなら、シー。あとは頼んだよ」
シーリントルの意識は、光の塊となって、意識の海を浮上していった。