生きているか
--粉々になった身体が少しだけ集まって、思考ができるようになった。
服にも再生する魔法がかかっていて良かったと心の底から思う。
戦闘へ視線を向けると、ボンバイが高速で剣を放っているが、寸でのところで避けられている。
なんとかして助力しなくては、ボンバイは殺されて、ラッセルに逃げられてしまう。
儂は途切れかけた意識を繋ぎ止めながら、手持ちで一番戦闘力の強い精霊を呼び出していた。
戦闘以外にできることがなく、狂死郎との特訓でしか使ったことのない人工精霊。
さらに言えば、この状態で“彼”を制御できる気がしない。
「……滅鬼、顕現せよ」
儂の正面に錆びついた魔法陣が現れ、そこから身の丈八尺のある石のような甲冑を着た『鬼』が姿を現した。
石の装具で全身を覆われ、額からは大きな角が二本生えているが、その片方は切り落とされている。
『滅鬼』は、召喚と同時に素早くラッセルへ突っ込み、大鉈を握った腕を掴み、ボンバイを守った。
「誰ダ、貴様」
突然の乱入者に、ラッセルは当然のように問うた。
いや、問うことしかできなかったのだ。
『滅鬼』の握力は、人間の手など簡単に握り潰せるほどある。
そんな力で腕を握られたら、振りほどくどころか、全く動かすことすらできないだろう。
「滅鬼……。そいつは殺すな……。まだ、聞きたいことがある……」
儂はぜえぜえと息を吐きながら、命令を出す。
再生に使う体力で精いっぱいだ。
こんな状態では、精霊を魔力でコントロールすることなどできない。
ウンディーネが粘性のある水を動かしながら儂の身体の部位を少しずつ集めてくれる。
集まった身体をくっつけながら、滅鬼の戦いを見つめている。
ラッセルは、大鉈を取りこぼしたが、すぐに反対の手で拾い上げて、滅鬼に切りかかった。
それを、滅鬼は容易く半身になって避け、ラッセルの左腕を捻り上げると、まるで赤子のようにその巨体を片手で投げ飛ばした。
轟音を立てて、壁へぶつかり、ラッセルはうな垂れる。
どうして動けるのかわからないほどの怪我をしているのに、彼はまだ立ち上がった。
「……邪魔ヲスルナ!」
滅鬼は答えない。
痛みを感じていないかのように突進を仕掛けてきたラッセルに、滅鬼はタイミングを合わせて麻袋に拳を叩きこむ。
ラッセルの突進力と、滅鬼の怪力が衝突したのだ。
その破壊力は想像を絶するものだろう。
派手な音はせず、ただ、ベキ、と顔面の骨が折れる音がした。
「おい、滅鬼、聞いているのか。そいつは殺すなと……」
儂が声をかけると、滅鬼は首を振ってラッセルを指さした。
彼はもう動いていなかったが、微かに息がある。
「お前、手加減、できたのか」
儂は半分ほど治った身体を起こして、ラッセルを見つめた。
不死身かのような耐久力があったとはいえ、傷を受けても無理矢理動き続けていたようなものだったから、出血量から考えても、遅かれ早かれこうなっていただろう。
それに、いくら痛みを感じていなかったとしても、体の機能を壊してしまえばもう動けない。
「おい、ボンバイ、生きているか」
「……なんとか」
蚊の鳴くような声で、彼は言った。
これほどの死闘を繰り広げ、誰も死んでいなかったことにとりあえず安堵した。
「おい、起きろ」
儂はラッセルを張りつけにして、頬を叩いた。
麻袋の下の顔があまりに見れたものではなかったため、ウンディーネに顔だけ治すよう言った。
滅鬼の剛腕で殴られた顔面は、まるで潰れたパイのようだったのだ。
「お前、何を考えている。誰にさしむけられた」
ラッセルはしばらく放心した顔をしたあと、フッと自嘲気味に笑った。
「アレ、見たんだろう」
「アレとは?」
「もうひとりの僕『不気味な男』の姿を」
「ブギーマン……?」
儂は眉をひそめる。
聞いたことのない名だ。
「兄貴が名前をつけたんだよ。あまりに制御ができない、怒りの感情そのものだ。最近は出てこなかったんだけど、大きなストレスがかかるとね、出てしまうんだ」
「だから許せとでも言うつもりか?」
「いいや、ここら辺が潮時だったんだろうね。君が僕にしていることを見ればわかるよ」
ラッセルの身体は、上半身を残して、水球の中に閉じ込められていた。
両腕も奪い、喋ること以外できないようにしてある。
かろうじて生きているのは、ウンディーネのおかげだ。
「正直に話せ。お前は誰から命令された?」
「…………」
ラッセルは黙って目を閉じた。
「おい」
「ところで、今は何時だい? もう夜になったかな」
「九時を過ぎたところだ」
「なるほど。だったら、もう話してもいいか」
ラッセルはこんな状況だというのに、笑っていた。
「兄貴だよ。僕は兄貴に呼ばれてきたんだ」
「……センに?」
儂は眉をひそめる。
まさか、奴がこんなことを?
「そうだ。兄貴が、計画通りにロアさんを拾ったから、協力してくれと頼んだきた。だから、僕はこの町に来たんだ」
「待て、話が見えない。センがお前を呼んだ? 何のために?」
「まだわからないのかい? 時間稼ぎだよ」
突如、地を震わせる爆発音が聞こえた。
「始まったね」
「おい、何をしようとしている」
「……兄貴はロアさんが嘘を見抜く力を持っているかもしれないことを危惧して、ブギーマンを使ったんだろう。そうすれば僕に意識はないから、嘘をついているかどうかわからない。僕は多分、君と会うよりも前に一度この町に来ているんだ。そこで何か、仕事をして、兄貴はもう一度ここへ呼んだ。僕はそれを知らないから、初めて会うような状態になるわけだ。やられたね」
彼は大きく息継ぎした。
「――ロアさん、あれだけ兄貴と一緒にいたのに、何も気がつかなかった? 兄貴は逃走と隠蔽の達人だ。何も怪しいところがなかったというなら、君は何も気がつかなかったということになる」
「儂が騙されていたと?」
「どうだろう。僕の予想だけど、君を騙せなかったんだろうね。それも兄貴は事前に計算していたのかな。だから、それ以外の全てを騙すことにした。今日、この町は炎に包まれるだろうね。だって、ロアさんは兄貴から監視の目を外しただろう? 精霊たちだって、ここに集めてしまった。準備する時間はあったってことだ」
また、爆発音が響く。
不愉快な感情を押し殺し、拳を握る。
儂が奴に騙された?
なぜ、何を、何のために?
「――単刀直入に聞く。お前たちの目的は何だ? この町を破壊することか?」
「さあ? 僕は捨て駒だ。何も知らされていない。ブギーマンとしての器でしかないからね」
「お前はそれでいいのか? 生きたいとは思わないのか?」
「僕は兄貴に救われた。本当の兄弟じゃないんだよ。この命は兄貴のため、精霊の器であるためにある。だから僕はこの町で一番危険なボンバイと、ロアさんをここに足止めできたことで満足なんだよ。これは僕にしかできないことだから……」
ラッセルは目をゆっくりと閉じる。
「待て、死ぬことは許さん」
「ははは、もう死ぬのに? 兄貴の目的が知りたかったら、直接聞いたらいい。僕はもう何も知らないし、喋ることもない」
「その命がいらないと言うか」
「いらないね。兄貴の計画の、次の段階に僕はいない」
その姿はまるで信仰者で、自分を全体のための一部だとしか考えていない者の、確かな姿だった。
きっと彼にとってセンは神のような存在なのだろう。
儂と命に対する解釈が異なっていたとしても、それは責めるところではない。
「そうか。ならばその命、儂がもらっても構わないか?」
「……意味がわからない」
「儂の勝手な判断だが、お前の内に宿った精霊は有能だ。失うには惜しい。だからもらっても構わないかと言っている。ここ数日で、儂はよく理解した。儂の体は脆弱だ。死にはしないが、いちいち思考を途切れさせないためにも強力な近衛がいる。お前の『不気味な男』は護衛に最適だ」
「何を言っているのか全然わからない。どうしてそんなことを聞くんだ。できるなら黙ってやればいいじゃないか」
「同意もなしに命を譲り受けるのは後味が悪くないか?」
「……勝手だね。自分のルールを押しつける才能があるよ」
「“ジコチュー”と言われたことはあるな」
ラッセルは一笑に付す。
「……僕はね、小さい女の子が好きなんだ。もちろん、性愛の対象としてね。君に使われるなら、悪くないかな。だって、君はとても可愛らしいから」
「おう、とうとう本性を出したな」
「あ、犯罪には及んでいないよ。同意のない性交なんてね」
ラッセルは楽しそうに言う。
「僕を、君が必要としてくれるなら、好きにしたらいい。ロリに使われるなんて、ロリコン冥利に尽きるってものだよ」
「お前、死ぬ間際だから何言ってもいいと思っているだろう」
「まあね。君には僕の全部を知っていてほしいからね。どうせなら一度近くで匂いを嗅ぎたかったけど、この体じゃ、もう無理だから」
何はともあれ彼が納得している様子を見て、儂は新たな精霊を呼び出す。
「フェニックス、我が呼び出しに応えろ」
大鷲ほどの炎を纏った巨大な鳥が肩の上に現れる。
重みや熱さはなく、仄かに甘い匂いがする火の鳥の形をとる精霊だ。
「こいつは生死を司る精霊でな。命を保存することができる。お前の命を、結晶にして保存する」
「そうしたら、僕はどうなる?」
「人格は消え去り、命そのものになる。精霊になる、と言っても差し支えない。お前の命は他の誰かを救う術となるだろう」
フェニックスはラッセルに向けて大きな翼を広げて、一度だけ羽ばたく。
橙色の風が起こり、ラッセルの身体に絡まり、やがて彼の体はひと粒の紅い宝石となって床に転がった。
「……エライものを見てしまった気がしますねえ」
「問題ない。誰に話そうとそうそう信じてはもらえまいよ」
また、外で大きな爆発音がする。
そろそろ大騒ぎになっているころだろう。
「さて、お前も疲れているだろうが、もう少し手伝ってもらえるか?」
「何です? 私はボスのことが気になるんですがねえ」
ボンバイは腹部を抑えながら、よろよろと立ち上がる。
そんな怪我でどこへ行こうというのか。
「手伝うなら、その体を治してやる。今回の犯人はラッセルを操っていたセンだ。奴を捕える」
「センっていうと、あの男ですかい。そんな風には見えなかったが……」
「信じがたいが、あの臆病な男が我々を出し抜いたのだ」
どれだけ近くで見ていようと、人の本性などわからない。
しかし、なぜ名前を縛る術が効いていないのかだけが気がかりだった。
本来ならば、儂の命令無しに、生活以外のことはできないはずなのだ。
名前を奪うということは、過去を奪うということでもある。
人を形成するものの集大成が、名前というものであり、それくらいには重要なものなのだ。
だからそれを縛り、奪われては自由な行動などできない。
事実、彼は家に帰ることすらままならなくなっていたではないか。
――いくら考えても答えは出ない。
この問題を解決するには、本人に会う以外ないのだ。