『依頼』
「だがね、私は魔女なんて分類こそされてはいるが、ただの少しばかり長いこと生きてるだけの薬師さね。ちっとばかし人の道とやらには外れているかもしれないが、その程度だ。およそ力になれるとは思えないが?」
「いや!アテナさんの噂は聞き及んでいる、人体錬成術にも長けている高名で優れた腕を持っている方だとな。そこで儂の依頼はこの儂の心臓の位置を変えて欲しいのだ」
「人体錬成…ああ、そうさね。少し前にそんな事をしたかもしれないけど心臓の位置を変える?そんな事なら後ろに立っている男に綺麗に心臓を抜き出してもらって思い通りの身体に作り直せばいいじゃないか。」
心臓さえあれば良いのなら不便な殻から心臓を外し、都合の良いようにしてしまえばいいのでは、というのが魔女の意見だった。
だがバシアスはそれはできないと首を横に振る。
「私はこの『表側』で生まれ育ち、一度も再創生をしたことがない。すでに裏側とコネクションは切れているし、祖先が表側に来た際、持って来ていた書物には数ヶ月から一年はかかると記述してあった、それではいかんのだ!あの国がなくなるにはそれは十分過ぎる時間なのだ‼︎」
バシアスは言い終えると同時に力の入った拳を振り下ろす、その衝撃で側にある一口すら付けられず置かれていたカップから茶が溢れた。
魔女はそれを「うるさいよ。」と毒づきながら再び現れたローブの少年から台拭きを受け取ると二本の指で布を撫で、遣わせる。
光を纏った台拭きが自ずとあたかも二足歩行の様にカップの側まで歩き、こぼれた水分を拭き取った。
「話はわかった。それで心臓をどこに動かすのさ、報酬はそれに応じて決めるとしよう」
自身の布に水分を含ませた台拭きがアテナの前へと歩き、ある所で纏っていた光は天井を抜け消えていくと台拭きも綺麗に畳まれた状態で静止した。
向かい合う二人は気にすることはなく、話を続ける。
「目だ。」
バシアスは自身の眼を指しながら答えた。
「『森の翡翠眼』または普通に『翡翠眼』と呼ばれる、スプリガンの名もそこから来ているという森の管理者の眼。火の粉を探る鷹、危険を識別する蛇、魔術を嗅ぐ墓守の犬、それらを兼ね備えたもの…だったかね」
「聡明な魔女様だ。そう、我らが心臓呼ぶ臓器は人間と違い血液を循環させるものではなくマナを巡らせるもので、そして一番マナを使うのがこの魔術の詰め込まれたこの眼だ。もしも胸を穿たれようと、首を落とされようと眼球が無事ならきっとその眼を生かしたまま再創生が可能だろう。この眼の有無はその後の安全にもつながるだろうし、賊が迫った時にも今以上に相手にしやすかろうと思ってな。」
魔女は握った左手の拳を口元に当て考える。
淡い色の唇から人差し指が離され、瞼が上がると琥珀色の瞳が一度煌めく。
アテナは「ロキ〜」と呼ぶと背後から黒いローブの少年が現れ、小さく耳打ちすると少年も頷いて出て来た部屋から小瓶を一つ運ぶとアテナに手渡した。
「わかった。受ける条件は二つ、報酬として600万フィル(※フィルは通貨の単位)もしくは私がそれと同等と判断したものを戴く。そして術前にこれを飲んで貰うこと。それが条件だ」
魔女が目の前に置いた人差し指ほどの長さの瓶をバシアスは警戒する様に眼光を強めて覗く。
金色の瓶は中に光蟲でも漬けられているかの様に光が瞬いているが、内容されている水は透き通っていて除いた反対側を透かした。
「それは霊蝋薬と言って魔幻を通る魔力を視認できる様にする薬さ、それがないと移植作業なんて出来ないからね。私を信用してそれを飲んでもらう、ちなみに私はスプリガンの身体なんて知識でしか知らない、それを踏まえた上で返事をよこしな。返答の期日は明後日の朝から四日、何か質問は?」
淡々と言い終えたアテナをバシアスは軽く睨むが女は素知らぬ顔で紅茶を飲み喉を潤した。
「成功率はどの程度だとお考えで?」
「実際にやってみないとなんとも言えないが、そうさねぇ…良く言って七割程度ってところだね」
「年収で600万フィルと言えば庶民でも高給取りの部類に入るが、それを一回で請求して置いてその程度か?」
「ああ、そうとも」
あくまでも自然に、当然のごとく魔女は返す。
「うちはこういう商売さ。別に魔女なんて掃いて捨てるほどいるんだ、選ぶのはあんたの自由さね」
まあ何にせよ、と言いながら魔女は立ち上がる。
「うちは他人を泊める余裕がないから村の宿でも借りな」
二つの木が寄り添い朽ちている湖畔に客人二人とその見送りに付いて来たローブの少年が再び泥を踏む。
「見送りはここまでで良い。」
バシアスがそう言うと少年は一度首を傾げたものの、頷いて踵を返した。
「我々の返事は決まっている、明日にでもお願いしたいところだが…明後日の朝には金を揃えてくると伝えてもらえるか」
その少年の背に声をかけるともう一度振り返り頷き、少年は閉ざした霧の中へ消えていく。
それを確認してバシアスと従者カイゼもまた待たせてある馬車の元へと歩き出す。
「ロキ……か」
――途中、その名を思い出した王族の男は拳を一度強く握った。