『決意』
◇◇◇◇◇◇
泥沼の森は普段霧に閉ざされ、灰色の世界が広がっている。
しかし今朝は昨晩の火柱によって天に穴が空いたように煌々と呑気な太陽が登っていた。
それでもこの森には生を思わせる温もりはなく、ただ冷ややかな風が彼女らの肌を撫でるだけだ。
「や、マテアナ…それにユリも」
一変した景色と朝日に目を細めながら、スーツを着た魔女協会に属した魔女が二人、泥沼の魔女の家の前まで来ていた。
ユリはそこに来た事はなかったが、半壊した家をみれば凄惨だと思うのは当然だろう。
しかしアテナはごく自然を装って挨拶を交わす。
「おはようアテナ…その、大丈夫か?」
「いやま、寝不足だから…少しきついかな。ああ、それとそのあたりまだ穴が開いているかもしれないから気をつけな」
「アテナの泣き言とは私も初めて聞いたな」
「あんたが言ったんじゃないか。」
「悪い悪い。じゃあボアンの奴らにも報告をあげなきゃいけないから私は調査してくるよ」
「トレスまでは入れないからね、それと――」
「もちろん、ロキ君の名前は出さないさ、都合の良いことに星の魔女もいることだしな。ユリはロキ君の姿を見てあげてくれ、多分ユリなら痛みを癒してあげられるだろうからね」
「わかりました、よろしいですかアテナさん?」
「ああ、どうぞ」
ベットに横たわるそれは誰が見ても遺体だ。乾いた血を拭うこともままならず、欠けた左脚の付け根と腹部に大きな薬草が巻かれている。
「死ぬ事ができないといのは残酷だね。私もマテアナもそしてユリも自意識はどうあれ、生きたいともがいた結果魔女になったがこの子は違う。名も知らぬ誰かのせいで呪われた身体を持たされ、魂が朽ちるまで土の中で眠らされてた方が良かっただろうに悪い魔女に起こされ、そしてこの始末さ。全くどいつもこいつもだ」
アテナはロキの手を指でなぞりただただ冷たく見下ろす。
ユリはそれを静かに聴いていた。
「この子は世界を忌み嫌い、呪いに感情を焚べて暴れまわって当然だ。それが異常の中では当たり前だ――私はそう思う。だけどこの子は生きたいと自身を生かしてくれた存在にありがとうとさえ言ってしまう。そんな奴は壊れている、異常の中でも異常なんだよ。」
「私は義理や人情、ましてや損得なんかで動きはしない。そういった人間らしいものは魔女になった時に捨ててしまったからね、世界の輪から外れた私はただ自分のためにだけ生きる存在さね。だけど、それでも捨てられない『感情』って奴は未だに私の中にはあって、魔女になった時に社会的倫理や人としての道徳といった拘束が失われたそれは剥き出しになってしまったようにさえ思う。」
「――長くだらだらと喋ってしまったね。何が言いたいかというとユリ…私のために力を貸しな。あんたにメリットなんて何もない、借りなんてものも私は感じない、だけど貸してくれ」
「ふふ、アテナさんはめんどくさいのですね!」
「ああ?お前の教育役は無能なんだね」
「いえいえ、これは私の性格ですよ?魔女ですから、そりゃあ歳上を敬うなんて微塵も思いませんよ?」
――だから。
久しぶりにと言っても半年も満たない期間、だがその間に彼女は魔女の世界を見て成長しているようだ。
いたずらに笑みを浮かべて、少女は少女らしく天真爛漫に笑う。
「私は私のために、アル君に元気になって欲しいという、まったくもって自己中心的な思いを押し付けるために力を貸させていただきますよ!」
二人の左手に魔力の明かりが灯る。
片方の魔女はアテナの魔女堕ち最年少記録を塗り替え、結晶魔術と医療魔術に長けた特性を持つ雪白の魔女ユリ。
彼女の医療魔術は魂を癒す。魂に刻まれた傷はなによりも癒えにくく、身体を蝕むもので、それは死者だけではなく命あるもの者も等しい。
彼女の根幹にある優しさが具現化した魔術なのかもしれない。
もう一人は泥沼の魔女であり、星の魔女でもあるアテナ。
普通の魔女は扱える魔術が限られるが、星の魔女と呼ばれるものはあらゆる魔術を扱えるという性質を持つ。
だけどそれは無色の水みたいなもので、経験と知識がなければその才能は発揮されない。
それが液体火薬なのか、石膏なのか、絵の具なのか。
無限であり零でもある、そんな魔術をその手に確かなものにしているからこそ、彼女は魔女協会でも特別視される程になっているのだ。
「そういえば…」
小さくアテナは少し前にやって来た誰かが、『人体錬成に長けると聞く』みたいな事を言っていた事を思い出していた。
誰が言いふらしているのか、そんな事はどうでも良かったが、ただそのきっかけは間違いなくロキだった。
「全く、手のかかる弟子だね…ありがとうロキ、守ってくれて――…」
魔力の光が膨らむ。魔力が血肉の代替となって形成され、血管が骨が筋肉が神経が身体と繋がっていく。
異物を拒むように体が跳ねるが、全身に広がる苦しみをユリの魔術が癒す。
ふとユリに目を見やり、少し天を仰ぐアテナ。
8年以上もの間、死んでいるのに生きているあの子をずっと生かせるか、殺せるかを考えて一人で悩んでいたあの日々を思い返すように。
今は違う。必ずまたロキを元気にしてやると、そう決めていた。
ただひたすらに、それが霧の中だったとしても、闇の中だったとしても、突き進む。
「8年も掛かったんだ、一年や二年で眠ったら許さないからね…ロキ!」




