『孤独の魔女に変化の朝を』
◆◆◆◆◆◆
『――ありがとう。』
その言葉は悪魔ではない誰かにも届いていた。
ロキが最後まで握りしめていたアテナから貰ったローブの留め具。
あれも導石を加工したものだった。
「…しかし魂同士の会話が聞こえるとはね。そもそも同じ殻に魂が二つあって、会話をするような奴はいないだろうがね」
空を漂う魔女。自身が生み出したツタに腰掛け眼下を望む。
遠い地平線の彼方が白み始めていた。
ふう…と深い溜息を吐くとポケットからマテアナへと繋がる導石を取り出す。
「マテアナ」
『やっとか!どうなった?』
「なんとかなったみたいだ」
『そうか…よかった…私もすぐそちらに向かうよ』
「ああ、わかった」
――朝日がやけに目に眩しい。
ずっと霧に閉ざされていた森はアテナの魔力による結界によってもたらされていたものだが、破壊され久方ぶりに朝日が煌々と輝いていた。
アテナは太陽とは逆の方へと向き直し、するすると家へと戻って行くツタに体を任せて思案する。
「私はなんて顔をすれば良いのやらね…」
魔女は確かに聞き遂げていた。
――生きたい。
そう言った彼の言葉を。そして、それを聞いた自分はどうすれば良いのかを…考えていた。
「生きればいいじゃないか」
あまりにも下らなさすぎる結論に思わず笑えてしまった。
しかしその瞳は真剣に見据えたまま。
魔女の家まであと少しというところまで来ていた。
「初めてアンタを見たときと同じだね…ロキ」
庭には真っ黒に焼け焦げた何者かの通った跡が色濃く残っていて、殆どの木々や草花が灰と化している。
僅かに引きずられた後にアテナが視線を向けると、家の壁にロキがいた。
左脚は無く、その体の周りには血の池を作り、壁に背中を預けて沈黙している。
死んでいると誰もが思うだろう。いつかの時だって皆がそう言っていた。
しかしアテナだけは生きていると知っている。昔見たときは黒焦げで、彼女の言葉にすればボロ雑巾のようだったと――その時に比べればロキの頭と左手以外を明るい炎がまるで毛布のように包んでいるのだからわかりやすい。
「今にも消えそうじゃないか?マーカ」
「キャ…ハハ…ああ、もうそりゃあナ…。止血と血液循環サポートのサービスに、悪魔の魔力をもらってないと…マーカジュラ様の…エネルギーはも、う…ないゼ。キャハ、ハ、ハハ…」
「そうかい。マーカ、少し休みな ――ありがとう、助かった」
「ハ…キャ…ハハ…こりゃァ…悪夢確定だ…ナ」
ロキの体を包む炎にアテナが触れるとその指の腹で燃える小さな種火へと変わった。
ロキを抱え、指先の炎を確認してアテナは玄関へ向かう。
「はぁ…」
大きなため息も仕方がないだろう。
レンガ作りの家の壁と屋根の一部がえぐり削られ、朝日をたっぷりと受け入れる開放感の増した瓦礫になっているのだから。
埃まみれの廊下を進む、大穴の空いたリビングの扉は真っ白に煌めいて、恨めしいほどに眩しかった。
その先にある――アテナの工房は無傷だった。
魔女はそれを確認すると胸をなでおろし、彼を引き取ってきた時と同じベットに寝かせる。
「ぅ…あぁ…て…なさ…」
虚ろながらロキの意識が繋がる。それはとてもか細く、虫の息ながら言葉を発した。
「おはようロキ、頑張ったね」
「だい、じょ…」
「うん、私は大丈夫だったよ」
「よ…かっ…」
言葉を聞き遂げてロキは眠る。
その表情は安らかに笑いながら。




