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モドキの弟子  作者: こばかい
24/34

『出会いとそれと』

◆◆◆◆◆◇


「おや、すまない。もうすっかり日が暮れてしまったな」

 木の葉の舟をゆっくりと運ぶ小川の様な時間もいつのまにか過ぎ去ってしまった。

 霧の立ち込める魔女の家は夕暮れの闇は瞬く間に立ち込める。

「どうだい今日くらい泊まっていくかい?無作法な客人に貸す部屋はないが友人を泊める部屋ならあるよ」

「それは有難い提案だ。――しかし、君の子がなにやら私に用がある様だ」

 不意に窓に向けていた視線を扉の方へ流す死神ヨルグ。釣られてアテナもその方へと向かった。

「ロキ?」

 小さく震えながらその扉が開く。その裏にいたのはだれでもなく――ロキだ。

 左腕を右腕で潰れるくらい捻りながら少年は俯いて佇んでいる。

「流石だナ。おうよ、ロキ坊から話があるそうだゼ、シニガミ。」

 少年のフードに掴まる精霊の瞳。白く眩いその瞳が今宵は酷く冷たく見えた。

「なんだ?」

「う…こっ、ち…」

 言葉少なく玄関の方へ歩くロキに死神と魔女も続いていく。

 魔女の家から一歩出るとそれはそれは冷たい風が吹いていた。

 どこかの落ち葉が彼らの前を過ぎていく、その導線を一人、ロキの体が消していく。

 彼はその誰かだった手を掴む。

 ――前は誰かから掴まれていたその手、いつからか自分から掴む様になったその手を、その手だったものを掴む。

「…それは……」

「ナァ、アイツはなんていうんだ?生き霊カ?」

「――あれはどちらかと言えば地縛霊だろう。しかし本体はここにはいない、だから私も気付けなかった。こんな事は経験した事がない。ないが…似たような事は聞いた事がある」

 様々な死を見て来た死神もその死の在り方に驚きの声をあげた。僅かでもそれは大きな声色の違いだ。

「地縛霊。名の通り地に縛られた魂の成れの果て。しかし、その人は縛られる理由がなかったのだろう、生き霊が如くその魂の在り方を拒絶して、亡霊となったのだろう」

「なんだいそりゃ、意味がわからない。何より亡霊とは何かしら魂に刻まれた害を成すのだろう?そうやって静かに佇んで済むわけがないじゃないか」

 アテナの知識を上回る他の魔女は大陸、世界広しと言えども一握りだ。

 もちろんその分野も多岐に渡るからこそのもので、霊や魂に関する知識も有している。

 そんなアテナも意味がわからないと手を上げる。いつもの嫌味のような言葉ではなく、本心からきてる言葉だ。

 恐らく、だが――

 そう告げてから死神は言葉を紡ぎ始める。

「あれは何も知らずに死んだのではないか。悪意も害意も敵意もだ。――ただ外に出たい。その一心だけを持って死に、死後も囚われることを嫌ったのだ、あれにはいつ出会ったのだ?」

「あれは…シンゲツの晩だナ」

 息を吐くヨルグ。目の前に立つ少年を見てまた一つ息を吐いた。

「新月か…。月光が閉ざされた世界は場所も時間も曖昧にして、世界の繋がりをバラバラにしてしまうと言われている。まぁ、新月なら納得もいくさ。そして一度繋がれた縁はどこまでも切れないもの」

 一歩一歩、大きな歩幅でゆっくりと歩いていくヨルグ。

 湖の中心にある魔女の家、囲うようにある霧はその家の周りだけ切り抜かれたようだ。

 そんな霧の壁の背をつけ立つロキ、掴むその手の主人は既にあまねく広がる霧とほぼ等しい存在となってしまっていて、ロキとマーカジュラ以外には認識することすら危うい。


 ロキの一歩前まで来たヨルグ。

 そのバケモノの少年の三倍はある体軀から見下ろす姿は圧巻の風格があった。

 漆黒の顔が泥を裂くように開き言葉を発する。

「――だが…それは最早残りカスだ、魔女の子。」

「ぅ…うぁ?」

 小さな色の違う瞳が見開く。

 その言葉の意味をわからないロキではないが。受け入れらる程に落ち着いてもいない。

「魂だけで新たな記憶を覚える事はほぼ無い。それでもその魂はどこかへ行きたい一心だけでここに、君に会いに来ていたのだろう。自分の記憶も姿も使い果てしてなお此処に。今はアテナの霧の結界の魔術から消費され世界に還る僅かな魔力を頼りにその魂はそこにい続けているのだ」

「魔力とは――」

 後ろからアテナも続く。歩きながら彼女も死神の説明に補足をする。

「魔力とは世界の神秘の力。生命力と似た生きる為に必要なものでね、魔女ではない人間にしろ、草木や動物も知らず知らずに必要としている力。ヨルグの言う通り、その霊魂は既に亡霊としてのエネルギーすら枯渇し消えていてもおかしくない存在さね。それでもそれは今もある、しぶといものだね」

「器だったもの――それすら最早ただの欠片となって、それでもなんとか魔力を受け続けている。壊れ捨てられた植木鉢の欠片が雨粒を残すようにな」

 生物としての機能を持たない妖精と呼ばれる存在のヨルグだが、それでも無意識に喉に詰まった息を吐いた。

 憂うように。哀しむように。

「私にはもうそれを運ぶ事はできない、触れた途端に崩れてしまうほどにボロボロなのだ」

「――ァァ…うぁ……ぁぁぁ…」

 その手を掴んだまま、膝を折ることもできずにロキは涙を流す。

 脳が認識を邪魔する前にその言葉は真っ直ぐ心に突き刺さってしまった。

「すまない…無力で」

 それはヨルグにとって嫌いな言葉だった。

 意味はわかる、理由もぼんやりと想像ができる――しかし真に理解はしていない、とってつけただけの気休めの言葉。

 こういう時にかけてあげれば少しはマシだろうと、口だけの言葉だ。

 それでも、そうだとわかっていても、この時ばかりはそう言わざるを得なかった。

 数多の死を送り、その中で送れなかった死も見てきた死神。

 それは慣れる事は無く、千の、万の、億の、それ以上の死の中のただの一つだったとしても送れないのは彼の存在そのものを自分でも否定しているのと同じだった。

 だから――やはり、身を裂かれるほど悔しいのだ。死神にとっても。


「いや、まだやりようはあるさ」


 そんな二人の後ろから魔女が口を開いた。


◆◆◆◆◆◆


「ロキ、冬月草二つ、新しく茎から折って、干したアザクサを持って来な」

「あァァ…うぅ…?」

「どうしたんだい?送ってやりたいんだろう?」

「ぅぅわ、かっ、た」

 急いで目元を拭うとロキは庭の方へ駆けて行った。

 水面の上から魔女の家へ入ると土がある、踏みしめると昨晩降った雨で少し泥濘んでいた。

 刹那、いつかの景色が頭に浮かぶ。

 名も知らぬ誰かと一緒に沼地を駆け回ったいつかが。

 いつも誰かは笑っていた、沼地を踏みしめた感触や灰色の木々や薄雲の隙間から見えた星空を見て笑っていた。

 知らない!知らない!世界はこんなに綺麗なんだ!

 ――そうロキは何度も聞いたが、誰かはいつも同じ様に見るもの全てが新鮮そうに笑っていた。

 思い返せばそんな日々は短かったかも知れない。もしかしたら誰かがその姿を失って佇む様になってからの日々の方が長かったかも知れない。

 それでもロキの中には確かにあった。

 月や星の様に淡い光でも、太陽に様に燦々としていなくても、金色に輝くいつかを確かに覚えている。

 第一区画『ウノ』、ショウヨウ樹の根元付近に冬月草が群生している。

 本格的な冬を前に、未だこの地域では雪は降っていない。

 しかし雲間から月光を浴びる冬月草は花だけでは無く、茎も葉も少し澱んだ透明色をしていて、さながらそこだけに積もった新雪のように輝きを放っていた。

 タンポポよりも一回り大きな冬月草の花を茎の根元から優しく折って摘む。

 冬月草を摘んだロキは急いで家の中へ戻り、アテナの工房へと向かう。

 アザクサは細かい繊維質の蔓をいくつも伸ばし、樹木などに絡みつく植物だ。

 傷付けぬように綺麗に採取したアザクサをカイラア貝の香を焚きながら三日干して軽くまくる、そうして出来たものがアザクサ糸。

 細い繊維が自然と螺旋状に絡み合い、高い強度と保水力に優れていて魔女のみならず一般に広く使われている糸だ。

 自家製のアザクサ糸と冬月草を手にしたロキは再び魔女の元へと戻った。

「うん、よろしい。じゃあその子に、杖を貸すとしようかね」

「これはオクリバナか?また懐かしいものを見た…」

 ロキの手の中を覗いた死神が冬月草を見て小さく驚きの声を漏らした。

 ロキがその死神を不思議そうに見上げ、その傍で魔女が準備を始める。

「今年はロキのせいか久々の豊作でね。恐らく旧種に近い役割ができるよ」

「今はオクリバナも高価な物になり、人々の伝承を受け継ぐ文化も廃れたのかこれを見ることも少なくなったものだ」

 アザクサ糸でヨルグがオクリバナと呼んだ冬月草を縛る。

 アテナが左の掌を夜空へ向け縛った冬月草を乗せ、口を小さく動かす。

「――時の草、草原を渡る鳥の群れ。大地は静かに空は雄大に、人の営みは小々波が如く穏やかで、星の海を漂う我らの時に刹那の煉獄を此処に欲す。世界の神秘よ、夜明けが瞬く前、その僅かな間――眠り子を導かせたまえ」

 詠唱は願いを紡ぐ言葉。誰かが願って、叶わなかった、叶えられた、その無数の願いの中で作られた言葉だ。

 先人たちの願いの形式の中にアテナの願いを足した詠唱が終わると手中の草が青い炎に包まれた。

「ヨルグの言ったオクリバナは冬月草の古い名でね、曰く――死者を導く物、そういう古い風習だ。導くと言っても三途の川の渡り賃だと棺桶に硬貨を入れたり、生前愛用した杖や眼鏡を入れるのと似たものだがね。ロキこれを挟んでさっきと同じ様に手を掴んでやりな」

 青く燃える冬月草を差し出すが、その見た目からかロキは少し戸惑いを見せた。

「ん。別に熱くないよ。――それにこれはお前がやりたかった事だろう」

 その言葉に意を決したのか顔を上げる。

 爽やかな空の色をした右の瞳と乾いた血の左の瞳、その二つの瞳がアテナを見据えると穏やかに瞼が結ばれる。

「…あとは頼んだよ――苦死神」

「ああ、やはり古い友人はいいものだ」


 ゆっくりと彼の元へ戻ったロキがアテナ達へ振り向き、再びその手を握る。

 重なる誰かの左手とロキの右手から青い炎が徐々に溢れ、誰かの体へ燃え上がっていく。

 有機物ではなく、アルコールに火がついたかの様にゆらめいてもえあがる。

 炎が膨れ上がり、全身を包む。

 瞬く間に炎は静まり、蜃気楼の様にあやふやだった誰かの体がロキにとっては久方ぶりに実体を見せた。

 青いほど白い肌、その体躯におよそ肉はなく、骨と皮だけの小さな子供。

「我が名、人々が忘れた古き名、それが苦死神――」

 白銀の刃を持つ大鎌。柄の長さはその巨体と等しい業物。

 落雷に等しい閃光、一足で踏み込んだヨルグが実体を取り戻した少年の体躯を縦に別つ。

 しかし、その身体は刃の動線から別れる事はない。ないが――

「あ、ああああ、ああああ!痛い!熱い!苦しい!痛い痛い痛い!痛いよ!痛いよ!」

 姿を取り戻してもなお言葉を発しなかった少年が声を上げる。

 ぺりぺりと古い紙が剥がれる様に肌が千切れていく。

 白い肌、白過ぎる肌の下から見えたのは無数の傷だった。

「痛いよ…ああああ、苦しい、やめて、痛いよ、ごめんなさい!お願い――お願い――!」

 小さな円を描く火傷が幾重にも浮かび、鞭の様な物の痣、まだ赤い後から黒ずんで離れなくなった様な痕。

 様々な痕で少年の体は忽ちに真っ黒くなった。

「我らは死を運ぶ者。だが同時に苦と死を別つ者、故に苦死神成り。この刃は月の光なりて、太陽に焼かれようとその熱を拭い去り、静かな場所へ手向けよう――」

 上から下へ振り下ろした最初の一振り、その刃を下ろしたままだったヨルグは同じ線をなぞるように鎌を振り上げ、再び少年の体に一閃を残す。

「ああああ、あ――?」

「苦と死を別つ神、今の死神って呼び方も昔はその意味で通っていたんだがね、どこの誰が疫病神や禍ツ神と混同させたのやら。シニガミの呼び名は『しがらみ』を断つ、なんて意味でもあったらしいさね。生者の世界から死者の世界へ向かう前に置いていきたいしがらみをね。まぁ、言葉遊びと言えなくもないが言葉とはそうして発達した側面もあるのだ、余計な事だ」

 その言葉は誰へ向けたものか、ロキかはたまたヨルグか、定かではない。

 魔女もまたゆっくりと歩き出し、死神と並ぶと左手指を鳴らした。

 ヨルグの二度目の刃から混乱した様子も無くなり、ただ立ちすくんでいた少年の身体がアテナの合図と共に再び剥がれていく。

 全身を包んでいた重なり合った無数の痣や痕、それらが消えて凛と張った白く綺麗な肌へと変わった。

「ああ、そっか――」

 少年は手を掴む。

 短い生の中で数多に刻まれた暗き部屋の中での記憶、それを取り戻した際に苦しくて、痛くて、熱くて、痛くて痛くて――そして寂しかった記憶を取り戻した際に離してしまった誰かの手を再び掴む。

 少年の人生にその誰かの少年は一切関わりがない。

 しかし、彼の死後には確かにあったのだ。

 冷たい石に囲まれた部屋で僅かに見えた外の光や何かの声、それを見てみたいと望みながら息絶えて、死後ようやく、叶った願いの日々が確かにあった。

 星が綺麗だった。べちょべちょした地面はいろんな匂いがした。緑の木もあれば灰色の草もあった。ぶっくりと丸い生き物や細長くてしゅるしゅると舌を出す生き物がいた。

 そう、いつもいつも思い出せず、いつもいつも見る世界は新しかったんだ――と、そう少年は死後の記憶も思い出す。

 いつも星空の下を走った誰かを、自分が動けなくなってもいつも手を握ってくれた誰かを、思い出した。

 いつもいつも忘れてしまったけれど無くしてはいなかった記憶を。

「ありがとう!」

 少年は誰かの手を力一杯に握りしめて、口にする。

 それは生前一度も言わなかった言葉、知らなかった言葉。

 誰かと出会う前、まだここと縁が無かった間に世界を見て覚えた感謝の言葉。

「ありがとう!ありがとう!あり…ありが…」


 痛くない、苦しくない、辛くない。

 だけど――だけど辛かった。苦しかった。痛かった。

 胸が、とても。


 生前、少年は無かったのだ、悲しくて泣くことが。

 体のどこかが痛くて苦しくて辛くて泣く事はあっても悲しみというものに触れることがなかった。

 だから彼はその感情の言葉を知らない。掴んだ手の温もりに涙が溢れる意味を理解できない。

 人としての殻はとうに無くし、どこかの地下室に置いてきた怨みもない。

 それでも少年の中に残る人間としての何かが生前にはなかった暖かい涙を流す。

 ありがとう、ありがとう、と浮かぶ言葉をそのままになきじゃくる。

 両の手で掴む少年の手をロキがもう一つの手で包む。

 ロキは笑った。自分の頰に大粒の涙が流れようと笑った。

 そして少年はその顔をしっかりと焼き付け、空を見上げる。

「ありがとう、お兄ちゃん――」


――世界ってこんなに綺麗だったんだね!


 初めて少年たちが出会ったあの晩と同じ、純真で快活な笑顔を残して彼の体は消えた。

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