『魔女の目』
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「魔女がその生きていると言い張る遺体を持ち帰って話は終わりさ…おや、寝物語にはこれぐらい単調な方が良いのだね」
魔女は一口紅茶を飲んでから、すうすうと寝息を立て始めた新米魔女の元へ寄り、布団をただした。
その時。
「それ…は…物語…なのですか…?」
寝言だろう。戯言だろう。しかし、魔女は悲しげに微笑むと。
「さあね、目覚めるまで五年もの間、生きているんだかよくわからないボロ雑巾みたいな身体をいじくる魔女がいるならそいつは闇教の連中とも負けず劣らずの暇人だろうさ。」
魔女はハンカチを取り出すと、ユリの目元に残った涙を拭き取った。
「――生物としては生きていても、人間としては死んでいた子の身体も心も蘇らせたところでそんな子は幸せなのかね。サイズベビーであり、モンスターチルドレンまでなってしまっても尚、人は生きたいのかね」
サイズベビー。闇教会に攫われ魔術や呪術、解剖学、など様々な実験の材料として使われた子が、人の目につく時にはそれはもう人と呼べるものではない異形と化している状態だ。
――もしかしたら、忌み子の中なら一番マシなのかもしれない。先天的に人間の異形として生きる呪いの子や、心も理性も知性も最後には全てを失うまで生きる魔女の子よりは。
何故なら、即座に殺せるからだ。塵芥残さず燃やすことができるからだ。
「なぁ、ロキ?」
その様なことを考えながらアテナはユリの隣のベッドで眠る男の子の黒髪を撫で、布団をただして椅子へ戻った。
前例のない悪魔の腕を持ち、サイズベビーでありながら未だ心と知性を持つ男の子は布団の中で穏やかに笑う。
炎の精マーカジュラもユリのかぶる布団の上で猫みたいに丸くなって眠っていた。
「…静かな夜は久しぶりだ。」
本を手にし、栞の紐をたよりにページを開く。
時折、薪が爆ぜ、その都度魔女がカップの淵を指でなぞると紅茶の表面が一変した。
水鏡という魔術で、反対の間にある透明なガラスの花瓶の水が見る景色と、紅茶を繋ぐことで暖炉の様子を窺える。
古来より孤独に暮らす魔女達が連絡を取り合う際などに使われていた魔術だが、魔女教会が機能し始めた現代では魔女よりも、【魔力石】という魔力を閉じ込めた石を用いる事で似た様なものが一般人に普及している。
パキン。と小気味よく薪が割れ、火の粉が上がり、薪が少なければ魔女は指を回す。
ちちんぷいぷいと、空中に浮かんだ薪は火の中へ入り炎を活気つけた。
紅茶のお代わりもちちんぷいぷい。お湯が来い。
ロキとアテナの荷物は合わせて大きなリュック三つだが、その殆どはアテナの魔力の染み込んだ生活用品だったからこそ宿の部屋でも出来るくつろぎ具合だ。
湯の入ったケトル、ティーポット、ルームサービスの茶葉と砂糖入れた小物入れがふたつ、アテナのいるテーブルに飛んでくる。
「おや?」
再び本を閉じ、立ち上がった魔女の視界に青い影が見えた。
茶は自分の手で入れるのが好きだ――がアテナ曰くポリシーなのだが、その時はその影のために仕方なく魔術をかけ、窓の鍵を外す。
日付をとうに超えた深夜でも流れ続けている風呂から登る湯気をくぐってその浮遊する青い影が姿をあらわした。
「ランタン、居るなら早く声をかけておくれよ」
「【灯篭持ち(ランタンの精)】の名はオイラ嫌いなんだっていつも言ってるだろ!」
マーカジュラとほとんど変わらない大きさの真っ黒な妖精が部屋に入るなりそう言った。
その妖精の名は【鬼火の案内人】。顔は目元、後ろは足元まで伸びた髪も、その肌も全て黒炭で塗りつぶした様に真っ黒な体と、青く燃える火を入れた灯篭を手にしているのが特徴だ。
魔女やウラガワの者は沢山の名で呼ぶ、ウィルオウィスプなら灯篭持ちや鬼火の子とも、スプリガンなら森の知恵者の他に霊根の精など。
親しみと畏敬と畏怖と、込められた思いは様々だが、個体としての名前を大事にするオモテガワと種族としての呼ばれ方に重きをおくウラガワと、それは環境や文化の違い故だろう。
「はいはい、忘れっぽい年寄りですまんね。それでウィスプ、ヨルグはどうした?それに何故外にいたんだい?」
「いつになくアテナが悲しげに本を読んでいるものだからな!オイラ面白くて見てた!」
「そんなものを見てもしょうがないだろう」
「いいや?アテナは自分で思ってる以上に色々顔に出てるぞ!面白いぞ!」
「そうかい…それでヨルグは?」
「アニキなら盗賊達の方に時間かかってる。ま、結構トラウマものだったからな!水晶漬けとか串刺しとかな!生来のバカは知らないがトラウマは死後でも残るからニンゲンは面白い!」
楽しげに空中でウィスプが跳ねると、手にしたランタンがからんからんと音を立てた。
「オイラは家族の方をこれから運ぶのだ!家族の魂はそれはそれは綺麗だったぞ!ケガレ抜きまで済んでて、オイラ達いなくても勝手に還れるくらいだ!」
掲げたランタンをよく見ると、上部に大きな青い炎が揺れ、その下では三つの燃える火の球が転がっている。
透き通るほど輝く、金色の炎のそれは魂。ある家族三人分の魂。
ユリの魔術は死体を弄ぶものではない、魂を癒す立派な医療魔術だ。
ならばこそ当然だろう、とアテナは確信する。
――だからこそ彼女はあの夢を見たのだから。
「そうだアテナ、オイラが来たのはそんな話をしに来たんじゃねえかった!あのな――」
深夜の時間は一段と早く流れる、遠く爆ぜる薪は煌々と揺れている。
アテナからその体躯では大きすぎるクッキーを一つ受け取ると、それを片手で囓りながらウィスプは闇の中へ帰っていった。




