『何処かの誰かの物語』
「すみません…アテナさんは何で私にこんなに良くしてくれるのですか?」
思った事がそのまま口に出るというのは、私の人生であまりなかった事だ。
これも魔女になったせいなのなら、私はどこまでも悪い魔女になってしまおう。――そう思った。
「魔女は魔女をお互い監視し合うものさ、どこかの魔女の悪評は一括りに全国の魔女に降りかかる。新米魔女なんて特に無駄に元気な事が多いからね、尚更だ。」
しかし相手は本物の魔女だった。でも…アテナさんは悪い魔女とは思えない。
そして少なくとも私は魔女ではなく、ただの子供にしか見えなかったでしょう。
「子供を寝かすには寝物語が必要って決まってるんダゼ!アテナよゥ!」
「うるさい、静かにしてるんだ。マーカ」
天井に大きな影が揺らめいたと思うと、私の上でさっきの匙ほどの大きさの炎がくるくると楽しそうに回っています。
キャキャキャと子供みたいに笑う炎には苛立ちしか覚えませんが、とても暖かくてまた涙が出そうになってしまう。
しっし、とアテナさんは飛び回る炎を払い、掛け布団を私の顎まで掛けるとアテナさんはテーブルに戻って行きました。
「私は悪い子だから、魔女になれたのでしょうか…」
それでも私の視界で弾み続けるそれは太陽の様で、私の側まで来たその光は自分の黒いモノをも遠慮なく照らした気がした。
私のつぶやきが聞こえたのか、人型の太陽は私の額にキスをするとまた楽しそうに笑います。
「たった一晩待たずに起きたんダ、悪い子なワケないだロ!なぁアテナ!」
「ん、そうだね。――じゃあ寝物語でも話してやろうか。」
盛り上がった隣のベットの掛け布団、その奥にランプの灯りとアテナさんの影、そして僅かにオレンジの髪が見えた。
「私はこうして五年くらい目覚めを待っていた事があるんだよ。だからマーカの言う通り数刻で目覚めるなんて良い子だ。さて、君と少し似た少年の話でもしようかね」
「世界には三つの忌み子ってのがいてね。【魔女の子供】【実験の子】【呪いの子】の三つだ、その一つ、闇教の実験材料にされた『実験の子』の話さ。」
――それは。
ただ悲しいだけの話でした。
ある村の夫婦の息子の話、平凡な家庭に襲った災厄の話。
「闇教会、闇教などと呼ばれるそれは、公の教会、国家で禁止されている魔術や神秘の研究を行う集団を指し、それは大陸に数多いて…まぁ言わば犯罪者集団さね。」
そんな闇教会の一つに攫われた少年のお話。
「一家三人の普通の暮らしは一晩で消え、両親は死に子供は攫われた。しかもその子は【悪魔降ろし】の贄のためにな」
「そ、それは禁忌なのでは…」
「ああ、禁忌も禁忌さ。なにより、この世界でたった一回も成功例のない、妄想に等しいものだからね。まだやっている暇人がいたもんかと思ったものだ。」
悪魔降ろし――。神や精霊は世界の誕生と同じくして生まれある存在とされ、魔女は生き物としての《それ》を捨てるから世界に還り、そういう存在に近くなる事で魔術を扱えるなどと言われる。
しかし悪魔とは人間が生み出した概念で、世界のルールに則り、対価を持って願いを叶える存在…だったはず。
「概念の定義とかややこしいから省くよ、宗教によっても言ってることは様々だしね。世界に人間が近寄ると魔女になり、人間に近い世界が悪魔と、そんな認識でいいだろう」
魔女ではない只人であっても、対価を払えば触れ合える神秘が悪魔。
――才が憎ければ両の目を、想い人の恋人が憎けりゃその口を、死を望めばその心臓を、人を呪わば棺桶二つ。
これは幼少の頃に誰もが聞く言葉で、悪魔の対価を伝える歌。悪魔を呼ぶ対価でその四股はなくなる、から始まるのが本当の伝承だ。
ともあれ決して悪魔など呼んではいけない、そう戒めるための歌でしょう。
「悪魔降ろしは只人でも触れ合える神秘をその身に宿せば男であろうと魔術が使える――なんて、誰が考えたのか。さっきも言った通り一つの成功例も存在しない妄想だった」
「だった?」
「成功してしまった。世界で初めて、その少年の左腕は悪魔の腕に変わったのさ。」
「悪魔の腕…ですか。」
気付けばお腹の部分がぽかぽかと暖かく、恐らくぐるぐるしていた炎が私の上で寝ているのでしょう。
その温もりにつられて私も眠くなってきました。
「左肩からその先まで真っ黒な腕にな。しかしその闇教のアジトは翌朝には炭と瓦礫の山に変わってしまう、それが悪魔のせいかは分からない。人も、無機物も関係なく全てが黒い灰になった。」
闇教会の名を新聞などで目にするときはどれも凄惨な記事で、「一つの山が魔術実験により翌朝にはすっぽりと沼地に変わっていた」だとか「肉片までもが呪いまみれの死者の使い魔によって村が血に染まった」とかで、それを思えば想像に容易い状況だ。
「ではどうして、悪魔降ろしが成功したと?ふぁ…ぁ…」
「事後処理に魔女協会が当たっていたんだが、たまたま別の魔女が通りかかったのさ。遺体として並べられた一つが生きていると言って持ち帰ったんだ。本来はあり得ないが色々とコネがあったのかね。」
瞼をあげるたびに重みを増していきます。意識ははっきりしているつもりなのですが、身体が限界を訴えている――そんな感覚は今までなかったことなので新鮮でした。多分魔女にならなければ味わう事はなかったでしょう。
「――――、――、――。――――?」
アテナさんの声が風の音みたいに聞こえて、その瞬間私の意識は途絶えました。蝋燭の火に息を吹く様にすっぱりと。
溶け行く視界、右隣のベッドに寝ている子の布団から僅かに見えた左肩は真っ黒でした。




