鐘の音
『夜中に神社の鈴が鳴ったら外に出るな』
僕らには何度も、何度も繰り返し言われている言葉だ。
学校でも教えられる言葉でもあるが外に出ていけない理由は一切教えられない。
だが子供はその時初めて大人の必死の形相を見て言いつけを破らないことを決心する。
たいていの子供はあれだけは破ってはいけない、と幼い頃から刷り込まれると言ってもいい。
僕はその理由確かめたい。大人がなぜ誰もが同じような必死の顔をして、口を揃えてそれを言うのか気になった。
それを知ることが大人になることだと思っていた。
盲目的にそう信じていた。
そこから僕の調査は始まった。
調査と言っても夜更かしして鈴の音を待つだけだが。
特に何も無いまま夜の冷たい風が僕の背中を冷ました。退屈な昼と退屈な夜を3回繰り返した。
『この間夜中に目覚めたらアンタの部屋電気ついてたんだけど、なにしてんの』
母が夕飯を食べている時目を伏せながら僕に言った。
『頼むから取り返しのつかないことをやっていないでくれ』と言ってるように、頼むように、せがむように。
『学校の勉強についていけなくてね。高校は進む速度が速くて夜中やらないと良い点数はとれないよ』
そう嘘をついた。鈴の音の事を調べることは母が一番恐れてる事だと思ったから。
母は何も言わずに白米を口に運ぼうとして床に落とした。部屋の照明がジリジリと点滅する。なにか不吉なことを予期するみたいに。
その日の夜、僕はある種の確信のようなものを持っていた。今日は確実に鈴が鳴る。そう思った。
実際そうだった。鈴の音は鳴った。しかし実際は鈴の音よりもっと不快な高くも低くもない頭に残るような音だった。不格好に助けを求めるような、無様で哀れな音のような気がした。
僕は鈴の音が鳴った日付をノートに記録しようと思い、ペンを持った。その時だった。
『何を、書いているの?』
僕の真後ろの部屋の扉が少しだけ開いていて、母が顔を半分だけ見せて僕を覗いていた。
背中が凍るみたいにゾッとした。
声は我慢したけど顔は隠せなかったみたいで母は
『鈴の音のこと、調べてるの?』
震えた声で、目を見開いてしわがよって狂気ともとれる表情でそう言った。
『いや、学校の勉強だって、そう言ったろ』
僕は鈴の音のことが書かれたページをすばやくめくり、勉強の事が書いてあるページを見せた。
『そう、ならいいんだけど、鈴の音はだめだからね』
最後まで視線を僕からそらさないでドアを閉めた。
いつもの母じゃないみたいですごく怖かった。
鈴の音とはそこまでも知ってはいけないことなのか。
下手なことをして母にバレると良くないのでその日は寝ることにした。その時だった。
カランカラン。またあの不快な音が鳴った。どこで鳴ってるか知らないけどなぜか村中に響く音。
『鈴は二回鳴っている!?』
驚きのあまり口にしていた。
母親がいる部屋の方で物音がした気がした。
僕はそのあとすぐ寝た。
太陽の光が窓から注がれる。
いつもと同じ時刻に僕は起きた。
昨日のことがなんだが夢みたいだが夢ではないことはノートが証明していた。
それは僕の調査は次の段階へ行くことも証明していた。
鈴の音はどこから鳴っているのか、それを調べることだった。
それはとても簡単で、一回目の鈴が鳴ったら外に出て二回目の鈴が鳴ったら耳を頼りに探せばいい。
また鈴の音が鳴る夜を待った。
いつ来るかもわからないその日を待ち続けた。
待ち遠しかった。二週間が過ぎた。
予告もなしにまたその音は鳴った。
不快な脳みそにこびりつくような音。
僕は階段をおりてドアから外へ出ようとした。
『なにを、なにを、なにを!!してるの!!!』
耳が張り裂けるぐらいの大声で母は叫んだ。
叫んで、僕の腕を掴んだ。爪が食いこんで痛かった。
『外だけは駄目!!!今だけは駄目!!』
僕の母は狂っていた。有りもしない迷信に囚われて叫んでいる。罪深き人だった。
そう思っていた。
僕は何が母を狂わせるのか気になってしょうがなかった。トイレの窓から外へ出た。
外は真っ暗だった。寒くて風が強かった。闇夜の中、僕は歩いた。そして見た。
車の下から這いずる上半身だけの男、斧で割ったような顔をした犬、頭のない鳥、それらが全て同じ方向に向けて進んでいた。
ゆっくりだがそれは必死に急いでるように見えた。
なんで俺だけ、助けてくれ、そう言ってるみたいだった。
『見てしまったのね』
母親が見知らぬ男と包丁よりも長い刃物を持って立っていた。
僕は走り出した。
そして少し明るい公園に逃げ込んだ。
相手は僕が暗闇にまぎれると思っていそうだから。
公園にはコートを着たおじさんがいた。
『なんてことだ、今ならまだ間に合うかもしれない』
ベンチに座りながら僕を見てそう言った。鈴の音が鳴ったのに外に出てる僕のことを言ったのだろうか。
何に間に合うのかはわからないけど鈴の音の事を聞いた。あれはなんなのか、なぜ化け物がいるのか。
『夜になると村の化け物が競走をするんだよ。神社の鈴を鳴らす時に掴む紐があるだろう。あれはこことあっちを繋ぐからね。あっち側にいけるのさ。一回目と二回目があるのは』
『始まりと終わり、ですか?』
『つまりはそういうことだ。始まってから一番先についた人があちら側に行けるのさ。あちら側がどんなものか知らないけどここよりましだろうね』
僕は違和感を覚えた。
なぜだ、なぜだ、どうして
そしてわかった
『この人は、ここ化け物たちの居心地の悪さを知っている』
そう気づいて立ち上がり逃げようとした時だった。
『気づくのが遅かったね、これで僕もあちら側へと行ける』
両腕で僕の腕を掴んだ。そしてコートのボタンが取れておじさんの胸のあたりがハッキリと見えた。
おじさんの胸には顔が三つあった。
『これでやっとあちら側だ』
『こんな少年一人捕まえただけで』
『ついに、やっとさ』
顔たちは会話していた。とても恐ろしくおぞましい光景だった。逃げたい。逃げたい。
『おーい、ここだ』
おじさんはそう叫んだ。そしたら周りの化け物たちと母と見知らぬ男がゾロゾロと僕の周りに来て僕を囲んだ。
腕に目玉がいっぱいあるもの、口がないもの、多種多様の化け物がいっぱいだった。
そして僕は地面に押さえつけられた。
『知らぬが仏ってね』
男はそう言いながら僕の首を刃物で切りつけた。
僕は笑っていた。
知らぬが仏、だってさ。
知ってしまったからこれから仏になるのに。
僕はその日から化け物の一員になった。