3 un-stoppable
3 un-stoppable
「俺は一体どうしちまったんだろうな。」
工兵は自転車の後ろに乗せた少女に言った。でも、少女から返事は返ってこない。当たり前だった。工兵は少女を殺そうとしていたのだ。なのに、なぜ――
「今は逃げないと。」
「何から逃げるの?」
馬鹿正直に改造人間から逃げているなどと工兵は言えない。
「ええっと、あれだ。悪い魔法使いから逃げてるんだ。」
「そうなの!」
少女が興奮気味に言ったので、工兵は少し拍子抜けしてしまう。昨今の少年少女のドライさで、疑って欲しかったというのが本音であった。だが、大人である自分には、もういたいけな少女の気持ちなど理解出来そうもなかった。
「でも、どうして逃げてるの?」
「ええっと・・・まあ、君をさらおうとしてるんだ。」
工兵はさらおうとしているのはどっちだ、と笑いたくなってしまう。別に少女に悪戯をするつもりではない。
工兵は後ろを見る。女は追ってきていなかった。
「しっかり捕まってろよ!」
「うん!」
そう言って工兵は勢いよく自転車を漕ぎだす。だが、行く当てはどこにもない。組織に報告されれば、工兵は一巻の終わりだった。組織は工兵の住居を把握している。行動パターンも知られていると見た方がいい。
一瞬、町はずれの廃工場が目に浮かぶ。だが、あんな血なまぐさい場所に少女を連れて行くわけにはいかない。そして、少女の家に連れて帰るのはもっと危ない。女が待ち伏せをしている可能性がある。
どうすればいい。
工兵は走っているうちに名案が浮かばないかと思っていたが、決して浮かびそうもない。
そして、そんな上の空の状態だったので、目の前の人影に気が付かなかった。背丈の低い子どもが自転車の前にいる。もう、間に合わない。轢いてしまう。こんなこと、前にもあったな、と思った瞬間、工兵は能力を使い、自転車をバラバラにした。破片は少年にあたるかもしれない。だが、直撃は免れる。バラバラになり空中を彷徨う少女を抱き寄せ、工兵は少女を抱きしめたまま、背中からコンクリートにぶつかる。
「ぐはっ。」
工兵は特殊な事情により、具体的には納期の遅れにより、他の改造人間と比べて、まったく身体能力の強化を施していない。彼の能力的にあまり必要もなかったので先延ばしになっていたという事情もある。なので、人並みのもろさである工兵にはかなりの打撃だった。
「大丈夫?魔法使いさん。」
少女は心配そうに工兵を見つめている。魔法使いか。工兵は魔法使いとは程遠い自身を思って笑いがこみ上げてくる。だが、笑おうとすると、咳が出て、背面の痛みが身体全身に伝わる。
「はあ。いつまで寝てるんだ。」
工兵はその声の主を見た。その少年は自転車の破片を全て自分の目の前で固定していた。バラバラの自転車の部品が、奇怪な現代アートのように空中に浮かんでいる。
「No.3か・・・」
「その名で呼ぶなと言っただろう。」
「まほちゃん。喧嘩はダメ。」
「いや、だから、まほちゃんってなによ。」
「俺は碌に体を弄ってないから、こういうのには弱いんだよ。」
無理矢理立ち上がって、工兵は少年を見る。
「お前、上から指令は?」
「君は、何も知らないんだな。」
素人が聞けば耳を疑うような、ぞっとする声。だが、工兵にとってはそちらの方が日常だった。
「俺は組織から逃げている。廃品にされそうになったから逃げたんだ。」
「そうか。奇遇だな。」
工兵は少年に少女を預けようと思った。
「まほちゃん。すまねえが、この子を預かってくれねえか?俺も組織に追われることになりそうだ。半袖の女に気をつけろ。じゃ、よろしくな。」
工兵はバラバラになった愛車の残骸を名残惜しそうに見ながら、去ろうとした。
「待て。」
少年の声とともに、自転車の破片はがらがらと騒々しい音を立ててコンクリートを叩いていく。
「どういうことなのか説明しろ。」
「お友達が狙われてんだ。そいつはどうも改z・・・魔法使いを見破れるらしい。だから、暴走した女に狙われてるんだ。」
「どうしてお前がこの子を助ける。そして、どうするんだ。」
「俺にだってわかんねえよ。」
例え、それが刃の上であっても、工兵は進まなければならないのだ。
冥は再び花田家に連れてこられていた。
「あら?しーちゃん。お友達?」
ママはクラフトワークに言う。クラフトワークは少し迷っていたようだったが、意を決するような、男の顔になりママを見つめる。
「この子を数日の間かくまいたいんだ。」
「何言ってるの?」
ママはバカにしてような声でクラフトワークを睨む。だが、決して折れないクラフトワークを見て、観念したようであった。
「しーちゃん。ママはしーちゃんが全部話してくれないから悲しいわ。学校に行けない理由とかね。でも、しーちゃんも男なのね。男って自分以外の者を守る時だけ強くなるんだから。」
「いいの?ママ。」
「ええ。私はしーちゃんのママよ。少しくらいの迷惑、はなに比べたらどうってことないもの。いつもお手伝いしてくれてるし。」
「ありがとう。ママ。」
クラフトワークは頭を下げる。冥も同じく頭を下げていた。そして、二人は二階に進む。
クラフトワークが通した部屋には一人の少女が大の字になり、寝ていた。小さなおへそが見えている。
「おい、はな。起きろ。」
クラフトワークは寝ているはなを蹴り飛ばす。
「ふにゃあ、おちゃづけぇ・・・おりゃづけだよぅ・・・」
よく分からないことを呟きながら、はなは起きる。
「あれ?なんで冥ちゃんがいるの?」
「少し事情があって、うちでかくまうことにした。」
「うおう。でんじゃらすー。」
はなは冥に向かって歩んでいき、かがんで、冥を上目遣いで見つめる。
「よろしくね、冥ちゃん。」
満面の笑みではなは冥に手を差し出した。
朝から降り続けた雨によって、夜空は厚い雲に覆われていた。屋外で待っていた工兵は急な冷え込みを覚えて、もしかしたら雪が降るかもしれないと思っていた。
とぼとぼと目的の人物が歩いてくるのを見て、工兵は声をかける。
「あんたが、真咲冥の父親だな。」
冥の父親は怪訝そうな目で工兵を見る。それは何かを失ったように虚ろな目であり、工兵は何度か似たような目を見てきた。
死を覚悟した兵士と同じ眼だ。
「あなたは?」
「俺は城崎工兵。少し事情があって、冥を預かってる。」
その瞬間、冥の父親の目に光が灯った。それは激情の光だった。
「冥をどうした!」
父親の腕は工兵の胸倉をつかんで家の塀に叩きつける。工兵は護身術で躱せないこともなかったが、かわすことができなかった。
「もう、冥しか残ってないんだ。一体、冥に・・・」
「危ない奴に追われてるんだ。冥はそいつに見つかると、確実に殺される。」
父親はきょとんとした顔をしていた。何を言われているのか分からないのだろう。
「とにかく、中に入れ。」
父親はふらふらとした足取りで家の中に入って行った。
「君はもしかして、あの組織の者じゃないか?」
父親と工兵はテーブルに座って向き合っていた。父親の声は憂鬱そうに沈んでいる。
「まさか・・・」
「いや。僕は直接には関係ない。妻の治療費と見返りに産業スパイのようなことをさせられただけさ。でも、なんだか監視だけって感じだった。君らの組織は一体なんなんだろうね。」
工兵を射抜く眼光は鋭い。
「その・・・信じるかは分からないが、あんたの娘は、改造人間を見破れるらしい。」
「改造人間!」
男は大袈裟に、それでいて白々しく言った。
「バカにしているのかい?君は?」
「それと、俺は組織と関係なく動いている。冥を狙っている女は組織と関係なくあんたの娘を――」
「もう、いい!」
父親は一度、激しく机をたたいた。
「君たちは娘さえも奪おうとしているんだな。私の妻も監視対象のような扱いをして!」
父親は立ち上がると、吐き捨てるように言った。
「僕は冥を探し出す。あんたらの好きにはもうさせない。」
「待てよ!」
「出て行け!」
激しく叫んだせいか、父親は咽てしまう。工兵はもう話しあうことは難しそうだ、と家を去ることにした。
はなとお風呂に入り、上がってきた冥は、パジャマに着替え、ドライヤーを当てられていた。
「私のお古が着れて良かった。」
はなはお人形遊びをする子どものように嬉しそうな顔をしている。
「まほちゃんは?」
「まほちゃん?」
はなが不思議そうな顔をしているので、冥は男の子が別の呼ばれ方をしていたことを思い出す。
「しーちゃん。」
「ああ。しーちゃんか。どうしたんだろ?お風呂かな?」
見知った男の子がいないので、冥は急に不安になる。そんな冥を見越したのか、はなは冥に抱きつく。
温かかった。
「しーちゃんははなさんの弟ですよね?」
「うん?違うよ?」
冥ははなが何事もなく言ってのけるので、思わずスルーしてしまいそうになった。
「しーちゃんは、私が拾ったの。」
「え――」
冥は思わず目の前が真っ暗になる。はなの言った言葉はとても重いものではないのか。でも、どうして男の子やはなは平気そうな口ぶりなのだろうか。
「しーちゃんは両親がいないの。事故で亡くなっちゃって、ほとんど記憶がないって。」
「そんな――」
それは自分よりひどくて悲しい。では、父親のいる自分は一体――
「しーちゃんはどうして平気そうなんですか?」
「平気じゃないよ。全然。しーちゃんは泣かないから、余計辛いんじゃないかな。私だったら泣いちゃってるもん。」
自分はなんてちっぽけな存在なのだろう。冥は自分自身の意義を揺さぶられる思いがした。
「私、ママが死んじゃって。それでずっとくよくよしてて――」
無意味に、冥の瞳から涙がこぼれる。
「そうか。とってもつらかったね。」
はなは冥をより一層強く抱きしめた。冥の頬に涙が落ちる。それははなのものだった。
「どうして――」
「だって、とってもつらかったんでしょう?だから、可哀想で。私なんかが分からないくらい大変で――だから。ごめんね。冥ちゃんはずっと我慢してきていたんだよね。なのに、私――」
どうして少年が泣かないのか、冥は理解した。
それは、この少女が本気で悲しんでしまうからだ。自分のことでないにも関わらず、自分のことのようによく泣き、よく笑う少女を守りたいと男の子は思っているからだと、冥は知った。
それはとてもいじらしくって、思わず二人の関係に嫉妬してしまいそうだった。
「大丈夫。私は大丈夫だから。」
今度は冥がはなを抱きしめ、頭を撫でる。
「あはは。小さい子に慰められちゃった。」
男の子には守りたいものがあるのだろう。失いたくないものがあるのだろう。だから――
冥ははなが悲しまないように頑張って生きていこうと思った。こんなに優しい人を悲しませてはいけない。
はなは誰にでも愛される――
月の出ていない夜の中、工兵は空地の土管に座っていた。急激に気温が下がってきた寒空では、薄着は寒い。
「どうしてあいつは何もしてこないと思う?」
一人しかいないはずの公園で工兵はぼんやりとつぶやく。
「さあ。ボクには分からないよ。」
さっと舞うように地面に降りてきたのは、黒い筒のような衣装を見に纏った道化だった。
「ボクには君がどうしてあの子を守ろうとしているのかの方が気になるけど。」
「そいつは俺にも分からねえさ。」
工兵の吐く息は白かった。
「俺にはもともと自分を守ろうとか、そういうのはなかったんだろうな。何人も殺してきたっていうのに。でも、あのちびっこを殺そうって時になってビビっちまった。俺は多分、心のどこかで、平和を守ってる、みたいな自負があったんだろうな。派遣される先はどっこも地獄で、殺してやる方が幸せって感じだった。でも、目の前に平和そのものの象徴みたいな小学生が現れて、それで、この手で殺そうって時、どうしても殺せなくなっちまった。俺は自分の手で幸せの花を摘むのが怖くなったんだろうな。」
頬を掠める風が工兵を縮み上がらせる。
「お前はどうなんだ。どうしてあの子を守ろうとしたんだ?」
「さあ。ボクにも分からないよ。ボクも今まで、自分自身の平和を守るので精いっぱいだったから。大好きな人を危険に遭わせるような真似は今までしてこなかった。だから――きっとボクの守りたい人と冥が似てたんじゃないかな。」
「ふーん。」
工兵は自分が平和を守りたいだなんて考えてることに気が付くことはなかった。自分のやってきた行為は平和を破壊する行為そのものであるし、そもそも、平和の定義なんて、流れ落ちる水のように簡単に変わってしまう。ある国での平和は、他の国の破壊そのものだからだ。
「ブレードランナー。」
黒帽子は何故か悲しそうな声で工兵を呼ぶ。
「君は自分が刃の上を歩いていることに気が付いているのかい?それはとっても危ないことだ。それでも――」
「とっくに気がついてる。自分でも頭がおかしいと思うほどにな。心配してくれるなんて、お前も優しいな。」
そろそろ帰らないと腹を壊す、と思った工兵は最後に黒帽子に問う。
「お前の名前を聞かせて欲しい。」
「発電所さ。」
そう言って、黒帽子は今までのことが全て夢であったかのように、跡形もなく消え去った。
黒帽子は空を翔けていた。自らの靴と大地とを相対固定させて、夜空に浮いているのだ。それは超能力と呼ばれるものだ。
『魔術と超能力は似ているけど、根本的に違ってね。魔術は概念付与。つまり、事物に何かを張り付けるのさ。だから、威力は弱くなる。でも、超能力のように範囲とか時間とかの縛りはなくてね。つまり、時限爆弾みたいにすることができる。まあ、手品だからね。一方の超能力は概念抽出。つまり、対象の事物が抽出する概念を持っていないと話にならない。つまり、物を燃焼させる超能力があるとしよう。その能力を紙に使うと、燃やすことができる。でも、金属はどう頑張っても燃えることはできない。一部の例外もあるけれどね。燃える可能性がなければ、効果を発揮しないんだ。また、魔術と違って、抽出には時間と範囲が関係する。そこらへんは局長が詳しい論文を出してる。まあ、世間に公表なんてできないけど――』
黒帽子の教育係はそんなことを彼に話していた。それは教義の一つだった。
どうして本当の名前を黒帽子は男に話したのか、黒帽子自身、理解はできていなかった。理解できない事象――かつての彼はその存在を認めはしなかったはずなのに。
黒帽子は変わり始めている自分を認識し始めていた。
4 アニュス・デイ
朝。冥は目を覚ます。そして、いつもの習慣で、枕元に手を伸ばす。
ない。
冥の心臓の鼓動は早くなる。不安が心の中に渦巻いて、どうしようもない強迫観念に押しつぶされそうになる。
「本が・・・ない。」
冥が大切に持っていた『オズの魔法使い』が消えていた。
いつから?
冥は記憶の糸を手繰る。この家に来た時は、なかった。学校では、持っていた。じゃあ、あの時――
冥は自分を責めた。本のことを忘れるということは、母親を忘れてしまうということだった。
「いや!」
冥は頭を振り、泣きじゃくる。大切な記憶。忘れてはいけない、思い出。パパはママの話をしなくなった。それは忘れてしまったから。だから、私が覚えていないといけないのに。ママがどこかに行っちゃう――
「どうしたの?冥ちゃん。」
「本が――ママの本が――」
はなは慌てる。はなは冥の母親がいないことを知っている。だから、大切なものだと分かっている。
「今日は休日だろ?」
「年中休日のしーちゃんが言う?」
クラフトワークは億劫そうに眼をしばたかせ、押し入れから出てくる。
「それはそうと、本を探しに行かなきゃ。どこにあるか分かる?冥ちゃん。」
「昨日、おじちゃんと会った場所・・・」
「よし!行こう!」
「ダメだ!」
クラフトワークは叫ぶように言う。それは平時のクラフトワークと大きく違っていて、とても焦っているようにはなは思えた。しかし、はなも譲りはしない。
「冥ちゃんのママの大切なものなの!だから――」
「いけない!」
「どうして!」
クラフトワークは言葉を続けることができなかった。はなが危険な目に遭うようなことは言えない。
だが、それも嘘だ。クラフトワークが恐れているのは、自分の正体がはなに露見すること――自分にとっての平和が去っていってしまうこと――
「絶対に行くんだから!」
こんなときのはなは決して譲らない。それはクラフトワークがよく知っていた。自分のわがままを聞いてくれたあの時のはなにそっくりだからだ。
「分かった。でも、俺も行くからな。」
クラフトワークはどうにかしてブレードランナーと連絡を取らなければならないと感じた。嫌な予感がクラフトワークに寒気を与えていた。
静は町中を歩いていた。今日は学校が休みであるが、塾がある。朝から晩まで勉強しずめだ。少し、億劫になりながら、静はふと商店街を見回す。
そこは世紀末だった。休日なのに、人通りが多いなくらいにしか考えていなかった静は急に人々の怒号が響き渡り、その場に立ちすくんでしまう。
人々は争っていた。
それは戦争なんてものではない。人々は歯止めが聞かないように、統率もなく、商店街の品物を荒らし、店の従業員は何のためらいもなく、武器を持って店を荒らす者を叩きのめす。
今、目の前で店を荒らしていた男が殴られて血を噴き出した。
武器を手に持った女性は、静に向かって、歩み寄ってくる。そして、棒を静の頭に向かって振り下ろした――
「言ってるやつが一番遅いってどういうことだよ。」
クラフトワークは準備に手間取ったはなに文句を言う。その手にはスポルティングのバッグが握られている。
「ごめんごめん。」
はなは申し訳なさそうな笑顔でクラフトワークに謝る。
「ごめんなさい。私のために・・・」
「いいよいいよ。」
はなは上機嫌で、はなうたを歌っていた。
「どうして上機嫌なんだか。」
「だって、しーちゃんとお散歩なんてなかなかしなかったから。」
「買い物帰り、時々一緒になるだろ。」
「それとこれとは違うの!」
はなは次第に疲れてきたようで、休憩を要求した。
「あそこに公園がある。休もう!」
「はなうたなんて歌っているから疲れるんだ。」
三十分歩き続け、冥にも疲れが出始めているのを悟ったクラフトワークは休憩することにする。一般の成人男性以上の運動能力を持つクラフトワークには冥の疲れが分からなかった。まさか、冥の様子を見て判断したのか、とクラフトワークははなを見るが、はなは我先に、と公園のベンチで休んでいる。寂れたサラリーマンと言った風の男性がはなに気遣い、ベンチから去っていった。クラフトワークは少し申し訳なく思った。
「ほら。お前も休めよ。」
「しーちゃんは?」
「俺は疲れてないから。」
冥にしーちゃんと呼ばれ、クラフトワークの心臓は少し、高鳴る。らしくない、とクラフトワークは思った。
二人がベンチでしばらく休んでいた時である。近くの商店街から悲鳴が上がった。
「ここから離れるんじゃない!」
クラフトワークは首に下げていたバッグの紐を固く握りしめて、公園から出て行く。
「しーちゃん!」
はなは叫ぶが、クラフトワークは見向きもせず、去っていく。
「冥ちゃん。ごめん。私、見てくる。」
「怖くないんですか?」
「え?」
冥の弱弱しい声にはなは目を丸くする。
「だって、きっと、危ないです。」
はなは冥の頭をそっと撫でる。
「誰かが危ない目に遭ってるんだもん。放っておけないよ。冥ちゃんは危ないから、ここで待っててね。」
はなは冥を一人公園に残し、声のする方に向かって行った。
アンストッパブルは各所で起きている暴動に満足していた。
彼女はただ、一人の精神に抵抗を無くしただけだった。それが、瞬く間に人々に感染し、今や、自制心のない人々で町はパニックになっている。
「もう、組織なんて怖くない。こんな力があったら、国なんていくらでも滅ぼせる。私は神になったんだわ!」
アンストッパブルは狂ったように笑い出す。
人々は狂ったかのように互いを傷つけあう。レジのお金を見た主婦は、レジ係を殴り飛ばし、金をふんだくる。ふんだくられたレジ係は、主婦を殴り飛ばして、その手にある金を奪い、レジからお金を盗んで逃走する。それを見た人々は、そのレジ係を追いかけ、金を奪おうとしていた。
「なんだ、これは――」
混沌の光景を目の当たりにしたクラフトワークは愕然としていた。町中から、ガラスの割れる音、人々の怒号、そして、人を殴る鈍い音が響いている。それは超能力の範囲を超越していた。確かに、特殊な音波で人々を狂わせる能力者はいる。だが、こんな広範囲を短時間で効果発揮できる能力など見聞きしたことがなかった。
「世界の敵となってしまったのだね。」
クラフトワークの隣に、人影が舞い降りる。その腕には静が力なく横たわっている。
「お前、何を――」
「僕は彼女を助けただけさ。でも、気を付けた方がいい。クラフトワーク。これは感染した人に触れるだけで感染してしまう。超能力者も改造人間も関係がない。」
天才人間、ジーン・ジーニアスはクラフトワークにそう告げる。
「どうするんだ。」
「そうだね。ぶっちゃけ、どうしようもない。よくマンガでは元凶を叩けば元に戻る、なんて御伽噺があるけど、それは今回には当てはまらない。ずっとこのままさ。それに、こういうのは、僕の専門じゃないし。」
町に奇妙な音が響く。肉のつぶれる音。それが同時多発的に広がる。
「お前、なにを――」
「僕じゃない。」
クラフトワークが睨んだ少年は、真剣な目つきで人々を観察していた。人々は、まるで妙な病気にかかったように、足首から血を噴き出していた。
「とうとう私の出番みたいです。」
「お前は――」
クラフトワークは目の前に現れた少女に見覚えがあった。それは、彼の知り合い――
「pretty prism paradise!!!通称P3の私の出番です。」
「待て。お前、この町を壊すつもりか!」
クラフトワークは吼えるように言った。殲滅型超能力者の彼女に勝てないのは分かりながら、クラフトワークは彼女を攻撃しなければならないと思ったのだ。
「良く見なさいです。No.3。みんな生きてるです。結構手加減してるですよ。」
足を破壊され、人々はその場で怯えていた。もう、暴れる気はなさそうだった。
「静かになった。どういうことだ。」
クラフトワークはジーン・ジーニアスに視線を向ける。
「この元凶の能力は、恐らく、アンストッパブルだろう。物の抵抗を無くす力だ。恐らく、その発展として、人々の抵抗感を拭い消した。」
「じゃあ、どうして――」
「多分、怖気づいたんじゃないかしらです。」
P3はおもむろに口に出す。
「そうか。恐怖が歯止めに――でも、抵抗を消されたんなら――」
「恐怖に対する抵抗も無くなるかって?多分違うんだろう。恐怖はどうやっても消すことができない。それは抵抗感とかそういうレベルじゃないんだろう。だから、あのバカどもは見逃した。いや、こうなることが分かってて放置したんだ。アンストッパブルがこの町に送られたのも意味が分かる。」
「どういうことだ。」
打開策のようなものが見つかったが、クラフトワークは安心できなかった。
「アンストッパブルを止められるのは、足元に刃を生成して地面を滑るブレードランナーか、固定で抵抗できる君だけというわけさ。」
背後から、うめき声が聞こえる。他の場所から現れた人々が四人に迫っていた。
「クラフトワーク。アンストッパブルに対抗できるのは君しかいない。このゾンビたちの相手は僕らがしよう。恐怖が歯止めになると分かった以上、この騒ぎはすぐに終わる。一時間もすれば、みんなに恐怖心が芽生えて、正気に戻るさ。でも、元凶がいれば、またすぐに元通りだ。」
「手加減しろよ。」
クラフトワークはP3を睨む。
「合点ですよ。でも、恐怖心をあおるには、怪我は免れないです。」
「僕は彼女を安全な場所に運ぶ。クラフトワーク。はなちゃんは大丈夫か?」
その瞬間、クラフトワークはバッグから黒衣を取り出し、身に纏った。
「無茶はするんじゃねえぞ!」
クラフトワークは曇天の下、駆けだした。
はなは迫りくる人々に囲まれ、身動きが取れないでいた。まるで、人ではなくなったかのように、口からよだれを垂らし、嫌らしい目つきではなを見ている。
「な、なんなの?」
こんな時、はなはずっと、冥とクラフトワークのことを考えていた。
男がはなに手を伸ばす。
「冥ちゃん。しーちゃん。」
「はな!」
はなは呼び声に顔を上げる。空から落ちてくるように黒衣をはためかせ、何かが落ちてくる。その何かは、猛禽類のようにはなを地面から掬い上げ、空を舞った。
「どなた・・・?」
黒い帽子は目深に被られて、顔が見えない。
「それより、冥ちゃんとしーちゃんが!」
「大丈夫。彼らは無事だ。」
黒帽子ははなを家の前まで連れて帰ると、一言、
「家から絶対に出るな。」
そう告げて、空を翔けていった。
「遅かったか。」
クラフトワークは公園にたどり着き、一人しかいない状態に舌打ちする。
「おい、そこのお前。」
くたびれた様子の、先ほど公園にいた男にクラフトワークは話しかける。
「女の子はさらわれたよ。」
男は冷静に言った。能力に侵されている様子はない。
「女は女の子を殺すつもりはないようだ。どこに行ったのかまではわからない。大分前に出て行ってしまったよ。」
「お前は何者だ。」
クラフトワークは男を鋭い目つきで睨む。
「ただのしがない魔術師さ。この事態はどうしようもできない。ただ、この町に住んでいて、危機には敏感なだけ。」
クラフトワークは自称魔術師が気になりはしたが、公園を急いで後にする。女と冥を見つけなければならなかった。
「はあ。これは困ったな。」
ブレードランナーは迫りくる人々を滑りぬけながら、町中を駆け巡っていた。どうしてこんなことになったのかは分からないが、はっきりしていることはある。これはあの女の仕業だということだ。
「みんな、平和に暮らしてたんだ。なのに、なのにあいつは――」
ブレードランナーは怒っていた。もう、工兵ではない。戦場での彼は紛れもない改造人間ブレードランナーなのだ。
だが、ブレードランナーは人々を殺しはしない。殺した方が幸せなのかもしれない。だが、人殺しをしたまま、彼は少女に合わせる顔がない。
ブレードランナーは一言少女に言いたかった。
幸せはすぐそこにあるんだと。
あれほど自分の娘を思っている父親がいるのだから、君はとっても幸せなのだと。
「ブレードランナー!」
上空からの声に、ブレードランナーは空を見上げる。曇天の下姿を見せたのは黒帽子だった。
「クラフトヴェルク。」
「冥がさらわれた。あの女だ。」
「どこかで合流しよう。」
この状況では碌に話しもできそうになかった。
ブレードランナーとクラフトワークは空き地で合流した。騒ぎも少しづつ収まっているようである。
「このゾンビ騒ぎは一体なんだ?」
ブレードランナーは緊張感無く言う。
「あの女の力だそうだ。人々の抵抗感を無くす。太刀打ちできるのは俺たちだけだそうだ。」
「そうだってことは、組織から通達が?」
クラフトワークはふんっ、と鼻を鳴らす。
「あいつらは傍観を決め込んでいるさ。この町の改造人間がそう言った。」
「なるほど。勝手に行動しているわけね。でも、こんな騒ぎを起こしたとあらば、まあ、勝手にぶっ倒しても正当防衛か。」
「どうしてそんなにお気楽なんだ。」
「気楽じゃないさ。」
ブレードランナーは真顔で言う。
「もしだ。仮に冥が殺されているとしよう。そうしたら、お前はどうする。あの女は逃げるだろう。追うか?」
「いいや。追わない。」
「俺も同じだな。」
ブレードランナーは世界の危機などどうでもよかった。目の前の不幸が嫌いなだけで。それはクラフトワークも同じであった。
「どうして冥を連れ出したんだ?」
それはブレードランナーが一番聞きたかったことであった。なるべく棘の無いように言う。
「本を落としたんだそうだ。それを冥は探すといって聞かなかった。」
聞かなかったのははなだが、この際はどうでもいいとクラフトワークは思った。
「そうか。本か。それにどんな意味が?」
そう言いながら、ブレードランナーは冥が本を大事そうに持っていたことを思い出していた。
「母親の形見だそうだ。」
「そうか。なら、見つけてやらないとな。」
冷え込んだ空は暗くて憂鬱だった。
「お前は、改造される前のことを覚えているか?」
場違いであることには気づいていたが、ブレードランナーは聞くことにした。
「いいや。覚えていない。」
「俺たちにも親がいたのかな。そいつらはどうしてるんだろう。」
ブレードランナーも記憶を失っていた。どうして今になってそんなことを思うのか不思議で仕方がなかった。今まで何の疑問もなく生きてきたというのに。
「さあ。関係ないことだろう。」
クラフトワークは痰を吐き出すような不快な顔をして言葉を発する。
ぞろぞろと地面を引きずる音を出して、抵抗がなくなった人々が空き地に集まり始める。
クラフトワークは宙に浮き、ブレードランナーに投げかける。
「ボクは空から冥を探す。キミは下から探せ。彼らには触れるなよ。感染する。」
「そういうのは早く言えって。」
だが、ブレードランナーは満足だった。クラフトワークが冥のことを諦めたわけではないことが分かったからだ。
「さて。殺しちゃいけないのは、結構大変だな。」
ブレードランナーは人々の間をすり抜け、町中を回り始めた。
「殺しちゃいけないのは、結構大変です。」
人々を無力化しながら、P3はネズミを追い立てるように町を巡っていた。迫りくる人々を能力で無力化していく。
「おっと。」
抵抗を無くした男が、P3の足を掴もうとしたのを、P3はさっと足を引くことで防ぐ。
「脚フェチですか。あなたは。」
男の腕を触れずに折る。病院が大変なことになりそうだ、とP3は思った。
P3は誰にも触れられるわけにはいかない。組織の最強戦力の一つとされる彼女が暴走すれば、町は一瞬で滅びる。
彼女の能力は『破壊』を引き出すものだった。破壊は誰にも訪れる。それ故に最強。彼女の前に、壊れないものは何一つない。とはいえ、決定的な短所がある。それは、弱点というよりむしろ強みでもある訳だが。
「私の能力は範囲が広すぎるです。だから――」
腕を折った男の近くの民家が崩れる。彼女は特定の何かを破壊することが困難だった。
「もっと広い場所じゃないとダメですよ。新本万歳。」
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
それは彼女にとって最悪の事態だった。別に警察に捕まることを恐れているのではない。警察そのものが、本格的に武装した人間がこの場に足を踏み入れることが最悪なのだ。
パトカーはけたたましいサイレンを響かせ、商店街に着く。そして、静止を促す言葉を投げかける。だが、誰一人として聞く者はいない。
P3は警察官を無力化しようかと考えた。だが、一度ゾンビのようになって、怯えてくれた方がやりやすい。
抵抗を無くした人々は警察官にまとわりつく。警官は手に銃を持ちながら、どうすればいいのか迷っているようだった。そして、警官の目の色が変わる。
目の前の男を警察官は銃で撃ち殺す。
「はあ。ゾンビ映画って嫌いなんですよ。」
お気楽そうに言いつつ、自分は無傷ではいられないだろうな、とP3はは覚悟していた。
この町にこれほどの人がいるというのはブレードランナーには新鮮だった。今日が休日ということもあるのだろう。ブレードランナーは勢いをつけて壁を滑り渡り、人々を避けていく。
まさか、冥も同じ様にやられているのではないか。ブレードランナーの頭に最悪の結末がよぎる。もしくは、P3の無差別攻撃で負傷しているかもしれない。まだ、その方がマシだろうが、ブレードランナーは父親に怒られるのではないか、と肝を冷やした。
お前の父親は俺がビビるほど怖いんだぜ。
ブレードランナーは冥に話したいことがまだまだ残っていることに気が付いた。
もしかしたら、俺には妹がいたのかもな。
壁から道路に戻り、再び加速する。次の波を思いっきり道路を蹴り上げることで飛び越える。素早くバランスを取り戻し、道路をかける。着地の際、ブレードランナーの額から大粒の汗が飛び散る。もう何時間も駆け巡っている。そろそろ体力も限界に近い。
外を回っていないのなら、屋内か。
だが、屋内をめぐるには人々が邪魔で仕方がなかった。ブレードランナーは軽く舌打ちをする。女の巧妙な作戦に感嘆した。そんな折である。ブレードランナーのズボンのポケットが振動する。ブレードランナーはポケットから電話を出し、電話に出る。
「もしもし?」
「はい、もしもし?」
あざけるかのような声。女の声だった。
「走り回ってお疲れのようね。」
「冥はどうした。」
「大人しくしてるわよ。」
ざっと、雑音が入った後、可愛らしい声が電話から聞こえる。
「もしもし。魔法使いさん?」
「冥か!」
肺の空気を全て吐き出してしまったので、工兵は急いで肺に空気を入れる。
「大丈夫?魔法使いさん。」
「お前こそ大丈夫なのか?」
「うん。おばちゃんが危ないから、中にいた方がいいって。」
「どこだ。どこにいる。」
工兵はたまった唾を吐き出す。
「おっと。そこまで。」
女が冥から電話を奪ったらしい。
「この通り、女の子は無事。」
「要求はなんだ。」
「あら、賢明ね。」
女は落ち着きを払って、喜びに満ちた声で話している。それが工兵には癪だった。
「一人で川沿いの大きな橋まで来なさい。いい?一人よ?じゃないと・・・ね?」
そう言って女は電話を切る。
「くそっ。橋ってどの橋だよ。」
一つ一つ当たれということだろう。よく、刑事ドラマでは背景の音から居場所を特定するなどということをするが、最近の携帯は高性能で、その手の雑音を消してしまう。よっぽど大きな音であれば別だが。
「川の音はしないし、他に大きな音もない。近くに道路も、工事もない、か。」
テレビの音もしなかったから、テレビも点けていないのだろう。結局のところ、居場所を特定する手がかりはない。
工兵は携帯電話を放り出して、駆け巡る。
四番目の橋で、ブレードランナーはようやくアンストッパブルを見つけた。
「ぜぇ、はぁ。」
この調子では碌にアンストッパブルとは戦えない、とブレードランナーは思った。
「あまり待たせるのはどうかと思うわよ。」
アンストッパブルはせせら笑うように言う。
「冥はどうした?」
「誰が連れてくるって言ったぁ?」
急に荒々しい口調になる。
「どいつもこいつも冥、冥、冥。鬱陶しいのよ。なに?あんな非力な幼女にみんなぞっこんなわけ?私の方が強いって言うのにさあ。え?」
アンストッパブルは大きな目玉をかっぴらき、ブレードランナーを睨む。
「冥は無事なんだな?」
「ええ。あの子はこれから役立ってもらうの。あの子と私がいれば、最強だもの。」
くっくっく、とアンストッパブルは笑みを漏らす。ブレードランナーはタイミングを見計らい、アンストッパブルに攻撃を仕掛ける。
勝負は一瞬だった。
ブレードランナーが一瞬でも掌にアンストッパブルの体を捉えれば、アンストッパブルは粉々になる。なのに、それはとても遠いものとなった。
勢いよく飛び出し、手をつきだしたブレードランナーの腕を、アンストッパブルは触れずに自らの肘で受け止める。その瞬間、ブレードランナーの手は抵抗なくアンストッパブルの腕を滑り、行き場を無くす。そのがら空きの胴体にアンストッパブルは蹴りを入れる。そして、そのまま二人は橋の下に落ちる。
「ぐわっはぁ!」
高い位置からアンストッパブルに蹴り落とされる形となった工兵は、絶望の声を上げる。
「ふん。身体強化してないお前が私に勝てると思ったか!」
がし、がし、と工兵の折れてしまった肋骨をアンストッパブルは蹴り続ける。肺に深々と肋骨が突き刺さる。
「思ったより簡単だわ。抵抗がなくなった私は誰よりも最強なの。」
アンストッパブルは周りを警戒するように見回した後、素早くその場から去っていった。
ああ、なんて無様。
工兵は自分の非力さを呪っていた。これではゾンビとなった人々と変わらない。特別なはずの自分がこんな無様な死骸となるなんて――
「クラフトヴェルク・・・」
見えない目で、同胞を感じ取り、工兵は言葉を紡ぐ。
「――――」
あの少年は工兵に何かを告げているのだろう。冥福の言葉でも捧げているのだろうか。そんなはずはない。
「冥・・・を頼む。」
言葉になっているのかさえ、工兵には分からなかった。でも、最後に友人に伝えなければならない。
「お前・・・そろそろ、その衣装、脱げよ。もう、あの教室のことは忘れろ・・・普段のお前の方が、魅力的だぜ・・・」
なるべく笑顔で工兵は言ったつもりだった。
死ぬ間際に走馬燈でも見えるのかと思えば、そうでもなかった。
思い出すのは、果たせなかった約束ばかり。
バイト、行けなかったな。
菊池に金を払ってないな。
彼の止まらない物語はここで終演を迎える。