6話 読み上げ「ワーグ」
「ブランカ、ブランカ」
穏やかに僕に語りかける声がある。
僕はそちらに視線を向ける。
少し疲れた様子の白い髪に赤い瞳の中年の男性がいた。
僕のことをブランカと呼ぶのは製造者だけだ。
それで僕が起動して間も無くの記録を回想しているのだと気づいた。
僕は夢を見ない。
睡眠をとっている最中に見るものは全て記録の回想だ。
「ブランカ……いや、生ける幻獣魔獣大全よ。
お前の役割は『記録すること』だ。
いいかい。たとえ世界に何が起こっても記録をし続けておくれ。
……世界がどんなに美しかったかを」
その言葉で気がついた。
昨日イツキが「綺麗な世界だね」と言ったのを記録した。
そこから想起してこんな記録を回想したのだろう。
目が覚めた。
僕とイツキの二人は道の脇にある大きな木の根元で身体を寄せ合って寝ていた。
昨日起こした焚き火はもう消えていて、白い煙を一筋空へと立ち上らせているだけであった。
「ねえ、街まであとどのくらいかな? もう一回野宿する必要ありそう?」
森に埋もれた道を歩きながらイツキが聞いてくる。
「このままの進行速度で行けば夜までに街に着く」端的に答えた。
「やったぁー! 昨日焚き火起こすの難しくてマッチ何本か無駄にしちゃったから、野宿ヤダなあと思ってたんだよね。よかったー」
などと相談と会話を繰り返しながら僕とイツキは森に埋もれた道を進んでいた。
「あれ、あそこに何か転がってる……」
イツキが進行方向にあるものを指差した。
近寄ってみることにした。
「これはコビトユキケートスの死体だ。
何者かに捕食されたようだ。おそらくは昨日」
食い散らされた肉と骨を晒して道に横たわっている小さな死体がそこにはあった。
「うわ……何に食われたの?」
イツキに問われたので調査してみることにした。
死体についた歯型と周辺の足跡とを探ってみる。
「これはワーグだな」
「ワーグ?」
記録を読み上げる。
「肉食性の哺乳類。体長は大きいもので2メートル。
かつてはオーク族が好んで飼育していた。
今では野生化して群れで狩りをしている」
「そうなんだ。遭遇したくないね」
「うん。イツキなどひとたまりもない」
などと話して僕たちはその場を後にして道を進んだ。
そしてしばらく進んだ頃だろうか。
今度はそれを僕が発見した。
「ワーグのフンだ」
道の脇に発見したそれを近寄って観察してみる。
「新しい……多分、このフンが排泄されてから2、3時間というところ」
「えっ、それってワーグが近くにいるかもしれないってことか!?」
「そうだ」
イツキの驚きの声に僕は頷いた。
「さっきワーグの食べた死体があって、ここにフンがあって……この道を進んでいったら遭遇しちゃうかな?」
「その可能性はある。道を外れて進んだ方がいいかもしれない。
そうすると今夜中には街に着かなくなるし、そうしてもワーグに遭遇してしまう可能性がある。どうする、イツキ?」
僕はイツキに判断を委ねた。
そもそも元からイツキに何かを指図しようという気はない。
自然な状態のイツキのデータが欲しい。
僕は選択肢を提示するだけ。
「どうしよう……」
イツキは考え込んでいる。
やがて顔を上げ、答えを出した。
「道を外れて進もう。せっかくシロちゃんがワーグが近くにいる証拠を見つけれくれたんだから」
「分かった」僕はイツキの決断に頷いた。
道を外れて森の中を進んでいく。
イツキは幾度か「犬の鳴き声が聞こえた気がする」と言った。
その度に「それは気のせいだ。僕は探知しなかった」とイツキに言った。
「イツキ」イツキを呼び止めた。
「また何かあったの!?」
どうにもイツキは不吉なものを連想したようで、顔色が青くなっていた。
「違う、ほら」
僕はその樹木を指差した。
その樹木には丸々とした薄紅色の果実がいくつも生っていた。
果実のいくつかは翼のある者や小動物に食べられたのか、地面に落ちて甘い匂いを放っている。
「おお! 食べ物!」
それに気づくなりイツキは血色を取り戻した。
「これはモモ。水分が多く甘い」
「桃!? 似てると思ったけどほんとに桃なんだ!
あのな、これオレの元いた世界にもあったよ!」
イツキはそう言ってはしゃいだ。イツキが嬉しそうで良かった。
イツキは手の届く範囲に生えているモモをもぎって食べ出した。
そんなイツキに僕はまた選択肢を提示する。
「少し早いがここで野宿するのはどうだろう。
ここからなら明日には街に着く。起きた時に朝ごはんもある」
「じゃあ、そうしようか」
僕の提案にイツキは頷いた。
事も無げなその様子に、もっとデータを集めるべきだと僕は思考した。
「イツキは怖くないのか?」
「え?」
質問の意図を理解できないようだったので、言葉を重ねる。
「近くにワーグがいるかもしれない。
寝ている間に食われるかもしれない。怖くないのか?」
「あー、そういうことか……」
僕の問いにイツキは考え込んでから答えた。
「怖いよ。さっきだってビクビクだったし。
でも……元いたところで、もっと怖いものに囲まれてたから」
「そうか、理解した」
僕が頷いた後、イツキがぽつりと呟いた。
「ここはみんな石になっちゃったからかな。そういう『オレの怖いもの』がいない」
僕はその言葉を理解できず、ただその表情だけを記録した。