焼肉屋から
真木は自分が住んでいるアパート近くにあるコンビニに白のミニバンを止め、携帯電話の液晶画面を見ると夜の八時を少し過ぎていた。日は既に沈んでおりコンビニの窓には近くの池からやって来たのか小さなカエル達がまばらに張り付いていた。もう夜だというのにやたら暑い。真木は車のエアコンの温度設定を今より更に下げる。しばらくすると車の後部座席の両側のドアが開き、二人の男が入り込んできた。ピアスにブレスレットなどやたら装飾品が目立つ男林と車に入ってくる前からずっとスマホを見ている分厚い黒縁眼鏡を掛けた森野だった。
「ウーッス、お疲れぇ。」
「お疲れー。」
「おう、じゃあ行くぞ。」
前から気になっていた焼き肉店の予約が取れたので真木は心弾ませながら車を駅前近くまで走らせた。駅と県立病院の丁度中間辺りにお目当ての焼き肉店「鴨橋」はあった。駐車場のスペースはあまりないが店の中は結構広く、最近改装を行って個室部屋が出来たらしい。三人が店の中に入ると同時に焼けた肉とタレの匂いによるおいしそうな匂いが漂ってきた。少しすると厨房の奥から恐らく大学生ぐらいの若い女性が顔を覗かせてきた。
「いらっしゃいませ!」
「三名で予約していた真木です。」
「真木様ですね、既にご用意出来ております。こちらへどうぞ」
そして三人は明るい笑顔の店員に促されるように店の中を歩いていく。店は相当繁盛しているようで店中から若者の笑い声や肉が焼ける音が響いてくる。黒茶色で塗装された柱の間を抜けながら三人は四方を仕切りで囲まれた個室に通された。
「先にお飲物のご注文お願いします」
「生中」 「ジンジャーハイ」 「芋焼酎、水割りで」
「かしこまりました。他の注文が決まり次第そちらのベルでお呼び下さい。それでは失礼いたします。」
そう言うと店員は部屋から出て行った。
「さて、何注文しよ。A5ランクの牛肉が売りらしいからまずはこの辺を・・。」
「どうせなら普段食えない奴注文してみようぜ~」
「とか言ってお前いつも失敗した~とか言うじゃねぇか」
「当たりの奴もあっただろ?」
基本的に会話は真木と林がしていて間にちょくちょくと森野が入ってくる事が殆どである。
「ていうかお前式挙げるの何時だっけ?」
「来月の12日、いいかげん覚えろや。」
「おーすまんすまん悪かった。」
暫く何気ない会話をしていたのだが一向に店員が飲み物を持ってこない事に林はイラつき始めた。
「おいおい酒来るの遅くね?ちょっとベル押していいか?」
「ああ、いいんじゃね?」
林が試しに部屋に設置されているベルを押してみた。お馴染みのベル音が店中に響いた。これで店員も来るだろうと三人は思ったがそれでも店員は来る気配を見せなかった。
「え、この店クソじゃん。」
「かもしれんな。」
真木がこの店を予約した手前苦笑いしか出来なかった。以前行った事のある友人達は店員の対応の悪さについては言っていなかったのでこの展開は想定外の事だった。しかし森野はそれとは別の事に違和感を感じ仕切りの壁に耳を当て始めた。
「・・・音がしないぞ。」
「はあ?森野お前何言って・・・あれ?」
店員が来ない事にイラついていて気が付かなかったが言われてみれば先ほどまでしていた肉が焼ける音や客の話し声や笑い声が全然聞こえてこなくなっていた。流石に自分の耳がおかしくなったのかと思い真木は自分の耳をポンポンと叩いてみる。しかし現状は変わらなかった。とりあえず部屋から出て店の状況を知りたかった。三人は席を立って個室の外に出てみた。店の雰囲気は一転していた。店内に人の姿はなくどの席を覗いてみても先ほどまで人が座って焼き肉を食べていた形跡はなくまるで開店前のような状態になっていた。
「・・・携帯が圏外になってる。」
「はあ!?なんで!?」
森野の発言に真木と林も慌てて自分の携帯電話を取り出してみると液晶画面に「圏外」と表記されていた。
「・・・なんだ、何が起こってるんだ?」
「・・・。」
真木の発言に林は受け答えせず厨房の方に向かい中を調べてみた。厨房も先ほどまで仕事をしていた場所とは思えない程綺麗に片づけられていた。林はとりあえず辺りを見渡して肉が入っているであろう業務用冷蔵庫を見つけた。鍵はかかっていないようで、不用心なと思いながら林は冷蔵庫を開けてみた。そこには見るからに霜降りの牛肉がすでに食べれるサイズにカットされた状態で丁寧にトレーに敷かれていた。
「おいっ!てめぇコラ何やってんだ林!」
「いや、良く考えてみろ。俺たちは焼き肉を食べるためにこの店に来た、違うか?なのに俺たちはまだ肉を一切れも食べていない!焼き肉屋にいるはずなのに!!」
そう言いながら林は他に目ぼしい肉がないか冷蔵庫を漁っていく。その姿を真木は冷やかな目で見ながら林を諭す。
「お前こそよく考えてみろ。こんな異常な状況で不自然に置かれた肉に何もないわけないだろう。お前も昔映画で見たことあるだろう。自分達の知らない世界で大して調べもせずに人様の料理を食べ続けた結果、醜い豚の姿に変えられた人間の話を。」
「ぐ、・・・うぅ。そんな・・・。」
林は冷蔵庫を漁る手を止めてその場に崩れ落ちる。
「トイレは使えたぞ。水と電気は流れてるみたいだな」そう言いながら森野がレジ横のトイレから出てきた。
「お、おうそうか」
「・・・なんで林厨房で崩れ落ちてんの?」
「・・・それはいい。とにかく・・・。」
真木は直ぐにでもこんな気味の悪い場所から出て行きたかった。だが真木の知る中こんな場所の出入り口から簡単に出られた試しがない。店のドアのガラスから外は見える。しかし明かりが一切見えず、暗闇に覆われているようだった。外に出れば罠、もしくは化け物の類が待っているんじゃないのかと思ってしまって店の出入り口に近づけずにいた。
「なんだ、どうしたお前ら。そんな所に固まって。」
林が厨房から出てきた。涙目になっている。真木が外の様子を指を指しながら説明すると「まったく、仕様がない奴らだなー」と林はわざとらしく前髪を掻き上げると小さく咳払いした。
「こ、こんな所に居られるかー!俺はもう帰るっ!」林は以前よりこのセリフを一度言ってみたかった。それが今叶ったのだった。
「・・・何でそんなに嬉しそうなんだよ。」
林はセリフを言って満足した後ツカツカと店の出入り口に近づき手動のドアをゆっくりと開けた。