(7)
岐阜駅の南口。
ロータリーを越えた先にある大通りには、様々な店が展開している。
老舗のパン屋、怪しげな雑貨店、デジカメを毛嫌いするカメラ屋など。
その通りの一角に一件の喫茶店はあった。
木造で、どこぞの別荘のような作りの店。店先のイーゼルには、私の大好物であるビーフシチューが本日のオススメと書いてある。
そしてその店から一人の執事が出てきた。
身長180cm以上、スクエアの眼鏡をかけたオールバックの執事さんが。
「偶然ですね、どこかお出掛けですか? 真田さん」
丁寧な言葉使い、そして気品溢れる仕草。
眼鏡を直すだけで背景に花が咲きそうな……
と、その時私の背後から猛烈な水しぶきが。
背後の大通りを猛スピードで、10tトラックが駆け抜けていった。
「ぁ……?」
なんか……凄い泥が服に……あれか、中途半端に溶けたベチョベチョの雪かコレ。
ってー! まてコラ! 止まれトラック! クリーニング代よこせ!
「だ、大丈夫ですか!?」
「ふえ? だ、だいじょっブエックショァー!」
豪快にクシャミする私。
あぁ、やばい。風邪ひきそうだ。しかし大丈夫だ。私はインフルエンザを一日で直したのだから。
「と、とにかく中に……一応着替えもありますので……」
い、いや、大丈夫ッスよ。私の家すぐ近くだし……。
その時、喫茶店の中から出て来るもう一人の人物。
むむ、なんか金持ちそうなお嬢様が……。
「央昌さーんっ、何して……って、何?! その泥まみれの雪だるまは!」
おい、ひでぇ言い方だな。しかし金髪ツインテールか。私好みの美少女なので許す。
「飛燕様……っ、言葉が過ぎますよ、とにかく真田さん、中に……」
飛燕様? このお嬢様の名字か。なんか金持ちそうな……もしかしてハーフかしら。
「ちょっとー。央昌さん、そんな泥団子どうでもいいから……私の相手してよーっ」
泥団子……酷い言われようだ! し、しかしなんだろう……心の奥底が暖かくなってくるような……。
こ、こんなお嬢様になら踏まれても私全然構わないわ! つーかお願いします!
「そんな訳には行きません、飛燕様。この方は私の友人です」
そのまま私の手を取り、堂々と喫茶店の中へと入る央昌さん……って、ちょ!
ひぃ! 連れ込まれる!
「大丈夫ですよ。とりあえずお風呂に入ってください、着替えもご用意しますので」
「え、えぇ!? 喫茶店に風呂って……」
むむっ、客はどうやら飛燕お嬢様だけのようだ。
他に客居なくてよかった……。
手を引かれて脱衣所へと放り込まれた私。
むむっ、この洗濯機は……私の家にあるヤツと同型だな。日立のドラム式洗濯機……。
脱衣所の中はホンノリ暖かかった。暖房が効いているのか……?
「申し訳ありません、先程まで飛燕様が入られていたので……」
な、なんだとう! あの美少女が入ってた後の風呂……!
テンション上がってきた!
「洗濯機の中に飛燕様の物も入ってますが……全て一緒に入れて頂いて構いません。あとで飛燕様の家政婦が来るので。男性陣は触りませんのでご心配なく」
そのまま央昌さんは出て行く。
むむっ、しかし泥まみれの服を洗濯機に入れるのは気が引けるな。ただでさえ……飛燕お嬢様のも入ってるんだし……。
「うへぁ……ドロッドロ……」
溶けた雪と泥が混じった奴が服に染みこんでいる。
そして下着にも……うぅ、気持ち悪い。さっさと風呂に入らせて貰おう。
とりあえず服も一緒に浴室に持ち込み、シャワーを出して服の泥を落とす。
むむっ、ニットだからしっかり泥吸ってやがる……うぅ、気に入ってたのに……。
下着も茶色い染みがアチコチに……なんか勘違いされそうだな。さっさと落としてしまおう。
「あらあらあら、やっちゃったー?」
と、その時……いつのまにか背後に人が!
「うほえぁ! だ、誰ですのん?!」
全裸の私は尻餅をつきながら後ずさり。
そこに立っていたのはメイド服らしき物を来たお姉さんだった!
「どうもどうもー。飛燕の家政婦でーす。でも豪快にしちゃったのねー?」
し、しちゃった? いや、何を?
「大きい方」
ち、違う! 私は漏らしたわけじゃない!
つーか見れば分かるだろ! ブラにも茶色いの着いてんだぞ!
「あはは、ごめんごめん、冗談ですよー。私が洗ってあげるから。貴方はさっさとお風呂に入りなさいー?」
「え、いや……そんなわけには……」
「いいからいいからー」
そのまま手首を掴まれ、半ば強引に風呂桶へ入れられる私。
うっ! なんかホンノリ……良い匂いが……も、もしかして飛燕お嬢様の香りか?!
ぁ、なんかそう思ったら凄い気持ちい……全身をあの金髪ツインテールに包まれているようで……
「ふーむ。Cの80ってとこかしら……」
え?
「ブラ沢山持ってきたからー。用意しとくねー?」
ちょ! 目でバストサイズ測られた!
ま、まあ別にいいんだけども……。
「ぁ、それとー。涼ちゃんが失礼な事いってゴメンねー? あれでも結構いい子なのよー?」
ん? 涼ちゃん? 誰だそれ。
そのままメイドさんは出て行く。脱衣所で洗濯機を回す音が聞こえてきた。
むむ、まさか……さっきの金髪ツインテールの名前が涼なのか?
飛燕 涼か。なんか名前からしてカッコイイな。
さて……あんまりゆっくり入るのも何だし……さっさと出て央昌さんにお礼を……
「ダメよー、もっとゆっくり入らないとー」
ってー! メイドさんも全裸で浴室に入ってきた! なんで!
「いいからいいからー。百数えるまで出ちゃダメですよー?」
そのまま無理やり浴槽に押し込まれ、後ろからメイドさんに抱っこされる形で風呂に入らされる私。
う、な、なんだこの天国! 昇天してしまいそう……
「ゆっくりーゆっくりー……はいろうねー?」
くぁぁぁ! 凄い子供扱いされてる! でも余は満足じゃ……このまま溺れてしまいたい……。
「じゃあ体も洗ってあげるねー?」
「へ? い、いや、いいっス……そんな……」
「いいからいいからー」
その後、体の隅々まで洗われる私。
犬になった気分だ……頭までメイドさんに洗ってもらえるとは。
そのまま脱衣所で体まで拭かれる。
バスタオルで包み込まれ、本当に子供のように……。
あぁ、やばい……脳がとろけそう……。
「はい、じゃあ足あげてー。パンツはきましょうねー?」
「ぁ、はぃ……ってー! ちょ! 自分で出来ますから! というか誰の下着ですかソレ!」
「ん? 涼ちゃんのだよー? 綺麗だから平気だよー?」
いや、そうだろうけど……うぅ、しかし下着無しでは色々と問題がある。
素直に借りるか……。
「ぁ、ぁの……自分で着れますから……」
「ダーメ。我儘言うならこのまま外に放りだすよー?」
それだけは勘弁してください……。
結局強制的に着替えさせられた私。
しかし今私が着ているのは……
「あはは、似合う似合うーっ」
姿見の前で自分の格好を見て唖然とする。
私は今メイド服を着ていた。しかもただのメイド服では無い。
ミニスカ、そしてニーソ、そして更にガーターベルト!
髪型もストレートにされ、フリル付のカチューシャまで付けられる。
完全なメイドさんだ。主に薄い本に出て来るような。
「あの、この服は……」
「花京院さんがー、これしかないってー……。大丈夫大丈夫、凄く可愛いからー」
いや、あの……この格好じゃ帰れないんですけど……。
こんなメイド服で外に出た日にゃ……も、もうお嫁に行けない! いや、行く気ないけど。
「じゃあ折角だしー。接客するぅー?」
はい? な、なぜに?
「だってー……折角メイドなんだしー……大丈夫、今そんなにお客さん居ないからー」
え、ちょ……待たれよ! 私バイト経験皆無……いや、着ぐるみバイトしたけど!
その時、私の脳裏に再生されるお姉さんの声。
『社会に大切なのは鋼の精神よ。君はもっとそれを鍛えなさい』
そんなこと言われたって!
もうすでに私の精神は鋼どころか、スポンジケーキ並にフワッフワにされてしもうたんや!
無理やりにフロアに連れていかれ、飛燕お嬢様の前に立たされる私。
「あん? ちょっと春日。誰よ、この子」
あぁ、飛燕お嬢様……キツそうな性格がもうテンプレ通りで素晴らしい。
もしかして……ツンデレなのか!? デレた所見たい! 凄い見たい!
「さっきのー、泥団子ちゃんですよー?」
「はっ?! ま、マジ……?」
マジですたい。
コクンと頷く私の手を、飛燕お嬢様はそっと包み込み……
「か、可愛いじゃない……ちょっと背が高すぎる気もしないでもないけど……春日! 今日はこの子にするわ!」
え? え? 何が?
「がってん承知の助ー。じゃあ、ひと通り仕込んでおきますねー?」
え? 何を? あの、話が見えぬのですが。
「じゃあとりあえずぅー……」
怪しい動きで私の胸を後ろから鷲掴みするメイドさん……ってー! な、なにして……
「一通りの教育を……がふっ!」
ひぃ! な、何! と、その時メイドの後ろには央昌さんが……。
メイドの頭には丸い御盆が突き刺さっている!
「私の友人に何する気ですか。離れなさい」
「いたぁぃ……花京院さん酷いー」
うぉ! メイド生きてる! 頑丈だな。
央昌さんは御盆をメイドの頭から回収し、私を足元から頭の先まで観察……って、恥ずかしいでござる……。
「お似合いですよ。しかし真田さんはお客様ですので。奥の席にどうぞ。飛燕様、私の店で獲物を探すのは止めてください」
獲物……? な、なにあの金髪ツインテール……何する気だったの?
「知らない方が良い事もあります」
そういいながら椅子に座らされる私。
おおぅ、しかしこの高そうなメイド服……ど、どうしよう。
「差し上げますよ。元々女性用スタッフの為に取り寄せたのですが……いい人材が見つからなくて……」
むむ? そういえば央昌さんは執事の格好をしている。
そしてここは喫茶店……あぁ! も、もしかしてココ……あの雑誌に載ってた執事喫茶って奴か!
女性用スタッフ……まだ見つかってないんだ。
いや、しかし私じゃ務まらないだろうなぁ……初バイト一時間でクビになったし……。
「真田さん? どうされました?」
「い、いえ! なんでもありませんことよ!」
「そ、そうですか。では何かお食事されていきますか? 今朝のお詫びにご馳走しますよ」
け、今朝? ぁ、そうか……五話からまだ一日も経ってないのか。
【注意:電車で央昌と会う→着ぐるみバイト→今に至るって感じです】
なんとも分かりやすい説明が!
いや、しかしお詫びって……むしろ携帯のお礼がしたいのだが……。
「いえいえ。大きな声では言えませんが……素晴らしいオカズに出来そうです」
奢れ! 今すぐ奢れ! 飯をモッテコイ!
「仰せのままに。では何にしますか?」
ふむぅ、じゃあ……表のイーゼルにも書いてあったビーフシチューを……。
「畏まりました。お飲み物はどうされます? 真田さんお酒は大丈夫ですか?」
「え? ま、まぁ……」
「では赤ワインなど如何でしょうか。ビーフシチューにも合いますし」
赤ワインかぁ……そういえば飲んだ事ないな。
メニューを見ると、何やら長ったらしいワインの名前が……うわ、凄いお高そう。
「ムートン・カデ・レゼルヴ・ボルドー・ルージュ など如何でしょう。飲みやすくてビーフシチューにも合いますよ」
ふむぅ、良くわからんが……じゃあそれで。
「畏まりました。暫くお待ちください」
そのまま央昌さんは去っていく。
ふふぅ、しかし喫茶店にビーフシチューやワインがあるなんて……立派なレストランじゃないか。
ふと壁に貼られているポスターに目を移すと、バイト募集中の文字が。
女性スタッフ募集中……か。しかしこんなメイド服着て働くのか? 動き辛くないかコレ。
いや、しかし男性の目からすれば効果は抜群か。私が男だったら確実に通うな。
「ふふふー、お酒飲むのー?」
ふぉ! め、メイドさん! またしてもいつのまに!
「春日でいいよー? 名前はヒミツ。お酒飲むなら私も飲んじゃおうかなー?」
い、いや……貴方飛燕お嬢様のメイドでしょう。あっちの御世話はいいのか。
「大丈夫大丈夫。あとで本物の執事がくるからー。涼ちゃんは高校生だし、お酒飲めないからねー」
高校生だったのか。
拓也と同じくらいかな?
「おーい、花京院さーん、私もワインとビーフシチューくださいなー」
手を振りながら央昌さんに注文する春日さん。
なんか仲いいな。二人はどんな知り合いなんだ?
「あの……央昌さんとはどんな関係なんですか?」
「あー、気になる―? 大丈夫よー? ただの腐れ縁だからー。私はバツイチだし、もう結婚する気もないしー」
そうなのか……
「子供も居たけどー、夫の方に取られちゃってねー……今年ちょうど……小学校に入る頃かなー?」
一番可愛い時じゃないか。
妙に私の事を子供扱いすると思ったら……自分の子供と重ねてたり……いやいや! 私は大学生だぞ!? いくらなんでも重なるわけないだろ!
「あ、何かしんみりしちゃったねー? 今夜は飲もうぜー?」
いや、私明日も大学なんで……そんな遅くまでは飲めないッス。
「大丈夫大丈夫、私もそんなにお酒強くないからー」
数分後、央昌さんがビーフシチューとワインをカートに乗せて運んできた!
凄い良い匂いする! 待ってました!
「どうぞ。真田さん、このメイドに付き合う必要無いですから。帰りたくなったら言ってください。私が車で御送りしますので」
「えっ、いや、大丈夫ですよ、家すぐそこなんで……」
ワインをグラスに注いでくれる央昌さん。おおぅ、なんか高級感溢れますな……。
「いえいえ、責任もって私が御送りするので。だからお前は大人しくしてろ、春日」
ギラっと眼鏡を直しつつ言い放つ央昌さん!
うわっ、なんか因縁があるのか!?
「ひーどーいー。私も真田ちゃんと仲良くしたいのにー」
ぁ、そういえば……今更だけど私はちゃんと自己紹介してなかったな。
「え、えっと……真田です……名前はヒミツです……」
「あはは、パクったなー?」
そのまま春日さんと乾杯しつつ、ワインを一口……。ふむ、初めて飲んだけど甘い……ような気がする。
「そういえばー……今日は執事さん少ないねー? いつもはもっと居るのにー」
「そうなんですか?」
ビーフシチューをスプーンですくって一口……ふぉぉ! なんだコレ! うめぇ!
お肉がとろける……。
「いつもはヤンキーみたいな人と……あと凄い可愛い執事さんが居るんだけど……おーい、花京院さーん、あの子達今日は来ないのー?」
カートを下げて戻ってきた央昌さんに尋ねる春日さん。
央昌さんは溜息を吐きつつ
「ヤンキーの方は今日は来ませんよ。可愛い方はそろそろ来る頃だと思いますが……」
ほほぅ、可愛い執事さんか。なんか楽しみでござる。
そのままゆっくりビーフシチューを味わいながら頂く。
ふぉぉ、虜になってしまいそう……いつのまにかワインも一杯飲んでしまった。
「はい、御代わりどうぞー?」
「あ、すいません……」
ワインを注いでもらい、私も注ぎ返す。
しかし春日さんはそのまま一気飲みし……
「えっ、だ、大丈夫ですか? これ結構強いワインですよね……」
「らいりょうふ……」
いや、大丈夫じゃないだろ! 既に呂律回ってないぞ!?
「あー……うぅ、私の息子……息子に会いたいーっ! 頬ずりしながら一緒に眠りたいー!」
やばい、酔ってきたのか。
では私はそろそろ帰りますたい。
「待って……なんで逃げるの?」
「え? いや……ちょっと御手洗いに……」
「じゃあ私も行く! 一人にしないでぇ……」
そのまま泣きだす春日さん。ヤヴァイ、この人酔うとめっちゃ面倒臭いタイプや……。
仕方ないな……。
「えっと……立てますか?」
「立てないー……抱っこぉ」
め、めんどくせえ……仕方ない、元バスケ部の腕力舐めんな……って、軽!
羨ましいくらいに軽い! ちゃんと飯食ってるか!?
「んー……蓮くぅーん……」
御姫様抱っこした途端に眠りおった……なんだこの人は。
蓮君って……もしかして息子の名前か?
「真田さん、こっちです」
その時、央昌さんに呼ばれて執事喫茶の奥へ。
事務室らしき所にソファーがあり、そこに春日さんを寝かせた。
「まったく……すみません、御世話掛けました」
「い、いえ……あの、春日さん、腐れ縁って言ってましたけど……もしかして……」
もしかして……離婚した夫って……
「ただの腐れ縁ですよ。それ以上でも以下でもありません。申し訳ないですが……それ以上は詮索しないで貰えると助かります……」
「ぁ、いえ……すみませんでした……」
そ、そうだな。他人のプライベートに必要以上に首を突っ込んでどうするつもりだ、私は。
うぅ、私も酔ってるのかな……今日はもう帰るか。
そのまま事務室らしき部屋から出て行こうとする私
すると同時に男の子が入ってきた。
「ご、ごめんなさい、遅れましたーっ……って……あれ?」
ん? なんかこの顔……見覚えあるな。
最近どこかで……
「晶さんっ……なんでここに……っていうかその格好は……」