(34)
僕の願いはたった一つ。
この姉の幸せを。姉から全てを奪ってしまったのは僕。
「幸せに……なってください……」
神様……僕はシスコンですか?
弟が言う言葉では無いだろう。
どちらかと言えば心から姉の事を尊敬する後輩。敬語で無ければ先輩も有りうる。
例えば正面に座る小学生にしか見えない冬子先生とか。
でも僕は姉の後輩でも先輩でもない。弟だ。
僕が姉の幸せを願う。あえて口に出すのは欺瞞だ。
言葉の使い方が多少違っている気もしないでもないが、姉の幸福な人生を壊したのは僕なのだから。
九年前、両親が車で事故を起こし此の世を去った。
僕は事故を起こした両親の車に同乗していた。当時八歳。
『拓也、もう少しだからね、頑張って……』
高熱を出し、後部座席で毛布でグルグル巻きにされ、さらにシートベルトで固定されている。
いくらなんでもやりすぎだろう、と思ったが、今にして思えば両親は過保護だった。
ちょっとした怪我で大騒ぎする。それは姉さんも同じだったが。
『あなた……急いで……拓也が……拓也が……』
『分かってる……頑張れよ、拓也』
二人とも大袈裟だと思った。
ただの熱だ。あと数時間後に死んでしまうような病では無い。
アクセルを踏み込む父。急かす母。
事故を起こすのは時間の問題だったのだ。
人生急いで得する事は無い。素直にそう思った。
事故の原因は信号を見落とした父の過失だった。
赤信号にも関わらず交差点に突っ込んだのだ。
僕は気が付けば病院に居た。
知らない看護師さんに囲まれ、あれやこれや会話していたが、その内容は全く入ってこなかった。
『この子の両親は……』
『確か兄弟が……』
『急いで連絡を……』
そして再び僕の意識は薄れていく。
その後の事は良く覚えていない。気が付けば姉が隣りに居て、黒い服を着ていた。
僕も着替えさせられ、連れていかれた。
両親の葬式へ。
よく分からないまま両親が死んでしまった。
涙は一滴も出なかった。恐らく実感が無かったんだろう。
ただ、隣りで泣いている姉を見て、悲しくなったのは覚えている。
両親の葬式が終わり、姉と一緒に遺品の整理をした。
アルバムを見て、こんな事もあったと姉と語りながら。
姉は大学を辞め、どこぞの工場へ就職した。
医者になるのが夢だった筈だ。いつも目の下にクマを作って勉強していたのを覚えている。
正直、そんな姉を僕は怖がっていた。
いつもブツブツいいながら廊下を歩き、部屋に籠ってはずっと勉強している姉。
やっと部屋から出てきたと思えば、冷蔵庫から栄養ドリンクを出して再び部屋に。
僕は姉と一緒に遊びたくて、部屋へ侵入した事がある。
いつも勉強ばかりしている姉を困らせてやろう、そう思ったのだ。
『拓也……ごめん、お姉ちゃん忙しいから……』
だが、そんな思いも一言で粉砕された。
言葉自体はそこまで破壊力は無いだろう。僕が震えたのは姉の声だ。
一体どこから声を出しているのだ、と思うくらいに擦れた声。
まるで幽霊と話している様だった。
そんな姉も、大学を辞めて変わった。
以前より遥に明るくなった。だが無理をしているのが見え見えだった。
葬式以来、姉は僕の前では涙を見せなかった。
時々隠れて泣いている。自分の部屋で、父の書斎で、母のクローゼットで。
一度だけ、泣いている姉に声を掛けてみた事がある。
後ろ姿の姉に一言……「お姉ちゃん、大丈夫?」 と。
その時、姉は振り返り……
「ヌルフフフ……」
なんだろう、聞き覚えのあるフレーズの笑い方だ。
なんだっけ、これ……たしか……
「うぁぁぁ! 暗○教室最高すぎる……なにこのラスト……涙無しでは読めない! 拓也きゅん……君にもこの漫画を貸そう……後輩からの借り物だけども……」
全21巻が入ったカラーボックスを託して来る姉。
漫画読んで泣いてたの?!
「あぁ……漫画で泣いたのってス○ムダンク以来だなぁ……うぅ、涙腺崩壊するゼ……」
ちなみに姉の口調もガラリと変わった。
以前は僕とまともに会話する事すら珍しかったくらいだったが……
「ヌルフフフ……拓也きゅんもお姉ちゃんの触手で絡め取ってやろう!」
言いながら抱き付いてくる姉。
ただ漫画の影響を受けているだけかもしれない。それでも無理をしているのがハッキリと分かった。
悲しくない筈がない。
弟を育てる為に医者になる夢を捨てて大学も辞めてしまったのだ。
僕は密かに両親を恨んだ。何故死んでしまったのだと。
高校に入る頃、僕は良く女の子達と遊んでいた。
体を動かすのが苦手で、女子だらけの美術部に入ったせいもあるが、一番の原因は僕の見た目にあったんだろう。学ランを着ていなければ女子と間違えられるような容姿。
体は細く、肌も白い。風邪を曳くのが嫌で髪も長めだった。ちなみに髪も姉に切ってもらっていた。
「拓也きゅん……ゲヘヘ……もっと可愛い髪型にしてあげよう……」
姉は楽しそうだった。そうか、本当は妹が欲しかったんじゃないか?
ならせめて……その思いを叶える事が出来たら……。
僕は美術部の中で得に親しい女子へ、この想いを告白した。
両親が事故で亡くなり、姉は僕を育てる為に大学を辞め、最近は仕事で帰りが遅い事も含めて。
「なんじゃと……そうじゃったのか……なら儂が協力してやろう!」
ちなみに相談した女子もちょっと変な子だった。
老人のような言葉使いを好む女子。でも見た目は可愛い。お人形さんのような子。
「ならば拓也君。儂の私服を貸してやろう。それを着て儂とお出掛けするのじゃ!」
いわゆるデートという奴だろうか。僕はそれを承諾し、言われた通りに……初めての女装をした。
女装して歩く街はいつもと景色が違って見えた。
妙な感覚だ、本来僕は女として生まれて来る筈だったのでは……と思えるくらい、いつもより自然に……開放的に……。
「お、拓也君。あの喫茶店に行こうぞ。儂のお気に入りじゃ」
そうして立ち寄った店が、執事喫茶だ。
入るなりお嬢様として扱われ、丁寧な接客と店の雰囲気に一目惚れした。
僕が執事喫茶で働きたいと思い始めたのはその時だった。
それからすぐに学校からバイトの許可を取り、姉には全てが決まってから報告した。
「姉さん、僕……バイト始めようと思うんだ……もう面接にも合格して……来週から……」
「……バイト? だ、大丈夫なの?! そんな……なんで急に……お、お姉ちゃん、聞いてませんよ! ぁ、もしかして……お小遣い足りなかった?! じゃ、じゃあUPするから! お金なら心配しないで! 貯金ならもう結構たまってるし……」
いや、お小遣いなら十分すぎる程に貰っている。
でもそうじゃない。僕は……
「僕だって……姉さんの為に何かしたいから……日付が変わる程……遅くまで働かなくてもいいように……」
その言葉が姉に大ダメージを食らわせたのだろう。
女装は楽しかった。僕は女として生まれて来る筈だったのかもしれない。
でも僕は男だ。男として……弟として……姉を守りたかった。
そうして僕は執事喫茶で働き始めた。
優しいけど仕事には真面目な央昌さんに憧れた。
少し怖いけど、頬がとろけるような料理を作る敏郎さんを尊敬した。
いつも煙草を吸って、不良生徒の様な洋介さんから男とはどうあるべきかを学んだ。
この執事喫茶で僕は多くを学んだ。
その上で僕は姉に言いたい。
「幸せに……なってください……」
心の底からそう思う。
僕があの時、高熱なんて出さなければ……両親も事故を起こす事は無かった。
僕がもう少し大人だったなら……姉は大学を辞めずに済んだ。
僕が……もっと……
姉を幸せに出来るなら……
「た、拓也きゅん……?」
たった一人の姉の幸せを願う
僕はシスコンですか……? 神様……




