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――21年前 4月5日
岐阜県飛騨高山 義龍村
午後22時00分
満月が煌々と小さな村を照らしている。
田と畑が土地を無駄にすること無く配置され、建造されている家々は全て木造平屋。
普段は物静かな村だが、今は忙しなく男達が動ていた。
「いたか!?」
「駄目だ、見当たらねえ」
山奥から出てきた男達に訪ねる一人の老人。
この村の村長だ。杖を突き、不安毛な表情を浮かべている。
「もう今日は無理だ……警察にも連絡したが、すぐには動けねえと……」
「そんな! 子供が二人だけで遭難してんだ! ほっとくわけにはいかねえやろが!」
「んな事言って、お前達も遭難したらどうすんだ! 今日はもう引き上げるしかねえ!」
抗議する男へ、村長は声を荒げる。
そのまま村の中央にある広場を顧みる。そこには松明を重ね、キャンプファイヤーの様に火が大きく燃え盛っていた。
「とりあえずは儂の家に皆集まれ。広場の火は絶やすな、子供達の目印になるかもしれねえ」
渋々村長の言う通りに動く男達。
皆口々に不満を漏らすが、その表情は疲れ切っていた。
本日正午、二人の子供が行方不明となった。
村に居る十人ほどの子供を引率の教師が連れ、山に入り山菜取りをしていたのだ。
その際、いつのまにか二人の姿が無い事に気が付いた教師は、急ぎ周辺を捜索したが見つける事は出来なかった。焦った教師は残りの子供達を連れ山を降り、急ぎ村長の家へと駆けこんだ。
報せを受けた村長は、急ぎ村の男達を集め山へと捜索に向かわせる。だが二人の行方が分からなくなって、既に十時間が経過しようとしていた。
「申し訳ありません……!」
男達が集まる村長の家で、地面へと頭を擦りつけながら土下座する女性。子供達を引率した教師だ。
「先生、顔を上げてください。そもそも先生一人に引率を任せた我々も悪いんです。この辺りの山は迷いやすい」
そう教師を宥めるのは、行方不明となった子供の一人、柊 琴音の父親。
先程も山へと入り、捜索隊にも加わった。だがついに娘を発見する事は出来なかった。
「でも……でも……」
教師は涙を流しながら、何度も地面へ頭を叩きつけるように謝っていた。
その姿を見て、同じく捜索から帰って来た一人の男が教師へと近づく。
「先生、顔をあげて下さい」
恐る恐る顔を上げる教師。その頬を、男は勢いよく平手打ちした。
周りの男達は皆驚いた顔をするが、教師を殴った男は視線を合わせるようにその場へしゃがみこむ。
「落ち着いてください。二人は大丈夫です。うちの息子も琴音ちゃんと一緒に居るかもしれない、諦めてはいけない」
そういいながら、教師を平手打ちにした男は村長の前へと行き、正座しながら再び捜索を行う様打診する。
だが村長は首を縦には降らない。当然と言えば当然だった。夜間に山へと入りやみくもに捜索しても遭難するだけだ。
「お願いします……、村長……あと一カ所だけ……せめて俺をそこに行かせてください」
「なんじゃ……どこぞ心当たりあるのか」
男は頷きつつ、今も暗闇の中彷徨っている息子を想いながら言った。
「桜が咲いてる開けた場所に……以前、息子を連れて行った事があります。もしかしたら、そこに向かうかもしれない」
そこは村人ならば誰でも知っている場所だった。
だがその場所へ向かう為にも、迷いやすい山道を行かねばならない。
「駄目だ、夜明けを待つんだ。お前さんと柊さんにの心中は察するに余りある。でもな、ここであんたらが戻ってこなかったら……いざ子供達が見つかった時に、儂は何て言えばいい?」
その言葉に項垂れる男。
だが諦める事など出来ない。夜の山で、子供達が彷徨っているのを想像するだけで震えが止まらない。
「お願いします! 俺が一人で行きます! 息子が……待ってるかもしれないんだ!」
「バカ言え! お前さん一人で行ったらそれこそ……」
「私も行きます」
そう申し出たのは柊 琴音の父親。
頭を下げる男の隣りへと同じように正座し、村長へと土下座する。
「お願いします……こんな夜の山に……琴音を放っておくくらいなら、私は今ここで自決します……お願いします……」
頭を下げる二人の男を前にして、村長は深く溜息を吐いた。
「分かった……好きにしろ……おい、残りの奴らは交代で広場の火を燃やし続けろ。あの桜の場所からも見える筈だ」
「ありがとうございます……」
それぞれの父親は立ち上がり、勢いよく村長の家から飛び出し山へと走りだした。
一刻も早く子供達を見つける為に。
暗い山道を二人の子供が歩いていた。
「大丈夫?」
「うん……」
互いに手を繋ぎ、暗闇の中を手探りで彷徨う。
月明かりは木々の葉で遮られ、灯りをともす物すら持っていない二人は、いつどこから怪物が襲ってくるかもしれないと震えていた。
不気味な梟の鳴き声。
普段は就寝する際に心地よく聞こえる泣き声が、今は自分達を付け狙う悪魔の囁きのように聞こえる。
「梟……って、人間食べないよね……」
琴音は震えながら鳴き声がする方を見た。今のところ襲ってくる気配はない。
だが安心は出来ない。疲れ切って倒れた所に来るかもしれない。
思わず泣きそうになる琴音。
「お腹空いた……」
更に空腹も襲ってくる。
琴音の体力は限界だった。肩掛けのポーチの中には、少しの菓子とジュースが入っているが、それも日があるうちに全て無くなってしまったのだ。
「ねえ……少し休もう?」
そう言いながら、ズンズン先頭を歩く少年の手を引く琴音。
そっと手頃な岩を見つけると、その上に二人で座った。
「私達……帰れるのかな……」
少年はその問いに、そっとポケットの中からキノコを取り出し琴音に手渡した。
表面に斑模様がある肉厚な椎茸のようなキノコ。琴音はそれを見て思わず顔を顰める。
「これ……毒キノコじゃない? 食べちゃダメだよ?」
「……これ食べたら、大きくなれる……」
そんな馬鹿な、と琴音はキノコをマジマジと見つめる。
暗くてよくわからないが、そのキノコは赤をベースに白い斑模様。そして節の部分にはマジックで二本の線が縦に書かれていた。見方によっては目が描かれてるようにも見える。何処かで見た事のあるキノコに、琴音は首を傾げた。
「これって……スーパーマ○オに出て来るキノコ?」
コクンと頷く少年。
琴音はマジマジとキノコを観察する。
確かに似ているが、その斑模様は毒々しい。食べてはいけない、と脳が警告を発している。
「ぜ、絶対食べちゃダメだからね、分かった?」
「食べない……部屋に飾る」
言いながら琴音からキノコを返してもらう少年。
再びポケットに入れ、今度は逆のポケットから何かを取り出した。
「……今度は何……?」
「さっき、拾った」
何を拾ったのだ、と琴音は少年の手から「それ」を受け取る。
その瞬間、背筋に寒気が走った。手の平の上で何かが蠢いている。
「これ……何?」
「……さて、なんでしょう……正解した方には、豪華客船での旅をプレゼント。当選のお知らせは発送に変えさせて頂きます」
いきなり饒舌になった少年の言葉に首を傾げる琴音。
正解者にプレゼントなのに、何故当選なのか。
「テレビでやってた」
あぁ、成程……と琴音は納得する。
この少年はただ覚えた言葉を並べて喋っているだけなのだ。
「で……これ何? 虫?」
琴音は虫を触る事に抵抗は無い。
家の中にいくらでも入ってくるし、洗濯物にテントウムシが付いている事など日常茶飯事だ。
しかし今手のひらに乗っている虫はもっと大きい。
「分かった……カブト虫?」
「ぶー」
「じゃあ……メスのカブト虫」
「ぶー」
「わかった、カメムシ?」
「ぶー」
「えー……ぁ、クワガタムシ!」
「ぶー」
「メスの……」
「ぶー」
「あー、もう……ちっちゃいオッサン?」
「ぶー、そんなん拾ったら発狂するわ」
少年の大人びたツッコミに納得しつつも、ならばこれは何だ、と目を凝らす琴音。
「わかんないよ、これ何?」
「ムカデ」
琴音の絶叫が、山々へと響き渡った。
※
その頃、琴音達を捜索しに山へと入った二人の父親は、桜が咲く場所へと向かっていた。
「柊さん……申し訳ない、巻き込んでしまって……」
「何を言ってるんですか。琴音だって……うちの娘の行方だって分からないんです。貴方が言いださなくても……私は一人でも探しに行くつもりでしたよ」
懐中電灯で道を照らしながら進む二人。
時折聞こえてくる不自然な草を揺らす音に、過敏に反応する二人。
もしかしたら、その辺から二人が顔を出すかもしれない。
「柊さん、琴音ちゃんは……今年で何歳になりますか?」
「七歳ですね。そちらは?」
「六歳になったばかりです。好奇心が妙に旺盛な子なので……その辺のキノコとか拾って食べてなければいいのですが……」
その言葉に琴音の両親はより一層不安を覚えた。
もしかしたら一緒になって毒キノコを食べてしまっているかもしれない。
「そういえば……えっと、息子さん……なんて名前でしたっけ……」
「あぁ……息子は……」
※
休憩を終え、再び歩きだす二人の子供。
だが手は繋いでいない。ムカデを触らされた琴音は不機嫌になっていた。
「怒ってる?」
「別に……ムカデなんて食べた事あるし」
強がる琴音。
だが少年はその言葉に目を輝かせた。
「ムカデって……食べれるの?」
「う、嘘に決まってるじゃん! 食べれるわけないじゃん!」
しょんぼりする少年。
「やっぱり怒ってる?」
「怒ってない……」
プイ、と顔を反らす琴音に心配そうな表情を浮かべる少年。
手を繋ぎたかった。だが琴音の機嫌を直さなければ繋ぐ事は出来ない。
「ねえ、手繋ご?」
「ヤダ……」
そのまま琴音は先導していた少年を追い抜かし、先へと進もうとする。
だが
「ぁ、そっち違う……」
「え?」
次の瞬間、足を滑らせる琴音。そのまま斜面を転げ落ちそうに。
「ぁ、琴音ちゃ……」
少年は咄嗟に琴音の手を掴み、助けようとするも自身も一緒に斜面を転げ落ちてしまう。
「ひぁっ!」
「わ、わっ……うわっ……!」
斜面を転がり落ちる二人。
そのまま平坦な砂利道に叩きつけられる。
息が出来ない程の衝撃。
そのまま、二人の意識は闇の中へと落ちていく。
先に目を覚ましたのは少年だった。
あれからどれだけ時間が経ったのか、それを確かめる術は無い。
周りを見渡す少年。少し離れた所に、琴音も倒れていた。
立ち上がり、琴音の傍に行こうとした瞬間、大地の足に激痛が走る。
右の足首がまるで、卓球のピンポン玉が埋め込まれているかのように腫れあがっていた。
「う……」
しかし足を引きずりながら琴音の傍へと寄る少年。
そのまま琴音を起こそうと、体を揺する。
「琴音ちゃん……琴音ちゃん……っ」
「ん……」
少年に揺すられ、目を覚ます琴音。
そのまま何とか立ち上がる。
体中に小さな切り傷がある物の、大きな怪我は無い様だ。
「琴音ちゃん……大丈夫?」
言いながら足を引きずる少年を見て、琴音は顔を真っ青にした。
「え? 足……どうしたの?」
「ぅん……痛い……」
琴音は少年を座らせ、右足首を撫でるように触った。
明らかに腫れあがった部分を確認する琴音。
「いたっ……そこ……痛い……」
「ご、ごめん……ごめんね? 私のせいで……」
首を振り否定する少年。
「大丈夫……平気……」
そのまま再び立ち上がる少年。
しかし腫れあがった右足に力が入らない。
「お、おんぶするから! 乗って?」
「女に乗る男なんて居ないって……父ちゃん言ってた……」
母親におんぶをすがり、父に言われた言葉を思い出す少年。
そのまま琴音の手を掴み、足を引きずりながらも歩き出した。
「ちょ、無理だって! もうダメだよ、そんな足じゃ……」
「大丈夫……この道、知ってる……前に父ちゃんが連れてきてくれた事あるから……」
「いや、でも……」
「いい物見せてあげる」
そのままゆっくりと進む二人。
琴音は少年の肩を抱き、支えながらゆっくり歩いていた。
「ごめんね……私が……直してあげれたら……」
「大丈夫だから……」
強がる少年。
痛々しい姿を見て、琴音はぐずぐずと鼻を鳴らし泣いていた。
そんな琴音に、少年はそっと……
「ねえ……桜って、なんでピンク色なのか知ってる?」
突然の問いに首を傾げる琴音。
分からない、と首を振る。
「もう少し……もう少しで着くから……」
砂利道を足を引きずりながら進む少年。
斜面を滑り落ちる前とは違い、今は月明かりで道がはっきりと見えていた。
二人はひたすら進む。
ゆっくり、ゆっくりと。
しばらくして、開けた場所に到着した。
目の前には大きな桜の木。
月明かりで照らされる桜が輝いて見えた。
「綺麗……」
「うん……」
そのまま崩れるように倒れる少年。もはや限界だった。
琴音は桜を眺めつつ、少年を抱きかかえるようにして座りこむ。
「ねえ……さっき言ってたのって……」
「桜が……ピンクな理由?」
頷く琴音に、少年は小さく口を動かす。
だが少年はそのまま、気を失ってしまった。
「……? ねえ……ねえったら……どうしたの? ねえ……」
返事をしない少年の体を揺する琴音。
「どうしたの? ねえ……ねえ……!」
少年は目を覚まさない。
琴音はいつのまにか涙を流し、大声で泣きながら少年の体を揺すっていた。
「琴音!」
その時、自分の名前を呼ぶ声に顔を上げる琴音。
自分の父親の声だった。
思わず泣き叫びながら助けを求める。自分では無く、少年を助けてくれと。
二人が発見されたのは深夜二時過ぎ。
それぞれの父親に抱きかかえられ、村へと戻った二人は、すぐさま医師の元へと運ばれた。
琴音は大した傷も無く意識はハッキリしていたが、少年は右足首を骨折し、何度呼び掛けても反応しなかった事から、救急車で街の大きな病院へと運ばれる事に。
「ねえ、先生……大丈夫? 助かる?」
村付きの医師へと尋ねる琴音。
医師は頷きつつ、琴音も病院へ行くように指示する。
「大丈夫だ、よく頑張ったな」
その言葉に、琴音は首を振った。
自分は何もしていない、頑張ったのは少年だけだ、と。
「先生……私……お医者さんになりたい……」
琴音はこの時、医者になる事を決意する。
いざという時、何も出来ないのはもう嫌だ、と悔しさを噛みしめながら。
それから一時間後、村へと救急車が到着し、少年と共に搬送される琴音。
意識の戻らない少年を手を握りながら、琴音はそっと呟く。
「桜がピンクな理由……早く教えてよ……大地君……」




