表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/73

(23)

 六月三日 (土)


 朝早くから我が家は騒がしい。

昨日、家に泊まった春日さんと蓮君は、朝から格闘していた。


「こらっ、蓮……ほら、ちゃんと口開けて……」


「やぁ……くすぐったぃ……」


春日さんは、先にブラシの付いた棒を蓮君の口の中に押し込もうとしていた。

それをひたすらに拒否する蓮君。


 まあ、簡単に言えば蓮君は歯磨きが苦手なようだ。

いけませんぞ、そんな事では女の子に嫌われるぞっ。


「別にいいもん……女の子……怖いし……」


怖い?! 蓮君は現在小学一年生。

彼の周りにはどんな女子が居るんだろうか。

もしかして……既に小悪魔的な女子に嫌がらせを受けているのでは!


そう、例えば……消しゴムを隠されたり。


「ほら、蓮の好きなチョコミルク味の歯磨き粉よ! お口開けなさい!」


「やぁ……チョコミルク嫌いになったもん……」


うふふ、なんか癒されるでござる。

チョコミルク味か。私が子供の頃はメロン味とかイチゴ味とかしか無かったが……今は色々あるんだなぁ。


「じゃあ、お好み焼き味にするから! ほら、お口開けて!」


お好み焼き味?! な、なんだって! すごい、人類の技術は何処まで進んでいるんだ。

歯磨き粉をお好み焼き味にするなんて……。


「やぁ……お好み焼き味……嫌いになったもん……」


ふふ、我儘なボーイめ!

いいつつ、私も朝一の歯磨きを開始。

朝ごはん食べる前に歯を磨かないと気が済まない。

前に一度……テレビで「そっちの方がいいよ!」とやっていただけなのだが。


「ほらっ! 晶お姉さんも歯磨きしてるでしょ? 蓮もしないと、晶お姉さんに嫌われるよ!」


「……ほんと? 晶お姉さん……僕の事、嫌いになっちゃうの?」


子犬の様な目で見上げて来る蓮君。

ほぐぁ! そ、そんな目で見られては……嫌いになる訳ないだろうがぁ!


「晶ちゃん! そこは嫌いって言ってくれないと……」


え? ぁ、そうか……じゃあ嫌いでござる。


「ぅ……うぅぅぅぅぅ」


途端に蓮君がブルブル震えながら泣きだした!

え?! ちょ……私が悪いの?!


「ほら、蓮、晶お姉さんに嫌わてもいいの? もう遊んでもらえないわよ?」


「や、やぁ……」


渋々口を開く蓮君。つかさず春日さんは蓮君の口に歯ブラシを突っ込み、シャカシャカと歯を磨いて行く。

むぅ、しかし小学校に入っても母親に歯を磨いてもらえるとは……。

私は母親に磨いてもらった記憶なんぞ皆無だ。


「蓮君は良いなぁ……お母さんに磨いてもらって……」


と、その時……春日さんの目が光った……気がした。


「晶ちゃん……良かったら……」


え? な、なに? 何でゴザル?

怪しい顔つきで私に迫る春日さん。

蓮君は早くも口を濯ぎだしている。


「さあ、私に……その歯ブラシを託しなさい」


な、なに言ってんのこの人! 結構でござる!

私は自分で歯を磨く派なんだ! 他人に磨いてもらうなど……


「いいから! 他人に磨いて貰えれば、運気が上昇するって知らないの?!」


し、知るか! 初めて聞いたわ!

なんだその適当すぎる迷信は!


「迷信じゃないわ! さあ! さあ!」


な、なんでそこまでムキになってるんだ!

ちょ……く、来るなぁ!





 結局、人生で初めて他人に歯を磨かれた私。

今は春日さんが作った朝食に箸を付けている。


「晶ちゃん綺麗な歯並びしてるのね。矯正とかしてた?」


「いえ……してませんが……」


というか、私は今まで歯医者に行った事が無い。

乳歯など自分で引き抜いたし、虫歯などになった経験すら無い。


「元々丈夫なのね。お母さんに感謝しないと……」


そうなのか。母親関係あるのか? 普段ちゃんと歯を磨いている私の努力の結果では?


「うふふのふ……晶ちゃんってば」


な、なんだ、うふふのふって……。

まあいい。春日さんに歯を磨かれたせいか、なんだか今日は歯がツルツルな気がする。

今なら何でも噛み砕けそうだ。


 春日さんお手製の味噌汁を平らげ、食器を降ろす私。

さて、今日は琴音さんのお見舞いに行くのだ。

気合を入れねば。例え琴音さんに罵倒されようが何されようが……私は食い下がって見せる!


「いや……晶ちゃん、手加減してあげないと……琴音さんの体に障るし……」


むむ、それはそうだ。

気をつけよう。


 そのまま支度を済ませ、本棚からオヌヌメの漫画、小説をカバンに放り込んでいく。

よし、これでいい。


「じゃあ春日さん、行ってきます。今日は帰っちゃいます?」


「ぁ、うん。今日は涼ちゃんの所に行かないと……ごめんね、急にお邪魔しちゃって」


いえいえ、いつでも来てもらって大丈夫よ!

春日さんの手料理という宿賃はしっかり頂いてるので!


「じゃあまた来るねー? 合鍵返そうと思ったんだけど……」


「持ってていいですよ。またご飯作りに来てくださいね」


「了解ー。じゃあ、いってらっしゃい~ 琴音さんによろしくねー?」


「行ってきます」


そのまま我が妻に見送られ、マンションを出る私。

空は快晴。雲一つない。


「お見舞い日和だな……よし、琴音さん食べれないかもしれないけど……リンゴでも買っていくか」


お見舞いにリンゴは定番だろう。

そして皮を剥いてあげて……アーンをするのだ。

うまくすれば、春日さんに続いて琴音さんも我が妻に迎えれるかもしれない。

夢は一夫多妻。頑張れ私……!


 なんだか主旨が間違っている気もしないでもないが、私は電車に乗り琴音さんが入院する病院へと向かう。

 電車に揺られる事十五分。病院の最寄りの駅へと到着。

そこから徒歩で向かうが、途中の果物屋に寄る私。


「おっちゃん、リンゴおくれー」


果物屋は昔ながらの八百屋? 的な店だった。入り口でオッサンが何やら叫んで客を呼び込んでいる。


「あいよー。嬢ちゃん、お見舞いか?」


「うむ、その通りよ。なんかオマケ付けてくれても構わなくてよ」


何故か凄い上から目線の私。

オッサンも笑いつつ、リンゴ三個に……更に梨まで付けてくれた!

おおう! 私梨好きよ!


「はい、三十万円」


「はいはい……って、あるかぁ!」


お決まりのやり取りを繰り広げつつ、リンゴ三個プラス梨一個を購入。

オッサンに手を振りつつ八百屋を去り、いざ病院へ!


 南口玄関から中に入り、受付のお姉さんへと琴音さんの病室を尋ねる私。


「すみませーん。柊 琴音さんってどこの病室ですか?」


「はいはい……えーっと、東棟の二階、203号室ですね」


ふむぅ、ありがとうございます!


「ぁ、でも面会時間まだよ」


……何ぃ?! え、ここまで来ておいて……面会時間って何時からよ!


「13時からだけど……まあいいわ。コッソリ行って」


コッソリって……いいのかそんなんで。


【注意:面会時間は守りましょう】


 東棟に移動し、階段で二階まで上がる私。

さて、203号室だっけ。どこだ。


「203……203……ぁ、あった……」


203号室、柊琴音と書かれたプレート。

面会謝絶は解除されている様だ。


 しかし……ここまで来てなんかビビってしまう。

琴音さんに……あの優しいお姉さんに罵倒なんかされたら……私泣いてしまうかもしれない。

でも決めたんだ。


絶対……琴音さんには、もう寂しい想いをさせたくない。

私の自慰的な一歩的な考えだけども……。それでもだ。


 軽くドアをノック。

すると中から、小さく「はい」と返事が。


恐る恐る扉を開き、中に入る私。

中は意外と広い個室だった。

窓は少し開けられ、カーテンを静かに風が揺らしている。


そしてベットの上に琴音さんは居た。

痛々しい程に全身をギブスや包帯で固定されている。


「……晶ちゃん……来てくれたんだ」


擦れた声で私を迎えてくれる琴音さん。

その顔にも包帯は巻かれ、唯一露出しているのは目、鼻、口のみ。


「琴音さん……ごめんなさい……来ちゃいました……」


それを聞いて、琴音さんは何処か申し訳なさそうに、唯一使える左手を私に伸ばしてきた。

その手を握りながら椅子に座る私。


「晶ちゃん……拓也きゅんに……聞いた?」


「……はい」


なんとなく、琴音さんの言いたい事が分かった。

恐らく私が開口一番、ごめんなさい、とか言ってしまったからだ。

それで察されたのだろう。


「ごめんね……気使わせちゃって……拓也きゅん……どうしてる?」


「えっと……昨日は一緒にバイトしました。今日は……学校も休みだし、まだ寝てるかもしれませんね」


私の手をニギニギしてくる琴音さん。

とても弱弱しく、その手は冷え切っていた。


 冷たすぎる手を温めるように、私はそっと包み込むように握る。

どうしよう。

なんて言えばいい? 

色々考えてた筈なのに……いざ琴音さんの前に来ると頭が真っ白になってしまう。


「ねえ……晶ちゃん……私が死にたいって言ったら……殺してくれる?」


「……いいですよ。琴音さんを殺して……私は拓也と一緒に自殺します……」


まるで脅しだ。

病人になんて事を言うんだ、私は。

実際にそんな事、出来る訳が無い。琴音さんを殺すくらいなら、私は山奥に逃げ込んで野生の熊と一緒にスープを作って生活する。


「私、拓也きゅんに酷い事言っちゃった……どうしよう……嫌われたかな……」


「拓也が琴音さんの事嫌いって言ったら……シベリアトラが泳いでるプールに投げ込んでやりますよ」


確か前にニュースでやっていた筈だ。

プールに落ちた女の子を、トラとシャチが助けたというのを。


「あはは……拓也きゅん……泳げるかな……」


「そんな事……知ったこっちゃ無いですよ……琴音さんの事を嫌いなんて言うヤツは……私が端からぶっ飛ばしますから」


そっと……なんとなく、琴音さんの手を持ち上げ、その綺麗な指先に口付けした。

冷たくて弱弱しい指。

齧ってみたくなる。

そっと唇で挟み、軽く歯を立てる。


「……晶ちゃん……何してんの?」


「ん……カニバリズムって知ってますか……? 私、今なら……琴音さんの事……食べれそうです……」


そっと唇を手首に、肘に、どんどん心臓の近くへと。


「え……いや、あの……無防備なのを良い事に……晶ちゃん……何を……」


「琴音さん……私、実は男装趣味があるんです……私は子供の頃からずっと……男に生まれたかったんです」


そのままゆっくりと琴音さんのお腹に掛けられた布団を捲る。

コルセットらしき硬い物が、琴音さんのお腹を包み込んでいた。


「だから……私が男だったら……確実にここで琴音さんの事……襲ってるのに……残念でなりません……」


「い、いやぁ……私は命拾いしたかな……」


目を合わせ、笑い合う私達。

そのまま再び布団を掛けなおし、琴音さんの冷え切った手もちゃんと中に。


「琴音さん……リンゴって食べれますか? 食事制限とかされてます……よね」


「ぁ、うん……でも柑橘系意外なら大丈夫……ありがとう、晶ちゃん……ちょうど喉乾いてて……」


おぉう、買ってきてよかった。

さて、じゃあ皮を剥こうか……って、あれ? 果物ナイフ的な物は?


「ぁ、ここには無いかな……看護師さんに持ってかれちゃった」


「……琴音さん……?」


まさか……琴音さん、本当に……


「もう、大丈夫だから……もう……」


琴音さんが本当に死にたいなんて思ってる筈がない


そう、私は決めつけていた


「琴音さん……」


私はそっと……許しを請うように頭を下げた



何が拓也と一緒に自殺するだ……



「もう大丈夫だから……ごめんね、晶ちゃん……」



唯一使える左手で……私の頭を撫でてくれる琴音さん


お見舞いに来た筈なのに


慰められているのは私だった

  

その冷え切った……暖かい手で



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ