(18)
五月二十二日 (月) 午後七時十五分
「琴音……!」
何で……どうして琴音さんが……。
どうしよう、拓也が……そうだ、あの子は両親も亡くしてるし……
「おい……! 真田!」
この上、お姉さんまで……
拓也が……拓也が……
「真田!!」
ビクっと冬子先生の声に震える。
先生は傘で琴音さんを雨から庇いつつ、首筋に手を当てていた。
「救急車!」
「は、はい!」
震えながらポケットから携帯を出し、119番通報する。
すぐに男性が対応してきた。
「え、えっと……救急車一台……え、えっと……えっと……」
琴音さんが……琴音さんが……
「貸して」
その時、パパさんが私の携帯を取りあげ、琴音さんの様子を伺いつつ電話を掛けてくれた。
どうしよう、私は何すれば……
「真田! 着てるカーディガンよこせ!」
「は、はい!」
傘を落としつつ、カーディガンを脱いで冬子先生へと渡す。
琴音さんは頭とお腹から血を流していた。深々とお腹には何かの破片が突き刺さっている。
思わず目を反らしたくなる。
そんな私の腕を握り、琴音さんのお腹に巻いたカーディガンの上へと誘導する冬子先生。
「押さえてろ、破片には触るな。親父殿、リムジンの中に運びたい、タンカか何かないか?」
「あります」
パパさんは携帯で会話しつつ、車に向かい簡易担架を持ってきた。
「真田、おい、真田!」
「は、はい……はい!」
「落ちつけ、まずはゆっくり仰向けにするぞ。親父殿、肩を持ってくれ」
冬子先生に指示されつつ、ゆっくりと脇腹に突き刺さった破片に注意しながら仰向けにする。
その瞬間、私は息が出来なくなった。
琴音さんの服は真っ赤だ。
元々は白いTシャツだった物が赤黒く染まっている。
「ぁ……琴音さ……」
「親父殿、真田と変わってくれ! 担架に乗せるぞ」
尻餅を突き、そのまま怯えるように後ろに下がる。
何も出来ない……私は何も……
「真田、足側持て。私じゃ身長足らん」
「え……で、でも……でも……」
「早くしろ! 立て!」
震えながら立ち上がり、パパさんと一緒に担架を持ち上げる。
重い。予想以上に……不味い、雨で滑る……だめだ、ここで落としたら……琴音さんが……。
冬子先生がリムジンの扉を開け、私とパパさんで中に運び込む。
私が運び込んだ救急箱を開け、応急処置をしていく冬子先生。
「親父殿、毛布か何か無いか?」
「どうぞ」
テキパキと動く二人。
なんで……そんな事出来るの?
凄いな……私には……無理だ……。
十分程経って救急車が到着した。
冬子先生はそのまま付き添い、私とパパさんはリムジンで病院へと向かう。
私の腕の中には、私達を琴音さんの所まで案内してくれた子犬が毛布に包まれて抱かれていた。
この子も……早くなんとかしてあげないと……
幸い道は混んでおらず、まっすぐ市民病院へと向かう事が出来た。
救急車は専用の入り口から入り、リムジンは大型専用の駐車場へと停めた。
「晶ちゃん、大丈夫?」
大丈夫って……何がだ……
私は次、何をすれば……
ふと、自分の手を見ると真っ赤に染まっていた。
琴音さんの血……
どうしよう……琴音さんが死んじゃったら……拓也はどうなる?
下手をしたら……あの子、自殺……
「晶ちゃん?」
パパさんの声で我に返る。
「行くよ……冬子先生の所に行こう」
「でも……私が……何すれば……」
「いいから……行こう」
そのままパパさんに腕を引かれ病院に。怪我をした子犬も一緒に抱いて。
救急病棟へと行き、受付でたった今運ばれた女性はどうなっていると尋ねる。
どうやらすぐに手術室へと運ばれたようだった。
場所を聞いて、私達も手術室の前へと向かう。
そこには私と同じくびしょ濡れの冬子先生が佇んでいた。
「おう……来たか」
妙に落ち着いた冬子先生。
でも目が死んでいる。
「親父殿……来てもらって悪いんだが……すぐ近くに知り合いが動物病院やってるんだ。その子犬、そこに連れて行ってやってくれ。もう連絡はしてある」
「……わかりました」
「悪かったな、色々世話かけて……助か……」
「そんなの、どうでもいいじゃないですか!」
思わず叫ぶ私。
あれ、私何言ってんだ……。
「ぁ、ご、ごめん……ごめんなさい……」
床にへたり込む私。
白い床に、かすかに写る自分の顔が醜く見えた。
「親父殿、こいつは置いてっていい。帰した方が心配だ」
「わかりました……では……」
そのまま子犬を連れて立ち去るパパさん。
ポタポタと白い床に、私の頭から水が垂れる。
雨でびしょ濡れになったせいだ。
これからどうればいい。
私はどうすれば……。
「真田、風邪ひくぞ。仕方ないな……」
看護師さんに貰ったのか、タオルで私の頭を拭いてくれる冬子先生。
私はそのまま、冬子先生のお腹に抱き付いた。
「せんせい……ごめんなさい……ごめんなさぃ……」
「何謝ってんだ。何か悪い事したのか?」
ゴシゴシと冬子先生のシャツに顔を押し付ける。
微かに血の匂いがする。私も冬子先生も血まみれだった。
「真田、……とりあえずベンチ座れ……ほら」
私を小さな体で立たせる冬子先生。
そのままベンチに座る私の正面に立ち、両手を握ってくる。
「どうした、ん?」
普段の口調で話しかけてくる冬子先生。
私はいつの間にか涙が止まらなくなっていた。
いや、最初から泣いていたかもしれない。びしょ濡れで気づかなかっただけかもしれない。
「私……何もできなかった……ちゃんと……勉強してなかったから……」
「それで謝ってたのか? お前、私の指示聞いて動けたじゃないか」
全然何もしてない。
ただ震えてただけだ。
「そんな事ない。言っただろ、お前には才能があるって。あんな状況でもな、お前ちゃんと……琴音の事見てただろ」
いや、目を反らしそうになった……あまりに酷かったから……
「それでも反らさなかっただろ。それが出来ない奴もいるんだよ」
冬子先生は私の隣りに座り、私の手を握ってくれる。
「良くやったな。流石私が目を付けた生徒だ」
「全然……そんな事……」
冬子先生の手が酷く冷たい。
そして私よりも震えている。
「先生……?」
「あぁ? ちょっと……感極まってな……」
冬子先生は大粒の涙を流していた。
そのまま天井を見上げながらベンチにもたれる。
「あぁ……神様……」
……先生……?
「あの子から……両親と夢を奪っておいて……」
先生……
「これ以上……何を奪うつもりですか……」
私はそっと、強く冬子先生の手を握りしめた




