(15)
五月二十一日 (日)
唐突だが、今日は私の誕生日だ。
五月二十一日。同時に、父親の命日でもある。
なんの因果か、私は父親が亡くなったその日に生まれた。
母親は家族のアルバムを全て燃やし、その直後に陣痛に襲われたのだ。
まだ当時七歳だった兄は隣家に駆け込み、助けを求めた。
そのまま救急車で母は病院へ。
そして私が生まれた。
母親にとって私はどんな存在なんだろう。
誕生日が来るたびに私は考えてしまう。
そして顔も知らない父親に恨み事を言うのだ。
「なんで今日死んだんだ……娘の事も少しは考えて欲しい……」
なんという無茶振りをする娘だろうか。
あの世に居る父親からのツッコミを期待してみるが、その気配は無い。
携帯が震えてメールの着信を知らせて来る。
現在の時刻は午前十時。メールは母からだった。
「なになに……? 誕生日おめでとう。早く彼氏連れて来い……って、おい!」
思わず母のメールに突っ込みを入れる私。
彼氏……彼氏か。そんなもん必要ない! 私は勉強で忙しいの! と返信。
すると数秒後にまたメールが。
「打つの早いな……えーっと……噓付け……」
何故かはわからないが、母親になんか見透かされてる気がするっ!
いや、勉強してるもん!
もうメールで打つのが面倒になり、直で母にコール。
『なんねー、勉強しとると?』
「しとるわ! っていうか誕生日メールありがとう! 今年でめでたく二十一歳になりました!」
『あらー』
なんだ、あらーって……
「ねえ、お母さん……なんで私の誕生日に……お父さん死んじゃったの……?」
母親は答えない。
押し黙ったままだ。
「ごめん、変な事言って……」
『いいんやよ。あんたが居らんかったら……母さん大地と一緒に死んどったからね』
うぉぉい! 前に兄貴が……晶が居なかったらゾっとするとか言ってたが……マジだったのか!
『マジやよー。それはそうとアンタ、大地にも彼女できんのやけど……なんとかならへん?』
なんとかって……いや、兄貴は兄貴で頑張って貰うしか……。
『誰か居らへんの? 可愛い女の子』
「居らんよ、兄ちゃんとお似合いの人なんて……じゃあ切るよ」
『はいはい、風邪ひかんようにねー』
あんたもな、と電話を切る私。
さて、今日はどうしようかなぁ。
執事喫茶のバイトも、央昌さんと後日シフト相談って事になったし……。
その時、再び私の携帯が鳴る。
むむ、誰じゃ? 知らん番号だな。
「はいー、真田です」
『ぁ、もしもし、私……柊 琴音と申しますが……』
ん? 柊 琴音……どっかで……
『柊 拓也の姉です。いつも弟がお世話に……』
ぁ、あぁぁ! 拓也のお姉さん!
なんで私の携帯の番号を!
『拓也に聞いたんです。昨日の執事さん、やっぱり真田さんだったんですねー。どっかで見たと思ってたんですよね……』
「あ、いや……その……」
『それでですね、この間のお礼も兼ねて……お茶でもどうですか? 場所は執事喫茶以外で……』
んぅ? なんか嫌な予感がする。
なぜ執事喫茶じゃいかんのだ。
『じゃあ駅前の「ホワイトブラックスター」っていう喫茶店で……これから会えますか?』
部屋の窓から外を見る。
昨日は激しい豪雨だったが、今は小雨程度だ。
「いいですよ。わかりました」
『じゃあ、またあとで……』
むむ、なんだろう……心なしか、声が暗かったな。
まあヒマだったし、いいか。
さて、別にデートに行くわけじゃないしジャージでいいか。
そのまま傘を持って外へ。
マンションの外に出ると傘を差し、駅前の喫茶店へと向かう。
休日だが人通りは少ない。やはり雨だからか、外出する人は居ないみたいだ。
目的の喫茶店までは徒歩で十分程度。
中を覗くが、まだ琴音さんは来てないようだ。
「まだか……先に入ってるか」
先に喫茶店の中で待つ事に。
店員のお姉さんに連れが後から来る、と伝えつつホットコーヒーを注文。
「平和だ……」
窓の外から見る岐阜駅は静かだ。
時折、子犬の大群がお姉さんに群がって押し倒したり……
時折、ピエロの格好をした男がイリエワニに追いかけられたり……
時折、時空の狭間から姿を現した魔人が暴れたり……
平和そのものだ。
さて、拓也のお姉さんはまだか。
数分後、拓也のお姉さんらしき人が店の中に入って来た。
何やら体中に肉球の跡が……。
ぁ、さっき子犬に群がられてたの……この人だったのか!
「ご、ごめんなさい、おくれちゃって……可愛いと思って撫でようとしたらダメね……」
そ、そうか。それはダメですな。子犬はデリケートな生き物なんだ。
お姉さんは店員にホットコーヒーを注文。
それと同時に私がさっき注文したコーヒーが来た。
「ぁ、私に構わず飲んでね。冷めちゃうし」
「あ、はい……」
なんだろう、いきなりこんな所に呼び出して……。
しかも執事喫茶以外と指名してきたのだから……やはり拓也がいると不味いと言う事か?
「あの、真田さんは……拓也の彼女さん?」
ブーッ! とコーヒーを吹きだす私!
な、なんだって!? そ、そんな訳ないッス!
「あ、そうなんだ……。同じ喫茶店で働いてるし、あの子も真田さんの話を結構するものだから……」
そうなのか。どんな話してるんだ、拓也のヤツ……。
「あの、それでね、ちょっと折り入って相談が……」
相談……だと。
勿論拓也関連だろうな。
まさか私の母親みたいに……彼女見繕えって話じゃ……。
「実は……あの子の部屋からこんな物が出てきて……」
と、テーブルの上に置かれたのは一枚の女性用下着。
「どう……思う?」
ど、どうって……いや、この下着は私と拓也が名古屋で買ったものだ。
まあ口が裂けてもそんな事言えんが……。
「この下着……私のでも無いし、だったら彼女の物かとも思ったんだけど……」
いや、拓也自身の物だ……。
「ねえ、真田さん……もしかして……あの子、下着ドロボーとか……」
「いや、落ち着いて下さい……っ、あの拓也君がそんな事する訳……」
ど、どうする!
なんて誤魔化せば……実は私のって事にしとくか?!
いや、それでも何で拓也の部屋にあるんだーって事になるが……。
「拓也が下着泥棒なんてする筈ないって分かってるんですけど……心配で……」
っく、仕方ない! 喋りながら考えろ!
「あっ、ぁーっ、思いだしましたーっ、この下着、私のですよ~」
言いながら下着をジャージの上着の中に隠す私。
「え? そ、そうなの? なんで真田さんの下着が……拓也の部屋に……」
うっ、そ、それは……
「えっと、お姉さん……拓也君は何歳ですか?」
「……今年で十七歳だけど」
「そうです、男の子で十七歳ですよ。性的な事に興味持って当たり前じゃないですか」
お姉さんの顔が真っ赤になる。
店員さんがコーヒーを運んできても、無反応だ。
「ちょ、ちょっと……ど、どういう……真田さんと拓也はどんな関係なの?」
ヒソヒソ声で尋ねて来るお姉さん。
いや、どういう関係って……
「え、えっと……同じバイト仲間です。それ以上の関係はありません……」
きっぱりと言い切る私。
そうだ、それ以上の関係なんぞ無い。
「じゃ、じゃあ……その下着は……」
この下着は……えーっと……
「お姉さん、さっきも言いましたが……拓也君は年頃の男の子です。女の子に興味持ってもおかしくないですよね?」
躊躇いながら頷くお姉さん。
なんか凄い心配そうな顔してるな。
「えっと、それで……ある日、私のロッカーを拓也君が漁ってて……」
って、うおぉぉい! こんな事言って大丈夫か?!
「え、じゃ、じゃあ……あの子、盗んだの!?」
「ち、チガイマス! そ、そこを偶然、私が見つけて……まあ、軽く叱って……」
「そ、それで?」
「それで……まあ、年頃の男の子だし、仕方ないかなーって……思って……手土産に……あげちゃったんです……」
ぎゃぁぁー! 拓也ゴメン! 本当にゴメン!
「そ、そうだったんだ。私のじゃダメなのかな……」
いや、何言ってますのん、お姉様。
「なんはともあれ……ごめんなさいね、拓也が迷惑かけて……あの子には私の方からも良く言っておくから……」
「いやっ! お姉さん、止めてあげてください!」
ガシっとお姉さんの手を握る私。
そのまま力説する!
「いいですか? お姉さんだって……人には言えない恥ずかしい事した事あるでしょ?!」
「え? いや、まぁ……」
「それと同じですよ! 拓也君だって……お姉さんに、この事がバレたと分かったら……物凄く辛いと思うんです!」
私の力説にコクコク頷くお姉さん。
よし、もう一押しだ!
「もしバレたと分かったら……拓也君、もうお姉さんと顔も合わせてくれなくなるかも……」
「それはイヤ! 絶対イヤ! 拓也きゅんに無視され続けるなんて……私耐えられない!」
そうでしょうとも!
だから絶対に言っちゃダメよ! 本人には!
「わ、わかりました……この事は私の胸の中に仕舞っておきます……」
うむ、それでいい。
あー、なんか凄い喉乾いた……。
ホットコーヒーを一気飲みし、店員さんにおかわりを注文する私。
「ぁ、そういえば、真田さんには……ちゃんとお礼をしようとしたのに、ごめんなさいね」
ん? あぁ、この前の痴漢から救った事か。
別に大した事してないし、大丈夫でござるよ。
「そんなわけには行かないわ……えっと……大した物じゃないけど……これを……」
と、テーブルの上に出されたのは一冊のアルバム。
なんですか、コレ。
「えっと……私の拓也きゅん特集、パート1よ……」
思わず固まる私。
な、なにこの姉……。弟の写真をパート分けして保存してるのか?!
私の兄貴もシスコンだが、この人も相当なブラコンだな……。
「い、いや、そんな大事な物を受け取るわけには……」
「いいから……! チラっとでもいいから! 私の気持ちを受け取って欲しいの!」
うぅ、そんな事言われても……卒業アルバムとかならまだしも、他の家族のアルバム見るって結構抵抗が……。しかし見ないと、お姉さん収まりそうに無いな……。
そっとアルバムを開く私。
そこには、幼稚園くらいだろうか。小さな拓也が母親らしき人物と手を繋いでいる写真が。
ふぉぉ、確かに可愛い……。ホントに女の子みたいな顔してるな、彼。
「か、可愛いですね……」
「でしょでしょ! もう私……メロメロで……」
弟にメロメロって不味いのでは……と、次のページを捲ると、高校の制服らしき物を来たお姉さんと拓也が手を繋いで映っている写真が。おおぅ、拓也もだが、お姉さんも可愛いな。
「それは私が十五歳の時の写真ね。拓也はまだ四歳かな?」
むむっ、と言う事は……お姉さんと拓也、十一歳も離れているのか。
あれ? ってことは……拓也は今十七歳だから……お姉さんは……
「ぁ、今計算してる? 私の年齢」
「い、いや! 断じて……」
成程、お姉さんは今二十八歳か。
あれ? でも冬子先生も同じくらいの歳だよな。でも確か……あの人、お姉さんの事を後輩って……。
「どうかした?」
「い、いえ! なにも……」
そして次のページへ。
ん? この写真だけ妙に古いな。なんだこれ。
お姉さんと……誰だ、このオッサン。
「あぁ、私は昔、飛騨の方に住んでて……その時に私、山の中で迷子になっちゃってね。その人が見つけてくれたの。それはその時に撮った写真」
「ぁ、そうなんですか。私の両親も飛騨出身って確か……」
なんだろう、このオッサン……どっかで見た事のある顔だな。
「あの、このアルバム……拓也キュン特集、パート1ですよね。なんでこの写真を……」
お姉さんは何処か悲しい顔に。
コーヒーを一口飲むと、懐かしそうに写真を眺める。
「実は……私の両親は拓也が八歳の時に……九年前に事故で死んじゃって……。それで両親の遺品を整理してる時に、その写真を見つけたんだけどね。この人が居なかったら……もしかしたら私も山奥で死んでたかもしれないって考えると……他人には思えなくなってきて……」
「そうなんですか……ちなみに……この時のお姉さんは何歳なんですか?」
「んー……確かまだ小学校低学年くらいだと思ったけど……」
と言う事は……私が生まれる前……
「この人は今……何処に?」
「あぁ、その人も死んじゃった……。まだ私の両親が生きてた頃だったから……お葬式に行ったっけ……。でも確か……あの時、この人の奥さん妊娠してて、子供が生まれたって……」
まさか……
「この人には感謝してもしれきれないかな……って、真田さんどうしたの?!」
「え?」
いつのまにか私は泣いていた。
アルバムの写真に涙が落ち、慌ててオシボリで拭く。
「さ、真田さん? あの……」
「だ、大丈夫です……」
飛騨地方に住んでた男。父親が死んだと同時に生まれた子供。
「あの……この人の命日って……今日じゃないですか……?」
「え? い、いや……どうだったかな……子供の頃の話だから……」
そうだよな、分かるわけないよな……。
「真田さん? もしかして……この人の事、知ってるの?」
「い、いえ……あの、この写真だけ……頂いてもいいですか?」
「え? う、うん……真田さん……もしかして貴方……」
無言でアルバムから写真を剥がし、そのまま席を立つ私。
「ごめんなさい、お姉さん……今日はこれで……」
「ぁ、うん……また誘うね?」
会釈しつつその場を去る。
気が付くと私は電車に乗り、実家に向かっていた。
私の実家は岐阜市より西の小さな村。
何もない村。しいて言えば畑と田が無限に広がっている。
無人駅で降り、田んぼ道を歩く。
だんだんと実家が見えてきた。
そっと懐から写真を取り出す。
拓也のお姉さんと共に写っている男。
どことなく、兄の面影がある。
「お父さん……?」
私は父の顔を知らない。
写真すら全て母が燃やしてしまった。
一歩一歩、実家へと近づく。
玄関へと手を掛けると、不用心にも鍵は開いていた。
これだから田舎は……と思いつつ中へ。
「ただいま」
「はー? 何しとん、アンタ」
だるそうな声で出迎えてくれる母。
今日は一応私の誕生日だぞ。
「お母さん……出前取って。私寿司がいい」
「はぁー? 仕方の無い子やね……まあいいわ、今日だけやで」
リビングに行くと、私が生まれてから撮られた写真が並べられていた。
そこに父の姿は無い。
「…………」
仲良く映ってる家族三人。
そこに父が映っていないのは、何処か悲しい。
母が何故、父の写真を全て燃やしてしまったのか。
今さら聞こうとも思わない。
でも、これくらいは……許してもらおう。
母と幼い私、それに兄貴が映った写真の横に……
そっと父の写真を立て掛ける。
「アンタ、松竹梅、どれがいいん?」
「あぁ、勿論……松で……」
今日は私の誕生日。同時に父の命日。
豪勢な食事をお供えしよう。
兄貴のお金で。




