(14)
五月二十日 (土)
「お帰りなさいませ、お嬢様」
癒しの空間、執事喫茶。
訪れるお嬢様には落ち着きのある空間でしばしの休憩を。
そしてさらに執事による接待。
まさに非日常的な待遇を受ける事が出来る夢の空間……。
それがここ、執事喫茶……。
「ねえ、あれ……パンダ?」
ヒソヒソとお嬢様の声が聞こえてくる。
そう、パンダだ。
今、私はパンダになっていた。
――数時間前
「デビツマツダさん、例の物を用意してください」
央昌さんに言われてデビルマツダが持ってきた物……それは白の黒の完璧なコンビネーションにより生み出された魅惑の生物。
その着ぐるみを受け取り、困惑する私。
え、なにコレ……。パンダ?
「そうです。実は以前柳津で見つけましてね。何かのイベントに使えると思って購入しておいたんです。まさか真田さんに執事の格好をさせる訳には行きませんので……」
いや! 執事さんでいいよ! っていうか執事さんがいいよ!
「またまた、そんな気を使って頂かなくても大丈夫ですよ。男の格好をして喜ぶ女性なんて居ませんしね」
グサッ……と私の胸に突き刺さる何か。
自室の姿見の前で兄貴の服を着てポーズを取る自分が思いだされる。
央昌さんは「ではよろしくおねがいします」とだけ言って去って行った。
デビルマツダは笑いを堪えるのに必死になっている。
「アンタ……完全に否定されたわね。ま、まあ落ち込みなさんな。クク……私は、あんたの味方よ?」
噓付! だったら燕尾服モッテコイ! 執事さんの服モッテコイ!
「オーナーに逆らう訳には行かないわ。まあパンダもいいかもしれないわよ」
そんな訳あるか! うぅ、しかし着る物はこれしかない……
涙を飲みこんでシャワーを浴び、パンダの着ぐるみに袖を通す私。
しかし私もプロ(?)だ。
白熊の着ぐるみバイトを経て、次はパンダ。
着ぐるみに愛されていると言っても過言では無い。
さあ、お嬢様共、パンダに癒されるがいい!
――そして現在
せっせと働くパンダ。
主にコーヒーを運びつつ、パンダの着ぐるみを見て驚く人も居れば喜ぶ人もいる。
中には握手を迫ってくる人も居た。まるでテーマパークに居るマスコットだ。
「パンダさんー! あはは、可愛い~」
ふぉぉぉ……君の笑顔の方が可愛いよ、マイスイートハニー!
なんて口走ってしまいそうだ!
ふふぅ、中々いいじゃないか、パンダ。
でもやっぱり……私は執事さんの方がいいなぁ。
チラっと拓也の方を見る。
お嬢様にコーヒーを運びつつ、髪の毛にゴミが付いていますよ、と撫でつつリップサービス。
もうお嬢様の瞳は夢の国に旅立ってしまったようにトロン……としている!
いいな、いいな……私もあんな風にお嬢様の頭撫でたいな……
と、言いつつ傍にいるお嬢様の頭を撫でまわす私。
「あ、あの……パンダさん……?」
ぁ、しまった……なんか手頃な頭があったから……
ってー! こ、この人は!
た、拓也のお姉さんじゃないか!
なんか撫でやすい頭だと思ったら……。
「えっと……注文いいですか?」
イカン、私は注文聞けぬ。
というかパンダの着ぐるみのままでは伝票なんぞ打てん!
仕方ない、拓也を呼ぼう。
バッ、と両手を上げ拓也に全力で手を振る私。
周りのお嬢様は何事かと頭の上に?マークが浮かんでいる。
「ぁ、はいはい、どうしましたパンダさん」
パンダさんて……。
その時、お姉さんも拓也に気づいたらしく
「あ、拓也きゅんー。注文いい?」
「姉さん……っ、こんな雨の中……わざわざ来なくても……」
拓也きゅんって……このお姉さん、本当に拓也の事溺愛してるんだな。
匂いを嗅ぎ分けてたしな。
「えーっと、ホットコーヒーにミックスサンドで」
「はいはい。デザートは?」
むむっ、拓也も姉が相手だと恥ずかしいのか素に戻っている。
可愛い奴め! 周りのお嬢様も微笑ましい物を見るかのように二人の様子を伺っていた。
ぁ、パンダの私……完全に蚊帳の外だわ……。
寂しい! パンダ寂しい! 構って!
拓也の背後に回って抱き付く私。
「わっ、パンダさん、くすぐったいですよ」
そんな事言われたって……寂しいんだ! もっと構って!
しかしその時……周りから怨念のような声が……
「何あのパンダ……私の拓也君に何してんの……」
「パンダのくせに……獣のくせに……」
「もふもふ毛並みのくせに……」
「竹しか食わないくせに……」
いや、なんかノリで言ってる人居ない?
うぅ、しかしお嬢様方の印象最悪だ! このままでは接待など到底無理でござる。
「晶さん……一旦下がりましょう」
拓也に小声で言われ、一緒に店の奥、央昌さんが事務仕事をしている所まで来る私達。
「おや、二人共どうしました? 休憩なら交代で……」
「い、いえ、違うんです。あの……央昌さん、晶さんに執事の格好をさせてあげてくれませんか?」
おぉ! 拓也! よく言った!
流石私の友やで!
しかし央昌さんは渋い顔をしている。
むむっ、なんでだ。
「女性執事ですか……そうなるとお嬢様の反応がどうなるか……」
「ぁ、それなら心配ないです」
拓也は携帯を出し、私の男装してる写真を……あぁ、初めて拓也と会った日のか……。
ってー! いつのまに撮ってたんだ! と、盗撮だ!
「これは……男装ですか? あぁ、成程……そういう……」
チラっとパンダの私を見る央昌さん。
なんか余所余所しい。そうか、さっき私の前で男の格好して喜ぶ女なんて居ない、なんて豪語してたもんな。
ところがどっこい! 世の中には結構居るんだよ! 自分の思い描く美男子になりたいと願う女子が!
「しかし、それは今出来るんですか? 何かメイクとか必要になってくるのでは……」
いや、なんとか行けるだろう。
胸を潰して髪型を弄れば問題ない筈だ。一見女に見えるかもしれないが、実は女顔のイケメン……という設定で通る筈だ!
央昌さんに親指を立てながら頷く私。
「出来るみたいです、央昌さん。いいですか?」
「まあ、そうですね。真田さんが構わないと言うのなら構いませんよ」
キター!
執事服を着る時が来た!
央昌さんに深々と頭を下げつつ、拓也とその場を去る私。
そして更衣室に入ると、そこにはデビルマツダの姿が。
え、なにしてんの。
「待ってたわよ。拓也君。コイツは私に任せて頂戴。ホールの方を頼むわ」
「は、はい、わかりました!」
むむっ、デビルマツダ手伝ってくれるの?
「そうよ。さっさとパンダ脱ぎなさい」
パンダの着ぐるみから脱皮する私。
下着姿だが、デビルマツダにはもう何度も見られている。今さら恥ずかしいとは思わない。
「じゃあ、まずは胸を潰すわよ」
え、なにそれ……サラシ?
なんでそんなもん持ってんの?
「細かい事はナシよ、ブラ取って後ろ向きなさい」
言われた通りにする私。
ふふぅ、もう好きにして!
「御断りよ。女には興味無いもの。ちょっときつめにするわよ」
うんむ。そのまま執事服を着せられていく私。
むむ、あれ? ベストだけ?
ジャケット的な奴は?
「アンタ肩幅無いんだから。違和感ハンパないわ。ベストだけの方が自然で暑苦しくないし……あとは髪型ね。ポニーはやめて……普通に束ねてるだけにしましょうか」
髪型まで弄られる私。
ふふぅ、まあデビルマツダなら心配ない。こういう事にかけては右に出る者は居ない! と思う……。
「出来上がりよ。さあ、拓也君が待ってるわ、行ってきなさい!」
デビルマツダに背中を押されて更衣室から出る私。
ありがとう、デビルマツダ!
私、頑張ってくる!
し、しかし緊張するな。
生唾を飲みこみつつ、いざお嬢様が待つホールへ……。
「……ん? あの人誰?」
「あら、可愛い子……」
「あんな人居たっけ?」
「新人?」
ふぉぉぉ、お嬢様が私に注目している!
さ、さて、どうするべきか。
何か、何か運ぶ物は……。
「すいませーん、デザートくださいー」
そこに声を掛けてきたのは拓也姉!
ふむ、練習には一番いいかもしれん!
いざ!
「あれ? 貴方……どっかで会ったような……」
ってギャー! そうだった!
この人とは名古屋と電車の中で会ってるんだった!
「まあいいや。デザートくださいな」
「か、畏まりました……」
って、ん? 拓也姉の口元にミックスサンドの卵が着いてる。
これはチャンスだ!
私はそっとナフキンを取り、優しく拓也姉の口元を拭う。
そしてトドメの一言を……。
「あんまり世話焼かすな……可愛い子猫の分際で……」
ってー! しまった!
テンション上がって……つい執事物のマンガのセリフが!!
お客様に……お嬢様になんて口を……不味い! パンダに続いてまた印象悪くなるんじゃ……
しかし、私と拓也姉の様子を伺っていた他のお嬢様達は、無言で私達を眺めているだけだ。
その数秒後……
「み、ミックスサンド! 私にもミックスサンドを!」
「私カレーで!」
「じゃあ私はケーキ! クリームを拭ってもらうの!」
な、なんだ? 何が起きたんだ?
注文が殺到し、対応に追われる拓也。
「晶さんも! 伝票打ってください!」
いや、だから私打てんて。今までバイト経験皆無なんだぞ。
「何事ですか、歓声が奥まで響いてきましたよ」
そこに救世主が!
央昌さんが現れ、お嬢様の注文を伝票に打ち込んでいく!
「晶さん、ここはいいですから。キッチンを手伝ってあげてください」
「は、はい!」
キッチンへと走る私。
そこには二人の男。
一人はオールバックでサングラスを嵌めたまま料理をしている。
そしてもう一人は、ジャ○ーズ系の美男子……なぜキッチンに居る、とツッコミたくなる。
「おい、そこの新人! サンドイッチくらい作れるよな」
お、おおぅ、たぶん……、私の得意料理は卵掛けご飯だ。
「頼むから何もするな。お前は料理を運べばそれでいい」
あ、あれ? は、はい……。
サングラスをした男はフライパンを手にし、油を敷く。
そのまま大きく火が舞い上がる!
「洋介! 気合入れろ! お嬢様には?!」
「最高の料理を!」
おおぅ、なんだこの二人!
凄い気合入って息もピッタリ……だと言いたいが、洋介と呼ばれた方はタバコ休憩中だ!
「最高の料理を!」とか言っといて急ぐ様子も無いし!
大丈夫なのか、本当に!
「晶さーん! お嬢様がお呼びです!」
むむっ?! ホールから拓也の声が……
お嬢様から指名だとぅ! 今いくでゴザル!
急いで向かい、私を指名しているお嬢様を拓也から聞く私。
窓側の一番奥の席に、そのお嬢様は居た……。
って、あれ……冬子先生じゃない?
「いや、拓也……あれ、お嬢様じゃない」
「え? な、なに言ってるんですか……完全にお嬢様ですよ、というか迷子なんですかね」
「バカッ、あの人はあれでも三十路間近の独身だ! あまり舐めた口聞いてると……」
その時、ゾクっと背筋が凍る。
イ、イカン、バレている。
私が私だってバレてる……。
チラ……っと冬子先生を見ると、満面の笑みで手招きしていた。
やばい、目が笑ってない。
完全に可愛いマンチカンを睨むトラの目つきだ。
「晶さん、とりあえず急いでください、僕も忙しいんですからっ」
「ぁ、ちょ……拓也……」
そのまま去ってしまう拓也きゅん。
っく、仕方あるまい。
恐る恐る冬子先生の元へと歩み寄る私。
まるで鬼顧問に呼び出されたサボリグセのある生徒のようだ。
「え、えっと……何してんすか、冬子先生……」
「コラコラ、ここでは私はお嬢様だろう? 真田」
お嬢様? 口が裂けても言いたくないが仕方ない。
「えっと……お嬢様?」
「疑問形になってるぞ、まあいい。ところでお前……勉強してるのか? バイトばかりして疎かになってたら本末転倒だぞ」
してるさ……ちょくちょく……
「ちょくちょくでどうすんだ。勉強出来ないほどバイトしないと授業料払えないっていうなら……私だったら大学辞めてるぞ。それで一人で勉強する」
おおぅ、流石出来る人は違いますな。
で、そんな事を言いに私を呼び出したのか。
「……あの席に座ってる女を見ろ。お前がさっき口元を拭った女だ」
ん? あぁ、拓也の姉さんだな。
それがどうかした?
「私の後輩だ……。ご両親が亡くなって……まだ幼い弟の世話をするために夢を捨てた奴だ」
あぁ、両親が死んだってのは聞いたが……。
そうか、あのお姉さん拓也の為に……。
「で、なんでそんな話を……?」
「だからお前は勉強頑張れって話だ。こんな所でバイトするくらいならウチ来いよ。現場で覚えた方が身になるぞ」
い、いや……私別に獣医になりたいわけじゃないし……。
「お前は向いてると思うんだがなぁ……」
むむ、冬子先生……会う度に勉強しろって……私はアンタの子供じゃないゾ。
「そう言うなよ。夢を追いかけてたのに……諦めざるを得ない奴を私は何人も見てきたんだ。そんな奴らを供養する為に、私はお前を一人前にするって決めたんだ」
勝手に決めないで貰いたい……。
まあ、私は他にやりたい事もあるわけじゃないが……。
「ならいいじゃんー! なろうぜ獣医!」
「簡単に言わないでくださいっ、わ、私だって青春とか色々あるんですから!」
そのまま冬子先生の元から去る私。
ふと拓也姉の様子を伺ってみる。
美味しそうにデザートを頬張り、拓也の事を「きゅん」付けで呼ぶ明るいお姉さん。
両親を亡くして……悲しい筈なのに、自分の夢まで捨てて弟の為に生きるって……
どんな気持ちだったんだろう




