(12)
コロッケをたらふく食べて大満足の私。
むふぅ、ビールも飲んだから……もう眠いでござる。
時刻は深夜一時。蓮君は既に里桜と一緒に眠っていた。
「イタズラしたくなってくるな……」
どれ、里桜のほっぺをつついて遊ぼう……。
その時、春日さんに先を越された!
里桜のほっぺを優しく摘まむ春日さん。
「あの、晶ちゃん、屋上へはどうやって行くの?」
ん? 屋上?
あぁ、最上階に屋上に向かう階段があるでござるよ。
それがどうかした?
「ううん、ちょっと夜風に当たってこようと思って……」
ぁ、それなんか気持ちよさそう。
私もいくぅ。
「ごめんね、ちょっと一人になりたいから……」
ぁ、そ、そう? まあ一人の時間も必要だろう。
そういえば……まだ説明出来て無かったな……蓮君の事……。
まあ明日の朝でもいいか。今はなんか眠くて……。
意識が飛ぶ……。
ソファーの上で横になっている私。
あれ、誰かが毛布かけてくれたのか……。
ってー! やべ、寝てたのか。
今何時……って、まだあれから三十分しか経ってない。
シャワー浴びてちゃんと寝よう。明日も大学だし。
そのままフラフラとシャワーに向かう私。
その途中、廊下に一枚の紙が……って、なんだコレ。メモ書き?
「何々……ごめんね、ありがとう、楽しかったよ。さようなら……」
……ん?!
ちょ、ナニコレ……誰の字……って考えるまでも無え!
春日さん、さっき私に屋上への行き方を……。
まさか……まさか!
裸足のまま飛び出し、エレベーターで……って、この階にない!
今エレベーターは最上階で止まっている。
「……っ! あぁ、もう!」
階段を二段飛ばしで駆け上る。
私の部屋は十階。屋上は十五階の更に上。
「はぁっ……はぁ、間に合え……間に合え!」
一気に駆け上る。
屋上へ通じる扉は開け放たれていた。
「鍵閉めとけよ……管理人!」
屋上へと出て見回す私。
居ない、どこだ。
まだ居る筈。居ない訳が無い。
まだだ、絶対居る。絶対……絶対……絶対……!
「春日さーんっ!」
思わず叫ぶ。
返事は無い。だが闇の向こうに微かに影が見えた。
岐阜の夜の街、その光を遮る何かが。
裸足で全力でダッシュ。
間に合え、間に合え、間に合え!
フワッ、と何かが揺れるのが分かった。
ダメだ……駄目だ駄目だ駄目だ!
「春日さん……!」
寸での所で手を掴み、フェンスに引き寄せる私。
そのまま乱暴に髪の毛と腰のベルトを掴んで無理やりに、力任せにこちら側へ戻した。
「はぁ……はぁっ……はぁっ……なんで!」
なんで自殺なんてするんだ、と地面に転がって震える春日さんを睨みつける。
手には春日さんの髪の毛がごっそりと付いていた。こちら側に戻す時に引きちぎったのか、私。
春日さんは動かない。
ただ震えながら寝転がって泣いているようだった。
もしかしたら髪を引きちぎっちゃったから……痛かったかもしれない。
「春日さん……部屋に……もどりましょ」
とは言え私もフラフラだ。足の裏はズタズタに切れてるし……やばい、今更になってめっちゃ痛くなってきた。
「死なせて……」
その時耳に届いた声。
私が間違っていた。この人はメンヘラなんかじゃない。本当に悩んでたんだ。
「お願い……死なせて……」
フラフラと立ち上がる春日さん。
あぁ、こんな時に何て言えばいい? ドラマだと……たぶん馬鹿野郎! とかいいながら……お前が死んだら俺も死ぬ……とか……。
いやだ、私は死にたくない……だからって春日さんも死なせたくない。
あ、やばい、また止めないと……。
でも足動かねえ……。
なんか……言え……話せ、何でもいい、適当な話でも何でも……
「春日さん……私の父親、病死したんです。くも膜下出血で……」
ピク、と春日さんの動きが止まる。
「とは言っても、私は顔すら知りませんけど……。父が死んだときに……母親が写真全部燃やしちゃったんです。兄によると……母は心中しそうな勢いだったって」
春日さんは動かない。振り向きもしない。黙って私の話に耳を傾けてくれている。
「でも、そんな母のお腹の中に……私が居たんです。兄は言ってました、私が居なかったらゾっとするって……」
耳に微かな足音が届く。階段を駆け上る音だ。誰かが……ここに向かってきている。
「ねえ、春日さん……片親って……結構寂しいんですよ……」
誰だ、誰でもいい。早く来い。
ゆっくりフェンスに歩み始める春日さん……
「ねえ! ちょっと! 話聞けよ! お願いだから!」
ゆっくりフェンスに足を掛けて向こう側に立つ春日さん……。
何でだよ、何で私の話聞いてくれないの!?
「待ってよ! 待って! なんで行っちゃうの!? お願いだから……」
あれ、いつのまにか私泣いてる。
泣いてる暇あるなら考えろ。あと、あと少し……あと少しだけ……時間を……
その時、初めて春日さんは私に振り向き
「ごめんね……」
そう言い残して……
私の前から消えた。
頭の中が真っ白になった。
もう、ダメだ。
でも次の瞬間、耳に届いたのは鈍い音でも叫び声でも無かった。
フェンスを揺らす金属音。
なんだ……誰かが……あれ、涙で滲んで良く見えない。
「晶……!」
その声で私は動いた。
兄の声だ。兄がいつのまにかフェンスの向こう側に居る。
なんて足だ、一瞬でフェンス乗り越えたのか。
「兄ちゃん……!」
右手で春日さんの手を掴んでいる兄。左手はフェンスの網の部分を鷲掴みにして、痛々しい程に血が滲んでいた。
私は兄の手をワイシャツの上から掴んで引き上げる。
これが火事場の馬鹿力なのか。兄はフェンスの上部を掴み直すと、そのまま片手で春日さんを戻した。
そして私がしたように、春日さんを再びフェンスの内側へと放り出す兄。
「はぁ……はぁ……兄ちゃん……」
よかった、助かった……。
って、あれ。兄ちゃん……なんか顔が鬼の形相……
「おい、起きろ」
兄貴は春日さんの胸倉を掴んで無理やり起こし、そのまま思いきり顔にグーパン……って、おい!
アンタの力で殴ったら……
「俺の妹泣かすんじゃねえよ」
「ちょ、兄ちゃん! 何して……」
私の声で我に戻ったのか、兄は春日さんを離して私をお姫様抱っこする。
って、抱っこするなら春日さんを……。
「なんで……死なせてよ……あんた達には関係ないでしょ……」
悲痛な声をあげる春日さん……。
まあ、関係ないって言われたら……どうしようも……
しかし兄は
「春日さん、蓮君が目を覚まして……貴方を探してます。早く行ってあげて下さい」
「……な、なんで? あの子は私の事忘れて……」
いや、違う……忘れてなんか居ない。
「春日さん……違うんです、蓮君……視力が下がってるだけなんです……。心因性視覚障害って……聞いた事ないですか……」
春日さんは何かに気づいたように顔を上げる。兄貴に殴られた所が痛々しい……。
「今日、蓮君と何度も目を合わせようとしました。でも蓮君……何かを探すみたいに目を泳がせてるんです。たぶん目の前の人間が誰なのか……必死になってるんだと思います……」
「……そ、そんな……で、でも、私の声で分かる筈じゃ……」
いや、無理だ。
「春日さん……蓮君とまともに会話してなかったんじゃないんですか……。心因性視覚障害は……鬱病の人とか……蓮君みたいに両親とのスキンシップがまともに取れていない子供がなるんです……」
「そんな……蓮……蓮……」
春日さんはゆっくりと立ち上がり、フラフラと階段へ。
いや、危なくないか。転げ落ちたら……。
「晶、一回降ろすぞ」
ん? え、何するつもり……?
兄貴は私を一回降ろすと、いきなり春日さんを御姫様抱っこ……あぁ、私のポジションが!
「晶、背中におぶされ」
え? え!? ちょ、無茶だろ!
「大丈夫だよ、高校時代……こうやって前と後ろに男を担いでグランド走ってたんだ。それに比べりゃお前等なんか朝飯前だ」
そ、そうなんすか。何そのトレーニング法……。
兄に言われるまま、首に手を、腰に足を回してコアラのように抱き付く。
私も足の裏がザックザクに切れてて……ぶっちゃけものすごく痛い!
そのまま宣言通り兄貴は私達二人を担いだまま部屋へ送り届けてくれた。
部屋の中には、泣きじゃくる蓮君と、それを必死にあやす里桜が。
「おーよしよし……お姉さんがパンダのモノマネをしてやろう……って、あんた達何処行って……って、晶?! なにその足! うわ……なんかスプラッタな事に……」
そんなに酷いのか? そこまでマジマジと観察してないから分からぬ。
「って、ぁ……春日さんも……え!? なにその顔……どうしたの!?」
兄貴に殴られた顔を見て驚く里桜。
ぁ、兄ちゃん今頃になって冷や汗垂らしてる。
「っていうか、蓮君さっきから泣き止まないんですよ……ど、どうにかしてください!」
春日さんはゆっくり蓮君に近づき
「蓮……おいで」
そっと手を広げて蓮君を呼んだ。
そのまま春日さんに抱き付く蓮君……むむっ、一気に泣き止んだな。
「うっ……うあぁぁ……あぁぁぁぁっ」
ってー! 今度は春日さんが泣きだした!
ど、どないすれば……
あたふたする私を兄から下ろして抱きかかえる里桜。
うお、意外とパワフルだなお前……。
「幼少の頃よりピアノを習ってた私の握力は90オーバーよ。なめんな」
そっとソファーに座らせてくれる里桜。
足の裏を見て苦い顔をする。
「全く……何したらこうなるのよ。ちょっと待ってな。蒸しタオル作ってくるから」
「いや、風呂で洗うでござるよ……」
ギロっと私を睨んで来る里桜さん。え、な、なに?
「その足で風呂場の濡れたタイル踏む気? 痛みで卒倒するわよ」
ひ、ひぃ……! ってことは私……風呂にも入れないって事か?!
その後、里桜に手当をしてもらい包帯で足をグルグル巻きにされた私。
体も気持ち悪い、と訴えると全身くまなく拭いて頂けた。すまんのぅ、お嬢様なのに。
兄貴は兄貴でシャワーに入ってソファーでさっさと寝てしまった。
そういえば……なんで兄貴、私が屋上に居るって分かったんだろ。
兄貴が本気で怒る事など私が泣かされている時だけだ。
このシスコンめ……と思いつつ、寝ている兄に毛布をかけてあげる私優しい。
さて、包帯でグルグル巻きにされて多少歩きにくいが……
「拓也……ごめん」
謝りつつ携帯で拓也にコール。
留守番に繋がっても再びコール。
『ふぁい……なんれすか……』
凄い眠たそうな拓也の声が……そりゃそうか。深夜の二時近くだもんな。
「ごめん、拓也。央昌さんの電話番号教えてくれる?」
『はい? また央昌さんですかぁ? 別にいいですけど……』
ブツブツ言いながら教えてくれる拓也。それをメモり、お礼を言いながら電話を切る。
さて、次はこっちを叩き起こすか。
そのまま央昌さんの電話にコール。
『はい……花京院です……』
直ぐに電話に出る央昌さん。
ん? なんか……掛かってくるのが分かってたみたいな……。
『春日と蓮の事ですか?』
「ぁ、はい……もしかして……央昌さん……どっかから見てませんよね……」
『……何かあったんですか』
う……いや、まさか春日さんが自殺を図ったとか言えんし……。
いや、そんなことよりも……。
「央昌さん……しばらく蓮君と春日さん……家に住んでもらおうと思ってます」
『そう……ですか』
寂しそうな央昌さんの声。
でも仕方ない。央昌さんの所に居ても、蓮君の視力は回復しない。
心因性視覚障害の治療は主に心のカウセリングだ。時には伊達眼鏡をかけさせて暗示を掛けたりもするが……。
その為には親とのスキンシップを図る事が必要になってくる。
だが、蓮君の視力はかなり悪い。至近距離で人と目を合わせる事が出来ないほどに低下しているのだ。
仮に春日さんと央昌さんが離婚し、そのストレスのせいで心因性視覚障害に陥ってるとしたら、もうそれから一年近く経っている。いくらなんでも蓮君、見えなさすぎだ。
つまり……央昌さんも蓮君とまともにスキンシップが取れていないと言うことだ。
蓮君をひとりぼっちにしているのは、春日さんだけじゃない。央昌さんもだ。
「毎日電話で状況お知らせしますので……」
『ありがとうございます……蓮と春日は今どうしてますか?』
今は……
「ぐっすり眠っています。あの、央昌さん……私がこんな事言うのは……ちょっとアレですけど……」
『なんでしょうか』
私は春日さんと蓮君が眠っている部屋のドアを見つめながら
「きっと、蓮君……視力戻ると思います。その時……春日さんが隣りに居る事を許してあげて欲しいんです。なにも一緒に住めって事じゃありません、定期的に……一週間に一回くらいは……」
数秒、央昌さんが考えるように沈黙する。
『少し……考えさせてください……』
そのまま通話を切る央昌さん。
何言ってんだ、私。
私はあの二人の保護者じゃない。
春日さんと央昌さんが……どうしようと本人達がひたすら悩み続けるしかないのだ。
数週間後……
あの後、蓮君の視力はだんだん回復してきた。
今ではすっかり、私の部屋の中を暴れまわるほどに回復している。
ってー! おい! 私の男装用ウィッグで遊ぶな! グチャグチャになっちゃうだろ!
「ごめんなさい……」
うむ、素直に謝る良い子だ。
央昌さんみたいな紳士的な大人になるんだぞ、少年。
「こらー、蓮ー? 晶ちゃんの物にイタズラしちゃダメだよー?」
春日さんも少しずつ元気を取り戻していった。
蓮君は私と春日さんに注意され、申し訳なさそうに
「ごめんなさい……お母さん……」
冬が終わり、春が来る。
一つの季節が終わりを告げるように、新しい空気で世界が満たされていった。




