(11)
帰宅した自宅マンションで空気が凍り付くのを感じた。
まるで魔法でも掛けられたかのように、私も春日さんも微動だにしない。
「おばちゃん……誰?」
私が連れてきた迷子。
その子を春日さんは「蓮君」と呼んだ。
恐らくは話していた子供の事だろう。
親なのだ。たとえ一年以上会って居なくとも、自分の子供を見間違える筈が無い。
それは子供も同じ筈だ。自分の母親の顔が分からない筈が無い。
「蓮くん……?」
「……?」
春日さんが名前を呼んでも首を傾げるだけの男の子。
何か言いたそうに口を動かしつつ、もじもじと体を揺らす。
「私よ……? 貴方の……」
「おしっこ……」
ん? おしっこ?
……ってー! さっきからモジモジしてると思ったらトイレか!
不味い! 漏らされる前にトイレへ!
急げ春日さん!
「え? ぁ、は、はい!」
そのまま春日さんは蓮君を連れてトイレに。
イカン、一瞬呆けてしまったが……もしかして央昌さんが春日さんに子供を会わせたくない理由ってコレか? むむぅ、央昌さんに確かめたいが……携帯の番号すら……
「ぁ、拓也……」
そうだ、拓也は央昌さんの店で働いてたな。
拓也経由で連絡取って見るか。今日バイト行ってるか分からんけども。
一旦寝室に引きこもり、拓也へコール。
数回の呼び出し音の後、息を切らして苦しそうな声が……って、どうした!
『は、はぃぃぃ! なんでずが、あぎらざん……』
「ぁ、いや、ごめん、今何してんの?」
『バイドにおぐれぞうで……ばじっでばず……』
「あぁ、そう。今日バイトなんだね。分かった。落ち着いたら掛けなおしてくれる?」
『わがりばじだ……』
そのまま電話を切る私。
拓也は高校から走ってバイトに通ってるのか? どこの高校か知らんけども……。
その時、私の寝室の扉をノックする誰か。
まあ春日さんだろうが。
「晶ちゃん……ちょっといい……?」
「あぁ、はい。あの子は……」
「疲れてたのね、ソファーに座らせたら寝ちゃったわ」
ふむぅ、それはそうと春日さん……また雰囲気がダークになってるな。無理も無いが。
いつもだった……「疲れてたのねー? もう寝ちゃったぁー」みたいな感じなのに……。
春日さんと私は、グッスリとソファーで眠っている男の子の元へ。
その寝顔を見ると、確かに央昌さんの面影がある。初めてこの子に会った時も、どこかで見たような顔だとは思ったが……。
「晶ちゃん……どうしよう……もしかしてこの子、記憶喪失とかじゃ……」
「いやっ、落ち着いてください……。もしかしたら春日さん……劇的に見た目変わったりしてません?」
考えられるとしたらソレしかない。
会ってない期間に春日さんが……例えば整形手術を受けたとか!
「受けてないけど……髪型だって変えてないよ……?」
むむっ、ならば何故だ。何故蓮君は母親の事が分からんのだ。
まさか本当に記憶が……。
春日さんから央昌さんに連絡を取れるだろうけど……ここは私からまず連絡したほうが良い筈。
いきなり喧嘩が勃発しないとも限らんし……。
その時、インターホンが鳴った。むむ、兄貴が帰ってくるには早い。ということは里桜か。
「ぁ、春日さん、ごめんなさい……今日友達も呼んじゃって……」
「え? あ、あぁ、うん、全然……いいよー……って、私が言うセリフじゃないよね」
テヘ……と自分の頭を小突く春日さん。
無理やりに元気を出そうとしていらっしゃる! 見るに耐えぬ……ここは……。
「あの……私から央昌さんに事情を説明してみますので……えっと、その……」
あぁ、なんと言えばいいのだ! 央昌さん来るから安心して! なんて言えないし……!
「大丈夫だから、晶ちゃん……コロッケ沢山作ったから!」
いや、そっち?! 凄い楽しみにしてたけども!
あぁ、もう、あまり難しく考えるな!
「れ、蓮君も……春日さんの料理食べれば元気出ますって!」
「う、うん、そ、そうだよね……そうだと……いいね……」
ってー! しまった! 折角無理やりに元気だそうとしてた春日さんがダークサイドに……。
いかん、いかんですよ。ここは第三者を入れて気を紛らわさせるしか!
いでよ里桜様! 魔王様よ!
「誰が魔王よ。つーか玄関開いてたわよ? 不用心にも程が……って、あれ? 春日さんじゃん」
ん?
「ぁ、里桜お嬢様……ご、ご無沙汰してます……っ」
ぁ? お嬢様? 何言ってんの、春日さん……コイツはそんな上品な子じゃ……
里桜と春日さんを交互に見る私。
えーっと……二人はどんな関係なんすか?
「あの、晶ちゃ……晶さん、里桜お嬢様は……涼お嬢様の義理のお姉様で……」
ん?! 飛燕ちゃんのお姉さん!? 嘘だろ!? あの金髪ツインテールの姉が里桜!?
言っちゃ悪いが……里桜は確かに美人な方だが金髪ツインテールの破壊力には到底敵わぬ!
金髪ツインテールが月だとしたら……里桜は精々……柴犬だ!
「どんな例えよっ。義理だって言ってるでしょ? あの子はノルウェーで父親が拾ってきたのよ」
の、ノルウェー? え、ヨーロッパ?
「そう。ちなみに春日さんは……そんな我が妹の家庭教師だったりする。家政婦の真似事もしてもらってるけど」
そ、そうなのか……あれ? でも里桜の名字……堺だよな。
なんで金髪ツインテールと違う名字なの?
「別に理由なんて無いわよ。私が父親を毛嫌いしてるから母親の性を名乗ってるだけだから。っていうかそんな事どうでもいいでしょ」
ぁ、はい……しかしイイトコのお嬢様が合コンで遊びまくってるって……。
「何よ、文句ある?」
「ないッス……」
その時、私のポッケで震える物体……ぁ、携帯か。
拓也から着信だ。いそいそとその場を離れ電話を取る私。
「拓也? 今大丈夫?」
『は、はぃ。すみません、何でした?』
「あぁ、えっと……央昌さん居る? 変わって欲しいんだけど……」
『え? あぁ、はい……愛の告白じゃないですよね……」
んな訳有るか! せ、世間話だ、ただの……
『ただの世間話を……僕を仲介してするんですか。まあいいですけど……』
いいんだ。
『じゃあ代わりますね、少し待ってください』
うむ、どんだけでも待つぞ。
その後、ガヤガヤと何やら賑やかな人の声が。
ふむ、今日は執事喫茶忙しそうだな。
『変わりました。真田さん、先日は本当に失礼いたしました……あの、春日はあれから……』
央昌さんが電話に出た。私はとりあえず春日さんは今ここにまだ居る、と言いつつ男の子の事を話した。
迷子になっている子を保護したら、偶然その子は央昌さんの息子でしたーっ……みたいな感じに。
しかもその子は、春日さんに対して……「おばちゃん……誰?」と言い放った事など全て隠さず説明する。
『今、蓮は晶さんの家に居るんですね? 申し訳ありません、一人で家から出掛けれるような子では無いのですが……それから……実は蓮は……』
『央昌さーんっ! 何してるんですかー? 早くぅー、こっちこっちーっ』
と、その時後ろから黄色い声が飛び込んで来た。むむ、この声は今噂の金髪ツンテイールこと飛燕 涼ちゃんでは?
『ちょ、飛燕様……申し訳ありません、少々お待ちを……』
『仕事中に携帯弄っちゃダメでしょ? ほら、早く早くっ!』
プツ……とそれを最後に切れる電話。
おのれ、金髪ツインテールめ……。大事な所で邪魔しおってからに。
まあ仕方ない。蓮君がどんな状態にあるのか分からんが……とりあえず様子見かしら。
里桜と春日さんは二人で台所に立っていた。
むむっ、二人ともエプロン付けてる……。え、里桜も料理してるの?
「話は大体聞いたわよ。あんたは子供見てなさい。キレるんじゃないわよ。着ぐるみバイトの時みたいに」
き、キレるわけなかろう! 私は大人だ!
「あ、そう。ところで晶、他にお兄さんも来るんだって?」
「あぁ、うん。里桜会った事ないよね。ちょっとスケベだけど……いい?」
ピクっと里桜さんが反応……ん? どこに反応したんだ?
「スケベ……ね。いいわ、どのくらいスケベか……私が試してやろうじゃないの!」
一体何を言ってるんですか?! 里桜様!!
台所からリビングへ戻ると男の子、蓮君が目を覚ましていた。
目を擦りながら辺りを見回している。
「蓮君ー。起きた? もうすぐご飯だからね。パパにも連絡したから」
蓮君は首を傾げつつ、私を見つめて……って、ん? この子……さっきから目をキョロキョロと泳がせて……いや、違う。まさか……。
「お姉さん……パパの事知ってるの?」
「ん? あぁ、うん。たまたま蓮君の事知ってる人が居てね……」
蓮君の隣りに座り、手を握る。
一瞬ビクっと震えるが、安心したように身を預けてきた。
そのまま私の膝枕に甘える蓮君。
ふぉぉぉぉ! すべての子供がこんな可愛い子だったらいいのに!
まるで天使だ! かわゆい……。
数分後、再び蓮君は寝息を立てて眠り始めた。
相当疲れが溜まっていたようだ。そりゃそうだ……一人で外に出るなんて無茶な真似しおってからに。
そっと蓮君を抱っこし、私のベットへ運ぶ。毛布と布団を被せて電気を消し……と、その時
「うあぁぁぁぁ……ああぁぁぁぁ……」
ってー! 泣きだした?! なんでだ! 今までグッスリ眠ってたのに!
「ど、どうした蓮君……! お腹が空いたのか?」
添い寝しながら頭を撫でる私。すると蓮君は私の胸元に顔を埋め、服を握りしめてきた。
むむっ、離れるなという事だろうか。寂しがりやさんめ!
と、その時私の脳裏に再生される央昌さんの声。
『春日、何度も言うが……今は蓮とお前を会わせられない。あの子もお前が外で遊んでる時……一人で家に居たんだ。まだ小学生にもなってない子供がだぞ……』
そうか、そういう事か。
なんとなく分かった気がする。春日さんも確かに悪いが……
央昌さん……貴方も悪い……。
数時間後、里桜に揺らされて目を覚ます私。
むむ、私も寝ちゃったのか……。今何時じゃ……?
「夜の八時よ。今あんたの兄貴も帰ってきたわよ」
なにっ、兄貴が……あれ、ご飯は?
「何言ってんの。ちゃんとコロッケ大量に作ってあるから。今、あんたの兄貴シャワー入ってるから。私突入してくるわ」
あぁ、はい……わかりました。
コロッケ大量かぁ……げへへ、ヨダレが止まりませぬ。
って、ん? なんか今……里桜、とんでもない事いってたような……。
気のせいか? まあいいか。
蓮君はまだグッスリと眠っている。
しかしご飯は食べねば。折角グッスリ眠っている所悪いが……起こそう。
「蓮君……蓮君……ご飯だよ……」
「んぅ……ん……」
むぅ、起きる気配が無い。
可愛い寝顔だにゃぁ……って、いかん、仕方ない。抱っこして連れて行こう。
母親に任せよう、ここは。
そのまま蓮君を抱っこしてリビングに。
テーブルの上には大きな皿に積まれたコロッケが大量に!
うほぅ! いっぱいある!
「沢山たべてねー? ぁ、蓮君……起きない?」
「ぁ、はぃ。ちょっとお願いしていいですか? 私じゃ起きてくれなくて……」
そのまま春日さんに蓮君を抱っこしてもらおうとするが……
「ご、ごめん……私は……」
春日さんは震える。
そりゃそうだ。息子が自分の事を「おばちゃん」呼ばわりしたんだから。
でも違うんだ。蓮君は忘れたわけじゃ無い。
「春日さん……蓮君……忘れちゃった訳じゃないんです」
「え? いや、でも……」
「実は……」
と、私が説明しようとしたその時、風呂場から悲鳴が……!
「いやぁー! 晶! 晶! 来て! 今すぐ来て!」
な、なんじゃ?! 思わず蓮君を春日さんの胸に押し付けて風呂場に走る私。
するとそこには、風呂場で鼻血を垂らしながら倒れる兄の姿が!
な、なにがあった!
「い、いや……御背中流しましょうかって……」
傍にはバスタオルを体に巻いただけの里桜が……このアホンダラケ!
兄貴は彼女居ない歴イコール年齢なんだ! あまり刺激を与えるな!
「え、えぇ!? そ、そんな人いるの?! あぁぅぅぅ、どうしよう……」
「とりあえず里桜は……そのままシャワー浴びたら? 私が兄ちゃん運び出すから……」
そのまま兄貴を引きずり風呂場から出す私。
兄の腰には一応タオルが巻かれているが……いつ零れてもおかしくないな。
「おい、おい兄ちゃん……目覚ませー」
ペチペチと兄の頬を叩く私。おそらくのぼせただけだろう。
「ぅ……晶……もう、俺……悔いは無い……」
何言ってんだ。あの女は大魔王だぞ。騙されるな!
「それでもいいんだ……母さんに伝えてくれ……親不孝で……申し訳ないと……」
全くだな! はよ彼女作って安心させてやれ! でも里桜は止めておきなさい!
「うぅ、晶……水……」
「はいはい……」
タオル一丁の兄貴を涼しい廊下に放置したまま台所に向かう私。
ジョッキに氷を入れつつ、水を注ぐ。
っていうか、春日さんに説明しようと思ってたのに……。
蓮君が記憶喪失なんかじゃないって事……。




