(1)
まだ小学生低学年だった頃。
私は自分が男だと信じて疑わなかった。
周りの友達は皆男。野球をしたりサッカーをしたり。
だからいつも不満だった。
私は男なのに、何故着替えもトイレも男の子と一緒じゃダメなのか。
「晶ちゃんは女の子なんだから」
私が駄々を捏ねる度に男友達からそう言われた。
女の子って何? 私は男なのに。
小学生高学年になって、嫌でも自分が女だという事実を突きつけられた。
体が明らかに男の子と別物になっていく。
私はそれまで服は兄の御下がりを着ていた。
でも悪目立ちするようになった。
「晶ちゃん、その服男の子のでしょ? なんで女の子の着ないの?」
同級生の女子に言われた時、私は気付いた。
周りの異様な視線に。
クラスの男子、女子、皆私を違う目で見ている。
まるでハトの群れの中、一羽だけカラスが混じっているような目で。
その日、小学校から帰って来た私は母親にこう告げた。
「お母さん……女の子っぽい服が欲しい……」
ちなみに父は既に他界していた。母は一人で私と兄を育ててくれていたのだ。
そんな母に、私はワガママなど言える筈もない。
しかし母は、私の一言を聞いた瞬間突然
「あぁ……あぁぁぁ! 神よ! 感謝します!」
などと叫び出したのだ。
当時、私は小学五年生。正直怖かった。いや、マジで。
「さあ行くわよ! 晶! ショッピングよ! 買い物よ!」
一体どうしたと言うのだ。
母は私の手を引き、一目散に服屋へと走った。
比較的近所にある「シマウマ」という服屋。
良く靴下を買う所だ。
「晶! 選びなさい! 好きな服を選んでごらんなさい!」
どうしよう、いつもの母とテンションが違う。
私は迷いながらも服を選びだした。
季節は夏。クラスの女子達は涼しそうな半袖のブラウスなどを着ていた。
それに対して私は長袖のトレーナー。
「お母さん……これがいい」
私は半袖のブラウスを一枚選び、母はそれに合わせてスカートも買ってくれた。
試着をした瞬間、私の世界は変わった。
スカートなど今まで履いた事すら無かったからだ。
「晶、あとは? 母さんもっと買ってあげるから」
「いや、これでイイッス……」
上下合わせて二千円も行かない買い物。
しかし当時の私にとっては大金だった。
家はお金が無い。だから我慢しなければ。
母親にこれ以上苦労させる訳にはいかない。
その次の日。私は高鳴る心臓を抑えながら教室へと向かった。
新しい、いかにも女の子っぽい服を見て、クラスの皆はどう反応するのかと。
怖かった。もしかしたら変とか言われそうで。
しかし結果は本当に予想外だった。
誰も何も反応しない。ただ普通だった。
「晶ちゃんおはー」
普通に挨拶してくる女子。
男子もごく普通に私に今まで通りに接して来る。
なんだ、全部私の勘違いか。
別に男の子の服を着てようが着てまいが、私が私で有る事は変わらない。
カラスは何も着てもカラスなのだ。
その後、再び私は兄の服を着だした。
母親にまた服を買ってあげる、と言われたが断った。
お金が勿体ないという理由で。
そして小学生を卒業。私は同時に兄の服を卒業しなければならない。
何せ地元の中学は完全に制服制。
私は制服の値段を見て開いた口が塞がらなかった。
男女共に十万前後する。特に女子はデザインが選べるとかで更に高い。
男子は全員ガクランなのに。なんて理不尽な世界なんだ。
さて、ここで兄の存在に触れておこう。
私には歳の離れた兄が居る。私と七つ離れている兄。
当時、私は十三歳。兄は二十歳だ。
兄は高卒で既に就職を果たしていた。しかも結構大き目のIT企業だ。
そんな兄は、言っちゃなんだがシスコンだった。
「あぁ、晶は可愛いなぁーっ」
なんて言われた事は無いが、ことある毎に頭を撫でて来る。
小学生低学年までは兄と一緒の布団で寝ていた。
あの時は何とも思わなかったが、兄はまるで私をヌイグルミのように撫でまわしていた。
そんなシスコンの兄が、私に制服を買ってくれると言いだしたのだ。
母親に十万以上の金を出させる訳にはいかない、と思っていた私は
「お兄ちゃん大好き!」
とは言わなかったが、一応お礼は言った。
そんな感じに私の人生は得に問題も無く過ぎ去っていく。
中学、高校、そして大学。
正直私は大学に行かずに就職したかったが、兄に猛反対されたのだ。
「晶……俺も大学行きたかった。だからお前が変わりに行ってくれ! そして女友達を紹介してくれ」
そんな兄にマンションまで買ってもらい、私は大学に通っている。
大学では普通に女友達も居る。勿論服装は女物だ。
髪型もポニーテールにして、軽く化粧もして。
何処からどう見ても私は女の子だった。
しかし私は今でも時々、男物の服を着る事がある。
私が一人暮らしをするマンションには、何度か兄が泊まりに来ていた。
普段は実家から会社に通っている兄だが、飲み会の帰りなどは私の部屋の方が近いという理由で。
なので私の住まう部屋には兄の服も揃っている。
高校時代バスケをやっていた私。身長は178cmある。
ちなみに兄の身長は182cm。
ぶっちゃけそこまで変わらない。
だから着れない事も無い。
兄の服は圧倒的に黒が多かったが、私は嫌いじゃない。
黒のジーンズに革ジャン。姿見の前で兄の服を着てポーズ。
うん、行けるかもしれない。これは行ける。
私はネットで胸を潰す為のサポーターとウィッグを購入。
幸い、そこまで胸は大きく無い。母親に感謝しなければ。
そして問題は髪だ。私はストレートにすれば最大で腰のあたりまで伸びている。
「えーっと……ふむ。三つ編みにして纏めると吉……マジか」
ネットで男装について調べ、自分の部屋の中でのみ実践。
ウィッグを付け、胸を潰し、兄の服を着る。
簡単だが男に見えなくもない。最近では女の子っぽい男も結構いるのだ。十分に行ける。
「うん、よし……男だ……私は男だ!」
嬉しさのあまり姿見の前でポーズを決めまくる私。
疑似的にとは言え夢が叶った。私は今どこからどうみても男なのだ。
それから私は男装をして出かける事が多くなった。
あまり抵抗は無かった。むしろ自然だ。こちらが本来の私だという気さえしてくる。
時折、女の子から「あの人かっこよくない?」とか聞こえてきた。
もうその場で盆踊りでもしたい気分だった。
(私……モテる? 女の子にモテてる?)
別に私は男の子より女の子の方が好き、という訳ではない。
まあ、確かに女子の方が可愛い。
私は可愛い物が大好きだ。だがそれは悪魔で趣味の範囲。
私は男になりたいが、恋愛対象は男という……なんともややこしい性癖の持ち主だ。
そんな私は女の子から褒められる度に、自分は男に近づいていると錯覚していった。
私は女だ、それは変わらない。でも周りが男だと認めれば私は男になれる。
男になりたい、男になりたい、男になりたい!
私の男装はどんどんエスカレートし、レベルも上がって行った。
ネットで男装メイクなるものを研究し、ウィッグも数種類揃え、下着までも男物を購入した。
欲を言うならば、シルバーのアクセや男物の時計も欲しいが、そこまでの予算は無い。
「別にいいさ……私はテクニックで補ってみせる!」
さて、前置きが長くなったが……そんな理由で私は男装に目覚めた。
素人目からすれば、どこからどうみても男だ。
ついにここまで来た、と歓喜した私は普通に電車にも乗っていた。
そんなある日、悲劇を私が襲った。
「降りろ! このカス!」
そう私を罵倒するのはサラリーマン風のオッサン。
場所は駅。降りろ、というのは電車から。
もうお分かりだろう。私はある日、電車の中で痴漢と間違えられてしまったのだ。
オッサンは私のお尻を膝で蹴りあげ、早く行けと急かしてくる。
「ちょ……どこ触ってんだオッサン!」
「あぁ? 男の癖に何言ってんだ! さっさと歩け!」
やばい、このままでは本当に痴漢と間違えられてしまう。
しかも私は男装している女だ。
次の日の新聞で
『女性が男装して痴漢行為!』
などという見出しが載るに違いない。
それは不味い。身内である母や兄が変な目で見られる事は間違いない。
「お、俺やってないッス!」
必死に弁解するも分かって貰えず、私は駅員室にまで連れてこられた。
そして現在、私は駅員に事情聴取されている。
長机には私、被害者の女子高生、そして私を連れてきたオッサンが並んで座っている。
向かい側には駅員のおじさん。
「えーっと……君、名前は?」
女子高生に名前を聞く駅員さん。
「えっと……柊……」
「下の名前は?」
女子高生は答えない。
怯えているのか、不安げにゴニョゴニョと口を動かすだけだった。
「じゃあアンタ。名前は?」
私も名前を聞かれた。素直に答えるべきだろうか。
いや、しかし私は何もやっていない。堂々と無実を訴えるべきだ。
「真田 晶です……歳は二十歳……」
サラサラと書類に書き込んでいく駅員さん。
私と目を合わせ
「ホントに痴漢したの?」
いや、してねえよ。
完全な冤罪だよ!
「してません……」
その時、私の左隣りに座るオッサンが机を左手で叩きながら声を張り上げる。
「噓つけ! 俺は見たぞ! お前がその子のお尻を撫でまわしてるのを!」
いやいやいや! 撫でまわしてないって!
確かにこんな可愛い子のお尻なら沢山撫でまわしたいけども!
その時、駅員さんの眉が一瞬ピクっと上がる。
「お尻? どんな風に?」
オッサンは「こんな風に」と左手で如何にもいやらしい手つきで空中を撫でまわした。
いやいや! そんな変な手つき……私出来ない!
駅員さんは「ふーん」と言いながら立ち上がり
「ちょっと実演してみましょうか」
そう言いながら私達を並ばせた。電車の中で立っていた時のように。
私の右隣りに女子高生が立っていて、その子の後ろにオッサンが立つ。
「じゃあ真田さん。触ってみて」
「……はい?」
「電車の中で触った時みたいに、お尻撫でまわしてみて」
いやいやいや! 撫でまわしてない!
私はやってない!
「早くして」
駅員さんに睨みつけられ、その迫力に負けるように私は
「ご、ごめんね……やってないけど……」
そう言いながら女子高生のお尻に手を伸ばした。
あ、ここで触ったら完全にアウトじゃ……と思った瞬間
「はいストップ」
駅員さんに止められた。そりゃそうだよな。
「じゃあ柊さん。貴方が最初に手を掴んだんだよね」
「……はい」
「その時みたいに掴んでみて」
そう、私は電車の中でいきなり、この女子高生に手を掴まれたのだ。
そして一言「この人痴漢です」と言われた。
柊ちゃんは恐る恐る私の右手を掴む。
しかし、首を傾げる柊ちゃん。
「……あれ? あの、お尻触った手って……右手ですか?」
いや、右手だよ? 右側に立つ君のお尻を左手で触るなんて……そんなアクロバティックな事はしていない。いや、そもそも触ってないけど。
「たしか……時計をしてる方を掴んだから……こう、かな」
いいながら私の左手を掴む柊ちゃん。
いや、かなり無理がある。いや、待て……そういえば確か掴まれたのは左手だった。
なんで私左手掴まれたんだっけ。
駅員さんは私と柊ちゃんの位置関係を確認しつつ
「あー、ほんとに左手?」
その言葉に頷く女二人。いや、私は男として認識されているだろうけど。
「柊さん、良く思いだしてみて。立ってる位置は合ってるんだよね?」
うむ、間違いない。私は確かに覚えている。
立ち位置は合っている筈だ。ネトゲでタンクをしている私が言うんだから間違いない。
駅員さんの言葉に首を傾げる柊ちゃん。
そういえば、と何か思いだした様に
「あの時、電車が揺れて……」
あぁ、そういえば揺れたな。結構大き目に。
その後に手掴まれたんだ。
駅員さんはフムフム、とメモを取っていく。
「手を掴んだのは電車が揺れる前? 後?」
「えっと……前だったと思います」
ん? いや、後だろ。
あの時、電車が大きく揺れて……
いや待て。
柊ちゃんは電車が揺れる前に手を掴んだと言っている。
しかし私が手を掴まれたのは確かに電車が揺れた後だ。
と、言う事は柊ちゃんは最初、私とは別の人間の手を掴んでいた事になる。
ナニコレ、ホラー?
私が首を傾げていると、駅員さんは
「真田さん。電車が揺れた時、どっちに体傾きました?」
どっちって……えっと。
「たしか、右にこう……」
言いつつ柊ちゃんの背中をかすめる様にして傾いた、と説明。
その時私は気が付いた。うわ、左手むっちゃお尻に近い。
なるほど、この時に私は左手を掴まれたのか。
「じゃあ次、貴方前に来て。どんな風に真田さんが触ってたのか実演して」
はい、とオッサンが私と位置を変わり実演する。
右手でいやらしい手つきで。
「はい、ストップ。どうしたの? さっき左手で実演してたじゃない」
「は? いや、そんなの……」
「貴方左利きでしょ? 痴漢するなら左手だよね」
ん? な、なんか駅員さんが怖い。
痴漢するならって……まるでオッサンが痴漢したかのようだ。
「はぁ? なんで俺が痴漢するんだ! 痴漢したのはこの男だ!」
私と指さし怒鳴るオッサン。
いや、待てよ。もしかして……
駅員さんはオッサンの左手を掴み、柊ちゃんの前へと差し出した。
「柊さん、手首のどのあたりを掴みました?」
柊ちゃんも首を傾げつつ、オッサンの左手首、つまりは腕時計の上から掴んだ。
その時、何かに気づいたのか私とオッサンを交互に見る柊ちゃん。
「あれ? ぁ、あの……」
なんだ、どうしたんだ。
「あぁ……! ご、ごめんなさい!」
いいながら突然私に頭を下げて来る柊ちゃん。
え、ホントにどうしたんだ!
「こ、この人です……痴漢したの……こっちの人です」
そう柊ちゃんが指刺すのは、私をここまで連行してきたオッサンだった。
当然、オッサンは反論する。
「は、はぁ? なんで俺なんだ! 君を痴漢したのは、こっちの男だ!」
そんなオッサンを宥める駅員さん。
「まあまあ、落ち着いてください。柊さん、どういう事か教えてくれる?」
「は、はぃ……あの、最初に掴んだ時、凄い冷たかったのを思い出して……その後、電車が揺れて……手を離しちゃって……でもまたすぐに手を掴みなおして……」
あー、なるほど。
私の手を掴んだのは、掴みなおそうとしてって事か。
電車が揺れた時、私の左手は限りなく柊ちゃんのお尻の近くにあったのだ。
と言う事は……このオッサン、自分が痴漢したのに私を犯人だと言ってここまで連行してきたのか。
柊ちゃんが間違えて私の手を掴んだ事を良い事に。
「ち、違う! 俺じゃない! 俺は見たんだ! この男がお尻を撫でまわしてるのを!」
オッサンは認めない。駅員さんは溜息を吐きつつ
「痴漢を目撃したんだよね。だったらなんで止めないの。貴方、柊さんが手首掴むまで何で黙ってたの?」
「え? い、いや、それは……」
「それにね、貴方なんでお尻撫でてたって断言できるの?」
ん? いや、それは見れば分かるんじゃ……
ぁ、そうか。膝上25cmの超ミニなら分からなくもないが、今柊ちゃんが履いているのは膝上5cm程度の物だ。
これでお尻って断言できるのは確かに不自然か。私なら内腿撫でたいし。
「だ、だから! こう、スカート捲って……」
「あの、捲られてはないと思います」
完全に墓穴を掘るオッサン。
顔を真っ赤にし、違う、違うとあからさまにうろたえ始める。
「お、俺じゃない! 俺じゃないぃ!」
言いながら逃げ出すオッサン!
いや、逃げるなよ! 逃げたら白状してるようなもん……って
「アノー……すみませン……ン?」
その時、駅員室のドアを開けて入ってくる外国人のお姉さんが!
ああ! ヤバイ! オッサンと正面衝突してしまう!
思わず目を瞑る私。なにか鈍い音がし、恐る恐る目を開けると
あれ? 床に転がってるのはオッサンだけだ。
お姉さんは手にホコリが付いたと払っている。
「アァ、すみませン。先程の痴漢騒ぎの事ですガ、犯人はこのオジサンデス。私みてたのデ。まあ、でも男性同士だったので……そういうプレイをしているのかト」
え? 男性同士?
私と駅員さんは柊ちゃんをマジマジと見つめる。
柊ちゃんはモジモジしつつ、顔を両手で塞いで座りこんでしまった。
「あぁ! ごめんなさい! 秘密に……おねがいします!」
言いながら私に生徒手帳らしき物を見せて来る柊ちゃん。
そこには
「柊……拓也? 高校二年生か……って!」
拓也って! どう考えても男の娘じゃないか!
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」
あぁ、なんか申し訳ない……。
私も大学のIDカードを出し、拓也君へと見せた。
「……え? お、お姉さん?」
「ぅ、ぅん……なんかゴメンね?」
お互いに性別偽ってたって……なんだコレ。
その後、拓也君が男だった事、本人も大きな騒ぎにしたくない、という事でオッサンは警察に連行されずに済んだ。まあ駅員さんに散々叱られてたけど。
駅員さんは最初からオッサンが怪しいと思っていたらしい。何故なら私が女だと気づいていたからだそうだ。まあ、私は柊ちゃんほどガッツリ変身してるわけじゃないからな。
そして私は男装を控える事にした。
少なくとも公共の施設では止めておこう、と反省する。
男性として電車に乗るだけで痴漢扱いされるのだ、恐ろしい乗り物だ。
これは余談だが、私と拓也君は密かに連絡先を交換していた。
同じ様な趣味を持つ者同士、この出会いを大切にしよう! という事で。
『晶さん……お詫びも兼ねてデートしませんか?』
『あぁ、いいけど……私は男装しないけど、拓也君は女装してね。お詫びなんだから言う事きけよ』
お互いの性へのコンプレックスを慰め合う為に。