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ムー太はモフモフなので

少しだけ。

 八月。

 日本は猛暑に喘いでいた。


 地球温暖化の影響なのだろうか。地球の持つ温度調節能力は失われてしまったようで、連日に渡って強烈な猛暑が続いている。

 屋内から一歩外へ足を踏み出せば、ただそれだけのことで汗がじっとりと衣服を湿らせる。日差しの強さは異常な程で、ヴァンパイアでなくとも灰に帰されてしまいそうな勢いである。そしてその灼熱の太陽光は民家の壁を焼き、情け容赦なく室温を上昇させる。一見して逃げ場は、無い。


 しかし、現代社会にはエアコンという文明の利器がある。電気というエネルギーを元に動くそれは、冬には恵みの暖風を、夏には癒しの冷風を生み出し、同時に不愉快な湿気までもを取り除いてくれる優秀な装置である。


 ムー太はモフモフなので、暑いのはとっても苦手だ。

 七月に入ってからというもの、このエアコンの世話になりっ放しだったりする。


 冷房の効いた七海の部屋は快適で、自然と外出する頻度は減り(アスファルトが鉄板のように熱くてびっくりしたムー太は外出を控えるようになった)、暑い廊下を通ってリビングへ行くのも億劫になってしまい、もっぱら一日中七海の部屋で過ごすようになっていた。


 マウスカーソルを器用に操作して、オンラインゲームを楽しみ、喉が渇いたらUSB冷蔵庫からジュースを出してゴクゴクと飲む、そんな引き篭もり生活。疲れてきたら柔らかな絨毯の上で転寝もいい。リビングへ行くのは億劫なので、最近ではテレビの代わりに動画サイトを閲覧するのが日課だ。

 (ムー太が大好きなテレビ番組は七海がビデオに取ってくれている)


 外出に制限はあるものの、平穏な生活が続いていた。


 夏休み真っ只中だけれど、学校に用事があるのだとかで七海は登校している。ムー太はお留守番の真っ最中だ。いつものようにパソコンを起動し、農場経営ゲーム【Plant Farm Online】をプレイしているところ。室内の温度と湿度は一定に保たれ、非常に快適である。


 鼻歌を歌いながらマウスを操作し、実った作物を収穫していく。

 農耕民族になったムー太は、無我夢中収穫モードだ。自キャラクターであるウサギが作物を引っこ抜く度に、しゅぽんと小気味良い効果音がスピーカーから響き、楽しい気分になるのである。


 ニコニコ収穫作業はしばらく続き、まったりとした時間が流れた。


 異変が起きたのは、お昼が近づき小腹が空き始めた頃だった。

 何の前触れもなくパソコンモニターの電源がプツンと切れたのだ。


「むきゅう?」


 どうしたのだろうか? ムー太には原因がわからない。


 いくらマウスを動かしてみても、うんともすんとも言わない。ムー太は興を削がれ、ちょっぴり不満だ。モフモフの頬をぷくっと膨らませ、ぽふぽふとモニターを叩いて抗議する。が、黒塗りの画面に変化は訪れない。


「むきゅううう?」


 ぽふぽふ。

 ぽふぽふ。

 ぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふ。


 モニター画面に付着していた埃が周囲に舞う。

 ムー太のボンボンはちょっぴり汚れた。


「むきゅううう」


 汚れを振り払おうとボンボンをふりふり。駄々をこねるように動かしていると、勢い余って、骨組みだけになった夏仕様のこたつから落っこちてしまった。床に衝突こつんと跳ねて、絨毯の上をコロコロ。すぐに復活して元の位置へ戻ろうとしたところ、またもや異変に気が付いた。


 部屋が少し薄暗い。

 天井を見上げると、蛍光灯の明かりが消えていた。

 強烈な太陽光を遮断するために引かれたカーテン。その隙間から漏れ出る日差しだけが室内を照らしている。


 奇妙である。ムー太の好奇心は刺激された。


「むきゅう?」


 誰かが電気を消したのだろうか?

 いいや、それは違う。のんびり屋さんのムー太だけれど、部屋に誰かが入って来れば流石に気が付くはずだ。それが大好きな七海ともなれば、尚の事である。それに改めて室内を見回してみても、やっぱり人影は見当たらない。


 では、一体何が起きたのか。

 久しぶりの難題だ。名探偵はボンボンをピコピコさせて考えた。


 まず最初に起きた異変は、パソコンモニターの電源が切れてしまったことだ。そしていつの間にか部屋の照明が消えていた。ムー太はゲームに夢中になっていたので、もしかしたらこの順番は逆だったのかもしれない。今となっては、どちらが先だったのかを推し量ることはできない。


 ともあれ、お利口さんのムー太は知っている。

 パソコンモニターと蛍光灯。そのどちらも電気を動力源として動いているのである。【電気】という概念を理解するのは難しいけれど、要するに魔法を使う時に動力源とする【魔力】と近しいものなのだろう。親戚みたいなものだ。


 つまり【魔力】が尽きてしまうと魔法を使うことができなくなるように【電気】が尽きてしまうと電気製品を動かすことができなくなってしまうのではないか。


「むきゅう!」


 そうだ! そうに違いない。

 人間は体内の魔力がゼロになると欠乏症状を発症し、魔法の使用はもちろん、体を自由に動かすことまで出来なくなってしまう。魔素の集合体であるムー太に至っては、魔力の枯渇は死を意味する。

 おそらく電気製品たちも、体内に秘めた電気を失うことで動けなくなってしまうのだ。廃病院の自動ドアが開かなかったのも、無人となって長い年月が過ぎたため電気の補給が受けられなかったためである。


 推理を締めくくるようにボンボンを揺らすと、ムー太は満足げに「むきゅう」と鳴いた。電気の補給方法がわからないため問題の解決はできないけれど、それはきっと七海が解決してくれるに違いない。そう思って顔を上げると、床からキノコみたいに突き出た生首と目が合った。

 半透明に透ける少女の生首である。それはこの冬に廃病院で出会った女の子の幽霊。(悪霊を浄化し、無事に帰還した次の日の晩。電話で助けを求めていた幽霊を探しに単身で廃病院へ向かったムー太は、病室の一室に自縛霊となって閉じ込められている女の子の幽霊を発見。ボンボンで引っ張り助け出した)


「やっほー」


 歳の頃は、七海よりも一つか二つほど下。あどけない笑みを浮かべ、彼女――夕月琴美ゆうづきことみは、床から右腕をにょきっと生やし、元気よく手を振り言った。幽霊なので実体がなく、壁や床を自由に通過できるのだ。


「むきゅう」


 ムー太も負けじとボンボンをふりふり振り返す。

 その愛くるしい姿に目を細め、琴美はふわりと空中に浮き上がる。パジャマ姿の身体が目の前に姿を現し、ゆっくりと床へ着地。彼女は探るように周囲を見回し、


「あの暴力女は……いないわね」


 ほっと息をつき、ムー太の横へ座る。琴美はなおも唇を尖らせ、


「まったく。チョップよ、チョップ! 幽霊にチョップとか有り得る!?」


 同意を求められて、ムー太は困ってしまった。

 彼女のいうあの暴力女(・・・・・)とは、何を隠そう七海のことだからだ。


 廃病院から琴美を救出し、意気揚々と帰宅した晩のことである。

 ムー太にくっ憑いて一緒に帰宅した琴美は、何を思ったのか、悪霊を装ってポルターガイスト現象を引き起こした。

 カタカタと揺れる食器や戸棚。(ムー太は暢気に地震でも来たのかなと思った)

 異変に逸早く反応した七海は、電光石火の如きスピードでムー太を拾い上げ、周囲の警戒に当たる。そんな彼女の背後へと音もなく忍び寄った琴美は、冷たく透き通った両手をその細い首筋へと伸ばす。と、そこで振り返りざまに手刀が一閃。実体のないはずの幽霊の脳天へ突き刺さった。

 反撃されたことが予想外だったのか、琴美は両手で頭を庇いながら驚きに目を見開いた。対する七海は、たじろぐ半透明の霊体を睨み付け、


「私の可愛いムー太に手を出したら、こんなもんじゃ済まないわよ」


 毅然きぜんとした態度でそう言い放ち、前傾姿勢で戦闘続行の構え。ただならぬ剣幕に押されて涙目となった琴美は、一言も言い返すことができないまま、その場から逃げるようにして飛び去った。以来、彼女は七海のことを避けているようだ。


「だいたいさー。あたしはあの女に悪戯してやろうとはしたけど、むっちんには何もしてないじゃん。なのに、むっちんに手を出すなーって過保護すぎ」


 ムー太は七海のことが大好きなので、悪口を言われると悲しくなってしまう。確かに彼女は過保護なのかもしれないけれど、それは自分のことをそれだけ大事に想ってくれているからに他ならない。その事をどうしても伝えておきたくて、ムー太はボンボンをわたわたと動かした。


「むきゅう。むきゅう」


「むー。むっちんも、あの女の肩を持つのね。萎える~」


 違うんだよ、とムー太はボンボンをクロスさせてバッテンを作る。琴美はきっと誤解をしている。七海はすごく優しい女の子なのだ。ムー太を守るために過剰反応してしまっただけで、普段から乱暴な訳ではないのである。

 友好的な姿勢を見せれば、きっと仲良くしてくれる。その橋渡しを担う自信がムー太にはあった。だから一生懸命にボンボンを動かして、身振り手振りで伝えようと必死になった。けれど、


「むー……。もういい! 猫ちゃんつついて遊んでくる!」


 両の頬をぷくっと膨らました琴美は、そう言い残して壁の向こうへ消えてしまった。意思疎通ができなかったことに、ムー太はがっかり。しょぼくれモードに突入だ。


「むきゅう……」


 運動しすぎたせいか頭が熱い。

 少し休もうと思って、その場にコロン。

 絨毯の感触に違和感を覚えた。


「むきゅう?」


 柔らかい絨毯。それはいつも通り。変わらない。

 異なったのは、寝転がった時に伝わってくる温もり。

 絨毯から温もりが伝わってくる。そのこと自体に違和があった。


 ムー太はモフモフなので、人間よりも暑さに弱い。

 だから冷房の設定温度は二十度に設定されており、室温はいつも肌寒いぐらい――もっとも、ムー太にとっては丁度良い温度――に保たれている。

 ゆえに、絨毯にごろんと寝転がれば、ひんやりとした柔らかな毛足に包まれて、火照った体が冷却されるはずなのだ。にも拘わらず、反対に絨毯から熱が伝播してくるのはどういう訳なのか?


 そこでようやくムー太は気が付いた。

 自分よりも絨毯の方が熱を持っているので温もりを感じるのだ。

 そして、熱くなっているのは絨毯だけではなかった。室温――ムー太を取り巻く室内の空気、その全てが熱を帯びつつあるようだ。それはつまり、


「むきゅう!?」


 嫌な予感のままに天井を見上げると、無情にもエアコンの電源が落ちていた。

 急いでリモコンを操作して動くように命令してみるも、エアコンは動こうとしない。命令を受信した際に発される「ピッ」という機械音がまず鳴らないし、稼動と同時に可変するはずのルーバーはぴくりとも動かない。エアコン内部の駆動音も聴こえてこないともなれば、当然、冷風も発生していない。


 そうこうしている間にも、室温はぐんぐん上がっていく。

 太陽光に焼かれた壁から熱が伝わり、室温を押し上げているのだ。


 ムー太はモフモフなので、暑くなると元気がなくなってしまう。

 今の今まで、涼しい部屋に引き篭もっていたのだから、なお更だ。

 暑さでダウンしてしまう前に、ムー太は決断した。


「むきゅう!」


 リビングへ避難しよう!

 あそこにもエアコンは設置してある。操作方法はこの部屋にあるものと同じだ。リビングが冷えるまで時間は掛かるだろうけれど、このままここに居たら煮え上がってしまう。座して死を待つぐらいなら、打開の前進を選ぶのがムー太の特性だ。


 廊下に出ると、むわっとした熱気がムー太の全身にまとわりついてきた。まるで前進するのを妨害するように、空気の膜が行く手を阻む。それでも何とかフローリングの直線を進み、終点であるリビングへ到着。

 逸る気持ちを抑えられずにムー太は跳ねた。ソファーの上に置かれたリモコンに飛びつくと、専用のチャンネル制御棒(割り箸)を使って、スイッチをオン!


 ……何も起こらなかった。


「むきゅう?」


 何度押してみても、七海の部屋のエアコン同様に何の反応もない。お尻に火の付いた状況のムー太は、納得がいかずに何度も連打。


「むきゅううう?」


 一体何が起きているのだろうか。

 家中の電気製品たちが一斉に動かなくなってしまった。

 果たして、全ての電気製品たちが、同時に【電気】を失うなんてことが有り得るのだろうか。【魔力】の消費は個体差があり、体内の貯蔵量も、また魔法を行使した時の消費量も異なる。同じタイミングで【魔力】が尽きるということは、ムー太の常識に照らし合わせて考えにくいのである。

 もし考えられるとすれば、それは全力で【魔力】を放出し、短時間のうちに使い切ってしまう場合だろうか。それならば複数の個体が一斉に魔力不足になるのも頷ける。しかし電気製品たちは、いつも通り仕事をしていただけだから、それは違う気がする。


 と、そこでムー太は閃いた。


「むきゅう!」


 そうだ! 【魔力】を吸い取る魔法陣なるものがあったはずだ。

 大好きな七海を苦しめた、エリンの使う高等魔法。膨大な魔力を短時間のうちに奪い去ることができる、卑劣な設置型の魔法陣である。

 【魔力】を吸い取る魔法陣があるのだから、【電気】を吸い取る魔法陣があっても不思議ではない。きっと、この家にある電気製品たちの【電気】を奪い取った犯人がいるはずである。


「むきゅうっ!」


 こんな高度な真似ができて、かつ、ムー太に嫌がらせをしてくる人間は、エリン・ラザフォードぐらいしか思いつかない。ムー太はボンボンをガオーッと立たせて、周囲に潜んでいるかもしれないエリンへ向けて威嚇した。


「むきゅうううっ!」


 いるのはわかっているんだ、出てこーい! とばかりに、ボンボンをぺしぺし。

 部屋の温度以上に、ヒートアップしていく。

 ムー太は体力が尽きるまで、一心不乱に威嚇の儀を続けたのであった。






 その日、東京では発電所の機器トラブルによって一部地域に停電が発生していた。停電は夕頃まで続き、熱中症での救急搬送が続出。人々は文明による加護を離れ、久々に本物の夏を味わったそうな。

おまけ編を投稿するかもしれません。

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