前編
パーティーに出れば聞き飽きた言葉が必ず耳に入る。「あのような仮面夫婦にはなりたくないわ」と…。
きらびやかな世界にも闇の部分が存在する。
だって仕方ないでしょう?貴族とはそういうもので、そこに生まれなかったら今の生活も存在しないのだから。
義務の中でも、どの家も特に結婚に関してはナーバスになる。個人の感情は必要なく、家と領民のために身を捧ぐ。あとは嫁す者が生活水準を維持できるかが問題になるだけで。
わたしもその一人である。
家と家のつながりのために嫁いで2年。わたし、ロザリオ・アボットと夫のヴォルフ・アボット。今や立派な仮面夫婦の見本と評判だ。
新しい噂が流れても、その噂が風化しても、喜ばしい出来事が起こっても、痛ましい出来事が起こっても、私たち夫婦の噂だけはなくなったりしなかった。
今日もそうだ。
国王陛下成婚30周年の記念舞踏会がお城の舞踏会場で行われている。
国王陛下ならびに王妃陛下、王太子殿下ご夫妻、2名の王女殿下とご夫君方。堂々とした立ち振る舞いで、広い会場からでも分かるように壇上に上り、そして幸せを体現したような笑みを浮かべている。
わたしも夫も穏やかに微笑んでいる。
一見しただけではきっとわからない、闇がここに…。
「ヴォルフ様、今宵は熱気が段違いですね」
「そうですね」
夫の腕に手を添え、美しい顔を見上げた。
このときのこの角度が一番好き。だって、いつもの美しさにプラスされた、狩りをするような男くささを隠しきれない顔。
たまらなく体が熱くなる。
アボット家は公爵位をいただいているので、挨拶回りは勝手に相手方からやってくる。
思惑はいろいろだが、今お互いに多いのは愛人のお誘いである。夫からすれば第二夫人のお伺いも多分に含まれているらしい。
「またあとで」
「またあとで」
扇で口元を隠し、目を合わせ、同時に背を向ける。そうすればすぐに狸と狐に囲まれる。
くびれをいつも以上に細くしてくれたコルセットの上から身に着けたドレスは、既婚者でありながら胸元を大きく開けた真紅のものだ。
スカート部分に何段かに分けて重ねられた白く薄いシフォン生地とレースが赤を包み、淡く隠す。わたしの一番お気に入りの戦闘服だ。
「今日もお美しい。今宵は手を取っていただきたいものです」
「そうしたいのはやまやまですが、お義父様とお義母様もおりますゆえ…」
「そうですか、残念です。ではまた運命のいたずらに期待することにいたします」
「ごきげんよう」
「私はいつも思ってしまうのです。ヴォルフ様のつらさを…。そのお気持ちを分けてはいただけないかと」
「会えるだけで十分です。こうして我慢した時間の分だけ増す気持ちもあります」
「ヴォルフ様」
聞こえてくる会話で理解する。こちらもあちらもお誘いが後を絶たないようだと。
普通はこんなに会話が聞こえるような近場ではマナー違反にあたるだろう。
けれど私たちは違う。語り継がれるほどの夫婦関係なのだから。
「うちの娘は若く可愛らしいが、なにより気立てが良く----」
「寂しい独り身でしたら、と考えてしまいます。しかし、美しいお嬢様だからこそ素晴らしい方のもとへ行くもの。私では幸せにはできませんので仕方ありませんね」
「いやいや…」
‥‥残念だがその全てに頷くことはない。これは2人の共通の認識だ。
上辺だけの笑顔なら得意分野だから苦ではない。
ただ、彼の心だけが心配なの。
夫がこちらを向き、会話を中断してこちらに歩いてきた。
王族方へ挨拶に行くのだろう。
「ロザリオ、父と母とご挨拶に伺おう」
「わかりましたわ。
それではごきげんよう」
「ええ、また後ほど」
頭を下げ、紳士(不倫のお誘いをする人をこう表現していいものなのか疑問だが)を見送った。そして夫の左側に付き義父と義母のもとへ向かう。
内容は先ほどと似たようなものだがあいさつ程度に声をかけられ、愛想よく答えながら練り歩く。
「ほら、またよ。隣に伴侶がいてもお誘いに声を返されるのよ」
「下品な方」
「おかわいそうに、ヴォルフ様」
女性という生き物は集まれば集まっただけ声高になる。
味方がいる、同じ思いをしている、それだけで徒党が組めるようだ。
チラリと目を向ければ、5人ほどの女性方が口元を扇で隠しながらも、こちらに聞こえるような絶妙な大きさの声で話している。蔑みと自信に満ちた視線に悠然と微笑んでみせた。もちろん、わたしの目は笑ってなどいないだろうが‥‥
「本日はおめでとうございます」
「「「おめでとうございます」」」
義父と義母が前に立ち、本日の主役へタイミングを合わせて頭を下げる。
「このように盛大に祝ってもらえるとはありがたいものだな」
「何をおっしゃいます。私ども臣下は喜ばしいのです、お呼びいただけるだけで光栄なのです」
義父と陛下が会話を重ねる。
「そういえば、公よ。息子に爵位を授けぬのか?」
ピリッと空気が静寂を纏った。
周りが気になっていることを人目がある前で堂々と聞く。誰よりも優れた狸である。まぁ、それくらいでないと一国の王なんてできないのだろうけれど。
「私はいつでも譲る気持ちはあるのですが…。本人が頷いてくれないのです」
「そうなのか、ヴォルフといったか。そなたは公爵になる気がないのか?
公は子爵・伯爵といくつか爵位を持っているが、そのうちの一つでも受けてみぬか?有能だと聞くそなたがもったいなく思ってしまうのだ」
「発言をお許しいただけますでしょうか」
皆が夫を見ている。許しを得なくても答えていいところだが、あえて言ったのだろう。
彼は優れた狐である。
注目を集めるためのパフォーマンスだ。
「私は半人前ゆえに父を見習っている最中でございます。責任すらまともに取れない人間が上に立てば、国にとっても良く無き事と愚考いたしまして、このように我が儘を申しております。
父と同じように国に貢献できるようになってから譲り受けたいと思っております。お許しいただきたく存じます。」
一片の曇りもないセリフは、私の心を揺さぶった。
驚きを隠せない人と、それをうまく隠す人とに分かれた。壇上の方々は後者。瞳すら揺れない。
少しのことが命取りだと理解しているのだ。
「そうか、そう言われてしまえば許可するほかあるまい。
必ず学び、必ず国のために働け。良いな」
「善処いたします、陛下」
これで邪魔は入らない。彼の念願のために私もできることをしよう。
隣の彼の眼に、体に、雰囲気に。熱く燃え滾る炎を感じたが、一瞬で消えたその気配に惚れ惚れする。
さすが、年季の入った狐は他人に弱みを見せない。
さすがは我が夫。
さすが、わたしの愛する人。