閑話 過ぎ去った遠い日その1
どうしてもゲームでのエピソードが書きたかった。テンモクの話出たから解禁って感じで。
午後8時、部屋の主が帰って来た合図であるかのように部屋を照らすための電気は灯された。人が入ってきたら自動で表示されるようになっているスクリーンからは、ニュースを伝える音声が流れてくる。しかしその部屋の主――女性は聞く気が全くないようですぐに切ってしまった。
あまり女性らしさの感じられない部屋だった。机とその周りにだけ物が多く、逆に机から離れた場所はぽっかりと物が置かれていない空間となっていた。
女性はズボラな性格なのか机に湯呑が置かれたままとなり、飲みかけの茶がまだわずかに残っている。隣にはケトルが置いてある。他にも筆記用具、リモコン、しおりの挟まった本などが無造作に置かれており、よく使うものは手元に置きたがる性質なのかもしれない。
女性はスーツのジャケットを脱ぎハンガーにかけ、椅子に座った。そして、タバコの箱よりも小さい端末を右耳に装着をして目を閉じた。
すると、端末から音声が流れてきた。
『ユーザー名を入力してください』
「志野」
音声に対し女性は目を閉じたまま答えた。言葉でやりとりをするのに端末からの指定が『入力』なのは、昔の電気機器の名残だそうだ。
『パスワードを入力してください』
「その日は湯呑で紅茶を飲んだ」
『声紋の一致を確認しました。プレイヤー『志野』、バーチャルリアリティーへようこそ』
女性が目を開けた。先ほどいた部屋ではなく書斎のような空間となっていた。薄暗くランプの明かりによって影が揺れている。ランプの周囲には埃が舞う様子が見えた。これは、女性が設定した『メニュー画面の背景』と表現したらよいだろうか。
女性が立ち上がると目の前にスクリーンが表示される。女性は、慣れた手つきで『ホワイトドラゴンズ』と書かれているスクリーン上のボタンを押した。
ざぁと、突風が吹いたかのような音が響いた。するとどうだろう。薄暗い部屋は一転して光の差し込む神殿のような白い建物に変わっていた。さらに、女性がいたはずの場所には1人の男性が立っていた。
セイジだ。
『ようこそ、リュエンドクライムへ。インフォメーションを確認しますか?』
「いいえ」
この神殿のような場所は、ゲーム開始時やアバターが死んだ場合に転送される場所だ。この場所でのみ、死んだ時の戦闘ログを見ることが出来るため、死に戻りする機会の多いセイジにとって冒険者ギルドよりも慣れ親しんだ場所であった。
セイジは神殿を出て巨大な穴の前に立つ。穴の下に落ちたならば、ゲーム開始だ。
『リスタートポイント『最初の町:ファジリオ』を転送地点に設定します』
音声が流れ終わるのを確認して、セイジは地を蹴った。
薄暗い物置のような部屋にセイジはいた。手を握ったり開いたりして動きに問題ないことを確認したセイジはやや間延びした声で一言つぶやいた。
「いち、に、さん、はい」
これは女性がセイジを『演じる』合図だ。女性はセイジを『ハードボイルド』なキャラクターにしようと決めている。素の女性の性格のままでは女性の思い描くセイジにはならないため、演じることにしているのだ。
セイジが物置から出るとそこは酒場だった。物置から出てきたセイジを確認した酒場の店主は手を軽く振る。
「やあ、セイジ。今日はどこに昼寝をしに行くんだい?」
「決めていないな」
味覚のないこのゲームでは酒場に行く意味など1つもないのだが、セイジは雰囲気を楽しむために頻繁に通っていた。だからか、酒場の店主はセイジに物置をログイン開始場所に利用してはどうだと提案したのだ。この世界の住人は『異界種』が何もない場所から沸くのを知っている。酒場の店主にとってセイジが頻繁に顔を出すのは己の利になると考えたようだ。
「だったら、雪原とかどうだい? 前、火山地帯で『昼寝』を試してみたそうじゃないか」
「何かあるのか?」
「実はね、白銀狼の爪を取引相手が欲しがっていてね。借りを作るいい機会なんだ。転移代は出すから行ってきて欲しい」
この世界の住人がこういった依頼を個人的に出すことは珍しくない。特に『最初の町:ファジリオ』はゲームを始めたてのプレイヤー以外いることがほとんどないため、難度の高めの依頼は残ってしまっているのだ。半年プレイしているセイジは、レベルは低いが依頼達成率は良いため難度が高めの依頼をされることも少なくなかった。
「構わないがその雪原とやらはどういった敵が出る?」
「獣型がほとんどで弱点部位は君もわかる場所だね。白銀狼の他に巨猿、綿毛鳥と私たちが呼んでいる獣が出る。邪徒の目撃情報もあるが魔法が苦手のようだ」
セイジに依頼するのに慣れている酒場の店主は事前に得ていた情報を伝える。セイジは目的がない場合、未知の場所に行きたがらないのをよく知っていた。
セイジは自力で隣の町に行ったことがない。その理由として3日ほど移動に時間がかかってしまうため、面倒だというものがあった。転移装置というものが存在してはいるのだが、一度自力で行ったことのある町にしか転移できない。しかも『異界種』だけで使用する場合法外なお金を取られるという特徴があった。セイジが違う町に行く必要がある場合は、依頼でこの世界の住人に連れて行ってもらうのが常だ。
「わかった。依頼を受けよう」
今日の予定を決めていなかったセイジは心よく答えたのだった。
セイジが昼寝をしにフィールドへ行くのを酒場の店主はどう思ってんだろうな。




