第3話
「コバ」
同僚の高橋は、いつも僕を家まで車で送り迎えしてくれる。家が近いと言うこともあり、入社して以来そのスタイルを守り続けているのだ。
「なんかあったのか…?」
…高橋はよく気付く奴だ。
「『なんか』ってなに」
…気のきく営業マン。
「んなの俺の知ったこっちゃねーよ。『なんか』は『なんか』だろ?」
「……んん」
同僚の高橋にはあの夢のことについても話したことがある。
彼女と付き合っていることも話していたし、高橋と高橋の彼女と僕らで旅行に行ったこともあった。
「『三嶋さん』か?」
…ドキッとした。
その苗字を聞くと、胸の奥が軋んで苦しくなる。
「…やっぱりな」
僕の表情をバックミラー越しに確認した高橋は、呆れた様に笑った。
「あの夢か?」
…彼女がこの世から居なくなった日の夢。
「…ああ」
…正しくあの夢のせいだ。
「まだ見てたのかよ?」
「当たり前だろ」
…当たり前だ。
彼女を覚えておくための最終手段なんだから。写真じゃ分からない彼女の『匂い』や『感触』を、僕の中に焼き付けておける最終手段なんだ。
「……今日は、見なかった」
…そう、なのに僕は今日、その大切な夢を見なかった。
「良かったじゃん」
高橋があっけらかんとして言った。
「やっと吹っ切れたってことだろ…?」
…吹っ切れた…?
僕はその時、最強に怪訝な顔をしていたんだと思う。
「なんだよその顔」
「良くないんだよ」
「は?」
「良くないんだ」
…全然良くないんだよ。
「なんで?」
高橋が少し振り返って言った。
「事故直後の夢を未だに見続けてんだろ?そんな夢を毎晩毎晩見てたら気分よくないだろうが」
…高橋の言うとおり、気分は確実に良くない。
「なんでそんな夢見て嬉しいんだよ」
「嬉しくなんかないんだって」
「じゃあなんで?」
…なんで?
「なんでそんな夢見たがるんだよ?」
刹那の沈黙。
右折する為に作動させられたウィンカーの無機質な音だけが、僕らの鼓膜を震わせていた。
「彼女を忘れないために……」
気付けば僕は、蚊の鳴くような声で話し始めていた。
「彼女を忘れたくないんだ」
…忘れたくない。
「彼女を忘れていく自分が、本当に怖い」
それを聞いた高橋は一瞬、僕に同情する様な表情を浮かべた。
「これから感じる全ての感情を他の誰かと分かち合っていくなんて考えられないんだよ。彼女と出会って、僕は本当に変われた。僕を変えてくれた大切な人を、絶対に忘れたくなんかないんだ」
最後の方、鼻の奥がツーンとして、震える呼吸のまま溜め息をついた。
…彼女を忘れるなんて、絶対に有り得ないんだ。
それから僕らは、沈黙を貫いていた。
「なぁ」
高橋が別れ際、僕に言った言葉があった。
「お前、逃げてるだけじゃないのか…?」
高橋の表情が余りにも真剣だったから、親父に諭されている気分になった。
「そういうのはさ、『忘れる』って訳じゃないんだよ。『忘れる』なんて単純な言葉で片付けられる様なことじゃない」
僕は高橋を見つめる。
「三嶋さんがお前の記憶の中から薄れていっても、完全に無くなることなんてないんだって」
高橋は僕の肩をポンと叩いた。
「お前の中に三嶋さんは確実に息づいてるよ」
そして、高橋はにこっと笑った。
「三嶋さんだって、お前が幸せになることを望んでるはずだって」
その時の僕には、高橋の言葉の意味が全く分からなかった。
…まるで、解けない難問をツラツラと述べられた時の様に。