第1話
何もやる気なんて起きなかった日々が、ある日、そっと出来た大切な人によって色を変えていくことを体験したことがあるだろうか。
そして、その僕を変えてくれた大切な人を自分の目の前で失うことを体験したことがあるだろうか。
彼女を永遠に失った日のその瞬間の夢を、5年経った今でも見続けている。
梅雨の生暖かい風の中、動かなくなった彼女を抱きしめ、号泣している僕を、僕自身が見ている夢。
朝起きると、必ず現実世界の僕も涙を流し、胸が張り裂けそうな喪失感と虚無感にまた涙が溢れる。
いつまで僕はこうして朝を迎え続けなければならないのだろう……そう嘆く反面、彼女のことを忘れていないことに安心する。
人は、否でも過去の記憶を整理し、消去していく。その記憶がどんなに大切で、大事なものであったとしても、いずれは忘れてしまうのだ。
彼女の声や、仕草、他愛のない癖や、優しい笑顔、彼女の匂い、柔らかさ……
なに一つ忘れたくない一つ一つの『彼女』が、今の僕の中にはまだ息づいている。何故なら僕は、あの夢を見る度に彼女を鮮明に思い出し、力いっぱい抱きしめるからだ。
夢でも良いからもう一度彼女に会いたい……そう願ったのは僕だから。
どんな夢でも良いからもう一度彼女を見たい……そう願ったのは僕だから。
彼女を覚えていられるならどんな辛いことだって乗り越えてみせる……そう誓ったのは僕だから。
まさかあの日の夢が彼女を僕に焼き付け続けるものになるなんて思ってもいなかったけれど。
……だけど、忘れたくない。
……僕は、それが怖くてたまらないのだ。
もう一人の僕が彼女を抱き締める感覚が、傍で見つめる僕を通して僕に伝わる。
その感覚を頼りに、僕は彼女を、僕の深い、大切な場所に焼き付けるのだ。
毎日そうしてきた。
あの日以来、毎日そうしてきた。
だけど今日、僕は彼女の夢を見なかった。
朝の日差しが瞼の裏をオレンジ色に染め、暖かな感覚を素肌に落とす。
僕は普通の朝を迎えてしまっていた。
……当たり前のことなのに、それが信じられなかった。