婚約者1
私は三歳になった。
前世では永山呉羽が本名だった私。一度も名乗ることも、そう愛しい人に呼ばれることを許されなかったこの名前。……そんな名前を私は愛せなかった、呼ばれることを許されない名前なんて……愛せる訳がない。
私はシイナ ユキーシャと言う現世の名前を愛すことが出来るのか、今の私にはわからない。けど、今度こそは呼ばれることを許されない名前になんてしたくはない。
「シイ、聞いて欲しいことがあるの」
と、お母様は私にそう言った。……どうしたのかな、話に話なんて……。
私はお母様に何か、気を悪くするようなことをしたかな……と考えながらも、私は指示通りに彼女の後を追い、話し合いをするだろう部屋へと足を向けた。
私はお母様と共に、お父様の書斎へと着いたと同時に何が言いたいのか、その内容を察したわ。……この家系は貴族、そう考えれば自ずと答えは出てくる。
だって私は前世でも貴族だったんだもの、わからないはずがないでしょう? 彼らはきっと自分の娘である“シイナ”に幸せになって欲しいと願い、……何処かの貴族の婚約話を持ってきたんだわ。
婚約をしたくないと駄々をこねるつもりはないわ、……だって私は貴族の娘。婚約話がいつか来ることもわかっていたし、それを受け入れるつもりでいた。きっと彼ならそうするとわかりきっているもの、だから私も我儘を言ったりはしない。
と、考えながら私は二回ノックした後、「失礼します」とお父様に声をかける。書斎から了承の声が聞こえるまで待った後、私は書斎へと入りスカートの裾を掴み、流れるような上品に見えるような仕草を意識し、お辞儀をした。
「お父様、ごきげんよう。私をお呼びになるとは……何かご用でしょうか?」
と、私は理由がわかっていると言うのに、白々しくお父様にこう聞いた。
そんな私にお父様は苦笑した後、再び微笑み直し、ニカリと歯を見せてこちらに向けて微笑んだ。
……渋めな大人の格好良さを持ち合わすお父様なのに、幼さのある爽やかな微笑みを浮かべるものね……。少し彼の笑い方に雰囲気が似ていて、懐かしい気分になるの……と私は考えながら前世に覚えた社交的に浮かべる微笑みを浮かべるのだった。
そう考えると同時に、そう言えば彼は私の社交的に浮かべるこの笑顔を嫌っていたわね……と懐かしく、愛しい大切な彼との思い出を静かに一人、心中で思い出していた。
「……本当はわかっていたのだろう? シイ、君にはたくさんの政略結婚したいと名乗り出てきている者がいる。……だが、その中でも良い目をした男を三人、私達が勝手に選ばせてもらった。
私の大事な一人娘を幸せに、笑って貰えると思えるような男をな。……だが、これは私の客観的な意見であり後は……誰と婚約するかはシイ、君次第だ。三人ともこの人じゃないと思ったなら断っても構わない、我々は君が幸せになることを祈っているのだから」
と、お父様の言葉に私は思わず言葉を失った。そんな私に対して微笑み続ける。
そんなお父様の微笑みを呆然と眺めながら……貴族だと言うのに、私は愛しい彼を想い続けていても良いのですか……? と、私はそう考え一度は顔を下に向けた後、もう一度戸惑わせている本人の方へと顔を向ける。
と、そんな私に微笑ましい光景を見たかのように再び優しく微笑むお父様。
お父様は唐突に言ったこの言葉に、私は呆然としてしまうほど吃驚することとなる。……その言葉は何よりも私が現世の両親に言って欲しかった、望んでいた言葉だった。
そのお父様の言葉は……、
「私は前世を信じてる、君は……生まれた時から誰かを愛し続けていた強い瞳を持っていた。シイ、君にはずっと愛し想い続けているたった一人の男がいるんだろう? そんな強い想いを抱く人が私は一番好きだ、応援したいと思ってる。
これは私の憶測かもしれない、だけどもし君がそんな気持ちを抱いていたとしたのなら、私の親愛なる娘には愛しいと思ってる彼と幸せになって欲しい。だからね、二十五歳までは婚約については強くは言わない。……それまではゆっくりとその相手を探しなさい、シイ」
私が前世の記憶があると知りつつも、深くは聞こうとしないその配慮。そして何よりも私に対するたくさんの深い愛が籠ったお父様のその言葉に、そう言った声に私は思わず涙が出そうになった。
が、私は涙を必死に堪える。……同情なんてされたくないし、両親の悲しそうな顔は見たくなんてない。だから私は両親に自分の前世の話をしたくない、お父様のこの言葉を……肯定してはいけないの。
でも、このお父様の言葉は嬉しかった。
「ありがとうございます、……お父様」
私は心からの微笑みを自然と浮かべ、私はそうお父様に感謝の気持ちを伝えた。
◇◆◇◆
私は今まで以上にマナーレッスン、社交ダンス、勉強や裁縫を頑張ったわ。
他にも色々と頑張った三年間を過ごし、……私は六歳となった。
六歳となった今日、私は婚約者候補である三人のうちの一人に逢うことになる。
私が四歳だった頃の四月に生まれた弟は、私の隣でほわほわとしながらマイペースに積み木で遊んでいる。そんな弟、ルーンの頭を撫でながら一足先に客間で婚約者候補を待っていると……。
客間には金髪で優しそうな男の子と、その子にしがみつくようにべったりとくっつく、ルーンと同年代くらいの赤髪の活発そうな男の子。
私は二人に対してニッコリと微笑みながら、落ち着いた声でこう言った。
「……初めまして、私はシイナ ユキーシャと申します。今日一日、よろしくお願い致しますね」
と、私がそう言うと、金髪の男の子は呆然とした様子で顔を赤くしていた。