第六話 ~約束~
季節は秋。それでもまだ蝉の鳴き声が聞こえる。
「さて、行くか」
今日は旧暦で言えば九月十五日、実際は九月八日だ。
今日は響と一緒に月見団子を作る予定だ。
「・・・・」
それに写真が出来上がって一応少しとはいえアルバムになった。
アルバムには昔の写真も入れてある。
これを見せれば何か思い出すかもしれない。
ノートも一緒に見せよう。響が自分で書いたものだし、何かきっかけになるかもしれない。
一縷の望みを持って今日も響の家の玄関の扉を開ける。
「おはよう、一希君」
「おはようございます」
・・・・大丈夫ですか。そう訊きたいが、訊けるはずがない。
「今日は月見団子を作る予定なんです」
「・・・・そう。響はいつも通りまだ寝てると思うから」
「はい。おじゃまします」
「ゆっくりしていってね」
「はい」
この前、俺の家に行ったが結局何の変化も無かった。
ただ、変化があっただとか、なかったとかそんなことは気にするべきじゃない。
今重要なのは何か一つでも覚えていることがあるかどうかだ。
音をたてないよう、静かに扉を開ける。
響はいつも通り気持ち良さそうに眠っている。
今にも起きて、俺の名前を呼んで驚いた顔をしそうだ。
「昔なら、そうだったかもな・・・・」
過去のことをいつまでも引きずるのは止めよう。悪い癖だ。
・・・・落ち着け。落ち着くんだ。
一人でいるとどうしても思い出してしまう。記憶が無くなる瞬間のことを。
この無情な現実に心が抉られる。
ゆっくりと深呼吸を三回。
こうしてなんとか心を落ち着かせようとする。
それでも、気持ちは収まりきらない。
耐えきれず、その場で寝転がり目を瞑った。
「・・・・さい。・・・・ください。起きてください」
肩を揺すられ目が覚める。
いつの間にか眠っていたようだ。
「こんなところで寝ていたら風邪引きますよ」
「・・・・ああ、ごめん。響」
「響、それが私の名前ですか?」
「そうだよ。俺は一希」
「一希君・・・・そう呼んでもいい、ですか?」
「勿論。好きに呼んでくれていいよ」
一瞬の間を置いて答えた。
置いたというより置かざるを得なかったのかもしれない。
「それなら一希君って呼びますね」
「響、もっと楽に喋っていいんだよ?」
「もっと、楽に?」
「そう。まあ、無理はしなくていいよ」
「・・・・?」
「ごめん。さっきのは気にしなくていいよ」
「ごめんなさい。私、一希君のこと困らせてますよね」
「そんなことないよ」
「本当にですか?」
「本当だよ」
「・・・・嘘、ではなさそうですけど、本心じゃあないですよね」
僅かに声にならない声が漏れる。
「だって、・・・・こんなにも、悲しそうな顔をしてます」
響は俺の頬に手を当ててそういった。
「それでも隠しているつもりなのですか、一希君?」
昔、響から同じような台詞を言われた。
「・・・・ひび、き」
今にも壊れそうな何かを必死で押さえて彼女の名を呼ぶ。
「一希君、もっと楽にしていいんだよ?」
さっき自分が言ったのとほぼ全く同じ台詞。
衝動に耐えきれず、響をぎゅっと抱きしめる。
響も同じように抱きしめてくる。そして顔を埋めて深呼吸をした。
「優しい匂いがします」
「・・・・」
「私は一希君のことを何も知りません。けど、一希君は私のことを知ってます。きっと大切な人だと思うのに」
「もしかしたら、違うかもしれない。俺が嘘をついて響を騙しているかもしれない」
「いいえ。一希君は嘘をついていません」
「どうして言い切れるんだ」
「それは私が一希君を起こしたとき、一希君は口パクで私の名前を呼んで涙を流していましたから」
「それだけの理由で、信じようと思ったのか」
「はい。言葉は嘘をついても感情は嘘をつきませんから」
「!?」
「そう、誰かが言っていた気がします」
それは間違いなく俺が言った事だ。
他の誰かが言ったのかもしれないが恐らくはそうだ。
「それに一希君はずっと泣いていますし」
指で目元を触ると確かに感じられた。
「自分でも気づかずに涙を流している人が嘘ついてる訳ないじゃないですか」
「全く、俺はバカだ」
「そうですね。一希君はバカみたいに優しいですね」
「・・・・響、今覚えてることとか思ってることここに書いて」
「私は忘れてしまうのですか」
「忘れても、すぐ思い出すよ」
「じゃあ忘れてる私が、また泣いている一希君を抱きしめることになりますね」
「次は笑ってるよ」
「それは楽しみですね」
「・・・・恐くないのか」
「一希君がいるから恐くありません」
「・・・・っ、っ」
「ほら、また泣いています。一希君は泣き虫ですね。次に会うときはそうじゃない一希君でいてくださいね」
「・・・・ごめん」
「謝らないでください。それに、いつまでも泣いていると私が心配しますよ?」
「・・・・うん。うん」
「沢山書いておきます。一希君のこと。私が思い出せるように」
「・・・・ああ」
「もう、泣かないでください。カッコいいのに台無しですよ」
響は俺の頬に両手を当てて、親指で涙を拭ってくれる。
すると、響も涙を流していた。
「次会うときはもっと笑いましょう! 笑い合って楽しく、楽しくお話しましょう」
「もちろん。約束する!」
「約束ですよ。・・・・ゆびきり、しましょう」
「嘘ついたら、どうする?」
「一希君のこと、泣き虫だって言いふらします」
「じゃあ、ゆびきり」
お互いに小指を絡まり合わせる。
「「ゆびきり、げんまん、嘘ついたら」」
「・・・・・・・・一希君のこと嫌いになっちゃいますからね」
響に唇を塞がれ、その後にそう言われた。
「思い出ぐらい作っておきたかったのです。それぐらいしても罰は当たらないでしょうから」
「・・・・」
「一希君、ちゃんと責任とってくださいね。私、一希君のこと忘れませんから」
「うん」
「本当に忘れませんから。もう、ノートにも書きました。絶対忘れないって。それに・・・・」
「それに?」
「前の私も書いていました。カズ君のことは一生忘れないって! だから忘れません」
「うん、うん」
「また泣いたら、カズ君のこと、絶対忘れないからっ!」
「ああ!」
俺は涙を流し、声を荒げて答えた。
*
同日午後。
俺と響は月見団子を作っていた。
「カズ君」
「どうした、響?」
「カズ君はすごく泣き虫で優しい人なんだよね」
「・・・・まあ、間違ってはいない」
「だってノートにそう書いてあるし」
「そうだな、それは響が書いたものだからな」
「だってこの写真みたらわかるけど、私もカズ君も目が赤くなってる」
「それ、今日の朝撮った写真だ」
「・・・・カズ君」
「・・・・どうしたんだ、響」
「楽しい?」
「ああ。そういう響は楽しくないのか?」
「楽しいよ」
「それは良かった」
「約束ってノートに書いてあるの」
「なんて書いてあるんだ?」
「楽しく話せないなら約束破り。内容は自分で思い出す、しか書いてない」
「そっか。・・・・知りたいか?」
「ううん、絶対忘れてないから、自分で思い出す」
「そうだな。きっと忘れてないからな」
「きっとじゃなくて、忘れてないよ」
「そうだな」
「・・・・カズ君、これでどうかな」
ピラミッドのように積まれている月見団子を見せてきた。
「いいと思うよ。よくできてる」
「やったあ! お母さん、カズ君に誉められたよ」
と笑顔で桜子さんに言う。
「よかったわね」
桜子さんも笑顔で返した。
「カズ君、これ積むとき一つ余っちゃったの」
「食べていいよ。響が作ったものだから」
「じゃあ、半分ずつね。カズ君にも食べて欲しいから」
「ありがとう、響。いただきます」
食べた瞬間、込み上げてくる思い。
「すごくおいしいよ」
「うん、ありがとう。嬉しい」
「それじゃあ、出来上がったのと一緒に写真とりましょう。・・・・ほら二人とも、もっとくっついて。じゃあ撮るわよ、はいチーズ」
桜子さんはシャッターをきった後、
「響、折角だからお洒落する?」
「うん。する」
「ちょっと待ってくれないか、響」
「どうしたの、カズ君?」
ノートを手渡し、いつも通り書いてくれるように頼む。
響は快く書いてくれた。
「一希君も見てみる? どんなもの着るか」
「・・・・・・はい」
二階に上がり、桜子さんに響の部屋で待っててと言われ、響と二人で待っている。
「お母さん、大丈夫かな?」
「うーん・・・・桜子さん、俺の母さんと一緒で少しおちょこちょいで抜けてるところあるからなあ」
「カズ君のお母さん?」
「うん、菜々子さん。とっても優しくていい人なんだ」
「今度会ってみたいな」
「わかった。今度また一緒に会いに行こう」
「じゃあ、約束だよ」
「約束だ」
一度様子を見に行って、手伝いましょうかと聞いたが大丈夫よと言われたので響と隣り合わせで座っている。
「・・・・カズ君、私幸せだよ」
「えっ?」
「こうして手を繋いでるだけで幸せ。・・・・だけど、恐い。忘れちゃったら私が私でなくなっちゃうかもしれない。私は、忘れたくない! この『記憶』もだけど、何よりこの『想い』を忘れたくない!」
「・・・・ごめん。今の俺にはこうすることしかできない。ただ響を抱きしめることしかできない」
「この想い、繋いで・・・・。約束、守ってよ」
「どれだけ時間がかかっても、繋いでみせるよ。約束も守るよ」
響の記憶が消え、扉の向こうから桜子さんが涙をすする音が聞こえた。
・・・・俺は、何もできない。
響が流す涙を止めることができない。
何よりも自分が流している涙ですら止めることができない。
「私も貴方もどうして泣いているのでしょう?」
「・・・・きっと悲しいから」
「それは、取り戻せないものなのですか」
「・・・・取り戻したいよ」
「私もどうしてか、涙が止まらない」
「俺も止まりそうにないよ」
「どうして、こんなにも苦しいの」
「きっと、辛いから」
「どうしてっ、こんなにも苦しいのっ」
「大好きだからだっ」
響は服を手で握りしめる。堪えられない想いを堪えるかのように。
俺は静かに、強く握っているその手を優しく握った。
そして響は大泣きしながら胸に抱きついてきた。
その後はしばらく静かにお互い泣いていた。
「・・・・ねえ、貴方の名前聞いてもいい?」
「俺は、一希。君の名前は響だ」
「一希君」
「なんだ、響」
「私、一希君のこと好きだよ」
「知ってる」
「・・・・一希君はどうなの?」
照れ隠しぎみに訊ねてくる。
「勿論、好きだよ」
「分かってた」
笑顔をみせた次の瞬間、響の記憶は再び消えた。
今度は一通り説明した後、桜子さんが部屋に入ってきた。
「響・・・・やっぱりなんでもないわ」
「どうしたの、お母さん?」
「言おうとしたこと忘れちゃった。ダメね」
「もーう。思い出したらいってね」
「ええ」
そう言って桜子さんは扉を閉め、階段を降りていった。
俺は響を一人にさせたくはなかったが、響にすぐ戻るから待っていて欲しい。
そう言って俺も一階へと降りた。
「桜子さん!!」
「・・・・一希、君?」
桜子さんの右手には包丁が握られている。
通常なら、晩御飯の準備をする。そう思うのが妥当だろう。
しかし、俺はさっきの菜々子さんの表情を見て今のこの状況がそうでないと思ったからだ。
「今、何しようとしました?」
「それは勿論、晩御飯を」
「嘘つかないでください!」
「嘘なんて」
「ついてるじゃないですか! 分かるんですよ!」
「・・・・」
桜子さんの目から涙が流れる。
「一番辛い、響が耐えてるんですよ」
「わかってるわ、わかってるわよ」
「桜子さんっ」
「響のあんな姿、もう見たくないのよ! 無責任だってことはわかってるの。けど、このままじゃ私が、おかしくなっちゃう。あのこを守らなきゃ駄目だってわかってる。わかってるの」
「桜子さん・・・・」
俺は桜子さんの両手を包み込むように握る。
「信じてくれませんか。響を信じてくれませんか? 俺は信じなくてもいいですから響を信じてくれませんか」
「私は信じてるわ。勿論、信じてる。それでも・・・・。親失格なの。私には、あの子の親である資格がない」
「それでも、響には桜子さんしかいないんですよ。・・・・自分では精一杯しているつもりで。でも動かないものばかりで。ふれられない、届かないって知っいても、揺らめく夢に憧れて手を伸ばして・・・・届かない祈りに心が暴れて、ただただ、自分の身の丈を知らされる」
「・・・・一希君、昔、響に言ってたわね。『小さな点でも繋げば線になる。そしてその線を結べば円になる』『今の失敗は失敗なんかじゃない。大きな成功する為の小さな成功なんだ』『自分達はprayerじゃなくてplayerなんだ』」
「いいましたか? そんなこと」
「ええ。響が言ってたのを覚えてるわ」
「・・・・桜子さん、」
「一希君も耐えられなくなってしまうかもしれないわ。けれど、その時は一度踏みとどまって欲しいの」
「桜子さんのようにですか」
「そうね」
「・・・・そろそろ戻ります響が心配しますから」
「ええ」
俺は足早に響の部屋に戻った。