プロローグ
カチ カチ カチ
時計の音が部屋に響く。 暗く、何もない部屋の中で聞こえるその音は寂しさを倍増させる
カチ カチ カチ
その音は一定のリズムを刻む一種の音楽の様だった。
不変でありながら、どこか感情に囚われない自由さが部屋を包む。
その自由さが逆に寂しい。
カチ カチ カチ
無に等しいこの部屋の中で、唯一のBGMは虚無感を残していく。
電気すらないこの部屋は、ずっと暗い。
カチ カチ カチ
音は変わらない。大きさも、高さも、ずっと一定。
無常で、いつまでも進化を続けるこの世界に反抗するかのように。
カチ カチ カチ
心地よいとは言い難いその音は、この部屋が存在していることを示す唯一の存在。
外の喧騒も、太陽の明るさも、月の切なさも、全てを遮断したこの部屋が存在することを・・・
暗く、深い闇の中・・・
闇の中には悪魔がいる。
この部屋にもまた、悪魔が出てきそうだった。
「ん、んぁ~」
声にならない声がどこからか聞こえる。
部屋に響いていた音は消える。
さっきまで漂っていた寂しさは闇の中に消えていく。
声の正体は、男だった。 黒ずんだ服と帽子に身を包み、眠そうな顔だけを覗かせる。
「ふぁ~、よく寝た」
大きく開けられたその口からは、だらしない欠伸が出る。
その姿からは悪魔という言葉は到底、連想出来ない。
しかし、彼が着ていた黒ずんだ服からは、不気味な雰囲気が漂い、邪悪さを感じる。
黒ずんだその服のせいで、男は部屋と一体化していた。
そのせいで、男を見つけるのは非常に困難だ。
カチ カチ カチ
また、静寂が戻る。
不気味なその男は何をする訳でもなく、ただ座っているだけ。
男の顔はまだ眠そうだ。
男は何もしない。 喋らない。 「よく寝た」という感想を第一声とした後、無言だ。
ピクリとも動かないその身体は屍すらも連想させる。
どこを見ているか分からない、その目は鋭く、不気味。
カチ カチ カチ
音は男の存在を薄めていく。
存在すら主張しない不動の男と、存在を主張し続ける不変の音は、正反対に見える。
しかし、結局は同じ。 どちらも寂しいのだ。
そして、どちらも闇に溶けていくのだ・・・
カチ カチ キュー キュー カチ
時計の音に混ざって、新しい音が主張を始める。
男のだらしない声でも、時計の単調な機械音とも違う音。
動物的でありながら、感情の薄いその音は部屋の中の雰囲気に溶け込んでいる。
キュー キュー
あまり聞き慣れないその音は、何らかの動物の鳴き声だということ以外は分からない。
キュー キュー
音源は暗闇の中、薄い緑に目を光らせて、存在を主張する。
この部屋の中では、存在を主張しないものは消えていく。
暗く、無の世界に溶けていく。
キュー キュー
その運命から逃れるように音源は必死に鳴く。
目を光らせる。
そして、動く。
ネズミの様なサイズだが、どうにも、ネズミとは言い難いその小動物は部屋を走る。
彼もまた、黒かった。
存在を隠すかの様に真っ黒だった。
「小次郎、ここにいたのか」
男は、その小動物を見つけると、やっと声を出す。
恐らく、その小動物のものであろう、ナンセンスな名前を口から出して。
男は小次郎を肩に乗せる。
小次郎は、安心した表情を浮かばせながら、肩の上で、身体を縮める。
そして、双方とも存在の主張を止める。
外からも内からもこの部屋の存在は無に等しい。
男と小次郎と時計のみが主張する小さな存在。
今日、そんな部屋に手紙が届く。
悲しさと希望と過去と未来を背負った手紙が・・・
DEAR=FROM
物語が始まる。