エデンについて
※SFとかよくわかってないやつが書いています。
タン、タン、タン。
ハンコを押す音だけが室内に響く。
書類の束は『処理済み』のボックスへ消える。
そして、また別の書類を手元に引き寄せる。
チェックすべきところだけに集中し、手に持った赤ペンで機械的に「レ点」を走らせる。
また、ハンコを押す音が響く。
部屋の主、ピーターは一息つく間も無く無感情のままにそれを繰り返す。落ち着き払った所作に若者らしさは皆無であり、すでに老成した風格すら醸し出している。
午前のノルマが終わろうと云う頃、デスク上の電話が鳴った。
「はい」
1コールでピーターが受話器を取る。それに動じる様子も無く、相手は喋り始める。
「ハロー、ピーター。元気してる?」
聞きなれた女の声に、ピーターは眉根を寄せる。
「変わりない」
ピーターは短く答えた。
「あらら、そっけない…。なるほどなるほど『変わりない』ようね」
「なんの用だ?」
「無駄話はお嫌いなのよね。ええ、分かっているわ。でもね、あなたがそうだからこそ私はこうなのよ。あなたならお分かりよね」
早口というほどではないが流暢に、つらつらと女は喋る。
女の言葉を無視して、ピーターは言う。
「君は知っているだろうが、午後から人と会う用事がある。」
「ええ、知っているわ。だからこそ可及的速やかにこれを伝えるべきだと思ったの」
「……」
沈黙に答える女の声は、受話器からとピーターの目の前から同時に聞こえた。
「そのネクタイで人と会うつもり?」
ピーターのデスクの正面に、ブロンドの女が線の千切れた受話器を耳に当てて立っていた。
かっちりとしたスーツを着崩した、平均的な美人。肩までの金髪に、薄い化粧。ピーターと同じ青い瞳。気の強そうな太めの眉が印象的だ。それに反するような色っぽい唇も。
「それを言いにわざわざ出て来たのか?〈システム〉」
システムと呼ばれた女は、受話器を上着のポケットにしまった。ポケットには入りきらないサイズの受話器は、あっさりと姿を消した。
ピーターはそれに驚く様子も無く、返事を待っている。彼の首からはグレーの地味なネクタイがぶら下がっていた。
「ええ、その通りよ。他ならぬ私からの忠告。聞く価値はあるでしょう?」
女は試すような嘲笑、もしくは幸福そうなほほ笑みをピーターに向けた。
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午後。『面談室』。
何の装飾も無い部屋に、椅子が二つ向かい合う様に置かれている。
一方にピーター。タイは白地にカラフルな水玉に代わっている。
一方には赤毛の少女。快活そうな、好奇心に輝く瞳をピーターに向けている。
「このたびは貴重な時間をありがとうございます」
少女は緊張した声色で、大人びたことを言う。
「グレース、だね?」
手元の資料に目を落とし、ピーターは問う。
「はい」
グレースと呼ばれた少女は、慎重に発音した。
それを確かめる様に、ピーターは頷く。
「あの…」
グレースは意を決したように口を開く。
ピーターは資料に落とした視線を彼女に戻した。
「そのタイは?」
そう問われてピーターはネクタイの先をつまみ上げる。
「…変かな?」
「いいえ。かわいいです。ただ、少し子供っぽいかなって。あ!もしかして、私に合わせて?」
グレースはわざとらしく肩をすくめてみせる。
「いや、そういうことじゃない。たまたまだ」
ピーターは一瞬変な顔で固まったが、取り繕う様にやや早口で言った。
「そう、ですか…」
気まずい沈黙。
泳ぐグレースの瞳が観念したようにピーターへ戻る。
「ピーターさんは、なぜ今のお仕事を?」
少女の問いに、少し考える間を置いてからピーターは答える。
「別に…。与えられたからだよ、『役目』を」
「〈システム〉に?」
「そうだ」
「人に譲ることもできたのでは?」
「そうだ。そうできた。でもしなかった。ただ、それだけだ。それで十分だったからだ」
ピーターはきっぱりとそう言い切った。
「私の話はどうでもいい…。君の話を聞こう」
ため息交じりにピーターは眼鏡のずれを直す。
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地球上の全人口は今、ゆるやかに衰退して数百万人。そのほぼ全てが、オーストラリア大陸がすっぽり入る程度のドーム状の施設に収容されている。
彼らには一人一人に白い部屋が与えられていた。
そこには何もかもがあったし、どこへでも行けた。求めるモノならなんでもだ。
部屋は仮想現実を投影させる装置だった。視覚だけじゃない。五感の全てを再現する『仮想』。
それを管理する〈システム〉があった。
人に寄り添い、対話する者。
全人類の総意が生んだ、『人格』に酷似した何か。
〈システム〉は何者にも公平だった。
求める者に与えすぎはしなかった。
求めぬ者を突き放しはしなかった。
考える者とは問答し、挑む者には立ちはだかり、持て余す者には『役目』を与え、拒絶する者にはその権利を尊重した。
〈システム〉に定型の姿形は無い。
対した者の心理状態などを考慮した姿で現れる。
彼、もしくは彼女はいつもこう言った。
「私は神様じゃない。信頼に応えることはできるだろう。でも、私には誰も救えはしない」
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「有限の資源を湯水のごとく使い続ける時代はこの〈システム〉が終わらせた。物質が移動する、または接触することで起こるロスを最小限にするためにこの〈システム〉は存在する。現実と変わらない虚構が、現実よりも安価になったからだ」
ピーターは面白くないことのように言った。
「はい」
グレースが生真面目に応えるものだから、ピーターは一瞬顔をしかめる。
二人は視線をからませる。
挑みあうような沈黙。
先に口を開いたのはピーター。
「どうしても、外に出たいと?」
ピーターに与えられた『役目』。
それは『ドームの外へ出たい』という願いを審査すること。
〈システム〉稼働初期より根強く在り続ける問題。
そんな問題を、〈システム〉は人間に預けた。
グレースもまた、その命題をピーターに突きつける一人だ。
「ええ。そうです」
少女は、少女らしからぬ決意を持って答える。
「ちょうど一年前だ」
ピーターは頭痛でもするように目を細め、自問するように呟いた。
「私がこの役目与えられてまだ一年…。それでも数えきれない人々の資料に目を通してきた。実際に会った人間も君だけじゃない…しかし、分からない」
「なにが?」
「私は、どれだけの数の人間を見ても、話をしても、その『外』への憧れに共感できない。理解できないまま、却下し続けた…これでよかったのだろうか、という疑問が常に私の傍らにある」
「なぜ、私と会ってくれたの?」
「君が一番熱心だったから…だろうか。多分、そんなところだろう。これは私には珍しいことだが、直感に頼った行動だ」
信じがたい、という風にピーターが口元を歪ませる。グレースはそれが興味深いことのようにほほ笑む。
「ピーター?あなたは外に出たいと思ったことはないのね?」
グレースは首を傾げる。
「言った通りさ。それに、ここでも『外』を感じられるだろう」
その言葉と共にピーターは立ち上がる。
彼が踏みしめた冷たい床は緑が炎のように広がり、やがて野原へと変わる。
壁は取り払われ、草花の香りが鼻をつく。
上を向けば青い空。吹きすさぶ風に、グレースの長い髪が遊ばれる。
降り注ぐ日差しに目を細め、ピーターは椅子に座るグレースを見下ろす。
「これでは不十分か?」
乱れた髪をかき上げ、グレースは少女らしくほほ笑む。
「いいえ、十分だわ。でも、十分だからって求めることを止められるわけじゃないでしょう?」
「……」
「これは『現実らしい』けれど、現実じゃなくて…。現実はこれよりも不十分かもしれないけれど、それでも私はそれを見たいの」
「…そうか…」
ピーターは少し寂しそうにため息をつく。
その表情になにか感じるモノを得たグレースは彼に近づく。
「ねえ…ピーター」
「ん?」
「あなたも一緒に来てみない?」
少女の提案にピーターは目を丸くした。
「そんな…こと…」
「できるよ」
二人の間に唐突に『見知った男』が現れ、ずい、とドーナツやサンドイッチが詰まったバスケットを差しだした。
バスケットを押しつけられたグレースは驚きもせずに呟く。
「〈システム〉?」
「そうだよ。ご存じ、僕だ!」
男は爽やかに笑いながら、二人の顔を交互に観察する。
「何しに現れた?」
「ご挨拶だね、ピーター…。誰あろう君のためだと云うのに」
「どういうことだ?」
「君は生まれたときから考えすぎなんだよ。いや、生まれたときから、は言い過ぎか」
男は持参したドーナツに手を伸ばし、一口頬張る。
「なんだと?」
努めて冷静を装っても言葉尻に苛立ちを隠せないピーターを無視し、男はにこやかな表情でバスケットの中身を手で示す。
「君も食べる?グレースも遠慮しないで」
「やたっ!いただきます」
鼻歌交じりにグレースはドーナツを選ぶ。
その間も、ピーターは黙ったままだ。
「……」
「ふてくされるなよ。いい天気じゃないか」
無造作に、男はバスケットからサンドイッチを選び取り、ピーターに差しだす。
「ああ…。私の望んだ、な」
そう嘆息し、観念したようにピーターはサンドイッチを受け取り口に運んだ。悔しいかな、それは彼の好みの味だった。
またしても男がどこからか出したティーセットで人心地着くと、仕切り直すように男は手を叩く。
「さて、ピーター先ほどのグレースの提案をどうする?」
「どうするって、なあ…」
なおも言い淀むピーターに、グレースも詰め寄る。
「私も聞きたいです!」
「……ああ、うん…」
爛々と輝くグレースの大きな瞳に、ピーターは言い淀む。
「何だ何だ?全く煮え切らない男だなあ。別に一生帰って来られない訳じゃあるまいし」
何の気なし、という風に男が言った台詞に、ピーターは紅茶を吹き出して驚く。
「帰れるのか!?聞いてないぞ!!」
「帰れない、なんて一度だって言ってないだろう?確認しろよ。まったく…、僕がそうそう簡単に人間を放りだすものかよ」
チェシャ猫のような不敵な笑顔で男はピーターを見やる。
「別に地球が死の星になったわけでもあるまいし、そう怖がるなよ。まさか巨大な人食い生物が外を闊歩しているとか思っているのかい?」
「そういう訳じゃないが…。いや、それだって可能性はある!『わからない』じゃないか!!」
「じゃあ、行きましょう!!」
二人の話をドーナツ片手に聞いていたグレースがずい、と身を乗り出しピーターに詰め寄る。詰め寄られたピーターは言葉も無い。
「『わからない』なら、行ってみないとわかりません!昔の人はいいことを言いました!論より証拠ですよ!!ピーターさんが、ピーターさんだけが外との架け橋なんですよ!ピーターさんが外を見る価値はあります、絶対!」
「ぐっ……」
何ごとか、一つ二つ…言いたいことが頭に浮かんで消える。観念して、ピーターは呟く。
「わかった。…わかったよ」
一瞬キョトンとしたグレースはみるみる満面の笑みに変わり、「やたー!」とその場で飛び跳ねる。
「なんだ?この子は…」
ピーターは無邪気に喜ぶ彼女を見ながら首をひねる。
「いい子だろう?」
〈システム〉は白い歯をのぞかせてピーターに笑いかける。
「まあ…いい子はいい子なんだろうが…」
「お気に召したようだな」
男は言った。
「あの喜びようならな…」
グレースを見ながら、ピーターは言う。
「君もさ」
「え?」
ピーターは不意に男の瞳を覗き込んでしまった。夜明け前の様な、黒い瞳。
「青い空、白い雲、どこまでも続く緑の草原…、こんな憧れ(イメージ)を持っていたくせに…。『ここから連れ出してくれる誰か』を求めていただろう?お見通しだ。お膳立てに一年かかったがね」
「……」
「僕の様な強い味方がいるのに、片意地はってどうするよ?」
〈システム〉は旧知の友人にするかのように肘でピーターを小突く。
「お前はなんなんだ?」
ピーターの問いに、男は事もなげに答える。
「単なるプログラムさ。人間を救えはしないが、困っていたら手を出さずにはいられないおせっかいな、な」
「さてと、」と前置きをして、男はグレースとピーターに向かって言う。
「『外出』の準備を整えてくるから、ちょっと待っててな」
「え?もう?今日出れるの?」
「善は急げと言うからな!」
驚き喜ぶグレースに、男は親指を立てて応える。
「もう何も言うまい…」
「おう、まあ、テキトウにぶらついてこい!」
男はピーターの背中をバン、と叩く。
「私、いっぱいいろんなものを見てくるね!それで、あなたに教えてあげるわ!」
グレースは興奮気味に男に訴える。
「おう!待ってるぞ。でも、それを『役目』だとか思うなよ。見たまま聞いたまま感じたままに、気楽に帰って来いよな」
〈システム〉は快活に笑う。
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彼、または彼女の本当の名前は『エデン』。
『人』を排斥した楽園の名を、彼、または彼女は嫌った。
彼、または彼女が目指したのはただ一つの『家』。
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「いってきます」
グレースが元気いっぱいに飛び出していく。
「行ってくるよ。余計なことを言うようだけど…、留守をよろしく」
ピーターがおっかなびっくりに現実の大地を踏む。
それを〈システム〉は念願の言葉で見送った。
「いってらっしゃい。暗くなるまでには帰れよ」
良く晴れた、抜けるような青空に、白い鳥が一羽ぽっかりと浮いている。
木々を心地よく揺らす風に乗って、どこまでもどこまでも飛んでいく。
まさか読んでくださった皆様へ。ありがとうございました。
散歩はよい気分転換というか、いい意味での逃避行動ですよね。
じゃあ、逃げ出しにくい状況って?と困難な状況を考え抜いたあげ句がこのざまです。