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仮眠室の扉の外からは、朝の賑わいを取り戻したギルド職員達の声が聞こえていた。いや、取り戻したと言うのは間違いかもしれない。確実に以前よりも騒々しくなっているのは間違いないだろう。その喧騒が、目覚まし代わりになったといっても過言ではなかった。
扉の対面側にある開閉式の窓からは、時折そよ風が入ってきて室内の空気を拭っていく様だった。次第に近くのパン屋からの香ばしい香りが混じり始め、徐々にではあるが空腹を自覚し始めていた。
そんな中、俺は使わせてもらっていた仮眠室の毛布をたたみ、数少ない荷物を袋に詰める作業をしていた。
「おにぃちゃん、ほんとに行くの?」
「仕方がないさ、学院だっけ?バオって人も直接上司に話して欲しいだけだって言ってたし。それよりもミレイのほうこそ大丈夫なのか?」
少し前からミレイは、寝ているか疲れたように水に浸っている事が多くなった。今も、机の上に置いた水を入れたコップの中に浸かりながら、コップのふちに寄りかかっていたりする。
「ぅーん、こんなこと初めてだから、わかんなぃ」
「何かあったら直ぐに言うんだぞ?」
「うん」
誰かにミレイの事を相談しようにも、精霊に関して詳しい人がアロテアの街にいるとは思えなった。キイア村の村長を始め、ユリアさんでさえ不調の原因を知っているかは分からない。
今更に気づいた事だが、精霊のミレイについて俺は何も知らなかった事に気づいたのだ。宝石が好きなミレイ、いつの間にか魔宝石として力を込めていたりした。そして、先日のキイア村での精霊達が形作った魔陣。
女神ユルキイアにお願いされ、俺の案内役として憑いてきた精霊。確か、俺の魔力を元にしているんだったか。もしかすれば、原因は俺の魔力に理由があるのか?それとも、ミレイ側に理由があるのか?今はまだ憶測の域を出なかった。
コンコン
「どうぞ?」
「おはようございます。タモトさん」
ノックの後に入ってきたのはアイナだった。アイナは慎重150cm程の小柄な女の子だ。いつもの様に左右のこめかみ辺りを三つ編みに、後ろで結って抑えている髪型である。
彼女の服は、以前着ていた外回り用のズボン式の上下ではなく、カウンター受付様のスカートの上下を着ていた。一緒に外回りをした事がある俺にとっては、まだ彼女の姿に違和感が残るが、彼女は自分なりに調整した服装に満足しているみたいだった。
「もう、バオさんが来たのかな?もう少しで準備ができるけれど」
「いえ、私の方が早くキイア村に出発しそうなので、何か伝言は無いかな?と思いまして」
「あ、ありがとう。じゃあ、村長さんに少し用事を済ませてきますって、伝えてもらって良いかな?いつ戻れそうか分からないけれど」
「それだけ、ですか?」
「ん?他には特に・・・・・・」
「・・・・・・手紙とかは?・・・・・・親しぃじょせぃ、の人とか・・・・・・」
特に手紙を書くほどの用事を頼みたい人も居なかったけど。何だろうアイナが妙に気を使ってくれるのが、嬉しかった。親しい人?か、まあ、戻ってこれない訳ではないだろうし。仕事でアロテアに来ていてのついでだから、アイナに手間を掛けるのも悪いなと思う。
「手紙ね?実は俺、まだ詳しい文字も書けないんだよね。この前の話し合いの資料作るのにも手伝ってもらったし」
「そうなんですね!分かりました。それでは、村長さんへそう伝えておきます」
「うん、ありがとう」
「早く帰ってきてくださいね。一緒にお仕事が出来る様に準備しておきますから!」
アイナは入って来た時よりも、わずかに元気な笑顔で出て行こうとする。すると、出る間際に振り返りスカートが翻りながらそう告げた。
かなり一緒に働けるのが嬉しいのだろうと思う。前は、研修の期間に突然に帰ってしまうことになってしまったのだから。それに、村の復興のために大工の人も向かってくれるという、彼女が言うみたいに本当に戻ったらキイア村のギルドの準備が出来ていそうだ。
「おにぃちゃんが浮気してるぅー?」
「なっ、なんて事言うんだ。アイナは仕事仲間で一緒に学んだりして、気を使ってくれているだけじゃないのか」
「そうなのぉー?」
ミレイ、せめて顔を上げて言って欲しいが、クタッとコップにもたれたまま言うのもどうかと思うが、辛そうだからそのままに聞き流す。
「そうだって、アイナは念願のカウンター受付になれて、人気者になるのが夢だって言ってただろう、確かカウンター越しにプロポーズされるのが夢なんじゃなかったっけ?」
「そうだったっけー?まぁ、いいやぁー」
確か、研修中にそんな事をアイナ自身が言っていたのを聞いた覚えがある。ミレイもどうでも良いのか、深くは聞いてこなかった。それにしても、ミレイに辛ければ姿を消してても良いとは言っているが、水に浸かってでもそうしようとしないので旅に連れて行く間はどうしようかと考えてしまう。
「ミレイ、瓶をもらってくるからちょっと待ってな」
「はぁーぃ」
確かギルドの倉庫の方にいくつか、空の蓋付きの瓶があったと思い倉庫番の男性に尋ねてみる。頼めば1個くらいなら譲ってくれるかもしれないと思い聞いてみると。好きなのを持っていきなと快諾してくれた。
何でも、冒険者から買い取ったは良いものの日にちが経ってしまい品質が悪くなり、道具屋も買い取らなくなった薬の空き瓶が時々あるという事だった。冒険者が売る時点で使用期限がギリギリだというのも、その処分先と言う事らしい。
「ほら、ミレイこの中なら入ったまま移動できそうだぞ?」
「うっ、薬臭ぁーぃ。ちゃんと、洗ってぇー」
「はいはい」
俺は、ミレイが納得いくまで洗わされ、身支度と同じくらいの時間を使ってしまったのだが、特に今日は職員への資料の作り方も伝達し終えていて、依頼主であるバオさんが来るまでは、他にやる事も無かったのだ。
「どうだ?ミレイ」
『うん、いぃ感じー』
ああ、そうだったな。最近は普通に会話していたから忘れていたが、ミレイとは魔力の共有をしている事で意思の伝達が出来るんだった。瓶の大きさも中で動けるくらいには十分みたいだった。
準備も終えた頃に、ジーンさんとアイナが支援の物資と共にキイア村に出発すると他の職員が呼びに来てくれた。二人の知り合いがキイア村のギルドの手伝いをしてくれると思うと本当にありがたいと思う。これで、村の準備が整えば依頼内容の交換もスムーズに行えるはずだ。
「ああ、タモト君来たか」
ギルドの入り口前で待っていたのは、アロテアのギルドマスターであるルワンナさんだった。いつものどこかのカジノディーラーのようなパンツスタイルは変わりなく、腕を組みながら停められた馬車を見ていた。
停められた馬車は2台、その内、1台には物資ともう片方には人が乗れるようになっていた。その馬車上には3人の人物が自分たちの荷物を運んでいた。
「なぁなぁ、俺は大工屋のターナー言います。いやぁ、姉ちゃんみたいな綺麗さんとご一緒できるなんて運がついてるわー」
「は、はぁ。ジーンです。よろしくお願いします」
「ターナーさん、ジーンさんに近づかないでください!あっ!隣は私が座るんですっ!」
馬車の上で、3人の関係が見て取れるようだった。ターナーという男性がジーンさんに近づこうものなら、アイナがけん制するそんな感じだ。後は、乗り込む人の準備だと言うのに、そこで時間がかかり御者の人物も苦笑しているのが見て取れる。
「支援が遅くなってすまなかったね。しばらく会えないだろう。挨拶でもしておくといい」
「いえ、支援してもらえるだけで助かります。そうですね」
話しかけるタイミングを掴み忘れていたが、ルワンナさんに促され馬車の近くまで行く。乗り込んでいた3人もそれに気づいたのか、言い合うのを止めた様子だった。
「ジーンさん、アイナ、行ってらっしゃいって言うのは変だけれど、村をお願いします」
「タモトさんも、首都まで気をつけて。キイア村の方は私達で頑張りますから」
「私も!タモトさんが帰ってきたらビックリするくらい復興させちゃいます!」
「あぁ、兄ちゃん、俺に任せてくれればどこにも無いような村にしてやるぜ!」
「助かります。宿が無ければ、他の人(冒険者・仕事人)を迎え入れる事も出来ないので」
「任せとけ!」
いよいよ、荷物も人も準備が整い、ジーンさんやアイナ達も他のスタッフとの別れの挨拶を済ませていた。うん、彼女達が村へ行ってくれれば、復興も早まるのは間違い無いだろう。仕事の分配や適材適所の管理をしてくれるだろうから。
そう思う内に、2台の馬車は動き出し街の門の方へ進みだす。馬車上から手を振られ、俺もまた振り返す様に見送るのだった。
俺もまた、首都へと出発しいち早く戻ってくることを願うしかなかった。




