10
痩身の男の姿は屋敷の陰に飲まれ姿は見えなくなる。放った炎の魔陣斉射は身構えた狂人には容易く避けられてしまう。やはり、直撃に効果は有っても、相手の素早さには負けてしまっていた。
「くっ、副長!応援要請!斉射続けろ!近づけるな」
「隊長!?市街地ですが!」
「構わない!奴らを逃がす訳にはいかない!」
「ハッ!……要請挙げろ!」
副長の心配も理解できた。廃屋となっているとは言え、近くには住民の住む家も近い。すでに初めの爆音で興味本位に住民が見に来てもおかしくはない。そこまで、相手側に考えが有ったかはわからないが、自分たちはまんまと誘いだされ相手の目標物を奪われてしまった。
そしてまさか、目の前に襲い掛かってくる狂人達が相手になるとは思いもしなかった。
「副長!後は頼む!」
「ココ隊長何を!?」
「魔石装具を使う。即断の指揮は任せる」
「ならば私が!」
「皆、魔宝石の限界が近いだろう?その点、私の物は消耗していないからな」
副長への説得はその一言で十分だった。初めの魔石銃の使用から私以外の魔宝石に限界が近かった。恐らく、斉射が出来なくなれば狂人達に蹂躙されるだろうと予想してしまう。
副長の後ろでは伝令役が魔石銃の準備を行っている。自分も装備していた魔石銃から、未消耗の魔宝石を取り出し、胸部の甲冑に空いた窪みへと魔宝石をはめ込む。すると、魔宝石は輝きを一層強くなり、輝きは甲冑に刻まれた溝へと流れ込む。
「行くぞ!」
再び長剣を握り直し、姿勢を構える。魔石装具を使うとは言え、実際に身体に力がみなぎってくる訳ではない。装具による防御の増加や攻撃の効果の増加の影響は直接生身へと返ってくる。
「ハッ、各員左右へ、隊長を援護せよ!」
負傷者以外の2から3人が左右に別れ、斉射を続ける。相手の注意が左右に別れた時を狙い走り出す。その時、上空に打ち上げられた応援要請の魔陣が3連の弧を引きながら周囲を照らし出した。
「おぉぉぉ!」
かわされる事を考えると大振りに振り上げる事は出来ない。引き絞った矢の様に剣を引き付け貫く事だけを考える。
不意を突かれた狂人達は、私に気付いた先頭の一人が剣を握り止めようと掴んでくる。素手で傷つく事など心配もしていないのだろう。いや、その赤く充血し見開いた眼を見ると正常な意識が有るかさえ疑わしい。
「ガアァァ!」
剣先を素手で握り止められた状態で、狂人は剣ごと横に薙ぎ払おうとする。しかし、先に同じように負傷した騎士達が居る事を見ていた為、投げられまいと足へと力を込める。
その瞬間、魔装具に流れる輝きが意思に反応するように足の装具へと広がる。
「グ?」
「させるかあぁぁ!」
薙ぎ払われようとした力を、地面を削りながらも足で踏ん張り狂人の力と魔装具の力が均衡する。予想外の抵抗にわずかに狂人の表情が変化する。これが、もし上空へ投げあげられたならば、踏ん張る事は出来なかっただろう。
その一瞬の戸惑いにも近い狂人の動揺を見逃す事は出来なかった。剣の柄を縦に握り直し、薙ぎ払われる力の流れを突く方向へ変換する。
「ギャアアアア!」
剣先は胸を貫き、狂人は絶叫をあげる。痛みが無い訳では無かったようだ。恐らく痛みの閾値(感じる範囲)が薬のせいで高くなっていて鈍くなっているのだと分かる。
「「「おお!」」」
周囲の騎士たちの歓声が上がるも、注意する余裕はなかった。体を貫いたとはいえ、相手の目はまだ力強く睨んで来ていた。
そして、剣先を抜こうと力を入れるも、相手もより一層握る力を強め剣を離そうとはしない。そうしている内に。狂人の右足による蹴り上げを左腕とその内側である左脇で食らってしまう。
「ぐあっ!!」
ミシッと脇腹で嫌な音が体内に響く。一瞬体が宙に浮くが直ぐに剣を離す訳にはいかず、再び力を込める。2撃目を食らう前に、決定的なダメージを与えるしかなかった。
狂人も剣を手離す様子はない。むしろ、剣を掴んでいる右手のまま、左手で私の腕を振り払おうとさえ腕を握ってくる。
「隊長!!」
劣勢に見えたのか悲痛な副長の叫びが聞こえる。しかし、ゆっくり振り返る訳にもいかず、掴まれそうな右手を両刃の剣に置き突いたままの剣を振り降ろす方へ向かわせる。
右手の手の掌に剣刃が食い込み傷を作るが、些細なことのように思え無我夢中に相手を倒す事だけが思考を占めていた。
「たあぁぁぁ!!」
「アァァァ……」
掴まれた右腕は剣の勢いを防ぐことは出来なかった。魔石装具から漏れる輝きは手の先から剣の先端まで淡く輝いていた。そして狂人の体を切り裂きながら、絶叫が次第に弱くなっていく。
「「!?」」
仲間が倒された状況に、わずかに動揺を見せる残りの狂人達。その内の一体は左手に炎の魔陣を受けた者だった。しかし、動揺はあるもその眼には逃亡するという素振りは無かった。
「今だ!」
副長の号令に傷ついた方の狂人に集中砲火が浴びせられる。先ほどまで避けていた魔陣も数には避ける事さえ出来なかった。数発が頭部や胸部を直撃し悶え暴れる。しかし、振るわれる腕は周囲にいる騎士達には届かず絶命する。
「ガアアア!!」
残された最後の狂人は、息を整えていた私へ襲い掛かる。振り下ろされる腕を剣で構えて受けるが、薙ぎ払われる力とは違い正面からの衝撃に後方へ吹き飛ばされる。
「きゃ!」
「隊長!」
肺の空気が一気に押し出される衝撃に一瞬意識が暗くなりかける。姿勢を立て直す暇もなく狂人は襲い掛かってくる。しかし、意識が戻ってきても体勢が倒れたままであった。
「うっ」
「ヒャーッ!ギャギャギャ!」
狂人の歓喜とも聞こえる叫び声が聞こえる。実際、獲物を追い込んだ獣の喜びの声だった。斉射される炎の魔陣もすでに魔力が尽きて威力も弱くなっており、避けながらこちらへ駆けて近づいて来ていた。
急ぎ立ち上がった時には、振り上げた狂人の腕が目の前にあった。それ程消耗してしまったのかと自分の受けたダメージを考えてしまっていた。
「くっ!」
叩き付けられる衝撃を覚悟して両手で顔面を庇う。
しかし、振るわれる衝撃は次の瞬間に襲ってこなかった。
「隊長!」
「ガアァァ!」
見上げると、狂人の腕を二人掛かりで抑え込んでいる副長の姿があった。二人とも魔石装具さえ使用していない生身に近い装備である。
今も、狂人の空いた手で振りほどかれそうになりながら片腕を抑え込んでいた。
「ぐっ!た、隊長。はっ、早く!!」
今自分が何をすべきかを一瞬で悟り、離さなかった剣を再び握り狂人の首の急所めがけ力のすべてを込めて刺し貫いた。
「ギャアア!!ブッ……」
刺し貫いた剣は、狂人の絶叫さえ押し消した。脱力した肢体はくずれ落ちる。
「ココ隊長、大丈夫ですか?」
「副長こそ、全く無茶をする」
「隊長に言われたくは有りません」
「ふふ、……そうだな」
副長に差し出された手を借りながら立ち上がり、彼女の肩を借りる。ふと魔石装具に付けていた胸の魔宝石を見ると、すでに輝きは消え魔力を使い果たしていた事に気付く。
周囲では、隊員達が狂人達の亡骸を見分して確認している。様子から見ると確実に仕留めていたようだった。
「隊長、一度体制を整えますか?」
「いや、怪我人以外は屋敷の探索と逃亡先の周辺の調査に向かわせる。発見したとしても戦闘は控えるように徹底させろ」
「はい」
了解した副長が、各隊員に指示を伝えようとした時だった。
ドオォォ!
屋敷の奥から爆音と共に風の衝撃が伝わってくる。それは、周囲にある木々の枝も揺らすほどの風の波だった。
「隊長!」
「ああ、まだ逃がした訳では無かったか。それにしても、周囲の小隊の方角か?」
「かも知れません」
「指示を変更する。魔宝石の魔力の残っている者を集め追撃する。敵の伏兵は無いとは言えないが、残りの者は後続の援軍に状況を伝えよ」
借りていた副長の手を離し、辛うじて歩ける事を確認する。追撃の指揮に適任で怪我を負っていない者など、この場には居なかった。すぐに集められた騎士達は、わずかに軽傷と言えなくもない2人と私を合わせ3人だけだった。
「よし行くぞ!」
「「はっ!」」
恐らく屋敷の中か裏手で、交戦している事を考えると庭を回り込むには時間が掛かり過ぎる様に思え、先程、痩身の男が去って行ったすでに破壊された入り口に向かう。
相手は痩身の男ともう一人ローブ姿の人物が居たのを見ている。私達3人で追撃とは言い難いが、易々と逃がす訳にもいかない。
「もっと奥か」
入り口を入った自分達は屋敷内の気配に、建物の中で戦闘が有っている訳では無い事に気付く。割と広いエントランスを抜け、裏手に通じていると思われる通路へ入っていく。
もちろん、3人で共に警戒しながら進んで行きながらだ。
「隊長!こっちです」
先を確認していた隊員が、何かを見つけたのか叫ぶ。駆けつけると、厨房らしい部屋の裏手に出るための扉が破壊されているのに気付く。
「分かった。二人ともまずは状況を確認する」
「「はい」」
部屋の中からは、外で交戦している様な音は聞こえなかった。小隊が捕まえたのか、逃げられたのか分らず。少なくとも先ほどの衝撃は、何らかの魔陣が使われた可能性が高かった。
そして、警戒しながらも破壊された扉から私達3人が裏手へ出た時だった。先ほども聞いた痩身の男の声が暗闇の中聞こえてきた。
「まったく、ラソルの騎士は虫並みにしぶといですね。ルミエル?そのくらいで良いです」
「はい……」
声の聞こえる方を向くと、異様な光景を目にする。10名の騎士達が地面に倒れ、暗闇でさえ流血している者がいる事に気付く。その中に立っている者は、遠目にも痩身の男ともう一人ローブから細い両腕を出している人物を捉えた。
「何だあれは……」
「女?か」
横に居た部下が疑問形に呟くのも分った。ローブから覗く細腕だけを見れば女性かも知れないと想像しただろう。しかし、その右腕に輝く光と魔石装具とは違う腕全体を覆う魔力の輝きは、仲間が倒れているとしても幻想的に見えてしまう。
「新しい装具?なのか」
「ほお、狂人を倒しましたか。ラソルにも刺す虫が居るんですねぇ。これだから、早々に駆除しないといけないとあれほど……」
痩身の男は、こちらに気付くとブツブツと呟いているが詳細までは聞けなかった。それは、男の横に居た女性らしい存在が、腕を振るうと同時に魔陣の衝撃が3人を襲ったためだった。
ドオオオオ!
「グアァ」
衝撃と思えたが、見たのは風の刃だった。実際には刃と言うには適格では無い、風の波動が私達を襲ったのだ。振るう腕にまとった輝きが手先に魔陣事態の力を生み出している様に見えた。
私達以外の2人は風の衝撃に吹き飛ばされ、屋敷の壁に叩き付けられる。
私だけが踏みとどまれたのは、魔装具の最後の力で踏みとどまれたに過ぎなかった。次に同じ攻撃をされたら、私も他の二人と同じ結果となることを覚悟した。
「ほお、虫の中にも時々はしぶといのがいるから、厄介です」
「くっ、貴様ら何者!」
敵対する勢力であることは分かっていたが、明らかにこの目の前にいる二人は別格だった。先ほどまで相手をしていた狂人とは比べ物にならない。
「ルミエル、早く黙らせろ」
「はい……」
頭から外套を羽織っていたが、明らかに少女と思わせる声がつぶやきの返事を返す。
「させるか!はあぁぁぁ!!」
長剣を構えなおし、一歩でも早くと目標となる少女の魔陣の織り手へ駆ける。
相手の魔陣が完成する前に一撃を加える。それが、対魔陣の織り手に対抗する接近戦でのセオリーであり、唯一の優位点であると部下にも教えてきた。
「たあぁぁ!!!」
「……」
剣を振り上げ切りかかる相手がいかに若い少女だろうと知っても、剣先を調整し捕獲する余力はすでになかった。格闘術の強さは分からないが、明らかに魔力では訓練された兵の意識を容易に奪う事ができる程の力を持っていることを後ろに倒れる部下たちが教えてくれたからだった。
相手はようやく、右手を前方に構えた所だった。
「遅い!!」
「それは、貴方の事?」
私は明らかに先手を取ったと確信した。魔陣を構築する呪文の詠唱をしていた様子もなく、とっさに身構えて剣先を恐れたのだと思ってしまった。
ガツッ!
「なっ!!馬鹿な!」
敵とはいえ相手の右腕を切り落とす勢いで振るった剣が、鉄柱でも叩いたかのように振り下ろすことが出来なくなる。
刃先は右腕に掛かる外套だけを切り、その下にあるはずの右腕に数ミリも入り込んではいなかった。
その理由も、すぐにわかる。強固な装備を腕に付けていた訳ではない。外套の隙間から徐々に見える魔力の輝き。
「魔装具!?」
「はずれ……」
一見外套の隙間から見える輝きは、自分の装備している魔装具と同じものではないかと考えてしまう。それでなければ、普通の人間が長剣を防ぎきる事はできないと思えた。
しかし、その刹那の瞬間の間にはそれ以上の観察は出来なかった。
「風よ……」
その少女が呟いた一言に答えるように、右腕に風が渦巻き長剣を弾き飛ばす。その反動で外套の頭部が一部剣先で切れるが、それを考える間もなく渦巻いた風は少女を中心に全方位へと放たれる。
「ぐあぁ!」
後方に吹き飛ばされた体は、次の瞬間には背中から地面に叩きつけら激痛が走る。
見上げる先には、暗く顔かたちまでは見えないが、切れた外套の隙間から蒼髪がこぼれ自分を見下ろしているのを見るのがやっとだった。
すでに意識と体力ともに限界に近く、徐々に意識も暗闇の中に奪われていく。
「くっ、ま、待て……」
「ルミエル?大丈夫ですかそんなに魔力を使って?いざ戻れなくなっても私が困りますよ?」
「はい……」
そう言うと、失われていく意識の中でその女性の腕に輝いていた魔力が粉の様に砕け消えていくのを見てしまう。そして、ついには、意識も限界を迎えてしまい私は気を失ったのだ。




