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ちょこんと座った妹の背を見つめ、両手でアリシアの髪を梳きながら、果物から作られたシャンプーの液体を髪へ伸ばしていく。泡をたてるよりも髪の汚れを取り除き栄養を浸透させているのだろう。
「お姉さま、次は私がお姉さまの髪を致しますわ」
「そう?じゃあお願いしようかな」
アリシアと私は向きを変え、今度は私の髪を洗い始める。レーネはどうしているかと見ると、眼を閉じたままでもきちんと体を洗っていた。錫杖を脱衣所に置いたため、浴場で大丈夫だろうかと思ったが、特に支障も感じていない様子だった。
「お姉さま?やっぱりこの痣は気になりますわ。せっかく綺麗な肌をされてるのに」
「お風呂に入るとよけいに分るかしら?」
「つい目が行ってしまいますわ。それに、デザインによってはドレスの方も選ばないといけないでしょうし」
「それは大丈夫かな。ナナオがきちんと気遣ってデザインは注文してくれるし」
「生まれた時……から?」
レーネも体を洗う手を止め気になるのか聞いてくる。
「そうよ、生まれた時から。何か気になった?」
「……そう、別に」
私自身もなぜ痣が有るのかの大体の予想はついていた。予想と言うには確認しようにも直接聞けないからだが。私にある脇腹の傷は、おそらく前世の時に負った致命傷の傷痕では無いかと思っている。そして、この痣が有るからこそ夢で見る前世の記憶が夢や妄想では無い、今との繋がりを感じさせてくれている。
「あ、そうだ。レーネって人の魔力が見れるんだっけ?」
「見えるの違う、感じる、だけ」
お、何気に聞いた事にレーネは即座に訂正を指摘する。
「じゃあさ、私って魔法って使えるのかな?前に調べたんだけど使えませんって言われてね。諦めてたんだ」
「……」
レーネは何も言わず、体を洗う手を止めて顔だけ私の方を向く。いや、わずかに顔がお腹あたりを向いている。さすがに何も着ていないので少しばかりこそばゆい。体の中まで見透かされている気がするのだ。
「どうかな?」
「貴方は、このままで、良いと、思う」
レーネは何か歯に物が詰まったようなハッキリしない事を言う。何だろう、使えないなら使えないと言ってくれた方が諦めれるんだけど。
「ん?使えないって事ね」
「残念でしたね。お姉さま」
「そうね。せっかくなら使ってみたかったけれど。まあ、どうせ使う事も限られるだろうし諦めるわ。それに、魔宝銃もあるし私あっちの方がしっくりくるかも」
体を洗い終わった3人は、大理石の浴槽にゆっくりと入っていく。手前は階段の様に傾斜があり徐々に深くなるのだ。ゆっくり腰かけ胸くらいまで湯船に浸かる。
「銃かあ」
前世では、銃とは縁の遠い世界に有ったため。14年の生きてきた中でも社会一般の様に銃そのものを嫌悪してきた。しかし、生まれてから身近に銃の存在する社会だと、それが当たり前の環境に感じる事を実感していた。
そして、思ったのが剣も銃も洗練されてくると異世界とはいえ形態は似てくるのかもしれないと言う事だった。特にカービン式小銃の形をした魔法石をはめ込まれた銃が我が国特有の生産技術だった。それらの開発は、国内の魔陣の使い手の人数が人口に比べ少ない事に理由があるとママルの授業で習っていた。
一時アミュレット式に装備防具として開発が進められたが、北部の蛮族との戦争時に遺体から魔法石転用技術を盗まれる事となり、国防の戦力として防具転用を断念し銃という特化した方向へ形を変えたのだ。
「お姉さまは騎士の訓練にも時々混じっておられますわよね?ママル爺が泣いていましたわ」
「だって、いっつも座って勉強だと体が訛ってしまうでしょ?アリシアもやってみる?」
「いえ、私はすぐ息が上がってしまうので」
アリシアも興味が有るのかと聞いてみたけれどそうでもないようだ。確かに、アリシアの性格からすれば争い事よりも、劇や本を読んで笑っていた方が私の方も良いと思えた。
「そう?面白いんだけどね」
騎士の訓練と言っても、激しい事はさせてもらえない。そこは彼らも気を使っている様で私としては、弓道部とかに居るような感じなのだ。もちろん、騎士たちは模擬の銃剣を使っての近接の格闘訓練も行ってはいるが、何度言っても参加させて貰えていないのは悔しかった。バスケットで言えば、ドリブルやシュートの練習ばかりで試合に出れない様なものだ。しかし、それでもシュートだけを見ても技術などに楽しみは有るのだが。
「レーネは?何か楽しみなことは無いの?叔父様と来るくらいだから、地方を回ったり?旅行したり?」
「楽しみ?……旅行?」
「これが楽しいなあとか無いの?」
「……食事、甘い物、好き」
「あっ、良いわね!じゃあ、今夜の夜食は甘いものをお願いしましょう」
「お姉さま、私もご一緒しても?」
「もちろん」
私の返事にアリシアは満面の笑みを向ける。そして、レーネの表情もわずかに和らいだ気がした。
少し長めの入浴を済ませた私達は、アリシアは一旦部屋へ戻り。私とレーネは二人で私の部屋へ戻って来ていた。厳密には廊下の端々に警備の衛兵が居るので、全く2人っきりではないが、細かい事はどうでも良い事にしよう。
私の部屋の前まで戻ると見知った顔の人物が、椅子に腰かけて待っていた。扉の前に待機する騎士達の表情がわずかばかりに強張っているのがわかる。私の姿を見つけると、その強張った表情がわずかばかりに安堵の表情になった。
「ココ、戻ったのね?」
「マリーナ姫様、昼間は先に戻って頂く事となり申し訳ありませんでした」
「良いわよ。仕事で残る事になったんだろうし、連絡は明日でも良かったのに」
「それは……、私が納得できません。せめて戻りましたことを報告と思い」
「うん、今日はありがとうね。また、護衛の任務の時はお願いね」
「はっ!」
ココ本人が報告して気が済むのなら私に止める事は出来ない。少し堅苦しいと感じる人もいるとは思うが、彼女のまじめさは信頼へと結びつくものだった。
「隊長!」
ココに休憩した後時間が有るかどうか聞こうとした時、今私達の来た後ろの廊下から短髪の女性の騎士が駆けてくる。
「姫様の前だぞ」
「申し訳ありません」
その女性騎士も私が部屋に入らずココと話していた事に気付き、直立し敬礼し踵を合わせる。公式の場で有れば王族の会話に横槍を入れた様に見えなくもない。しかし、私はその事を気にする性格では無い。
「良いわよ、気にしないで報告して」
「はっ!ありがとうございます。隊長の懸念された通り動きがありました」
「そうか!場所は?」
「場所は“石商の別荘”を包囲しています」
「よし!それでは姫様申し訳ありません、これにて失礼します」
「うん、気を付けてね」
改めて私へ敬礼すると、女性騎士2人は廊下を足早に歩いていく。
「逃げられない様に、街への門を早々に閉められるか?後は、別荘には2小隊で当たる」
「了解しました」
「石商の別荘なんてどこに有るのかしら?」
「……」
レーネが知っているとは思わないが、彼女は軽く首を横に振るだけだった。もしかすれば、騎士達だけに分る特定の場所の隠語なのかもしれないと思う。色々聞きたい事は有ったが、彼女も忙しそうだった。今晩も遅いのであれば、明日以降に機会をみて聞くしかないだろう。何かと聞いても、今の自分に手伝えるとは思えなかった。
「さっ湯冷めしない内に入りましょう?」
決して寒い季節ではないが、湯に入った後なのだ。あまり長く廊下に留まって体を冷やす訳にもいかない。私達は騎士の開く扉をくぐって自分の部屋へ入って行った。




