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「……リ-ナ嬢様?……マリーナお嬢様!?朝でございます」
控えめに名前を呼び起こしてくれる侍女の声がする。ゆすって起こす事は淑女として華麗ではないといつも声だけで起こしてくれるのだ。
「うっんん。おはよう、ナナオ」
「おはようございます。大丈夫でございますか?」
何が?と言う訳では無い、自覚は有った。眠気とは違う、涙が頬から筋となって跡に残っていたのだ。その理由も分る。久しぶりに懐かしい夢を見たせいだ。16歳になるまで見なくなっていたのに、最近はよく見る様になったと思う。
しかし、その夢も今となっては悲しい映画を見て記憶を思い出すようなものだ。その夢の内容と今とでは、あまりにもかけ離れすぎている。
「お嬢様、お着替えを」
「ええ、ありがとう」
ナナオに促され、天幕の付いた豪華なベッドから降り姿見の前に立つ。いつもの見慣れた私だ。少し違和感を覚えるのは、先程見た夢の残像が残っているせいだ。しかし、夢とは違い腰まで伸びる赤髪、身長は165㎝程と明らかに夢の残像よりも伸びている。
そう思ううちに、ナナオに寝間着を脱がされ褐色の肌が露わになる。そう、明らかに違うのはこの肌の色と母譲りの胸の大きさだ。
「ふぅ……」
寝汗をかいていたのか、外気に直接さらされ気持ちがいい。まだ、熱くなる時期には少しかかるが、決して気持ちの良い夢では無かった。
「また大きくなられました?」
「ん?身長は変わらないと思うけれど?」
「いえ、こちらでございます」
ムンズ、と言わず。サワサワと胸の大きさを撫でられる。下から横からと揉むのではない撫でられるという表現が適切だ。
「ちょっと、くすぐったい」
「やっぱり、成長しておいでです。ふふ、またドレスを新調せねばなりませんね」
これはナナオの癖である。特技とも言えなくもない。見て触れて誤差のほとんど無い服装の採寸をしてしまうゆえに、いつも最適なサイズのドレスが用意されるのだ。
「そんな、この前作ったばかりじゃない?」
「お嬢様の言われた通り、生地も再利用するようにしております。ご安心を」
そう説得されるうちに、寝間着から普段着の簡易ドレスへ着替えていく。そしてボタンを留める際、ナナオが横の左脇腹に触れた途端激痛が走る。
「痛っ!」
「お嬢様!大丈夫でございますか!?」
一瞬的な痛さであれば激痛だろう。しかし、しばらくすると痺れた様に痛みも引いていく。
「ここでございますか?」
ナナオは慎重に脇腹を擦っていく。そして、一か所だけ20㎝程の細長い痣の部分で鈍く痛む場所が有る事を伝える。
「その痕ね。ならば大丈夫かな?生まれつきだし」
「珍しゅうございますね。時々、痛みが有られるのですか?」
「全然?何で痛かったんだろう?」
「心配ですね。先生方に訪診をお願いいたしましょうか?」
「そんな、心配しなくてもいいわ。もう痛くないし。ほら」
自分で脇の痣に触れてみても、もう何ともない。引きつけか筋肉痛みたいなものだったんじゃないかと納得する。それに、今日の午後に訪診を受けるとせっかく楽しみにしていた予定が台無しになってしまう。
「そうでしょうか?」
コンコン
「お嬢様、お迎えの方がいらしておいでです」
ナナオが悩んでいる内に、迎えが来たことに便乗して返事をする。娯楽の少ない生活の中で、わずかばかりに我儘を聞いてもらいようやく許可が下りたのだ。少しは制約が付くがそれでも、不意の事で中止にしたくは無い予定だった。
「今行きます」
「あっ!お嬢さま私が!」
本来、そば付きの侍女が案内をするべきだが、なかなかその慣習にも慣れなくてはと注意されている。
「皇女様!?」
「あぁっ!マリーナ様直々に出られるなんて。怒られます……」
後ろでナナオが手を顔に当てて悲嘆にくれているのは、私の楽しみを奪おうとしたささやかな仕返しだ。扉の先に居た相手は、まさか私自ら出てくるとは思っていなかったのか驚きの表情を見せる。
「ふふ、では行きましょう。お疲れ様」
護衛の近衛騎士の手前、わずかばかりに皇女としての言葉使いに戻し警護をねぎらう。騎士達は返事の代わりに、銃座を叩き胸に手を当て敬礼する。そう、騎士達が持っているのは剣では無い。私は知らなかったが、そう夢の世界でのカービンと呼ばれるボルトアクション式小銃の形に似ているらしい。
違うのは銃座に劣化魔宝石を埋め込み、騎馬状態での安定性と連射性に注目し採用されたと歴史の勉強で習った覚えがある。その為、魔力のほとんど無い人でも扱える代物らしいが近衛などの限られた騎士にしか配給されていない。
「マリーナお姉様、ご機嫌麗しうございます。本日の社会勉強という行事、私アリシアも楽しみにしておりました」
「アリシアも元気そう。本当楽しみね」
彼女は、私とは母親の違う異母姉妹である。齢は13歳になったばかりで、行儀見習いや勉強を一緒に受ける事が多い。ショートの銀髪とやや強気が出た表情ではあるが、姉と慕ってくれている。
「初めての勉強にはどこに行くんですの?」
「言ってなかったっけ?今隣の国から見世物一座が来ているらしいのよ?」
「まぁ、見世物ですか?お芝居ですわよね?始めてみますわ」
笑顔で午前中の勉強室、宰相の私室に向かう途中、通路の脇に女性騎士が控え頭を伏しているのを見つける。
「ココ隊長おはよう。今日はお願いね」
「おはようございます。マリーナ姫様、アリシア姫様。微力ながら務めさせて頂きます」
「おはようございます。ココ隊長」
今日の午後、見世物一座を見学に行く際に王族と言う身分を隠す事を前提とされている。見世物を見るのが目的ではない。世間一般住民の娯楽を知ると言うのが前提に有るためだった。
そのため、見学の時には近衛の女性騎士隊長であるココが護衛兼案内役としてサポートする事が決まっていた。
「まっ、私には必要ないんだけどね」
「ご油断されませんように」
「はいはい」
何はともあれ、午前中の授業を終えてからの午後の楽しみなのだ。注意される事の無いよう淑女モードに切り替え、私は勉強部屋の扉をノックした。




