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カウンターに居た4人の視線が一気に自分へ向けられる。いや、振り返り帰ろうとしていた大工の男性も興味に立ち止り聞きいっていた。
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしても行かなければいけないんですか?まだやらなくてはいけない事が幾つか。それに一度はキイア村へ戻りたいんですけれど」
「思わぬところでキイア村の当事者が見つかったのは幸いですが、長く待つほど私も暇ではないのでね。まあ、興味深いモノも見つかりましたし待てても2日程でしょうか」
猶予2日では、アロテアでギルドでの仕事を他のスタッフに教えていくので精一杯になる。とてもではないが、一度キイア村に戻る余裕は到底無理の様だった。
無理強いして同行を拒否しても、それを中央都市の上層部へ告げ口されれば関わったアロテアギルドやキイア村の印象を悪くしてしまう。村の再建やギルドの新しい取り組みを行おうとしている時に中央への印象が悪くなるのはどうしても避けた方が良いと俺にでさえ分った。
「ともかく、バオ・シールズさん?本人も即答が出来そうにない。猶予を頂けるのなら明日に返事をすると言う事にしてはどうか?」
ルワンナさんは、俺の無言の悩みに気付きひとまずは考える時間を与えてくれる。中央都市と言っても場所がどこにあるのか、何日程かかるのかさえ俺は知らないのだ。急に同行しろと言われても、ハイ行きますとは到底言えなかった。
「そうですね。まあ、大変な時期みたいですが、頑張って仕事の引継ぎをしてくださいよ」
おそらく、バオと名乗った男性もアロテアギルドと商業ギルドとの不仲の噂をどこかで聞いたのだろう。周囲を見渡し、ギルドの入り口へ向かおうとする。
しかし、思い出したかのように振り返り、口角だけの笑みを浮かべる。
「あーそうそう!さっそく私の方でも今日の朗報を上に報告するので約束は忘れませんように。いやあ良かった!良かった!てっきり見間違いの噂で無駄足に終わるのでは無いかと思ってたが、いやはや私の運も向いてきたって事か!フフフ……ハハハハハッ!」
笑みを浮かべながら、見つめられる瞳は明らかに実験材料を見つめるような好奇心の視線を俺へ向けていた。俺はバオという男性が振り返った後もその視線が脳裏から消えなかった。
学術院の院生?と名乗ったバオという男性は、唯の学生ではない様に思える。しかし、何が違うのか?と聞かれれば何が違うと言う事は難しかった。漠然と言えば、何を考えているか分らない人物だと感じた。
「タモトさん……?タモトさん!大丈夫ですか?」
「あ、ハイ」
隣に居たニーナさんが呆然としていた俺を心配して気付かせてくれる。ルワンナさん達二人も思案の顔で俺を見つめていた。
「タモト君、とにかく君は一度休みなさい。今はやらなくてはいけない事が多い。まずは私とガイスでやれる事をやる。タモト君の役目も無いわけじゃない、猶予があまりにも短いからな。体を壊す訳にもいくまい。タモト君はまずは休息だ」
「分りました。あの、キイア村へ連絡を出来ますか?」
「まだ鳥での伝達は、鳥が慣れていない。帰路学習時間としては短いし無理だな。その代わり手紙ならば送れると思うが?」
「そうですね。それじゃあ言伝をお願いしたいんですがお願いできますか?」
「分った。君が休んでいる間に人選をしておこう」
「……ありがとうございます」
本心であれば、2日ある内キイア村へ戻り事情を説明した後に出発したいという思いもある。しかし、商業組合と話し合いを終えてきた今グラフの作成方法やその見方を教えていかなくてはいけない役目も有った。
一番良いのは何とかして猶予の日数を伸ばしてもらう事だった。しかし、今の状況でそれをバオと言う男性から引き出せる程の対価や興味が有る事への情報の想像も付かなかった。
「おにぃちゃん、ごめんなさい……つい、ミレイとおにぃちゃんのやった事を聞いて嬉しくなちゃって」
「ミレイが気にする事はないよ。遅くても俺達が関わっていたことは村に行けば分った事だったと思う」
「うん……」
ギルドへ戻ってくる前と比べ、ミレイはより一層元気が無く目元には涙が潤んで今にもこぼれそうになっていた。唯でさえ疲労なのか眠気が強い様で、ポケットの縁にもたれ掛っているのに心配になってくる。キイア村での事情が露呈した事もミレイだけの責任では決してないのだから気にしないで欲しかった。
タモト君と別れた私とガイスは、2階の執務室へ戻ってきていた。彼に至っては、一難去ってはまた一難とはよく言ったものだ。キイア村の一件の次はと驚く話題に事欠かない。ようやく商業ギルドの噂の一件が落ち着きを見せたかと思いきや、次は首都の魔術学院からの招集である。
いや、バオと名乗った院生もまた報告書を障りなく無く適当に提出するつもりだったのだろう。しかし、アロテアとは別の意味でキイア村の噂は中央(首都)へ届いていた事になる。そして、当事者達を知った事で、さらなる興味を生じたようだった。
「マスター?まさか、今回の事は……」
「いや、ハント君達の報告が影響しているのは無いと思うが、別のルートからキイア村の噂が広まったんだと思う。そうでなければ、私達にも事情を聞かれると思うが」
執務の椅子には座らず、応接のソファーに腰を下ろす。ガイスは、執務室へ戻る途中で持ってきたポットから紅茶をカップに注いでいる。
「なるほど」
「アロテアに避難してきた、キイア村の住人も少なくないからな。魔術学院も唯の噂調査のつもりだったんだろう」
「そうかも知れませんが、今タモト君に行かれるのは痛いですね。彼の様に取引の説明ができて商人達に信用してもらうのは、我々に酷ですよ」
紅茶のカップとソーサーを手元に置かれ、一口飲む。鼻孔の中にかすかにレモンの様な柑橘系の匂いが抜ける。ガイスの好みなのか集中力を向上させるためなのだろう、彼なりの気配りにかすかに微笑する。本当に男なのが残念な彼だ、私と性別を交代すれば良いと何度思ったか知れない彼の一面だった。
「そうも言ってられないわよ?タモト君は彼の役割をきちんと果たしてくれたわ。今度は私達が彼を助けてあげる番じゃなくて?」
「連れて行かせるのを止めれると?」
「それは難しいわね。バオという彼しつこそうだしね。それよりもタモト君の帰る場所を、きちんと用意してあげなきゃ。後は、安心して行って帰ってこれるようにしないとね」
「ええ」
「それならば、少し早くなるけれどキイア村への支援の準備を急がせて頂戴。タモト君の手紙もそうね、彼女にもっていかせましょ」
「分りました」
ガイスも対面で簡単にメモを書きながら、思案している様子だった。タモト君からグラフの作成方法を学ぶ人選は、戻ってくる間にガイスに一任する事を伝えてあった。
本来であれば、タモト君に首都まで護衛や補佐をギルドから付けたい所だが、アロテアの現状では、余分な人員は居るはずも無かった。
「いつに支援の出発をしますか?」
「そうね。タモト君が首都に出発する2日後に合わせましょ。急ぐと言っても一日では無理だし。彼が出発する時に安心してもらうために、支援を見せておきたいわ」
「そうですね。それでは早速各方面に連絡してきます」
ガイスはそう言うと立ち上がり執務室を出ていく。結局、彼は自分で注いだ紅茶を飲むことは無かった。彼の行動へ向かうの速さは関心する所は有るが、時には息を抜くべきだと思ってしまう。
「それにしても、噂が彼を苦しめなければ良いけれど……」
アロテアギルドの噂による危機はタモト君によって回避されようとしている。しかし、キイア村の彼の噂は、遠く首都にまで広がり彼自身に苦痛をもたらすのだろうか、それとも、朗報をもたらすのだろうか。
私は、2杯目の紅茶を注ごうと思ったが、目の前にガイスの飲み忘れが有る事に気付きそれを飲むことにする。
「……苦っ」
ガイスの為に用意してあった紅茶は渋味が強く柑橘の匂いどころの風味では無かった。その苦味が、不意に彼の行く先を暗示しているようで、表情をしかめるも私は頑張って飲み干したのだ。
第3章 村の復興と噂の毒編 終了




