7
バオと名乗った学術院の男性は、たいして期待していた訳でも無く質問を繰り返してこなかった。ただ、噂や情報の集まりそうなギルドの職員に聞いてみた位の気持ちだったのだろう。
「それでは、受注者が決まり次第宿泊されている宿へご連絡差し上げますね。もし、依頼の事で気になる事が有られたら再度来ていただいてお尋ねください」
「わかった」
「最後に依頼要件の番号の控えになります。これが無いと依頼の取り消しや変更に再度身分証の提示が必要になりますので無くされないようにお願いします」
男性は控えの紙を受け取ると、特に別の依頼掲示に関心も無くカウンターから立ち去っていった。旅行とは言っていたが、キイア村と聞いて珍しいなという思いが沸く。言ってはタモトさんに悪いが、何か名物・名所でも有ったかな?と悩んでしまうくらいに思いつかない。
「次のも護衛の依頼かぁ。キイア村なら遠すぎないし、最近は危険も無さそうだからすぐ受けてくれそうな冒険者組があるわよね。それにしても何か名物ってあったっけ?」
「ジーンさん、さっきはお世話になりました。キイア村って?何かありました?」
急に声をかけられビックリしてしまう。マスター達の話が終わったのか、タモトさんが一階に戻ってきて声をかけた様子だった。きっと私の独り言が聞こえてしまったみたいだ。
「いえいえ、新しい護衛依頼が来まして。その行き先がキイア村への護衛依頼だったんです」
「目的は観光ですかね?今は宿も無いままで、自分の方からも機会があれば少し事情を話したほうが良いかも知れないですね。折角村へ来てもらえるなら、もう少し落ち着いてからの方が、ゆっくりしてもらえると思うんですけれど」
「さあ、目的まではお聞きしていなくて。学術院の方だったみたいですけれど、観光で急がれていなければ事情をお教えしないといけないかも知れませんね」
タモトさんが言うには、キイア村が被害にあったとは聞いていたけれど、村で唯一の宿が焼失してしまったそうだった。今回も、詳細な経過をマスターのルワンナへ報告を含めて伝えに来たと言う事らしい。
「タモトさん、夕飯はお済みですか?もしまだでしたら、お時間があればご一緒しませんか?」
もうすぐ、四半刻もすれば夜の時間帯のスタッフとカウンターを交代する時間だった。本来は自宅へ帰って食事をするのだが、先日キイア村への派遣という話を聞いたばかりでもありどんな様子かを聞きたかったのもあった。
「ルワンナさんに会えるかと、自分も急いでギルドへ来たのでまだなんですよ。ぜひ、どこかお店を教えてもらえれば助かります」
「なになに?これからジーン食事に行くの?」
突然話しかけてきたのは、暇そうに横のカウンターで頬杖を付いていた同僚である。私達の話を聞き流していたようだった。
「ええ、タモトさんと一緒に」
「えぇー良いなあ。あっお久しぶりですータモトさん」
隣の同僚は、さっきまでの怠慢ぶりは既に無くなり笑顔で手を振っている。雰囲気からするに、話に食いついてきたのは自分も行きたいせいだと分かった。
「一緒に行く?タモトさん良いですか?」
「ええ、構わないですよ」
「本当?じゃあじゃあどこ行こっか」
交代までの時間は店選びの話題であっという間に過ぎていってしまった。タモトさんは、宿泊として使える様になった仮眠室へ荷物を置いてくると言って去っていった。
待ち合わせ時間を次のスタッフへの引き継ぎ伝達後の半刻後として過ごす仕事の時間は、今日の勤務で一番長く感じたのだった。
仮眠室に入った俺は準備といっても大きくない荷袋1つ、主に着替えしか入っていない物を机に置くだけで終わってしまった。先程ガイス主任に渡されたギルドカードの見本は金銭と共に腰のポーチに入れたままになっている。左ポケットに居るミレイは静かだと思ったら、ルワンナさんとの話に暇したのかポケットの中で丸まり寝ていた。
確かに、朝から6時間程の山道をスノウに乗っているあいだ中はしゃぎ通しだったのだ。疲れもするだろう。姿を消すのさえ忘れたのか、知らないうちに寝てしまったかだろう。
「そうだった。後で前に忘れていったパスポートとか受け取りに行かないと」
以前、急いでキイア村へ出発した際に残していった荷物が倉庫に預けてあると聞いたので待ち合わせの時間までに受け取るだけの時間はあるだろうと思う。
特に他にする事も無く、シャワーを浴びるには時間が足りないだろう。そして、俺は仮眠室を出て倉庫へと向かうことにした。
中央のカウンターから少しずれた所にある、広さも机一つ分のカウンターだったと記憶していた。倉庫管理の人とは以前の研修の時に挨拶をしたくらいである。たぶん何も書類などはいらずに返してくれるだろう。
「それにしても、報告だけと思ったら大変な事になっていたな。これは依頼を出すだけで帰るにはいかないか」
ルワンナさんとガイス主任からは、知恵と助力をお願いされ、間接的にはキイア村への影響も少なくない状況であればやれる事を頑張らなくてはならない。
キイア村の皆には、少し帰るのが遅くなるかも知れないが結果的にアロテアギルドの信頼の回復が復興への一番の早道であると理解してくれるはずだ。
倉庫に着き預かっている荷物の事を話すと直ぐに取りに行ってくれ、問題もなく返してくれた。倉庫の係りのスタッフも依頼同様、商会からの在庫が無くなり暇している様子だった。受付カウンターの横に積まれていたのは、冒険者が持ち込んだ獣の皮であり束ねてあるだけの状態だ。
「皮だけあってのもね。商会が買い取ってくれなきゃ貯るだけさ。この状態が続けばギルドでの買取さえ出来なくなっちまう」
「各商店はそれで商売がやっていけれるんですか?」
「さあね、でもこの前の独占取引契約だったか?あれでそれぞれ専門に売買できる商店が出てきたと言うし。契約期間もまだ十分に残ってる。向こうに痛みの出ないうちに俺達ギルドに圧力を掛けたんだって聞いたぜ?」
その情報元はギルドに有る残り少ない薬草や消耗品を買い付けに来た弱小商店の店長から聞いた話だと言う。
「各商店だけじゃなくて、商会ギルド全体に広まっているんですか?」
「あぁ、噂なんてそんなもんだろ?誰かが広め出せば次の日には近所皆が知ってるってもんさ」
「どこからそんな噂が……」
「噂の元手なんて誰が最初かなんて大事な事じゃないんじゃないか?噂が全くの嘘ならば皆の笑い話になるだけだが、その噂が(1割)でも的を射ていたら残り(の9割)もホントのことになっちまうからな」
「そうかもしれないですね」
広まった噂は無かった事にするのは難しい。噂によって落ちた信頼を取り戻すには自分達ギルドだけの頑張りでは認められる事に時間がかかりすぎる様に思えた。そして、それ程の時間を掛けている余裕はアロテアのギルドには無いように思えた。
「あ、引き止めて悪かったな。何せ暇で暇で、話し相手が欲しかったところだったんだ。夕方から職員さえ誰も来ねえからよ」
「いえいえ、こちらこそ話が出来てよかったです。頑張ってください」
「おうよ」
倉庫受付の職員は誰かと話したかったのだろう。整理するような荷物も無く、誰か来ないかと待ちわびていた様子だった。今など俺が振り返ってお辞儀すると、笑顔で手を振ってくれた。
「ジーンさん達も丁度いい時間かな?」
恐らく自分の方が少しだけ待つくらいの時間だろう。それほど長話をしていた訳ではない。その為、待ち合わせのギルドの正面玄関ロビーに着いた後もジーンさん達はまだ来ていなかった。
「ええぇ!!なんでぇ!タモトさんがここ(アロテア)に居るのぉ!」
突然、ギルド内のロビーに響く女性の声が聞こえる。掲示板を見ていた数人の冒険者も何事かとカウンターを振り返っていた。その声をあげた人物を探すと、今まさにカウンターから立ち上がり身を乗り出しているアイナの姿があった。
「あっ、アイナ久しぶり、頑張ってるね」
「久しぶりじゃないですよ!なんでここに居るんですかっ!」
「今日村からギルドに報告に来たんだよ。アイナは今からって事は夜勤?」
「へぇ、報告はわかりましたけれど。そうです、今から朝まで……」
昼間でも依頼も少なく尋ねてくる冒険者さえ少なかったのだ。噂のせいとはいえ、夜のカウンターの仕事は睡魔との戦いになるかも知れない、ご愁傷様としか言えない。
「タモトさん!お待たせしました」
「いえ、自分も今来たところです」
「え?ジーン先輩?さっき今から食事に行くって」
「おう、がんばってねんアイナ。私も行ってくるよん」
さっきまでカウンター嬢をしていた2人がアイナを前にウキウキと食事に行くお店を伝えている。
「それじゃあ、タモトさんも一緒に食事に行くんですか?」
状況を理解したのか、何故か涙を潤ませて聞いてくる。よっぽど一緒に行きたいのだろう。
「研修ではお世話になったし、お礼も言いたいし。それに、知らない仲でも無いから。せっかく食事を一緒するから。ついでに少し聞きたい事もあるし」
「そんなぁ!ちょ、ちょっと待っててください。お腹が痛いって早退してきます!」
慌てて席を立とうとするアイナを隣で聞いていたカウンターの先輩男性が宥める。それに、お腹が痛いのに一緒に食事に行くとか言っている事がちょっと矛盾している気がする。
「まぁまぁ、タモトさんもまた仮眠室にしばらく泊まるらしいし食事なんて幾らでもする機会はあるわよ?」
ジーンさんもカウンターの男性と共にアイナの奇行を宥めている。
「うぅぅ、そうですか?」
「うんうん」
傍から見ると姉妹のやり取りにしか見えないが、ジーンさんは本当に面倒見が良いなぁと思ってしまう。アイナも落ち着いたのか椅子に座りじーっと俺の方を見ていた。
「アイナ、お土産買ってくるから。また後で」
「ホントですかぁ!もし、仮眠してても起こしてくださいよ!?」
わかったとアイナに約束をして俺達三人はカウンターを離れ出口へ向かう。
「いってらっしゃい!」
「こら、いい加減仕事しろ!」
アイナがカウンターから声を出し見送る中、とうとう先輩の男性職員から注意されている声が聞こえてくる。周囲で見ていた冒険者達もクスクスと笑い声をあげていた。
建物の外は完全に陽が落ち、路上に備え付けられた篝火がメインストリートをわずかに照らしている。先日までは中央広場に建っていたハントやキア達見世物一座は既に別の街へ出発した事は知っていた。その為、前は見えなかった反対側の街並みの灯りがぼんやりと見える。
「さっタモトさん行きましょうか?」
「ええ、すごく楽しみです」
「私達も何度か行っているお店があるんです。そこでよければ」
「お任せします」
「ハイ!」
ギルド内とは違った、ウキウキと少し頬の赤いジーンさんが居て。新しい一面の発見にドキッとしてしまった。




