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両手から伸びた魔力の銀糸は宙に形を維持できず解け消えていく。その次には手のひらから鈍く重い感覚が腕を通り全身へと倦怠感が伝わっていく。
「タカさん……」
俺の横でユキアは心配そうに見つめている。
「やっぱり、駄目みたいだ」
「なぜ何でしょう?魔力が減った訳でもないのに魔陣が織れなくなるなんて」
「まったく使えない訳じゃあないんだし、しばらく様子を見るしかないのかな」
「そうですね。夕食の時にでも私もお母さんに聞いてみますね」
宿屋が焼失した後、俺達はユキアの実家へ再び住処を移していた。今俺達がいるのは前に借りていたユキアの父親の書斎である。帰ってきてホッとしたのも束の間、俺は有る事に気付いたのだ。
慣れたシャワーの魔陣を行う際に、魔力の銀糸が自然と増えていた反面、魔陣を使える回数が極端に減ったのである。初めは、魔陣が簡単に片手で3本の銀糸を織れたのに対して素直に喜んだ反面。2回、3回と繰り返して魔陣を織り直している内に以前は感じなかった腕の重さを感じるようになったのだ。
そして、回数の違いは有るものの、4回を超えると自然と魔力が掻き消える様になった。
「何か身に覚えは無いんですか?この前の件で腕を怪我したとか」
「まあ、怪我はしたけれど、これといって特に無いんだけどね」
1つ思いつく事が有ったが、さすがにユキアにそのまま伝える事は躊躇した。原因が本当にそれなのか自身が無かったのもあり、また、それだとハッキリ分ったとしても今の状況で治し方も分らなかったからだ。
「腕の重さもしばらくすれば取れるから大丈夫」
「そうですか?こんな時にお父さんが居てくれたら、すぐ相談出来るんですけれど」
「ん?そう言えば、ユキアのお父さんってどんな人なの?」
キイア村に来てだいぶ経つが、村人の中にユキアの父親が居ない事は気付いていた。しかし、ユキアの家の食卓には人数分の食器や俺の借りている衣服も有り、すでに亡くなったりしている訳ではなさそうだった。
「あれ?言ってませんでした?お父さんは首都で魔術学院の講師をしていて、今は単身で赴任して向こうに住んでいるんですよ?」
「へーこっちにも単身赴任とかあるんだね。それに学園の先生とは知らなかったよ」
「私とお母さんにも、首都に一緒に行かないかって誘われたんですけれど、私の巫女のお役目ももうしてましたし。お母さんは村唯一の治療師だから、どっちも一緒に行けなかったんです」
「なるほどね」
「でも、今は一緒に行かなくて良かったって思ってるんですよ?」
「あぁ、今回の件で村の人たちは凄くユキアとユリアさんに助けられたと思うよ」
「ふふ、そういう事にしておきます」
ユキアは時々、ユリアさんのような笑い方をして部屋から出ていく。夕食が出来たら呼びに来てくれるそうだった。俺は改めてユキアの父親の書斎を見渡す。
そう言われれば、趣味だとしても魔陣関係の書籍が多いと思っていたのだ。この世界に来て書籍の値段がかなり高い事はすでに知っていた。アロテアの書籍販売店では、一冊一冊が並べられ、一冊に2銀から3銀の値段が付けられていたのだ。それも一般家庭の奥さんが見る料理のレシピ本にである。
それだと買い手が居なくなる、対策として別売りにページのみの販売が安価で売られていたがまた別の話だ。
書籍棚から1つ手に取りページを開く。タイトルは『地方別に見る魔陣の形態変化』である。ページ数は50ページ程と少ない感じがするが、紙質が厚いため辞典程の厚さである。
「そっか、これって趣味じゃなくて教本だったのか」
「なぁに?おにぃちゃん」
「ミレイ、いや、ユキアのお父さんがどこかの先生らしいって聞いてね」
ミレイに先ほどの魔陣が自然と消えてしまう経緯を話す。ミレイは準備したコップにつかり興味も低く「へえー」など相づちを打っていた。精霊のミレイでさえも魔力の事については知らないみたいだ。
「やっぱり身体に無理をしたせいかな……」
「そうなの?」
「あぁ、女神に前言われたのさ、魔力に慣れていない身体で大きな魔力を使う事は負担が大きいってね。でも、あの時はその為に制限されていた魔力を解放してもらって、魔陣を使ったんだけれど思いつく原因はあの時に神の魔陣を使ってからの症状だしね」
「無理しちゃったってこと?」
「あぁ、だろうね。まあ、だから少し休んで様子見るしかないかな」
俺は椅子に腰かけながら本を眺め、ミレイと話を続けた。
『膨大な魔力を解放することで、何が起きるか分かりません』
『体がその魔力量に慣れるまでは、解放しないように制限していました』
盗賊襲撃の夜に女神ユルキイアに言われた言葉を思い出していた。
「そう言われると、今まで誰も経験した事のない状態なんだろうな」
「ん?何か言った?」
「いや、何でもないよ」
もうすぐ日が暮れる、明日からは村長さん達と話した通り村の中で現在必要とされている仕事内容をまとめ、数日後には再びアロテアに仕事を依頼しに出発しなくてはならなくなっている。
それに、アロテアのギルドへの今回の報告もしなくてはいけないだろう。誰かに言われた事ではないが、そういった責任が今の自分にはあるはずだ。それに今後の事について相談したいという思いもあった。
次の日、ユキアとユリアさんの二人は治療院が忙しく俺一人で村長宅へ来ていた。今日は特別に集会があるわけではない。早ければ明後日にでもアロテアへ出発するつもりでいるため。村の現状として移住希望者の人数や商店を経営している人達は移住するのかどうかの報告を聞くためだった。
「参ったの……。今回盗賊達の襲撃で鍛冶屋と道具屋の被害が大きいそうじゃ。店自体は問題ないがの、商品を根こそぎ取られたらしいのお」
「立て直しは無理そうなんですか?」
「品自体が無いらしい。それに途方に暮れておっての。村長としても何とか頑張ってほしいが、今後の売り上げの保障もできない所で、移住すると言ってきたわ」
「そうですか。他のお店は大丈夫なんですか?」
「それ程大きく商売していた所と言えば、後は宿屋と酒屋くらいだったからの」
「酒屋は大丈夫だったんですか?」
酒は一番初めに盗賊に狙われそうな品物の様に思えた。
「あぁ、店はさすがに荒らされたらしいが、醸造の為に山肌に作られた洞窟には蓄えが有ったらしい。商いを辞めるとは言ってきとらんし大丈夫とは思うが」
「わかりました。何とかアロテアのギルドと相談して、商業関係を立て直せそうか助言を聞いてきますね」
「おぉ、そうか。助かるわい。儂も何とか皆の相談を聞き、移住者を何とか引き留めててみるとするわい」
村長は肩の荷が楽になったという様に笑顔で見送ってくれる。玄関から去り際に、ふと尋ねられる。
「そうじゃった、最近は村にも慣れたかね?」
「はい、もう一人で出歩く位には。皆さん良くしてくれているので大変助かります」
「そうかそうか。所で、良い娘は居たかね?」
「はぁ。皆良い人達ばかりと思いますけれど?」
「いや、なに。こんな暗い話題ばかりじゃからの。いっそ良い娘が居たら婚約か結婚したらどうじゃ?ユキア嬢ちゃんやサオ嬢とは仲も良かろう?」
「へっ?婚約って」
「我慢しているようなら、しなくても良いって事じゃよ。ついでに村に明るい話題と、最終的には子供など出来ればもう言う事は無いわい」
何となくだが村長の言いたいことはわかる。だが、まだ自分には婚約や結婚など早いとしか言えない。
「いや、まだ自分には村でやる事で精一杯ですから」
「まあ、そうじゃろうなあ。まあ、いつかいつかと思っていたら遅くなるものじゃからの。勢いは大事じゃ」
「はぁ」
「ほっほっほっ、そっち関係でもいつでも相談によるぞい」
笑顔で見送られながら、いきなりの結婚推奨話に面食らってしまってしまい耳まで赤くなっり妙な熱を帯びてしまった。
気を紛らわす様に耳をすますと、遠くで伐採した木を整形し皮を剥いでいる音が聞こえる。作業をしているのは、自警団員の若者や日頃仕事にしている木こりの人達だろう。
周囲の畑には穀類が植えてあり、前回のゴブリン襲撃による被害はこの畑には影響はなかった様子だった。
何人の人が移住せず残ってくれるかわからないが、規模としては本当に小さい村と思える。際立つ商業も無く、仕事と言えば伐採の林業か農耕の手伝いだろうか。
今後、何らかの産業が出来なければ、寂れていくのは必然の様に思えた。それは、新築の宿屋が出来たからと言っても起きる変化は少しの事でしか無いだろう。
「何とかしないとな」
俺はユキアの家に戻り、村長から聞いたことをまとめようと思い歩を進めた。明日には、週に一度スノウが子供達に会いに来る日だ。頼んでみれば、アロテアまでの護衛はしてくれるだろう。
最近のスノウは、アロテアへの街道を警備の様にウロウロしていると自警団員から目撃されているらしい。盗賊の一件からスノウにも思うところが有ったのだと感じていた。
そう言えば、スノウと出会った先週に比べ最近は雨も降らなくなったように思える。以前言っていた梅雨が終わったのだろうかと空を見上げると青空が広がっていた。
「あぁ、綺麗な空だ」
少し冷たい風が頬の熱を冷ましながら、道の木々や草木を揺らしていた。




