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アロテアギルドのロビーには、昼を過ぎた時間だったが商人の格好をした人達が大半を占めていた。カウンターの中からその光景を見ていたアイナは、最近は一日を通してカウンター業務の忙しさが途切れない様子を思い出していた。
午前中は材料収集や討伐に集中した冒険者の格好をした人が多く、昼を過ぎた頃から商人達が新しい商品項目の取引が出されていないかを掲示板を見に来るといった暗黙の時間ルールが作られつつあった。
「うち(ギルド)って、もう冒険者ギルドって名前の感じじゃないわよね」
「ホントですね」
横に座る、カウンターの先輩が顧客対応を終えて話しかけてくる。先輩の言う通り、現状のギルドのロビーの雰囲気だけでは冒険者の姿を見かけるだけで浮いてしまうだろう。先程も、きっと他の街から始めてきたのか入口を入ってきた冒険者が、商人ばかりのロビーにギョッとした表情で表の看板を2度見直したのを私は微笑んで見ていた。
「いちおう、アロテア冒険者ギルドなんだけれど、もう一般的にアロテアギルドって名前の方が、相手に困惑されないから良いわ」
「カウンターの基本挨拶の決まりですからね。商人の方にも違和感があるのか、え?って顔されますし」
「ほんとよね、二度手間で面倒だわー」
きっと掲示板を見ている商人の方達には、笑顔でカウンターの受付同士話をしているとしか見えないだろう。本当は、挨拶が面倒だとか以前の昼からの業務は楽だったのにとか、この先輩とは話す内容は楽しいが愚痴が多いのだ。
「私はようやく仕事に慣れてきて、楽しくなってきましたよ」
「そうよねー。あったわ、私も楽しかった時期が」
わざとらしく遠い目をする先輩に、私は笑ってその冗談に付き合う。私は知っているのだ。この先輩が客を前に楽しそうに対応しそれ故に契約をかわす人達に評判が良いことを。
「アイナ、今大丈夫かしら?」
「あ、大丈夫ですよ。ジーンさんどうかしました?」
不意に後ろから呼ばれ振り返ると、そこには午前中カウンター業務をして今は休憩中なはずのジーンさんがいた。ジーンさんは密かに私の憧れの先輩なのだ。物静かな上に仕事を素早くこなし、何よりスレンダーな容姿は身長が150cmと少ししかない私にとって色々な目標だ。
「ガイス主任が空いていたら話があるそうよ」
「そうなの?アイナ、今はちょうど時間も空いてるし行ってきていいわよ?」
「そうですか?あ、ジーンさん教えてくれてありがとうございます」
笑顔で手を振って去っていくジーンさんの姿は、まさに私の理想像だった。私にはまだ希望がある、あと7年後にはあの姿のはず……だ。一瞬自分の凹凸の少ない体を見たが問題のない健康体だ。
「これからこれから」
「ん?」
「それじゃあ行ってきますね」
「はーい」
私は、ガイス主任の所へ向かう。と言っても、カウンターからそう距離も離れてもいない。かろうじて椅子から振り返るとガイス主任の表情が分かるくらいに離れている。良かった、怒られるわけではなさそうだ。もしかすれば、何かミスをしたのかなと一瞬思っていたのだ。
きっと、カウンターの仕事が忙しいかもとジーンさんに私を呼びに行かせたのだろう。ガイス主任も忙しい様子で、何かの書類を片手に仕事をしている様子だった。
「主任、私を呼んでいると聞きましたが」
「来たか、早かったな。カウンターの方は大丈夫か?」
「ちょうど、一区切りついた所でしたので」
「そうか、どうだ?仕事には慣れたか?」
「はい、ようやく慣れてきて。おかげでカウンターの仕事を精一杯やれてます」
「そうか、それは良かった」
そう言うと、ガイス主任は2枚の書類を取り出し私の方へ見せる。私はなんだろうと思い少し前かがみになり覗き込む。
「正式な辞令がまだだったろう?アイナ君の抜擢は色々あって異例だったからな、書類が遅くなって申し訳ない」
「えーと辞令ですか?」
「ああ、そうだ。カウンター受付への異動辞令だよ」
「あ!あ、ありがとうございます!すごく嬉しいです」
ガイス主任が差し出してくる書類を両手で受け取り、これでようやく正式なカウンター受付嬢なのだという思いがこみ上げてくる。
「もう一枚の方は、君への提案なんだが見てくれるかね?」
「はい、えーと……出張命令書?ですか」
「そうだ、君と同じく研修を受けたタモト君がキイア村でギルドを新設する事になった。その新設と立ち上げにアロテアギルドとしては人員の支援をする事が決まってね。アイナ君にどうかと思ったんだが」
「わ、私一人でですか?」
「いや、先程ジーン君にも声を掛けて承諾してくれたが?せめて二人程居ないと難しいだろう?」
「はぁ」
「期間はそう長くないと思う。キイア村で後任が育ったと判断するまでだ」
「具体的にはどの位でしょう」
「2年もあれば十分だと思うが?」
私は、正式な辞令の幸せの中、急な出張への驚きの展開に目の前が暗くなるのを感じた。私の膝は力が抜け支えきれず倒れこみ、あぁ、人って思った以上の驚きでほんとに気を失うんだなぁと悠長に思いながら意識は暗闇に落ちていった。
私は、気がつくと仮眠室に寝かされていた。制服は受付嬢の格好のままなので、誰かに脱がされたという事は無かったみたいで一安心する。しかし、まだ力が入りにくく身を起こすのが精一杯だった。少しボッーっとしていると、ノックと共に部屋を開けてジーンさんが入ってくる。
「あ、目が覚めたのね。良かったわ」
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「ガイス主任も急ぎすぎよね?びっくりしたでしょう」
「は、はい」
「仕事熱心な人って、他の人も自分と同じように物事に判断が出来ると思っちゃうのかしら。特に仕事を覚えたばかりのアイナには、もう少し落ち着いた後でも良かったと思うわ」
「そんな、あ、ありがとうございます」
ジーンさんは、水を貰いに行っていたのか木製のピッチャーからコップへと注いだ水を手渡してくれる。
「それでアイナはどうするの?断っても良いと思うわよ?」
「ジーンさんは、キイア村に行っちゃうんですか?」
「ええ、タモトさんも知らない人ではないし。何よりギルドの立ち上げから関われるなんて滅多にないわ。それに少しでも学べるならと思ってね」
「凄いですね」
「何言ってるの、アイナこそ最年少でカウンター業務に就けれたんだからね?凄いのよ?」
「はぁ」
「それに、キイア村なら他の外回りの娘達にやっかみを言われなくて良いと思うわ。ね?ゆっくり考えてからでも良いから、良ければ一緒に頑張りましょう?」
「はい」
憧れのジーンさんに笑顔で「一緒にやりましょう?」と言われれば、8割がた私の気持ちは決まったようなものだった。しかし、一応両親へ相談してみないとと思ってしまう。
そして、体調の為に早々に帰宅を促され、両親への相談に悩みながら帰ることになった。
「早かったわね、どうかしたの?」
玄関で浮かない顔をして帰ってきた私にお母さんは心配そうに聞いてくる。私は少し躊躇するも、ギルドの正式なカウンター業務を任された事や出張の話を打ち明けた。
「まあ、本当に2年も?それにしても、ギルドを任される人とアイナが知り合いだったとはね。将来有望そうな人じゃない!」
「うん、研修がたまたま一緒で、その人のおかげも有ってカウンターの仕事が出来たと思うんだけれど」
「ほんと、有望そうね。ねえ、気に入ったのなら唾付けちゃいなさい。お母さんは良いわよ」
「へっ?出張するんだよ?たまには帰れると思うけれど、そんなに時間も無いと思うし」
「何言ってるの。何処の冒険者かに惚れられるよりも、将来有望な男性の方が良いに決まってるじゃない?それにキイア村でしょ?アイナがアロテアに帰ってくるよりも、私達が遊びに行ったほうが早いわ」
「おいおい、アイナはまだ15歳だ嫁ぐには早いぞ」
「何言ってるの。18歳だった私を口説いたのは誰かさんですか?」
「ハ、ハハ」
「私が出張に行くのはもう決定なのね」
「私からお願いしたいくらいよ。ね、お父さん」
「あ、あぁ」
特に両親に猛反対されるというドラマも無く。いや、夢見てただけですよ?猛反対されて家出同然に出張するとか夢じゃないですか?2年後立派になって帰ってきます的な。お父さんには打たれてお母さんとは涙の別れ的な、いや、泣いてますよ嬉し涙みたいですけど。
それにしてもタモトさんの事をお父さんはともかく、お母さんは関係進展に乗り気である。そりゃあ頼りになる人でしたよ?優しそうな人で色々助けてもくれましたし、真面目そうで。それでキイア村のギルドマスターになる人って事は、村の人からも信頼されているんでしょうし、あれ?すごく理想の彼氏像では無いですか……。
次の日、アロテアのギルドへ出勤した私は、ガイス主任に昨日迷惑を掛けた事を謝り相談された提案に返事したのだ。
「私にキイア村に出張させてください。精一杯頑張ってきます」
「おお、そうか。ショックを受けたみたいだから、ダメかと思ってたよ」
いや、むしろ気づいたのだ。仕事も恋人も手に入れてみせると。そうすると改めて実感する、2年の期限は短いくらいだと。




