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振り続ける雨は、何故か温かみを持ち体の体温を奪うことはなかった。しかし、長く振り続ける雨に衣服は濡れ、自分が騎乗いるスノウを本来の姿へと洗い流していた。
「なあ、こんな綺麗な毛をしているのに、なんで泥なんか付けてたんだ?」
『ハハハ、マサカ男ノオ前ニ綺麗ト言ワレルトハナ。マア、ナンダ、コノ姿ハ目立ツカラナ』
「確かにね。でもそれでスノウって名前か。女神様もそう付けた理由が分かるよな。それにしてもお前、話し方が少し変わってきてない?」
『我モ、長ク人トノ言葉ナド交ス機会モ無カッタカラナ。少シヅツ思イ出シタダケダ』
「そっか」
「タモトさん、ちょっと良いですか?」
わずかに先頭を走るシスさんが横に並走するように速度を緩めると話しかけてくる。先程から、独り言を呟く俺へ気持ち悪そうな視線を向けてきているのは知っていた。俺はただスノウと話をしているつもりでいたが、スノウの言葉が聞こえていないと言うのは不便なものである。
「何ですシスさん?」
「避難してきた村人達の言う通りなら、もう少しでキイア村に到着すると思います。前へ出すぎないようにしてください。」
「わかりました」
キアと合流した自分達は、もうすぐだと言われた通り野営地に避難してきたキイア村の人達と会うことが出来た。その場所にユリアさんが居て、わずかばかりに村の現状がわかり休憩を入れず自分達はキイア村へ向かっている所だった。
野営地には、伝達を終えたキアが残り。アロテアの方角の街道で後続からくる部隊に事情を説明する役割を任されていた。
『ククク、女神ノ眷属ガ心配サレルトハナ、マア、オ前ハ成長途中デハアルガ』
「しょうがないじゃないか、まだこちらに来て一ヶ月も経ってないんだし。まったく、分からない事だらけだよ」
『体力ハ、ククク、知ッテイルガ。魔力ハドウナノダ?』
「笑うなよ。まだまだ初心者くらいの魔力しか出せてないよ。今後(魔力の糸を)増やせるかどうかも、いつになるか」
『ソレハマタ可笑シナ事ヲ言ウ、精霊ヲ付キ従エ魔力ヲ割カレル中、ソレデモナオ魔陣ヲ織レルオ主ガ初心者ナ訳ハナカロウ?』
「そう言われてもねえ」
『マア、オ主自身自ラノ本質ヲ掴ミ損ネテイルノカモナ、自身ノ魔力ト織リ成ス魔陣トハニツイテ、イツカ考エテミレバ良イ』
「何だよ、ここまで言って教えてくれないのか?」
『儂ハ自ラノ気ヅキヤ学ビノ中ニ、ソレ以上ノ成長ガアルト信ジテイルカラノ』
「うあ、何か上からの言動だな」
『ククク、ソウダロウ?女神ノ眷属ト成ッタノハ我ノ方ガ遥カニ前ナノダ、女神ガ母親デアレバ我ハオ主ノ兄ヨ』
「へえへえ、さいですか」
『ソウダナ、助言ヲヤロウ。今使ワレテイル魔陣ハ人々ガ工夫シタ結果ヨ。長イ月日デ自ラノ少ナイ魔力ヲ補イ、ソレデモ神々ノ奇跡ノ技ヲ修メヨウトシタ結果ノナ』
「ん?どういう事だ、魔陣はまた違う形があるって事か?」
『クククッ』
スノウの笑みには、これ以上は自分で学び考えろという事だと気づく。ポケットの縁で俺達の会話を聞いていたミレイも、俺の疑問の視線に首をかしげるようにしている。スノウのヒントは精霊のミレイでさえも知らない事だったのだろう。
何らかの助言でいち早く強くなれるかもしれないという期待も無くは無かったが、その考えに執着するわけにもいかない。先ほど森の中で見た女神達の姿も、自分が女神に認められた存在であると言われた事も、今はまだ夢だったような気がしていた。
「タモトさん!」
「……!シスさんどうかしましたか?」
「ボーッとして大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「気を付けてくださいね。村の状況が分からない以上、危険だと思ったら逃げてください」
「わかりました」
駆ける一団は次第に山道を抜け、なだらかな斜面へとなっていく。周りは夜の闇で見慣れた気色という訳では無いが、徐々にキイア村が近づいて来ている事は分かった。
『クッ、村ガ襲ワレテイルトハ本当ダッタヨウダナ』
「え?ちょ!」
「あっ!タモトさん、ダメです!先に行かないでください!」
スノウは何か匂いを感じたのだろうか俺の言うことを聞かず、シス達先頭集団を追い抜いていく。後方からのシスの注意もすでに聞こえなくなっていた。だって、仕方がないじゃないかスノウを俺が操っている訳ではない、スノウにしがみついているだけだったのだから。
「ちょっと、待てっ……て」
『グルルッ』
スノウに乗せられるまま丘を駆け上がった俺は、スノウを静止する言葉さえも次の瞬間に眼下に広がる光景を見て飲み込んでしまった。つい先週に出発し懐かしいはずの闇の中にうっすらと見える村の光景に、赤々と所々で燃え盛る炎。一番大きな炎は、宿屋の周囲辺りだろうか。もう一つは、確か女神像への高台へ向かう道にある民家だったか。今は微かだが、焦げ臭い匂いがする。
「そんな」
「おにぃちゃん、燃えてるよぉ」
言葉を失う俺に、ポケットの縁にギュッとしがみつきミレイが呟く。
「皆、無事なのか」
誰に問うでも無く呟いてしまう。後方からはスピードを上げたシスさん達一団が駆け上がってくるが、スノウと俺達が立ち止まっているのに何かがあったことに気づいた様子だった。
「タモトさん、どうしたんですか!いきな……り」
「ひでえ」
シスはようやく俺達の後ろに追いつくと、問い詰めようとするが視線を前方の村から動かさない俺に、不審さを抱き同じ視点の高さから村の惨状を見つめ言葉を失っている。
『……行クゾ』
先ほど魔力について話していた時とは違うスノウの雰囲気と言葉に、怒りの思いを感じ取る。呆然と見つめていた自分の中にも、次第にユキア達への不安から盗賊達への怒りの思いが湧き出してくる。すでに、シスの再び呼び止める声は聞こえず。スノウは駆け出し始めていた。
スノウは今まで山道を走って来た中で、一段と早い疾駆で街への下り坂を駆け抜ける。しかし、俺にはその速さに恐怖する余裕は無かった。頭の中は盗賊達への怒りとユキア達への心配で満ちていたからだ。
「あにぃちゃん、皆無事だよね?」
「ああ」
『アッチダ』
「分かるのか?」
『村人ノ匂イハナ』
恐らく長年キイア村と村人達を守ってきたのは。本当なのだろう。スノウは匂いで方向を変えると、宿屋ではない燃える民家の方へ向かう。
山道の坂を降りきった俺達は、後方から追いかけてくるシスさん達を待つでも無く一気に村の入口へ向かう。周囲の景色はすでに、耕された土地の間を結ぶ畦道を走っていた。微かに、村を出発した時の自警団の詰所が見える。
「村の入口だ!」
『気ヲ抜クナ、知ラヌ匂イダ』
村の入口には自警団員が立っていた事を思い出す。しかし、スノウの言う通り遠目には松明を掲げる人が数人いる様子だが、誰かまでは分からない。
「ミレイ、中に入って」
「うん」
「盗賊か?」
『ダロウナ』
「スノウ、ここで時間を食うわけにはいかない」
『分カッテイル』
疾駆していきながらも、徐々に松明を持っている人達との距離は縮まる。そしてその姿は明らかに自警団員ではない事がわかってくる。すでに互いの距離は50mを切り、スノウの駆ける足音に気づいた盗賊が口々に警戒を発した。
「オイ!」
「なんだ貴様!」
「止まれ!」
スノウは一気に盗賊との間合いを詰めると、抜剣してくる盗賊を前に一段と速度を上げる。俺は振り落とされないように、一層の力を全身でしがみついた。
「くっ、早い!」
盗賊の狙いを定めて突き出される剣先も、すでにその場所に俺達はいない。一人進行方向に何とか立ちふさがった盗賊が居た。その手には大きく振りかぶった剣が握られている。このまま行けば袈裟斬りに乗っている俺が切られる事は間違い無い。
「死ねえ!」
『飛ブゾ』
俺は返事の代わりに、姿勢を低くする。こうすると視界にはスノウの背しか見えないが、そうする事が一番だと俺は信じれた。次の瞬間には、疾駆する速度のままスノウは跳び盗賊の剣先の遥か上を滑空する。
「なっ!馬鹿な」
盗賊の誤算は、スノウが唯の騎獣ではなかった事だった。何事も無かったように着地した俺達は、振り返ることも無く疾走を緩める事無く通りすぎる。残された盗賊達はただ呆然と立ち尽くしていた。
俺は知らなかったが、その後にシス達一団が容易に盗賊達を奇襲できた事は言うまでもない。
「凄いな」
『フン』
朝飯前だと言わんばかりにスノウに褒めた言葉を流される。姿勢を起こした俺は、見慣れた村の景色が、今は静まり返りどこから盗賊が現れるかと妙な緊張感を感じる。
『アソコダ』
スノウの呟く言葉に、俺は周囲を見ていた視線を前方の一点へ向ける。丘の上から見た燃えている民家の方向だ。
『気ヲ抜クナ、匂イハ多イゾ』
「分かった」
次第に俺は、遠くにうっすらと人影らしい集団を見つける。遠目ではその者たちが自警団員か盗賊なのかは判断出来なかった。
『村人ノ匂イモアルガ盗賊ダ、戦イニナルゾ』
俺は了承の意味も含めて両手を前方に掲げ魔力を集中する。二つの勢力が一箇所に集まっているのであれば、遊んでいるわけはない。俺は先手を取るべく魔陣を織り始める。
魔力の銀糸は中央に菱形を初めに作り、その周囲に対照的に文字をなぞっていく。牽制の意味の魔法に2重の魔力を込める必要は感じなかった。最後には両手から出ている魔力の銀糸の端が互いにつながり直径50cm程の魔陣を完成する。
その間にも、集団の一部には気付かれた者もいた。しかし、先手としてはこちらが早かった。
『魔力よ!燃えろ(ファイヤーボール)!』
飛ぶ火球をイメージした魔法陣の大きさと同じ程の炎が一直線に集団へ向かっていく。明らかに魔法を打つ時点では、相手が村人では無いのが分かっていた。なぜかと言うと、明らかに見知った人物たちと剣を交えていたからだ。
「ギャアアア」
「タモトさん!」
「糞っ!何だこいつは」
火球は狙った盗賊に当たり、皮膚や衣服をまとめて燃えていた。降る雨には、その炎を消す勢いは無く、燃え混乱する盗賊は地面を転げまわっている。その横をスノウは駆けながら、村人へ襲いかかっていた盗賊の後方集団を走り抜ける。
俺は、かろうじて襲われていた面々を見ると、オニボ団長やハントさんに加えサニーさんやユキア、サオさんまで自警団員に庇われているのが見える。良かった、何とか無事か。
「囲め!足を止めろ!」
次第に冷静になりつつある盗賊達も素早く動くスノウに合わせて間合いを詰めていく。今は何とかスノウに掴まっているが、俺が乗っている事で動きに不自由さを感じているのか分かってしまう。
「スノウ!降ろしてくれ」
『分カッタ』
スノウは一気に助走を付け、盗賊の前衛を飛び越えると自警団員達の中央に着地する。
「タモト君!」
「「タモトさん!」」
数々の迎えられる呼び声には、疲労の中にも喜びを占める思いに溢れていた。
「頑張ってください!もうすぐ応援が付きます!」
「そうか!」
「待ちくたびれました!」
ハントさんは、笑顔ながらも盗賊達の剣を払いながら切りつける。俺は、ちょうど後ろに庇われる、うずくまるサニーさんやユキア達面々へと視線を向ける。意識はなく体の至る箇所に泥と傷を負ったサニーさん。サオさんは傷こそ少ないもののユキアと横たわるダルを介抱していた。
「ダル……」
俺はかける言葉を失う「もう大丈夫」「助けに来た」数々の言葉を目を閉じたダルの姿を見たとたん、言う意味を失ってしまったと感じた。まさか、もう……。
「……おにぃじゃん、お、がえり」
うっすらと開いたダルの瞳はまっすぐ俺を見つめていた。
「ユキアが何とか治療をしてくれたんだ。ダル?わかる」
サオは目に涙を貯め、ダルへ声を掛けていた。それでか、ユキアは精一杯頑張って魔力が切れたのか。
「ぐっ!」
盗賊の頭の相手をしていたオニボ団長が、拳を回避しきれず左腕へ傷を負っていた。このままでは、何とか均衡しているバランスが崩れてしまうのは必然だった。俺は不慣れだが貸されていた長剣を抜き団長の左側をフォローする。
「タモト君、すまない」
「盾がわりにもなりませんが」
「いや、十分だ」
「なんだ手前……ん?どこかで会ったか」
「確か名前はガールでしたか。ギルドの契約事項に不正が見つかったので注意しに来たんですよ」
俺は怒りを抑え、皮肉ぽく言うが、それでも睨みつけるのは抑えようが無かった。
「あん?」
ガールは俺の顔をじっと見ると、額の傷を見て思い出したのか笑い出す。
「ハハハッッ。ギルドの受付が!何の用だ!もう頭痛は良くなったのか!ガハハ」
俺は黙ったままガールを睨みつける。次第にガールの笑いも収まり俺へと視線を向けてくる。
「じゃあ、兄ちゃんよ。次は永遠に寝とくんだな」
ガールは再び俺達へ拳を振り上げた。




