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シトシトと降り続ける雨が、体の芯から熱を奪っていく。しかし、今右手に握る妹の手は暖かく離したくは無いと思う。本当であれば私の左手にはもう一つの温もりがあるはずだったが、今は手の届かない場所にいる。この雨の中無事である事を願うばかりだ。
自警団員になってから何度となく村に紛れ込んだ獣を狩る事があった。もちろん、先日のゴブリンの件も人というよりも、獣だと言う認識である。しかし、今回の盗賊の一件で明らかに害意や殺意を向けられた事は初めての経験だった。本当に怖いのは人間だと思い知らされていた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「うん、ボーッとしちゃってたね。ダリアこそ寒くない?」
「平気。今はしょうがないって皆言ってるから、我慢する時だって」
「良い子だねダリア。今日さえ終われば、良い日がきっと来るから」
妹へ告げる言葉は、自分に言い聞かせる言葉でもあった。頷き視線を暗闇の前方へ戻す私達は、灯り一つ無い村の家々の軒下を縫う様に抜け、今は麓からの山道を登っていた。
「女神様の所に行くんでしょ?」
「そうだよ。悪い人達から見つからないように、だから、こっそり行かないとね?」
「うん……ダル、大丈夫かな」
おそらく、盗賊達の事を思い出したのだろう。ダリアの表情は暗くなる。最後に見たダルの姿は、意識が無くぐったりとしていた。酷い事をされていない事を、昼間からずっと願っていた。そんな中、ダルを人質に交渉してきた盗賊達の情報で、命だけは大丈夫だと希望を持つしかなかった。
「ダリアちゃん、ダル君もいっぱしの男の子だから、きっと大丈夫よ。助けてもらった、ウチの娘もダル君が捕まった事を聞いて悲しんでたし、助けてくれて感謝してたわ」
宿屋の女将さんが、ダリアとの会話を聞いたのか振り返って声を掛けてくる。今、私達は10人から15人のグループに分かれて、自警団員が引率し女神像のある麓へ向かっていたのだ。まず、抵抗の体勢を整えるにしても、非戦闘員の老人や女性、子供の避難を優先したからだ。
「うん」
「きっとダルをお姉ちゃん達が助けるからね」
私達の組みが、グループ最後の避難する人たちで構成されている。後は、宿屋から自警団員とハントさんやサニー達の戦闘員が殿を務めて、後ろから来ているはずである。私はしっとりと濡れたダリアの髪を手をすいて拭うと、後ろから支えられて歩く母親を振り返った。
「母さん、大丈夫?」
「え、ええ」
この一日で母親はだいぶ心労が溜まっている様子だった。河川の災害で家や家財を無くし、ダリアの命さえ危険に陥った上に、今回のダルの件では塞ぎ込むように話さなくなったのだ。今も、他の自警団員に脇を支えられようやく歩けている状況だった。本来であれば、私は先に出発したユリアさん達の避難馬車に乗せたかったのだが、母がどうしてもと断ったらしい。その断った理由には、私は知ることが出来なかった。
ヒューーン
突然遠くで笛のなるような音が聞こえる。その次には乾いた様な破裂する音が聞こえ、皆の歩みが止まる。
「何?」
「何だ?」
口々に音の出所に付いて、周囲を見渡す。しかし、周囲は人がかろうじて2人並んで歩けるだけの山道だった。右手には木々が生い茂り、微かに枝の隙間から村の家々の形がぼんやりと見えるが、夜中でありましてや雨も降る程の暗さでは、何もわからなかった。
「とにかく急ごう」
先頭を行く自警団員が促し、集団は歩き始める。私にもわかる、恐らく良い知らせではないだろう。自警団員の誰かが押収した手筒花火でも使ったのか、それとも、盗賊達が何か知らの行動をしたのか、とにかく村人達の安全を少しでも確保しなければと思う。
「さ、行こ」
「うん」
村の方を見つめていたダリアを促し、握る右手を再び握りなおす。しかし、空いた左手は寒さではない微かな震えを覚える。私は、きっと雨で冷えたせいだと言い聞かせ、左手もまた強く握り震えを押さえ込むのだった。
「あぁ、村が!」
「あれは、どこだい?」
「宿屋の方じゃないか」
10分程かけて黙々と坂を登った私達の前に、村を一望出来る高台に人集り(ひとだかり)が出来ていた。その人達が何を見つめているのか、後方からは見る事ができない。ひとまず、好奇心は後にして、母やダリアを休める場所を探して周囲を見渡した。
人集りの反対側には、木々を背に雨露を凌ぎながら50人あまりの人達が毛布を片手に座っている。その木々に座る列は、日頃ユキアが使用する階段や湖の方へも続いている。この様子を見ると、本当に村に残っていたすべての人が避難出来たと思っていいのだろう。
「さ、母さん、ダリアもあそこが空いてる」
「ええ、そうね。でも、サオ……」
「お姉ちゃん、あれって何?」
母やダリアが躊躇するのは、間違い無かった。高台の一角には、確かに空いているスペースがあったのだが、その場所には先約が居たのである。
「あぁ、ハントさんの言っていた飛竜だと聞いてる。避難する場所としても番犬代わりになるからと言われたから、安心して良いそうだけれど」
確かに、村人が近寄りにくいのもわかる。うずくまってはいるものの、ジーッと周囲に集まる人達を眺めて(睨んで)いる様に見えた。村人の気持ちの安心スペース(空間)は半径10m程である。その場所意外では、階段を登り女神像の所まで行くしかないだろう。しかし、上の広場には雨露をしのげれる様な木々は無かったはずだ。それならば、飛龍の主人であるハントさんから大丈夫と言われた言葉を信じるしか今はなかった。
「大丈夫、の、はず?」
言われた事と、実際近づくのでは自信が無くなっていく。しかし、雨の中に母と妹を立たせておくわけにもいかず、私が近づいて確認するしかない。一歩一歩と回り込む様に近くの木を目指すが、明らかに飛竜の関心が自分に向いている事が分かった。首を巡らせ私の姿を追っているからだ。それに、私の行動に気付いた周囲の村人の視線も痛い。この状態で咆えられでもしたら、腰を抜かしてしまうのは間違いない。そして、後々の村の笑い話の種になる想像までしてしまう。
「おねがい、無視して」
誰にも聞こえない小声でお願いしながら、一歩一歩空いたスペースへ進んでいく。いや、ハントさんせめて木にでも繋いでおいてくださいよ。暗闇でもわかる、明らかに飛竜は野放し状態であるのは近づく前から確認してある。それゆえの、村人達の空いたスペースだったのだから。
クアァァ
「ヒッ」
不意に飛竜があくびを漏らし、関心が失せたとばかりに首を逸らし地面へ伏せる。私から漏れ出た微かな悲鳴にも、誰も気がつかなかったと思いたい。飛竜の関心が無くなると同時に、徐々に村人の視線も私から無くなっていった。
「さ、母さんダリア、こっちへ」
「ああ、そうだね」
「うん」
母は、私と同じように避けるように遠回りに木へ近づいて来るが、ダリアは飛竜が珍しいのか、直線距離で私の所へやってくる。途中、立ち止まってしげしげと覗き込むのにはダリアの好奇心の図太さを垣間見た気がした。
「じゃあ、母さん達はここに居て。私は皆の手伝いをしてくるから」
「わかったよ。気をつけるんだよ」
「ダリアも良い子で、母さんをお願いね」
「うん」
軽くダリアの額を撫で二人と別れると、私は他のグループで分かれていた自警団員と合流する。
「何かあったんですか?」
「もう、村の人達には知れ渡っているから隠す事ではないが、村に火が付けられたらしい」
「そんな、他の団員は大丈夫なんですか?」
「分からない、後続から来るはずの団長達も到着していない。何かあったと思って間違いない」
数名集まった団員達と共に、村を望める高台の人集りに向かう。
「すみません、通してください。自警団です。お願いします」
「お、おう」
先ほど到着した時から集まっていた人集りを掻き分け先頭へ向かう。理由を伝えると、文句も無く通してくれた。先頭へ人をかき分けて出ると、横には先に宿屋の女将さんがいる事に気付く。しかし、声を掛けるよりも先に私は目に飛び込んできた村の情景に言葉を失う。
「あぁ、ウチの宿が……」
誰にともなく呟く女将さんの声と共に、燃えている村の一角を見つめる。村は暗闇の中だが、一角だけ明らかな炎で燃える家々があった。そう、見間違えるはずもないあの辺りは先ほどまで自分たちが居た宿屋の場所だ。
「女将さん」
泣くでもなく、呆然と見つめる女将さんを沈痛な思いで見つめながら、不意に後続のサニー達とダルの事を思い出す。きっと何かが起きたに違いない。武器の無い自分に何が出来るかは分からない、でも、ダルを助けたい思いでいっぱいになる。そう気付くと、私は駆け出していた。
「お、おい!サオ!どこに行く!」
呼び止める自警団員の仲間の声も、今は後ろから遠くにしか聞こえなかった。ぬかるんだ地面を走りながら今は、友人と弟の無事を願うだけで精一杯だったのだ。




