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雨の中、女神達が去った後には、俺と女神にスノウと呼ばれた獣が残される。しかし、少し前のまで身の危険があった雰囲気からは、ガラリと変わってしまった。俺と獣は女神達の消えた場所を呆然と見ていた。体に降る雨さえも、今は暖かく感じる。いや、雨だけではない傷つき動かなかった左肩は暖かさを帯び、先ほどのやり取りが幻覚といった見間違いではなかった事を、改めて物語っていた。俺の隣では、感情を剥き出しに襲いかかってきていた獣が、今もなお歓喜に泣いているのだ。俺以上に、感情が心の中で高ぶっている様子に何も言えず、互の間には沈黙だけがあった。
「俺は行かないと」
『……』
「女神サマぁ、キレイだったぁ」
女神の消えた後を見つめていた獣は、視線のみ俺へと向ける。その向けられた瞳には、先ほど向けられた、憎しみや妬みの感情を感じる事は無かった。ポケットから顔を出すミレイも女神に会えた感激から、視線は別の世界に行っている。そっとしておこう。
「じゃあ……」
俺は、互いに争う理由の無くなった(攻められ方は一方的だったが)と思い、シス達に追いつく事を思い出す。
『待ッテクレ』
「なんだ?」
獣には先ほど殺されそうになった相手だ、互いに理由が合ったとしても直ぐに理解し合う事は難しく声に刺がでてしまう。
『多クノ誤解ヲシテイタヨウダ……スマナカッタ』
「あぁ、あんたも今まで村のために頑張ってきたんだな」
『長ク、自分ノ存在ヲ信ジラレナクナルニハ、十分ナ時間ダッタ』
「そうか」
何程の間、一人だったのだろう。狼達が居たとは言え、会いたい人に会えない辛さは少しづつ心を歪ませたのかもしれないと同情する。
『教エテ欲シイ。村ハ大丈夫ナノカ?』
「分からない、でも早く村の状況を知るために急がないと」
謝罪してくれるなら、俺は怪我も今は治してもらったので執着する事はなかった。何より狼達に追いかけられていたシス達は大丈夫なのか?早く心配されないように合流をしたかったのだ。
『ソウダナ、オマエノ人間ノ仲間ニハ手ヲ出サナイ様ニ言オウ』
俺の思いを理解されたのか、それとも無意識に聞こえたのかシス達の安全は守ってくれそうだった。
「でも、良いのか?狼の仲間を沢山傷つけてしまったが?」
『悲シイガ、私ノ誤解が招イタ結果ダ、説得シ時間ハ掛カルダロウガ覚悟ヲシタ』
「そうか」
『後一ツ、オ願イガアル』
「何を?」
『村ノ危機ヲ、払ウ手伝イヲサセテ欲シイ。今マデノ様ニ「力」ダケデハ及バナイ受難ニ知恵ヲ貸シテ欲シイ』
「力を貸してもらえるなら、嬉しいよ。俺の知恵と言っても大したことも出来ないと思うけど」
『マダ、女神サマニ頂イタ神痣ヲ使イコナセテイナイノダロウ。私ノ場合、言葉ヲ理解スルダケダッタガ、神痣ハ神達ノ特徴ヲ受ケル、慣レレバ違ウ形デ現レルカモ知レナイ』
「そう言うものなのか」
色々と神痣について知らない事を知っていそうだったが、ゆっくり話を聞いている訳にもいかない。やはり、片方の瞳を塞ぐ傷は女神から授かった神痣であると納得ができた。
『スマナイ、急イデイタナ』
「ああ、早く仲間に無事を知らせないと」
『ソウカ、ナラバ。私ガ力ヲ貸ソウ』
「話は終わった?」
そう言った獣は、俺の前に屈み背を向ける。いつの間にか、ミレイは俺達のやり取りを聞いていたようだ。
「えっ?」
この体勢は、まさか……。
『乗ルガイイ』
いや、確かに獣の体格は、シスの騎獣であるナナにも劣らない。ひと周り小柄くらいだと思う。しかし、向けられた背にはもちろん、跨る鞍も握る手綱も無いのだ。
『大丈夫ダ、ヨク女神ヲ乗セテイタ』
「いや、まあ……そうなのか」
「おにぃちゃん急ご?」
俺は躊躇いながら、諦めて背に跨ろうとする。ここまでされていて急ぐ自分には断る選択肢は無かった。背の毛並みに触れるとザラっとした感触と土の様な一部がポロっと舞い落ちる。
「ん?これは泥?」
『アァ、本来ノ私ハ目立ツラシイカラナ』
何の事を言っているか分からない俺は、ひとまず背にまたがり、ほとんど毛にしがみつく姿勢になる。
『気ヲツケルガ、落トサナイ様ニシテハミル』
「ああ、頼むよ」
若干、楽しむような口調に変わった獣に、俺は苦笑するしかなかった。ほんと頼むよ、ただでさえ未知の裸乗りに怖いのだ。
『モウ、知ッテイルカモトハ思ウガ、名ハ「スノウ」ダ』
「よろしくスノウ。俺はタモトタカ、タカの方が良いか」
『アァ、ヨロシク頼ム、タカ』
「うちは、ミレイね。宜しくね!」
ミレイに頷き返事をして、ゆっくりとスノウは立ち上がる。徐々に歩行から小走りへと速度を上げていく。言ってはシスには悪いが熊であるナナよりも快適かもしれない。ナナの場合は前と後ろの足が短い分、上下感覚がグワングワンと半端無かったのだ。その点、スノウは滑るように走るという様子だった。
『慣レタ様ダナ』
「え?」
『ジャア、行クゾ』
「れっつごー!」
いや、勘違いでした。シスの言う事を聞く分ナナの方が断然良かった。あまりの走りのスムーズさに気を抜いたのがいけなかった。騎乗する俺の無駄な力みが抜けたのを感じたのか、スノウが本気で走り出す。ミレイはポケットの中で大はしゃぎだ。
「ちょ、ちょっと待っ」
『ソノママデ大丈夫ダ』
「て、てって、前、まえぇ!」
『急グンダロウ?』
俺の返事が返せないのを幸いに、スノウは道ではなく俺を乗せたまま道の無い林に突っ込んでいく。乗っている体の何処にも木々の枝や葉がぶつからないのは、スノウの獣としての凄さだろう。しかし、俺はそれを感嘆する余裕はすでに無くなっていた。
「あぁああぁぁぁァァ!!」
「きゃはハハハハっっっ!」
雨が降り続ける中、今日2回目の俺の絶叫とミレイのはしゃぎ声が暗闇の山々の中へ響いていった。
どの位スノウは走ったのだろう、数分では無いと思うが背にしがみつく俺は、既にぐったりと思いもかけず良い具合に力が抜けていた。俺の目の数cm横を枝が音を立てて通りすぎるが、既に呆然と感情さえ無かった。呆然自失というやつだ、もう好きにして状態。
『大丈夫カ?』
「最高ぉ」
時々、スノウが妙に気を使って聞いてくるが、俺が「あぁ」とか「……」無言に少しだけ走る速度が落ちたが、体感速度は変わってない。どうしよう、トラウマになりそう。ミレイなんていつの間にか、ポケットから出てスノウの頭の上にしがみついている。あぁ、有るよねえ、ジェットコースターの先頭って奴でしょ。俺には無理。
「綺麗な毛並みだなあ」
俺は現実逃避をし始める。ついさっき気がついたのだ。降り続ける雨が、スノウの毛に付いた土や泥を洗い流していく。その下から現れたのは銀色に鈍く光る毛並みだった。雨でも完全には洗い流せる訳ではない。現在は茶色と銀色の斑模様の様になっているが、恐らく全身が銀の毛並みだろう。
『アァ私ハ、銀狼ダカラナ』
「銀って言うか、白金って感じ、あぁ銀だから白銀?」
『女神サマハ、ソレデ私ヲ「スノウ」ト名ヅケタソウダ』
「へぇ」
俺は背中で毛並みを一部磨きながら、もっとゴシゴシと綺麗にならないかなと現実逃避の真っ最中だ。だって、前を向くと怖いんだから本当。長年の泥汚れはしつこいな。ゴシゴシ。
『匂イヲ見付ケタ』
「そう?」
あぁ、今度なんでわざわざ泥化粧していたか聞いてみよう。等と場違いな考えしか浮かばない。スノウは少し方向転換し下り始め、しばらくして林を抜ける。
バッ
妙な浮遊感があったが、周りは暗いのでよく分からない。スノウは着地に気を配ってくれたのか、衝撃に舌を噛むことも無かった。
「クソッ!新手か!?」
「キア、お願い先に行ってタモトさんを探して!」
「分かった!」
『仲間ジャ無イノカ?』
「へっ?」
「「「エッ?」」」
「やほー」
微妙な空気がその場を支配していた。緊張した表情のシス達面々。あ、剣をこちらに向けている隊員者もいる。キアも昼間と違い少し疲れた表情をしていた。俺は漸く毛並みから視線を上げ見つめ合う俺達。ミレイだけが笑顔で小さい手を振っていた。
「タモトお兄ちゃん?」
「うん」
キアは俺を指差し、シスに確認するように顔を向けている。シスも俺を呆然と見ながらキアに相槌をうっていた。
『間違ッタカ?』
「いや、ビンゴ」
俺の伝えたい意志がスノウに伝わったのか、フムとシス達へ顔を戻す。少しづつ俺の現実逃避も治ってきたようだ。
「お兄ちゃん無事だったんだね」
「良かった」
シス達は、スノウの事は差し置いて無事を労ってくれる。今回の襲撃すべての原因がこのスノウだという事は言わない方が良いかな?
「こいつ(スノウ)に助けてもらったんだ」
「そうだったんですか、良かったです。助かりました」
『こちらこそ申し訳ない』
スノウはシス達を襲ったことを気まずそうにしかめていたが、シス達へは言葉は通じない様子だった。言葉が通じるのは俺だけかと気付く。
「ひとまず、休憩出来る所を探しましょう。それから、キアから話を聞かなくては」
「そうだね」
『もう少し先に、開けた所がある』
「そうなんだ?」
「どうしました?」
「いえ、もう少し先に休憩出来そうな所があるそうです」
「え?今この獣が言ったんですか?」
「ええ、まあ」
「本当ですか……」
冗談で聞いたのかも知れないが、シスは驚きのまま俺たちを見つめる。分からない謎のまま立ち尽くす訳にもいかず、俺たちは再び騎乗する。
「あ、そうそう確かにここに来る時、馬車が幾つか野営しているのを見つけたよ。シスお姉ちゃんかと思って急いで近づいたから凄く驚かれちゃった。テヘ」
イタズラを見つけられた子供みたいにキアは照れながら、打ち明ける。スノウの言うことは本当だろう。そうすると、言っている開けた所と言うのも、探していた野営の事だと思う。
「ひとまず向かおう」
「タモトさんは……そちらに乗ります?」
「かな?」
「もちろん、こっち」
『任セロ』
妙なドヤ顔でスノウが張り切っている。ミレイは再びスノウの頭が特等席になった。多分、スノウは人を乗せて走るのが凄く楽しかった様だ。あぁ、安全運転で頼みます。しかし、2回目の山道は快適で現実逃避しなくて済んだ。それで気付いたのだ、1回目林の中を疾走した時、スノウめ遊んでいたなっと。きっと故意に、枝や木々のギリギリを疾走していたのだ。そうそう、よくやるよね自転車や原付でコーナーギリギリで曲がったり……、早く到着するのを競ったり……。スノウ、一回目でアレは勘弁してくれ。俺には少なからずトラウマになりました。




