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「おにぃちゃん!」
胸ポケットからミレイが飛び出し覗き込む。ミレイは不安そうな表情を張り付かせていた。
「ミレイ大丈夫だった?」
「そんな!おにぃちゃんこそ、怪我してる!」
ミレイの言うとおり、俺の左肩から腕先まで落ちた衝撃で血が流れ出ている。立ち上がろうとするも、左肩が上がらず右腕で何とか体を支えようやく立ち上がることが出来た。
『フッ、セイレイモ、イッショカ』
「待ってね、血を止めてあげる」
「ミレイ、無理しなくていい」
ミレイが魔宝石の一件から、体力をすり減らしていた事は知っていた。しかし、今は何とか俺の左肩を流れる血を止めようとミレイは魔法の光を必死に手のひらに集めている。
『ヨワッタ、セイレイニ、ナニガデキルト、イウノダ』
「一体なんなんだ!何が言いたいんだ」
俺の頭に直接響く声の主が、目の前の獣から発せられていることは無意識の内に理解していた。今もゆっくりと俺に近づいてくるのが見える。
『オマエハ、メガミト、アッタノカ?メガミハ、ドコニイル?』
「は?何だ?女神って、何のことだ』
『シラナイ、フリヲスルノカ!』
獣の激情と共に牙を向き威嚇してくる。俺は無意識に右手を背中の剣の柄に手を伸ばした。ミレイは依然と俺の左腕の怪我から流れる血を止めようと頑張ってくれていたが、ミレイの表情が険しく今にも倒れそうに見える。
「ミレイ、もういい!止めてくれ」
「でも、もう少しで!」
「いいんだ。ミレイ、ほら、ポケットの中へ」
「ぅん」
『メガミノ、チカラヲサズカッテナケレバ、ワレノコエガ、キコエルハズモナイダロウガ!』
「俺は女神なんて会った事もない!」
『ウソヲツクナ!!』
獣の振り下ろした右前足で俺は横の木まで吹き飛ばされる。足元がふらついていた俺は踏ん張ることもできず、木に当たり立ったままもたれる様な姿勢になる。
「おにぃちゃん」
ミレイは、ポケットから怯えた表情で見上げてくる。
「本当だ!女神とは会ったことがないんだ。なんでそこまで女神にこだわるんだ!」
『ナゼダ、コンナヤツニ、メガミハ、ナゼチカラヲ、サズケタンダ』
獣の隻眼の瞳に失望の意志がちらつく。俺は、ゆっくりと右手で背中のロングソードを抜きながら正面に構える。しかし、背中は木にもたれたままであり、この傷では、ほとんど牽制の役目しかない。だろう
『ミロ、チカラノサヲ』
再び獣は左前足を振り下ろす。次は何とか剣で防ごうとするが僅かな拮抗の後下ろされる爪にはじかれて倒れそうになる。
『メガミニ、イワレタトオリ、ワルイヤツカラ、ムラヲマモッテキタ』
「えっ?」
『ナノニ、ナゼダ、メガミハ、ワタシニ、ナニモイワズ、ヒトニチカラヲサズケタ!』
再び獣は前足で俺を薙ぎ払おうとする。
「待ってくれ!」
『ナンダ、イノチゴイカ?』
「違う!村を守ってきたってどういう事だ!?」
『メガミガ、イッタノダ、ムラヲマモレト』
「いつから、いつから守ってきたんだ」
『ハルカムカシダ、メガミハ、イツモトナリニイテクレタ』
そんな昔からキイア村を守ってきていたのか。ユキアが言っていた最後に確認されている神痣の人物でさえ数百年の昔じゃなかったか?
それに、確か街道にグレイウルフが出没するという話は、キイア村でもチラホラと聞くこともあった。しかし、グレイウルフ討伐依頼が出ていない事にアロテアの街でギルドの仕事をしている時に不思議に思ったのだ。その疑問がようやく解決した、この獣はキイア村の住人には危害を加えておらず、不審な商人や動物などを選択して襲っていたことになる。
ポツッ
ポツッ
曇空だった空から、雨の雫が木の葉や頬へと落ち始める。
「ならば、この前、村がゴブリンに襲われた事も知っていたのか!?」
俺は、あの時の村人やケガをした人達の不安な表情を忘れることができない。守ってきたと言う獣が何故あの場所に居てくれなかったのかと理不尽にも思ってしまったのだ。
『ニオイハ、トドイテイタ。シカシ、スグキエタノヲオボエテイル』
「あの時は、村の皆で協力して撃退したんだ。でも、また村に危険が迫っているんだ!」
『ナンノコトダ?』
獣は振り上げた前足を下ろし、じっと見つめてきた。
「先日村の復旧のために、隣町のアロテアに労働者を雇う依頼が出されて、村へと出発した」
『ソレハ、ミタ、シッテイル』
「その人の中に、盗賊が紛れ込んでいると村から連絡があったんだ」
『ソンナ、ワタシガ、ミオトシタノカ』
俺は獣の隻眼に動揺が走るのを見逃さなかった。上手くすれば見逃してもらえる可能性なんて考えさえ浮かぶ余裕は無かった。
「頼む、俺は村に行かなくちゃならないんだ」
『メガミニ、コシツスルアマリ、ミツケレナカッタト、イウノカ』
獣の瞳の視線はすでに俺から外れ、虚空を見つめている。長い時間にも思える一瞬の静寂が互の間に訪れる。俺が再度、話しかけようとすると。
『メガミハ、モウ、ワタシヲ、ヒツヨウトシテイナイノカ、コエサエモキケナイノカ』
獣の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。神痣の有る傷の瞼からも涙が流れ、俺はかける言葉を失ってしまう。徐々に葉に当たる雨音は多くなり獣の体を濡らしていく。
『違います』
鈴の音のような声が頭の中に響き渡る。どこかで聞いたことのある懐かしい感じがする。
『ァァァ!』
獣が言葉にならない感情の声が響く。ふと気づくと、獣に寄り添う様に女性が立っているのが見える。しかし、その姿は雨に見える残像の様におぼろげではあるが、蒼い瞳と背中までの髪を伸ばした女性であることに気付く。
『私の可愛い子、泣かないで』
そう言いながら、女性の消えそうな手は獣を優しく撫でていた。




