24
太陽の日が山肌に落ちてからは、徐々に周囲に見えていた林の姿も闇の中に薄れていった。シスは操るナナの速度を落としたようだったが、実際のところわからない。ただ単に自分がスピード感に慣れただけかもしれないが。
「もう慣れましたか?大丈夫みたいですね!」
「ああ、暗くなった分だけ周りも見えなくなったから、怖くは無くなったかな」
言うとおり、日が昇っている間にすぐ横が崖になっている道を疾走した時には、このまま落ちたりしないだろうかと、無事に村に着けるだろうか覚悟したのだ。シスが安全に走っているんだとは思うが、時々疾走しながら方向転換する時の投げ出されそうな慣性が、あぁ、このまま崖に落ちそうだなぁとか思ってしまい、手に変な汗がでるのだ。
「話では中間に野営地が有るんでしたよね?」
「そうです」
「あとどれほどか分かりますか?」
「すみません、正確には。アロテアに向かった時に襲われた馬車があったはずですけど、それから数時間くらい馬車で行きましたから」
「そうですか、あと少しだと良いんですけれど」
「走り続けて大丈夫なんですか?」
「えぇ、少し寒くなってきましたし、そろそろ休ませないと、と思って」
もう3時間くらいは体感時間でナナは走り続けている。馬車より速いとは言え、体力も無限にある訳ではない様子だ。一番の問題は、今ここがどの位の地点なのか皆が知らない事だった。そして、日が暮れたことで、肌寒くなってきたのも事実だった。厳しい寒さではないが、さすがにそろそろ休息するところを確保したいのだろう。
「襲われた馬車って、何に襲われたんですか?」
「確か、グレイウルフって言ってましたけど」
「あぁ、なるほど。ここら辺が縄張りなのかも知れませんね」
「大丈夫なんですか?また、襲われたりは」
「大丈夫ですよ、後ろの皆も、それにこの子も居ますから」
後ろを振り返ると、確かに自分達を入れて後4頭の騎獣で付いて来ているようだ。はっきりと後方が確認出来ないのは、星や月明かりが雲で遮られ姿が朧げにしか見えないためだ。
「シス!!」
急に後方を走っていた隊員が声を上げる。俺とシスは顔だけ振り返ると、その隊員は腕を上げ右側を示していた。シスはコクンと頷くと俺も釣られて右側の林を見てしまう。何もない様に思えたのは初めだけだった。次第に草の擦れる音が聞こえたかと思うと、暗闇で見えないが確かに何かが居るのだ。
「追ってきてるね」
シスの言うとおり、林の中に居る何かが走る音は俺達に並行するように聞こえる。直ぐに姿を見せないだけ、いつ姿を見せるのか俺は視線をそらす事が出来なかった。
「どうする?」
「このまま行こう。ここで組みしても相手の数が分からないんじゃ、いくらナナ達が居ても不利になるのは避けたい」
「了解した」
発見した隊員がどうすべきかを確認してくる。シスと話し合ったあと、後方に居る隊員に伝えている様子だった。
「俺の時ばかり、なんで襲われるかな」
「タモトさんって実は不幸体質ですか?」
「そうかも」
「それじゃあ、諦めるしかないですね。あっ、あれ、あれが言ってた馬車じゃないですか?」
シスの示す先には、先日の道脇に朽ちた馬車が傾いているのが見えた。見間違えるはずもない、先日襲われていた商人の馬車だ。山道の3分の1を塞いでおり、残りの幅でようやく1輛の馬車が通れるだけの幅がある。
「ヲォオーン」
静寂の中に体を強ばらせる獣の遠吠えが響き渡る。俺はハッと周囲を見ると、先程まで聞こえていた獣の並走する音が消えている事に気付く。もしかして、諦めたのか?
「っ!いけない!タモトさん注意して」
「え?」
シスは左太腿に結んでいた紐を解き小型の十字弓を左手で展開し握る。
本体中央の留め金を外すことで先端が開きビンッと弦がギリギリまで緊張し伸びる。
「しっかり体を支えてください!」
クッ!有無を言わさない声に、俺はシスの腰を保持する腕に力を入れる。その時、斜めに横転した馬車を通り過ぎようとした瞬間、2匹のグレイウルフが馬車を駆け上がり飛びかかってくる。
「う、わぁあああ!」
「「ガァアアア!」」
グレイウルフの狙いは明らかに騎獣ではなく人間だった。しかも、2頭の狙いは明らかに俺を狙っている。
ビュン
キャウンッ
俺の顔面直前に、グレイウルフはシスの放った矢で貫かれる。運が良かったのか、狙ったものなのか矢は1頭の体を貫通し2頭同時に倒れ俺たちは無傷だった。そのまま、後方を見ると、後ろを追いかける他の隊員の騎獣にも襲いかかりそれぞれ応戦しているのが見える。
「シス!体勢を整えるぞ、開けた場所を探せ!」
「了解!」
後方から呼びかける声に、シスは矢を装填しながら疾走を続ける。明らかに、隊員は各個で襲われている様子なのだ。何とか牽制出来ているみたいだが、俺たち先頭の騎獣に3頭と他の隊員には4~5頭に襲われている。馬車がようやく通れる程の道幅では騎乗したままの互いへの連携は難しそうだった。
シスが前方の道を探す間も、俺達の騎獣にも3頭のグレイウルフが追いつき獣のナナの足へ執拗に牙と爪で攻め立てる。ナナは大きな怪我はしていないが、若干走りにくく速度が落ちているようにも見えた。
「シス!俺も何かできることは?」
「しっかり掴まってて下さい。とにかくナナ達も加勢すれば状況は変わるはずです。広い場所さえあれば!」
「ヲォーン」
「なんだ!?」
「なに?」
シス達の困惑の声と同時に、グレイウルフ達が行動を変える。今まで左右と後ろ足を攻め立ててすぐ引いていた行動から、騎獣の左足に噛み付いたまま2頭が引きづられるようにしてナナの足を止めたのだ。俺は何とかシスの腰を握っていた為、振り落とされる事は無かったが。次の瞬間、右の林の間から大きな影が俺へと覆いかぶさるのが見えた。
「ぐっ!!」
「タモトさん!!」
一瞬見えたのは暗雲の空が見えたかと思うと、次には地面に落ち左肩と腕を強打する。疾走していた反動から転げ額や腰を打ち付ける。落ちた横を後方を追っていた隊員達の駆る騎獣が駆け抜けていくのがわかる。幸い騎獣の操る腕が良かったのか踏まれる事は無かった。
「タモトさん!大丈夫ですかー!!タモトさんっ!」
「くっそっ、タモト君!」
シスの叫ぶ声が遠くなるのが分かる。他の隊員も騎獣を直ぐに止めれる体勢ではないのか俺の名を呼んでいるのだけは聞こえた。俺はどのくらいシス達と離れてしまったのか視線で把握するよりも、脳震盪の様な軽い酩酊感の中、体を動かせるかを試してみる。一番の痛みは左肩から腕であり、両足や額にも傷を負っているのがわかった。しかし、何とか足には大きな激痛もなく立ち上がれそうである。
「グルルルッ」
ハッ、そうだ。俺は何かにぶつかりナナから投げ出されたのだ。倒れたまま、俺は顔だけ見上げるとそいつが俺を見つめていた。暗闇の中に光る赤い隻眼。体躯は3mを超えナナに劣るとも言えない黒い影。今は閉じてはいるが牙を隠す口には微笑にも見える。そして、一番の存在感を浮き立たせるのは、左目を塞ぎ反面に伸びる傷痕である。
忘れるはずもない、アロテアに向かった時に襲ってきた奴だ。
「・・・・・・」
10m弱の互の距離のまま、俺は立ち上がるのを忘れ獣を見つめる。そう、互いに視線が合ったからこそ、そらす事が出来なかった。
『マッテイタゾ』
その声は俺達二人の間でしか聞くことのできない声だった。頭に響く声、そして俺が見たのは、次は明らかに牙を覗かせ微笑する獣の姿だった。




