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山間に囲まれた小さな村があった。村の周囲には壁も無く切り開いただけの四方を森に面していて、わずかに村と森との間に作物を育てる畑が点在している。
申し訳程度にここが人の住んでいる場所であると、外周には動物避けのように木が二重に柵の役目で埋め込んであった。
川や湖が山間に流れ、それらを生活に利用している様子が見受けられる。
今、その湖に一人の少女の姿があった。
「今日も良い天気―!!」
「ユキア―!?聞こえてるー!」
「あはははは!」
ユキアは湧水輝く水面に銀色の髪と体を漂わせながら見上げた先には、村で唯一目立つ構造物が見えた。慈悲の神が始めに降り立った土地として村の高台に女神像が微かに見えていた。
女神像と言っても荘厳な神殿や建物があるわけではない。その昔、村には有名な彫刻家に仕事を依頼する金銭も無く、熱心な信者だった村人が岩を削って女神の像を安置したのだ。
素人が彫ったとは思えないほどに、女神像は30mの巨大な姿が山肌を削り造られている。「恵みの水にて世界を満たす」と村の言い伝えから、膝を地面につき胸の前で手のひらを上に開き重ね今にも水をすくう様な姿勢で作られていた。
そこには造形者の思惑か、時に雨が降ると像をつたい雨水が手のひらの隙間から零れ落ちるように見えるため、ある程度の風雨で侵食されているが芸術品のような暖かさを感じさせていた。
前に、ユキアは母親になぜ女神像が在るのかを聞いたことがある。キイア村は首都から遠く離れ物流の流れも滞っている事がその理由だった。
国の信仰する神は光や四祖(地・水・火・風)などの元素を司る神々の中で、水の慈悲神の降臨の地としてのみキイア村は学者の研究書に記載される程の知名度しかなかった。
なぜ有名でないのか両親に話をせがんでは見たが、なぜか両親は恥ずかしがりながら話を濁してしまうため、詳しい話を聞けないままだった。
しかし、成長した少女は何となく理由に気付ける様になってきていた。お父さんとお母さんとの関係している話になってしまうのではないか……そう気づくようになって、いつかはゆっくり話しを聞いてみたいと思うだけになっていた。
ユキアはそろそろ決められた時間かと思い漂わせていた体を縁へと向ける。
水面から立ち上がった白い肌には玉露がまだ未成長な凹凸の肌をゆっくりと流れ落ち、少しばかりその凹凸の無さ加減に寂しさを感じてしまう。
只、湖で遊んでいた訳ではない。役目である日課である禊ぎ(みそぎ)を終え、これからが本当にやらなくてはならない勤めがあるのだ。
濡れた肢体に直に巫女服として渡されている衣服ローブを着る。
「ひゃあ、冷たいぃ!」
一定の温度でほんのりと暖かい湧水で温められた体には、風で吹きさらされた衣服は肌寒い。それでも、少しだけ頑張りつつ白地のローブに、薄紫のフード付のポンチョを上から羽織り銀色の長い髪はフードの間から前にたらしておく。
そして、素足に紐で結ぶサンダルを履いてから高台へ続く石の階段を登っていった。
「ただいまっー! 今日の護衛はサオ姉ぇで嬉しい。それじゃあ、お祈りしてくるね」
「ええ、ユキア行ってらっしゃい」
湖からの階段を登り終えると、丁度階段の脇にやや170㎝前後のスレンダーな女性が片手に槍を持ちユキアを待っていたように顔を向ける。
「うん、任せて!ふふっ……て言っても村の人は祈り中は立ち入らないからね。出ても迷った野良の小猪ちゃんくらいだし簡単、簡単」
サオと呼んだ女性は、見かけとは裏腹に細腕で軽く槍を持ち上げため息ををつきながら答える。
「ふふ、ほーんと感謝してます。近くにいてくれるだけで、安心して祈れるから。それにさ、サオ姉じゃない他の人の時なんて、ムスッとしててまともに話もしてくれないんだよ?」
「はいはい、誰の事を言ってるのかわかるけどさ。さっさとお勤めに行ってきなよ」
「はぁーい」
そうサオに伝えると、女神像の建つ丘へと続く階段をユキアは上がっていく。サオは今いた中腹に待機し周囲を見回した。
キイア村にとって、この女神像の建つ山の中腹一帯は村では神聖な場所として大事にされている。湧き水を禊の湖と丘を合わせた場所は、村で決められた人達だけが入ることを許された場所だった。
もちろん掃除の人や護衛であるサオ達は別であったが、中腹へ続く階段の入り口までしか普通は村人も入ってこない決まりになっていた。
山の中腹には周囲に遮る柵や囲いも無く山に面しており、時には獣が迷いこむ事がある。そのため巫女の護衛が必要であり、緊急時の護衛者の進入は許可されていた。
「ふう、え?猪?」
ユキアは、ようやく日課のお祈りのため階段を上りきったところで、はじめ遠くから見たときは猪が女神像の手のひらの上で寝ているように見えた。
あらら、罰当たりな猪だなとサオを呼んで追い払ってもらおうと思った時に、それが猪ではなく人間である事に気付いたのだ。
「なんだ、人かぁもう……って人っ!?」
それならばサオを呼ぶまでも無く、近づいて注意しようとすると、ふとおかしなことに気がついた。見かけない服装で上着らしき物は薄い生地で出来ている。
そして鮮やかな上着に一際目立ったのが、男性の顔半分が血に真っ赤に染まっており服らしき部分も赤く背中側まで血液で汚れていたのである。
「えっ?嘘、し、死んで……」
「……ノラノ、ハ?」
「きゃああー!」
ユキアは、もしかしたら死んでいるのではないかと不安に思ってしまい。そして、恐る恐る近づいて確認しようとした時に、急に目を開けた2度の驚きに悲鳴をあげてしまった。
「だ、大丈夫ですか?……どこか怪我しているんですか!?」
しかし、かろうじて話しかけてきたその男性は、朦朧としながらも表情からユキアの言葉が通じてない事に気づいた。
ユキアは頭にかぶったフードを払い、傷の状態をよく見ようと数歩駆け寄っていた。
一番ひどく見えるのは額の傷。血はほとんど固まっている様に見える。そう思いながら、一番出血しているらしき額の傷跡を見るため男性の髪をかきあげた時、わずかに額に触れたと思った瞬間だった。
「クアッ、アァァァア!!」
目の前の男性は急に激痛に叫び、ユキアは恐怖と驚きから頬を引きつらせ思考が停止してしまい一瞬動けなかった。
怪我に触れてしまい痛がらせてしまったと思ったからだ。
そして、激痛のせいか男性が叫んで気を失ってしまう。
「えっ、えええええっ!嘘っ!」
ユキアは止まっていた考えを落ち着かせて状況を確認しようとした。
激痛で意識を失うことは、もしかしたらこの男性に命に関わる事が起きているのかも知れないと思ったからだ。
それをかろうじて思いつけたのも、ユキア自身はまだ未熟だが親から受け継ぎ習った癒しの巫女としての能力と、村唯一のヒーラーである母親と共に村人の病気や怪我に向き合い、多くの怪我人に関わってきた経験から何をしなくてはいけないかを習ってきていたからだった。
『我は癒しに仕える小さき人の子、癒しの眼でこの者を知らん』
両手を男性に掲げ魔法の言葉を唱える。
ユキアの左右の両手から銀色の光が生じ、その光が合わさり輝く銀糸が生み出される。そして、その輝く糸は、曲がり絡み合い円を描いていく。両手から生み出された4本の銀糸は、円の中に複雑に絡み合いながら手の平の前に魔法陣を形成していく。
『ga-e(私は) za-ra(貴方の)zu-us(血を知る)』
銀糸が一筆書きの文字を形づくり、最後には中央の水滴の形で4本が結びつく。
20秒ほどで完成した魔法陣は男性の体の上で光り照らしだす。
よし、上手くできた!とユキアは安堵する。
ユキアが形作った魔法は、対象の全身に生じている事を、術者の直感として認識することのできる魔法である。
次第に、ユキアの思考の中に横たわる男性の頭から足先までの状況がユキアの直感として情報が提示されていく。
「えっ?傷口がない?でもこの顔の血は、どこから?額には痕だけしか無いなんて」
後ろから、慌てて階段を駆け上がってきたサオが息を切らせてユキアに近づく。
「ユ、ユキア!大丈夫? 階段を登って行ったと思ったら悲鳴が聞こえたんだけど!」
「サオ姉! 急いで人を呼んできて! 血を流した怪我人が倒れていて意識がないの!」
「え、ええ!」
サオの返事で駆けていくのを見届けると、ユキアは少し落ち着いて男性の顔と痣を見つめ、そっと見つけた痣に触れる。
『Σ?いや、違う me-(水?)』
気付いた痣は、魔法陣に描かれる『水』を表す文字に似ていた。
「暖かい。これがもしかしたら、そうなの?―痣……シュメリア?」
ユキア自身初めて痣から出血するという現象を目の当たりにしていた。ふと、見上げた目の前にそびえ立つ女神像は物言わないまま微笑んでいるままだった。
ユキアは、なぜか、子供の頃から好きだった、勇者や賢者といったお伽話の絵本の内容が思い浮かぶ。
もしかしてこの男性がそうなのかと、高鳴る好奇心を打ち消す。そんなことあるはずがない、物語はしょせん物語。今はそれどころではないという理性が好奇心を抑え込む。
手のひらが血液で汚れるという不快感はない。しかし、痣からの出血自体はほとんど止まりかかっていたが、ジワリと続いているのを見ているしかなかった。
お伽話が伝える神の痣シュメリア。それは、この世界を見守る神々の恩恵を受けた証と認識されている。今までの歴史の中で幾人とその様に言われてきた人物達は存在し、多くは子供への寝物語や芝居などに形を変えて民衆の中へ伝播浸透していった。
ユキアも小さい頃は、よく父親に枕元で絵本をよく読んでもらっていた。
あるものは英雄となり、また、一国の王となる者、異端とされ悲劇の結果をたどった者、人との関わりを絶ち消息がつかめない野獣の姿をした王子の話をワクワクさせながら、時に怖がりながら聞いたものだ。
そして、その先人達には例外はなく体の一部に痣が有り、あるものは神の声を聞いたと言う者、病気で生死をさまよった後に痣を授かったと言われる者など統一性はなかった。
しかし、神痣を受容し神より授けられた能力には秀でたものが多く、怪力や記憶力の上昇、時には少し先の未来が見通せるというものもあり、その能力ゆえに必然的に物語や歴史の英雄になったと言うのが大半の内容だった。
ユキアがそんな筈は無いと感じた通り、いくつかの話の中でも、現在は神痣を持つものは確認されていないと言われている。公に発表され歴史に名を残している者では、120年前のキイア村を含め統治している[聖アブロニス王国]故王が最後という事になっていた。
でも、世間では他国の秘匿や本人が自覚せず名乗り出ない事によって認識されていない場合もあるのではないかと噂されている。
ユキアも、世間の人達と同じように思っている者の1人だった。神々が神痣を授けなくなった理由は諸説聞くけれど、神々が私達を見捨てたという極論を巫女であるユキアは信じていなかった。
俺が遺跡見学の海外旅行を思いついたのは1ヶ月前だった。
高校を卒業後、ある事情から進学浪人を経験し看護科専攻の大学に通う事になり、つい連日の忙しさに追われ、唯一の楽しみにしていた夏休み休日の旅行の計画を先延ばしにしていた。
楽しみにしていたら、忘れないだろう?と突っ込まれるかもしれないが、毎年、家族で小旅行に行く程度だったため、今回もその程度で済むだろうなと思っていたのだ。
でも、自分にとって今年は違ったのだ。早いのか遅いのか、今年の旅行の計画を母親に聞いた事が事の始まりだった。
「母さん、今年の夏休みって何処か行くの?旅行」
「あぁ。たっくんごめんなさいね、今年って地震とか異常気象でどこも不安じゃない?お父さんと今年は旅行はやめといて近くで買い物でもしましょうかって話してたのよ。まあ、良いんじゃない?タカもそろそろ彼女でも作って、親の旅行に付き合う事無いのよ?」
「へ?それ本気?」
「マジマジ」
一瞬考えたのは、夏休み間中、部屋の中で寝て過ごすだけの姿だった。
母親が言う理由が本当かどうかは分からないが、このままだと何もない(・・)事は確かだった。
一緒に看護を学んでいる数少ない男友達なら――。
駄目だ!あいつら、誘ってもそもそも買い物にさえ行かない。
「え?俺達、相沢ん家で徹夜2日耐久麻雀大会だけど?何、隆って麻雀できんの?」
「い、いや、やめとく……」
賭け事の匂いとせっかく貯めた小遣いが無くなっていく悲惨な結果しか予想できない誘いを断り、大勢の看護師の卵である女子達の旅行計画に男子一人だけ無理に参加できるはずもなかった。
間近に迫った日々の中、実家の居間の机の前で、長期休暇にどこに行くかに悩んでいる所に、ふと偶然に、新聞の間に挟みこまれた旅行会社のツアーのチラシを見つけた事から今いる遺跡を候補に選んだのだ。
「南米のパワースポット巡りねぇ。あいつだったら喜びそうだな……」
今は居ない妹の姿を思い浮かべ、きっと喜ぶだろうなと思う。
母さんに言われたように、休日に一緒に居る彼女は居ないのかって?友人たちから何度と言われた余計な質問だ。居たら旅行計画なんてワクワク過ぎて、忘れて親に言われるまで先延ばしする事なんて無かっただろう。
「母さん、今度の休み旅行に行こうかと思うんだけど?海外ってやっぱ危ない?」
「そうねー、パスポート切れそうだもんね。好きなところに行けばいいじゃない?それとも、私とお父さんをどこかに連れて行ってくれるの?欧州も久しぶり行ってないわねぇ」
「聞いただけだって、それに俺、二人連れて行くお金なんて無いよ。海外とかバイトする子供にねだるなよ……」
「そう?バイト代貯まってるんでしょ?まあ、最近は私もお父さんも忙しいししょうがないわね。そのかわりお土産よろしくね。お菓子はいらないわ、やっぱりお酒よねぇ」
そして、期限切れスレスレのパスポートを引っ張り出し、飛行機のチケット予約や旅行会社へ電話したりとトントン拍子にその日がやって来た。
親には、急遽決める事になった旅行に気軽に送り出され、割り当てられたツアーの自由な時間にどこに行きたい等と案を練る時間も無いまま、集合場所から空港に向かった後は、無難に海外ツアー団体に参加することなったのだ。
「皆、楽しそうだな」
他のツアー客は何かしらのグループで参加がほとんどの中、飛行場で乗り込みの案内を待っていると、あれ、視界がぼやけて目から水が……。周囲の殆どが友人や家族連れの団体ツアーの中で一人寂しく感じてしまう。そう言えば、一人で遠くに行く旅行は今回が初めてだったな。
「おいおい、リフレッシュに行くんだろ。落ち込んでどうする俺」
そんな気持ちを見える真新しい異文化の景色で紛らわせながら、今は一人でツアー客にまぎれ丸1日以上飛行機に乗り継ぎながら、地球の反対側へ来ていたのだ。
「うっ!」
動こうとして背中に激痛が走る。気を失っていたことに気付く。どの位気を失っていたのか。
床で寝ていたような体の痛みがあり、徐々にハッキリと意識が覚醒していく。微かに目を開けると、視点はまだぼやけているが青空が見えた。
「……ここ、は?」
タカは自分のおかれた状況や場所がどうなっているのかもすぐに思い出せなかった。
背中には硬い石の感触、首だけが後ろへのけ反りどこかに寝かされていたのだろうか。首を持ち上げようとしたが、動かそうとする体の覚醒はまだ追いつかず手足と頭が重く感じられた。
『キャー!!!』
甲高い叫び声が聞こえる。聞こえた方に何とか重い首をひねると、銀色の髪が見える白地のローブを着た15歳くらいの少女がすぐ近くで覗き込むようにしていた。
その少女は、両手を胸の前で組みその指は微かに震えていた。
『シチニ、マラナコナ?チミチカチコク?』
はあっ?
言葉だろうと思う音は耳に聞こえているが、何かを聞いて質問しているのだろうが、言葉の雰囲気から尋ねられている事しかわからなかった。旅行先の現地の言葉だろうか、それならさすがにわかりそうもない。
「なん、て、言って、る?」
脱力したままの体から、何とか言葉を搾り出す。
すると、言葉が伝わっていないことに気がついた様子で、頭にかかるローブを払い顔を見せる。そこには銀髪の少女の困惑した表情があった。
その少女が不意に近づき、髪をかきあげ左の額に触れる。俺は、急に触れた額にビリっとした灼熱を感じ、それは全身に激痛が走り我慢できず声が漏れる。
「クアァァァア!!」
少女はビクッと手を引いて固まってしまう。
脱力感から十分に体は動かすことができないまま、しかし、額の激痛と灼熱感は収まらず声だけで痛みを逃がすしかなかった。思わず強く閉じた瞼の裏には、脳内を掻きまわされるような、灼熱感とともに数々の記号らしい光が瞬き思考の奥へと流れていくが、まったくその記号の意味はわからなかった。
『大丈コナ、ですノチ?どこノチ、ノイキチしているですか?』
額の灼熱感は徐々に強くなる一方の中で、タカは少女の言葉だけが聞こえていたが、いよいよ限界を超えて思考まで染め抜く記号の輝きに再び意識を失ったのだった。
「ぅ、ふぁぁ……はあぁぁぁ」
再び目覚めた時には、あくびを漏らしながらのろのろと背筋を伸ばし起きる。こんなに寝たのも久しぶりな気分で目覚めはすっきりしたものだった。ついつい熟睡感から気の抜けたあくびまで出たくらいだ。
あくびをした姿勢のまま涙目の視界には、再びびっくりした表情の銀髪の少女が、椅子に座って俺を見つめているのに気付いた。
「へっ?」
「あっ?……あ、あのー大丈夫ですか?」
少女と目が合ったとたん、互いに固まってしまった。
少女もまさか起きるとは思ってなかったのか、顔が真顔で頬が一部引きつっている。
しかし、その様なおびえる表情でも年頃の可愛いさを隠せていない整った顔立ちだった。
俺にとっては「誰?」と思う表情の半面、思考の中では緊急事態の警報が鳴っていた「目覚めると隣にはかわいい美少女が居たんだが……」と某掲示板に書き込みたくなる状況だ。しかも、銀髪の!
「あ、はい。大丈夫、だと思うけど?」
俺は、無難な選択肢Aの回答を選んだ。
「えっ?言葉、わかるんですか?」
「ええ、わかりますが?日本語上手ですね?」
「へ?えぇ、ありがとうございます?ニホンゴ?」
何気ない挨拶をかわす俺達二人は互いに困惑の表情だった。
外見からするに、恐らく、少女は言葉が通じている当たり前な事に違和感を感じ、俺は外国人が流暢に日本語を話し、勉強頑張ったんだろうなぁーと思った事だった。
「んー何はともあれ、大丈夫そうで良かったです。気分は悪くないですか?」
互いに何かが違う違和感を感じながらも、少女は深く考え無かった様だ。
俺はキョロキョロと部屋の中を見回す。
「ああ、全然問題ないですよ」
「喉が渇いてませんか?水をもってきますね」
「そう言えば少し渇いてるかな。どうもありがとうございます」
初めの驚きから調子を取り戻した様子で、水を汲んできますと言い少女は退室していった。一人部屋に残されたタカは再び周囲を見渡しながら、なぜここに居るんだろうかと寝かされる事になった理由を考え思い出そうとする。
「確か、旅行で遺跡の見学中に怪我をして……ここは病院?それにしては木造って民家か?どっかの家に運ばれた?まあ、それもしょうがないよなぁ」
自分が遺跡の旅行ツアーに参加し、鳥に襲われたことまでは思い出す事ができた。確か額に怪我をして血が出てから意識を失ったのだろう。貧血を起こし意識を失うほど出血したんだろうか。それに、気がつくと空の見える所に寝ていた様な事をぼんやりとだけ思い出すことができる。
今は、この民家のような?部屋のベッドに寝かされているので、どこか遺跡の近くにあったどこかの家に運ばれたのかもしれないなと思う。
頭の傷はどうなったのかと触れようとすると、ゴワっとした弾力の布が巻いてあった包帯の代わりみたいなものかと、ひとまず意識もはっきりとして大丈夫そうで安心をすることにした。
トントン
少女が出て行って、しばらくしてノックと共に少女と数人の男女が部屋に入ってきた。
一人は水差しを持った先ほどの銀髪の少女、20歳台後半ほどの肩までに切りそろえた銀髪の細い女性、20歳程のスポーツ選手のような日焼けした茶髪の女性、50歳台の男性とそれに付き添う30歳台の男性の合計5人だ。
「具合はどうですか?話ができると娘から聞いたので、大事はないと思いますが」
「ええ、ありがとうございます。助けていただいたのですよね?体調は変わりないみたいです」
「それはよかった」
何でこんなに流暢に言葉が通じるんだろうと不思議に感じる。少女とは驚きが優先して、今更ながらに明らかに欧米人らしい女性から聞かれる日本語が上手過ぎる事の違和感を感じた。
確かに、よく寝ていてので起きてから頭がボーっとするが、その違和感は明確に気付くことができた。笑顔で差し出される少女から木製の水差しを受け取り、すこし口に含んだ後、その様子を見て安心したのか少女のお姉さんのような女性は少女と共に横の椅子に腰掛けた。
「私はユリアと言います。この子、娘ユキアの母親です」
なんと、少女のお姉さんかなと思っていたら、お母さんだったと表情で驚く。
「村で治療師をしています。まずは安心してください。そして後ろにいるのが、村長さんのギタニーさんと自警団長のオニボさんです。そうそう、そこの女の子はサオさん、あなたを娘と一緒に介抱してくれた自警団員の人です」
「えーと隆田元と言います。旅行中だったんですが、鳥に襲われた所までは覚えているんですがその後に意識を失ってしまったみたいです。どうも、ありがとうございました」
「鳥ですかなるほど。あなた様は旅行者でしたか?なるほど、それは災難でしたね。お一人での旅行とはかなり危ぶないのでは?お連れの人はいないのですか?」
後ろに控えていた村長というギタニーと言う男性が質問を続けた。
「いえ、他の人も居たはず、自分一人ってどういうことです?」
返答をしながら質問内容に困惑し、言葉に詰まる。
観光地の旅行が危険ってどういう意味なのか?自分は旅行ツアーに参加していたから、危険なんてまったく感じなかったが。確かに鳥に襲われるなんてそうそう起きないだろうし。ユミさんか誰かが通報して運んでくれたんじゃなかったんだろうか?
それに女子大生ユミ達3人組は、どこかで待ってくれてるんだろうか。
「えーと、旅行は団体で来てたんですが、他の人はいませんでした?」
「倒れていたのはお兄さん一人だけでしたよ?」
ユキアと紹介された少女が不思議そうに教えてくれる。
「それに今日は、団体で旅行に入村した人はいなかったはずだが?」
「そうなんですか……」
ユキアと自警団長オニボという人からの返答に困惑してしまう。もしや、添乗員だけを俺の怪我対応に残して、他の旅行客はスケジュール通りの観光コースに戻されたというのが真実かもしれないが、そうだとしたら連絡先とか添乗員はどこに居るんだろう。
「まあまあ、意識を失っていた後ですし、まだ少し混乱しているんでしょう。ユキア、こちらに運んで一度は認知確認は行ったのでしょう?」
「うん、言われた通りやっておいたけど。お母さん外傷はなかったよ、私がわかる範囲は貧血くらいしかなかったけど」
「じゃあ私も念のため確認しておくわね。そのまま楽にしててね?タモトさん」
「ええ」
ユリアという女性に声をかけられると、体にかざすように両手を前に向けられる。
『我は癒しに仕える守りの人の子、癒しの眼でこの者の病を知らん』
聞きなれない言葉を聴いたとたん、俺は驚きにユリアの手のひらを見つめる。
両手から銀色に輝く光が集まりの銀色の糸が4本、それぞれが動き宙空に文字や図形を描いていく。時には曲がり、互いに絡んでは離れていく。複雑に蔦が伸びる様に模様を作っては10秒ほどで直径30㎝程の魔方陣が形作られ、それに見とれていると次第に体がジワリと温かくなるのを感じた。
「な!そんな……ウソだろ?」
「しー、静かに」
やんわりと俺の驚きをユリアに遮られ、俺はその光景を見つめるしかなかった。
驚愕だった。両手から輝く光の糸がでるとか。意思を持ったように文字や図形になるなんて理解の範囲を飛びぬけて超えていた。俺は驚きで何も言えずに輝く魔方陣を凝視する。そんな魔方陣を見つめる中、作られていく図形や文字らしいうねりを見ていくうちに俺の頭の中に直感として言葉が浮かびあがってくる。
【ga-e(私は)、me-zn(水で)、za-ra(貴方の)、zu-us(血を知る)】
今までの常識では理解できない魔法陣を形成される過程を見つめながら、外縁の水滴に似た形が水の事を指し、その下に癒しと認識の文字のような題名(魔法名)をしめし、それを作り出したユリアが俺の体を調べようとしている事が、理解できてしまう事に困惑してしまう。
「楽にしててね。もうすぐ終わるわ」
「え……はい」
手をかざすユリアは当然のように、少しうなずきながら手を下げると同時に、輝いていた魔方陣も細かい輝きの粉となって消えた。
「いやはや、ユリアさんのお手並みはいつも見事ですな」
「お母さんのは、いつ見ても魔法の織りと形が綺麗」
「ふふふ、ありがと」
村長さんは賞賛し、娘ユキアは魔方陣をうらやましそうに見つめていた。当のユリアはそれに対して軽く微笑むだけだ。
「そううね、確かに貧血だけみたい。大切なのは食事だと思うから今日は一日用心して夕食まで休んでくださいね」
「え、ええ。わかりました」
驚きから俺はまだ立ち直れずユリアに、ハイと返事をかろうじてしながら聞いてみる。
「あのー今のは、何が起きたんですか?手から銀色の輝きと糸が?」
「えっ?認知の魔陣ですよ、外傷は体を見ればわかりますけど、内側のことは直接は見れないので、魔陣を使って認識するんです」
「魔陣?ってそんな……」
実際に目の当たりにしなければ、ああ、海外の一部地方の祈祷ですかと納得できたはずだ。しかし、いくら気絶していた後とは言ってもあの不思議な光景は印象に残りすぎていた。
「おや、魔陣を見るのは初めてでしたか、旅行者というので色々見聞が深いと思っていましたが。ここキイア村では使えるものは少ないですが、王都キアーデなどでは珍しくもないでしょうに」
「はぁ?きあーで?」
「いやいや、申し訳ないお疲れのところ困惑させてしまいましたな。また詳しい話は落ち着かれてからにしましょう」
村長の相槌でさらに驚きを増す。この人の言っている村の名前や街の名前は聞いたことがなかった。
「俺は今どこにいるんだ?」
そんな呟きを、横の椅子に腰掛けていたユキアはジッと見つめて聞いていた。
詳しい話は夕食後に話しましょうと伝えられ、訪室者達は病室を退室していった。その中には、身体に大事の無い事が確認できた事で安心した表情の村長の姿があった。
村を代表する者として旅人であれ村で亡くなられた場合の面倒事や考える事がが色々あるのだろう。
むしろ、俺の事情を聞きながら警戒を続けていたのは自警団と紹介された面々だった。自警団長というオニボは、午前中と変わりなくサオに診療所に待機しそばに付いているようにと指示を出したらしい。そして事情が詳しくわかったら報告して欲しい伝えながら、自警団長と村長の二人は帰宅していった。
「ねえ、タモトさんでしたっけ?あっ、タモト様はどこから来たんですか?」
ユキアは、母親に夕食後にと言われた事情の話を、好奇心に輝いた目で尋ねてきた。
自警団員のサオと言う女性も興味があるのだろう、俺が何と返事をするだろうと扉から退室しようとしていた歩みを止めて俺の方へ向き直る。室内に残ったのは俺とユキアとサオの3人だった。
「ユキアさんだっけ?俺のことはタカで良いよ。出身は日本って所だけど今はペルーを旅行中だったんだけどね。他の人たちはどうなったか知ってる?」
「あ、私のこともユキアでお願いします。ニホン?ペルー?ですか?聞いた事ないです場所ですね。別の大陸の国なのですか?サオ姉は知ってる?」
ユキアの質問にサオは首を振って返答した。
「え?でも言葉は日本語だよね。ペルーはここの国の名前でしょ?」
家電製品や車の方が有名なのかな。てっきり、理解されると思ったことが、理解されなかった事で説明をためらってしまう。
「いいえ、ここは 聖アブロニス王国の西の山間にあるキイア村ですよ?」
「聖アブロ……ニス?」
ユキアは、ふるふる首を振り否定する。同じくサオへ視線を移すとユキアの言っている事に同意のようにうなずいて返答していた。
「タモトさんは、何か身分を証明するものは持っていないのですか?」
無言でユキアとのやり取りを聞いていたサオは少し困ったような疑うような視線で俺に問いかけてくる。
ああ、そうそれ。それが一番分かりやすいだろうと納得する。
「えーと、運転免許証は財布の中でバックに入れたままだったし、携帯電話は外国では圏外で同じくバックの中に……。あっそうそう、パスポートは肌身離さずって言われてたから、確か、ズボンの後ろポケットに……これこれ、あった」
周囲を見ても俺のバックが無い事に気付き、サオという女性に聞かれたとおり、俺はNIPPONと表面に書かれたパスポートをズボンのポケットから出しサオへ手渡す。
サオは外見を一瞥した後、ページをめくっていく。その表情は怪訝さから次第に目を見開き驚きの表情へと変わっていく。
「な、なに!この本?タモトさんの顔が載っているけど、これは絵?他国の冒険者カードってこんななのっ?」
「サオ姉、私にも見せて?」
え?冒険者?カード?何を言っているのか俺にも訳がわからない。あ、カードってやっぱ免許証の方が良かったのかな?でも、手元にない物は見せようがない。
ユキアはサオから、何かに勘違いされているパスポートを受け取り、同じくページを1枚1枚めくりながら、ユキアは口をポカーンと開けて驚いていた。
最後まで見終わると、再びパスポートの表紙と背表紙を眺めていた。
「……タモトさん、ありがとうございます」
微妙な沈黙の後パスポートを返してくれた。二人の先ほどまでの驚きは少しは落ち着いている様に見えるが困惑した表情はそのままだった。
「それは、いえ、タモトさんの国で使われている文字やその本は、私たちの国や大陸では使わない文字とすごく緻密な製本技術みたいです」
3人の沈黙を破ったのはサオさんだった。そう言いながらもサオの表情は困惑したままであり、ユキアはなぜか不思議な表情から一変して目が輝いているようにも見える。
「ほらサオ姉、やっぱり!タカさんは、神の導きを受けたかもって言ったじゃない。額の痣が気になってたけど、もしかしたら神痣じゃないのかなって思ってたの」
「そんな!ユキアちゃん!神痣という話は突拍子過ぎているんじゃ?」
サオはユキアの言った事がそれほど驚く事だったのだろうか?
先ほどまで落ち着いていた話し方のサオは、ユキアの言葉に慌てた様に会話を止めた。たぶん、「ユキアちゃん」と普段は言っているんだろう。
「そうかなあ。でも、知らないうちにこの村に来ているなんて普通じゃないもの。傷のショックで忘れてるだけかもしれないけれど。自分で他の国から遠い距離を転移する魔法なんて人の魔力では使えないっていうし。サオ姉は見てなかったかも知れないけれど、女神様の像の所ではじめて会った時は言葉が通じないと思っていたのに、さっきは話ができてたり訳がわからないことが多すぎるもの」
「わからないことばかりだわ」
俺は二人のやりとりを聞いて何も言うことができず。二人はとにかく今はやはり不思議な事ばかりで解決しないという事で、質問をやめた様子だった。
ユキアは、何かあったら呼んでくださいと言い残し病室には俺ひとり残される。
去り際の2人にゆっくり休めと言われたが、俺はさっきの二人のやり取りが気になって初めは眠るどころでは無かった。
ふらふらとした足取りでは、出歩く程の気力もまだなかった。
俺はただ、ベッドに横になり天井を見つめながら日本へ帰れるのだろうかと不安が段々と沸いていくだけだった。
いつの間にか知らないうちに寝ていたみたいだ。
「ああ、時計外してたんだっけ」
今何時くらいか知ろうとして、無意識に左手に付けていた時計を見る動作をして気付く。確か時計も遺跡観光で時間を確認した後はリュックへ入れていたんだった。
時計を外していたのは、時計を付けていると日常に縛られている気がしたからだ。
俺は、木窓から差し込む夕焼けの橙色に時間の頃合を予測する。
「夕方くらいか?」
コンコン
ノックの後にドアを開けて「夕食ができましたのでどうぞ」とユキアが顔を覗かせる。ベッドが2つ並んだこの部屋で食べるのかと不思議に思ったが、それに気付いてなのか、母屋に付いてくるようにユキアが促した。
立ち上がる時に、半日近くベッドに休んでいた為か、立ち眩みを起こしてしまう。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。なんとか」
「もう、気楽に休んでいいですからね?」
「え、ええ」
膝をつくほどではなく、視界がぼやける程の低血圧によるものだろうと思う。大丈夫だとは返事をしたが、頭がボーっとする状態でユキアの後についていった。
案内されたのは母屋の食卓だった。4人がけのテーブルが置いてある程度の広さしかない。もうすでにユキアの母ユリアとサオは席について待っていたようだ。ユキアもユリアの向かい側の自分の席に座り、残り一つ空いているユキアの隣の席にどうぞと促した。
「タカさん体調は良いかしら?気分が悪ければ無理せず食べなくても良いですよ?」
「ええ、体調は何とか。かえって何も食べてなくておなかがすいてるみたいです」
「そう、遠慮せず食べてね。サオさんも今日は泊まるのでしょう?」
サオは「お世話になります。」と感謝を言っているのを聞きながら、俺は食卓にならぶ料理がすごく美味しそうで驚いた。
そんな様子を隣の席からユキアはニコニコと笑顔で見つめている。
夕食は、塩味の薄い牛乳の入っているような野菜スープとジャガイモの味がする穀物の蒸し物。後は俺にだけ特別に貧血をよくする飲み物だと何か植物のジュース。
すり潰して飲みやすくしてあるのだろうが、聞いてみるとほうれん草とりんごのような甘みがある果物を混ぜた物らしい。
「そのジュース、私が作ったんです」
「そ、そうなんだ」
感想は……頑張って飲んだと言っておこう。きっと体に良いんだろうな。
「少しはユキアから聞きました。ゆっくり夕食後に話でもと思っていたんですが……まぁ、ユキア?病人の事情は本来個人の秘密を教えてもらうのだから、疲れている時に好奇心で聞くものではありませんよ?」
「ごめんなさーぃ」
「すみません」
ユリアの忠告を、サオもユキアも神妙な表情で聞いている。
ユキアは、自分の膝を眺めシュンと落ち込み、サオも同罪と自覚しているのか頭を下げて反省していた。
俺自身も、個人の事情を聞くのは互いに落ち着いてからのほうが良いと言うユリアの意見には賛成だった。さすがにさっきは、自分も少し戸惑っていたからだ。
「私にも身分証を見せてもらえませんか?」
「ええ、どうぞ」
おそらく、求められる事になるだろうと思っていた、ポケットに入れたままにしていたパスポートをユリアに手渡す。
「聞いていましたが、この小さい本はすごい技術で作られたとしか思えませんね。中にあるタカさんの絵もそうですが、文字の統一性と紙を直線にそろえて切る事や、製本には詳しくないですがこんな本は見たこともありません」
「凄い技術なんですかね?結構一般的な物だと思いますけど」
いくら山奥だといっても普通に本は見たことが無いのだろうかと思ってしまう。
すると、ユキアは立ち上がり食卓の横にある本棚から一冊取り出して俺へ手渡してくる。
「私達の本だと、こういう本が、この国では一般的な本なんだよ」
「詳しくは無いですが、インクを原版につけて刷るのだと聞いています」
ユキアから手渡された本は、分厚く表紙から背表紙までの厚さに3㎝はある。表紙をめくってみると、アルファベットのような文字で文章が書いてあるが、一文字一文字の意味はわからなかった。
しかし、文法があるのは予想がつき、一通り文章を目で追ってみる。
【sag-ra (頭の)ta-gunu (病を持つ人) zu-gar(知る手段)、ⅰ zi-suu(手で見る)】
【頭部症状患者への診断方法、①触診】
え?急に頭の中に言葉のイメージが浮かんでくる。
「何だ?」
「どうかしたんですか?」
1文字を見ても意味がわからないのに、文章を見たら意味が伝わってくる。その不思議な感覚に驚いてしまった。
「これは医学書ですか?それぞれ病気への対処法が書いてあるみたいですが?」
「医学?と言う言葉はわかりませんが、治療師の見習い書です。本自体の違いをユキアも見せたかったんでしょうし、文字が違うので読めないかもと思ったのですが?」
「読めたというか、文字はわからないんですが、目で追うと意味のイメージが頭の中に浮かんできてわかった?と言うか」
自分でも言っている意味がいまいち納得できず、素直に伝える。
「読めないのに理解できたんですか?」
正確には、初めて見て読む文字を理解できたのだけれども。
「タカさんは、私たちの国の言葉は読み書きできないのですか?」
「ええ、まったくわかりません。それに今この本で文字を見て、初めて見る文字で驚いています。あ、さっき昼間に魔法を見たときも、同じ用に光る図形が水とか対象とか、すぐ消えちゃったので覚えてないですけど、あの時もイメージがの意味が直接思い浮かんだんです」
「ねえお母さん。タカさんはやっぱり女神様に祝福を受けたんじゃないかな?はじめ女神像のところであったときは話す言葉もわからないみたいで通じなかったんだもん。でも、それから苦しがって意識を無くしちゃって……でも、なぜか昼に会って話したら話せてたんだけど。他の国の人が文字や魔陣の文字が自然にわかるって普通じゃありえないよ」
「うーん、会話はもしかしたらとっさに他の国の人で困惑したからかもと思ったけど。魔陣自体はそれぞれの国で特徴のある文と模様で織り作られるから、初めて見る他の国の人が意味を理解するのは不可能でしょうね。でもタカさんが、魔法を初めて見たというのが嘘じゃなければね」
ユリアの言う、魔法という話に半信半疑のまま興味本位に聞いてみると、各国で文字の配置や図形が微妙に異なるらしい。地域性?かよくわからないが、地域ごとに独特の発展をしてきた様なものだろうか。俺の眉間に皺を寄せた表情に、ユリアは絵柄の違うような感じですよと笑って説明された。
聞いている内容が魔法の事でなければ、地域独特の絨毯の模様みたいなものだろうと、納得することができた。それに、説明をして俺を見つめる人達のユキアとサオ、ユリアの表情は決して手品などで嘘を言っている様には見えなかった。
俺の横にいて黙って聞いているユキアでさえ、母親の説明に疑いのない表情で当たり前の内容のように話を聞いていたからだった。
「そう、ですか……」
自分に説明される内容が、聞こえてはいてもことごとく知っていた常識とはかけ離れた結論へとだどりつく。魔法?いや魔陣だったか。
話だけ聞いたのならば、信じることは出来なかっただろう。手から魔力と言うのが出るのを間近で見てしまったのだから。それこそ、「手品でした」「混乱しているんですね?」と種明かしや正気を確認された方が納得できる。
「ふぅ、ちょっと驚く事ばかりで。もう一度確認したいんですが、他に誰も居なかったんですよね?」
「そうです」
黙って話を聞いていた自警団員のサオと言う女性が答える。それに対して、ユキアも同意の頷きで返してくれる。
「電話は、無い……ですよね?」
食卓の周囲を見回してもそれらしい物は見当たらず。ユキアの家には無いのかもしれないが一応聞いてみる。
「デ、ンワですか?」
ユリアも怪訝そうな表情で聞き返してくる。あぁ、それでようやく違和感の原因に気付く事が出来た。この部屋の照明も廊下にさえも電灯や電気のコードが全く見られなかった事に気付く。
「あぁ、すみません。まだ混乱しているみたいで。ゆっくり外を眺めたいんですが、夕食後に、少し外に出ても良いですか?」
「本当に大丈夫ですか?具合が悪ければ、それほど無理はされなくても。明日にしてみては?」
「それほど遠くまで行きませんし、何か見知ったものがあるかもしれないですから」
「完全に日が落ちちゃうと真っ暗だから。じゃあ、私が村を案内してあげるね」
「私も付き添っても良いでしょうか?」
ユキアとサオが同伴する事を伝えてくる。
話もひと段落して、しばらく夕食後を過ごした後、完全に外が暗くなる前にとユキアに促され玄関より外へ出る。
「あっ、タモトさん!明かりを持たないとすぐ暗くなちゃいます!」
俺は薄々と覚悟はしていた。玄関を出た後に見える風景、周囲を見渡しても街灯やアスファルトなど無い剥き出しの凹凸な地面。遠くに見える村の周りは山に囲まれているようだ。まだ完全に暗くなっていない山肌を染めている夕焼けの森林を眺める。
すると、俺の視線はある一点で止まってしまった。
「ハァ、まじか……」
茜色に雲を染める日が落ちる中、青が残る空の中に白く輝く大小の月が2つ。それに、その大きさは、俺の見知った月の大きさよりもふた周り程も大きかった。
俺はここが地球とは別のどこかであると、理解を突き付けられる現実に、双月を見つめながら立ち尽くすしかなかった。