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リークは、手のひらをこぼれる湯を見つめながら、流れ落ちる湯とともに体の中の酒成分も抜けていくような、ほどよい脱力感を感じていた。
「ふぅ……、もう、このまま浸かってでいたい……でも、お姉さま方が迎えに来るし」
ササラに憑いたリークは、湯のたまった木のくぼんた洞(湯舟)に浸かりながら、風呂を堪能していた。
木の壁から流れる水は、繊維束の師管から取り込んだ水分と養分を含み、透明ながらもやや粘度が高く、巨木の葉で暖められた師管を流れる水分は適度に温かい。逆に洞の内番奥に栓のある導管からの調整のための水分は、師管に比べ冷たいため、それを調整して適温にしていた。
「あー?飛竜かしら?」
洞(浴槽)の肩幅ほどの天窓という吹きさらしに見える空に、一匹飛び去って行く姿が見えた。
よく見つけたかと言われれば、湯につかっていると自然に外の景色しか見えないのである。
体は適度に清潔にして、木々の薬効の意味合いが強いササラ達の生活にとっては、湯につかる行為は、木々を傷つけてまで浴槽を広げる必要もなく、最小限に利用するだけの目的が強かった。
小柄なササラの体がようやくすっぽりと入り込むくらいの深さしかない洞(湯舟)の大きさである。湯水として使ってはいても、仮にも木々の養分や水分を過剰に消費するわけにもいかない。
「ササラさん?起きまして?」
『……んぁ?……』
「駄目ですわね……用意するにも、急に出発しても良いのでしょうか」
声だけで、頬を涎が伝ってそうなササラの返答に、リークはそれ以上聞くのを止めた。
飲酒後の風呂という、一見危険な行為ではあったが、湯につかる当人のササラにとっては魔の睡眠への誘惑には勝てなかった様だ。
その危険な状況に陥っていないのは、単にリークが正常な意識を保ちササラの代わりに体を動かしている他ならない。
「ふぅ……、本当、この湯は最高です……残念なのは、お姉さま達と入る広さが無い事ですわね」
再び、リークは片方の手で腕に湯を馴染ませながら、これからの準備について考えるのだった。
湯舟よりあがったリークは、吸水性のある苔で作られたスポンジ状のタオルで水分を拭き取ると、そのまま天窓にある他のタオルとともに干しておくように掛けた。
湯水は入浴中に見つけた排水溝の栓を抜くだけで、簡単に下の師管へ流れていく様になっていた。どの程度、家を空けるか期間が分からないため、そのままにしておくと苔や虫などで悲惨な事になっていることが想像できた。
「さてと、綺麗になったわ」
『……あぁ……、私とうとう死んじゃったんですね……女神様、どうぞ私をお導き下さい』
「ササラ、起きたのね」
『あぁ!女神さまの声が!こんなにはっきりと!そうですか……、私、お風呂で死んじゃったんですね』
「確かに、お風呂場だけど、死んではいないわよ」
『良かった、最後は綺麗な姿で行けるんだ……』
「なにもうやり残したことは無いみたいな感じで言ってるの?まだ15歳でしょうに」
『そう、やり残した事と言えば、まだ早いと言われても彼氏の一人でも作って、お姫様だっこで今日は眠かせ「いいから!聞きなさい!!」……』
リークはお酒からではない頭が痛い様に額を抑え、このままでは永遠と話が続かないと思いササラの会話を遮る。
『……』
「いい!?はいかいいえ。分かったか、分からないで返事なさい!」
『……はい』
リークは言葉の勢い通り、腕を組みながら仁王立ちで有無を言わせず話を続ける。
「まずは、ササラ。私はリークよ」
『やっぱり!リーク様!』
「返事っ!」
リークは返事とともに素足で床の木板をドンっと鳴らした。
『……はい、……分かりました』
「今、私は貴方の体を借りているの、死んではいないわ」
『……分かりません、……でも……はぃ』
「少し用事が出来たから、巫女である貴方の体を借りることにしたの。急に申し訳ないとは思うけれど、タイミングが悪かったかしら?」
『いいえ。特に……大丈夫です』
リークは、金属を磨いて作られた鏡を見ながら話し、徐々にササラも自分が亡くなったのではないことを理解できてきた様子だった。
「うん、分かってくれてなによりだわ。申し訳ないけれど、少しの間私に体をゆだねて頂戴。してほしい事や何かあれば言ってくれると助かるわ」
『はい、分かりました』
「もう、良いわよ。普通に話しましょ。後で準備したい荷物について聞きたいわ」
『はい……』
ようやく落ち着いてホッとした微笑を浮かべると、鏡から視線をそらした。
「ん……くっしゅん!」
『……大丈夫ですか?』
「体が冷えちゃったかしら……もう一度お風呂に入ろうかしら」
せっかく綺麗にした浴槽だが、やや冷え始めた身体は、先ほどの温もりをまた欲していた。
『女神様?温まるのにいい方法が……』
「ん?どんな?ササラ」
『お酒です!』
「駄目!」
『湯で温まりながら、チョビッと……』
「絶対にダメ!今後、お酒は禁止!断酒!!」
『……』
その後、ユルキイアとフレイラが迎えに来るまで、ササラの返事が再びはいかいいえしかしなくなったのは、言うまでもなかった。