17
リャナンに憑いたフレイラは、急に居なくなれば心配されるだろうとホーンに諭され、いったん準備や旅に出ることを家族に伝える時間が必要だろうと話し合い、ホーンと別れ竜人の町へ戻ってきていた。
町と言っても、整然と建物が並んでいる訳ではなく。山の岩場の段差や傾斜に沿って岩や石で組まれた住居や店舗がならぶ通りになっている。
傾斜のある道幅は馬車など通れる訳もなく、背に荷を積んだ蜥蜴で荷を運ぶ商人が2・3組見える程だった。いつも通りの賑わいだ。
「リャナン、今日のお務めは……終わった……のね」
「え?あ、どうもーおわりましたー」
『ああっ!おば様!』
「そ、そう……なの、お疲れさま……」
子供の手を引く隣近所の女性に声をかけられたり――。
「リャナン、もうそろそろ湖も冷たくなる。一度景色を見に行かないか?それに氷
山女魚がおいしいくなる季節と思うんだが……、まあ、なんだ……まだそれ程は無いにしても、リャナンそんな恰好で寒くないのか?」
「あっ、平気平気。ごめん。しばらく出かけるから。無理よ」
『えっ?ギール君?』
「お、おぉ。出かける?のか。そう……そうか。まあ、なんだ……風邪をひかない様にな」
妙にチラチラと視線を逸らされる、野鳥の狩りを終え背に担いだ男性竜人に声かけられもした――――。
「――ねえ、お母さん……巫女のおねぇちゃん、どうしたの?病気?」
「――、シーッ。そ、そうかも知れないわね。具合が悪いのかも知れないから……そっとしておきましょう」
すれ違った、手を引かれた女の子がしきりに振り返りながら、母親の袖を引っ張って尋ねる声が聞こえてくる。
『……っ、あの!フレイラ様……もうそろそろ寒くなる季節ですので……、せめて何か羽織って頂いても、良い様な気がしま……す』
「そう?私にはほどよく涼しくて気持ち良くて丁度良いんだけど?」
『そ、そうですか……』
「大丈夫よ。これから行くところはもう少し南の方で、ここよりも暖かいはずだわ」
フレイラは、妙に覇気のないリャナンの口数の少ない言葉の案内でようやくリャナンの実家につくと、樫の重そうな木製の扉を開けて中にはいる。
「リャナンか、お帰り。どうしたんだ?上着を脱いで」
「お父さん?」
『ハイ』
「どうした?怪我でもしたのか?」
そういう父親は、素肌をさらすリャナンの四肢や背中と確認するように視線を向けた。
リャナンより背が高く、竜人の男性と見ては、先ほど道ですれ違ったギールの筋肉質に比べ、壮年期を迎えた父親は引き締まってはいるものの、やや中肉中背の体格をしている。
肘や甲を覆う所々に灰色に固定化した鱗が最近目立ってきた様子だった。
訝しげに視線をリャナンに向ける父ヤガンは、リャナンの肩に掛けた上着以外にはおかしいところや心配した四肢に傷跡らしいものも見られず。父親の眉が怪訝に傾いた。
「あぁ、大丈夫、怪我なんてしてない。してない」
「そうか?なら良いんだが」
『お父様には事情を話しても良いでしょうか?』
『やめておいた方が良いんじゃないかな。今から出かけるのも止められちゃいそうだし。それに、この事を大事に言えない事情があってね』
『そうなのですね。』
「どうした?怪我じゃなければ具合でも悪いのか?薬湯でも飲むか?」
気がけた父親が、茶葉を選ぼうかと席を立つ。
「おっ、頂こうかな。熱いのを」
「ふむ、何かホーン様の所であったのか?」
『‼』
「会ったと言えばあったかなー、ちょっとやらなきゃいけない用事が出来ちゃって」
「ほう」
「それで、ホーンが『ぶっ』……さまね、しばらく休むから依頼を頼むって言われて」
「なんとホーン様が、その間の世話はどうするんだ?」
「そう……ね、誰も近づくなって。眠りを妨げられた儂は危険じゃぞって。入り口を閉ざすそうよ」
「そうか、ならばその機会に依頼をせねばならんのか。して、その依頼内容とはどの位の期間掛かるんだ?」
「そんなには掛からないと思うわ、人に会いに行くだけだから」
「人か……」
リャナンの為に準備した薬湯を、新しく陶器性のコップに注ぎながらヤガンは自分の分も注ぎ足した。
「ホーン様の用事とは、詳しくは聞くまいよ。しかし、それまでの支度には問題ないのかい?」
ヤガンが心配するのは、旅費や道中の危険性の事だろう。
確かに、旅費だけで数日分の宿泊や食費、場合によっては護衛を雇うだけの資金が要ると思ったのだろう。
辺鄙な村宿であれば、一泊1銀弱位だが、街宿となると格段に跳ね上がる。
警備で安全面も配慮された宿では、一泊6銀を超えてもおかしくないからだ。
「いくら重要な依頼かとは言え、皆からの寄付では賄いきれないぞ」
「ん?」
『お父様は、旅に出るのに掛かる費用をどうするかと心配しているみたいです』
「あぁ、そういうことね。大丈夫じゃないかなー」
「それほど、遠くないのか?なら少しは安心だが」
「山向こうの南方の方だから近くじゃないけど、資金はホークが出してくれるんじゃないかしら」
『ぶっふ!』
「なんと!ホーク様が直々に。しかし……なんだ、今日はホーク様から叱られでもしたのか?その、いつものお前らしくないぞ」
「そ、そうでしょうか、お、お、お父さま」
『フレイラ様……今更過ぎです』
気持ちばかりリャナンの雰囲気に似せた声色をフレイラは絞り出す。
リャナンは心の中で呟きながら、一層怪訝な眉の形になったヤガンの表情を眺めていた。
「まあ、急な依頼の事で驚いたのかも知れんが、巫女として冷静に対処する様にな。リャナンにとって無茶な事は課されないはずだからな。それでだ、護衛はどうする?手の空いてる者を一人か二人探してみるが。もちろん、ホーク様からのお心に無理の無い範囲だが」
『護衛ですか?』
「いらないわ。途中、他の巫女達とも合流することになっているの」
「ふむ、ギール君などが力も十分でお前とは既知な仲でもあって良いかとも思ったのだが」
『えっ?ギール君が護衛を?』
心なしかリャナンの恥ずかしくも、嬉しそうな声色が聞こえる。
「依頼は私一人で達成するようにって、修行みたいなものだってお告げよ」
『……』
「おぉ、ホーク様直々の試練だったか。それは、勝手にこちらが修行を邪魔してはいかんな。ならば旅の道中に女神フレイラ様とホーク様の加護があらんことを」
「うんうん」
『――護衛は無いのですね』
「居てくれた方が良いの?」
『うぅ……』
飲み終わった食器を台所の苔塊で洗った後、旅路の準備をするためにリャナンの自室へと向かう。
「母さんは遅いな。リャナン、事情は私から説明しておくから、準備をしておきなさい」
「はいはいー」
その時、リャナンの母親は通りで見られた稀有な姿を心配された近所の奥様方に質問責めにされている事など知るはずも無かった。